第8章 三つ巴 34話 じゃじゃ馬の誤算
特殊な金属繊維で編み込まれたアーマースーツの肩口と腹部を手で払うような仕草をし、打たれた箇所のダメージを確認する。
豊満な身体を押し込まれたアーマースーツは靭性を発揮し、美しい肢体を覆い、河に反射する街の灯りと、頼りなくぼんやりとした外灯の光を反射させ、麗華の身体のラインをくっきりと浮き立たせていた。
(オーラでがちがちに強化してるからとは言え、この服だと耐えられるわ・・。これなら勝てる!・・急がないと、美佳帆さんが・・・!)
麗華は焦る気持ちを打ち消すように両の拳を握りしめ、正面で膝を付き、息を切らせている大男を見下ろす。
「コンナバカナ・・!オレサマノパンチヲナンパツモクラッタハズダ!ナゼダ・・!?ナゼタオレン?!」
スキンヘッドで黒人、しかも身長2m近いアレンが目をギョロリと見開き睨みつけてくるさまは、大抵のものであれば威圧され萎縮してしまうであろう。
しかし、睨まれた当の本人はモデルのような容姿とプロポーションを露わに強調した服装で、有利な状況に浸るでもなく、むしろ焦りを感じさせる表情で構えアレンに更に攻撃を加えようとにじり寄る。
「悪いけどあんたに時間かけてる場合じゃないのよ!一気にかたをつけさせてもらうわ!」
跪いていたアレンは多少ふらつきながらも慌てて立ち上がり、腹部を何度も打ち込まれたせいでやや傾いた構えではあるがファイティングポーズをとり麗華を迎え撃たんと、痛み歪む顔ではあるが気迫が満ちている。
「コノアイダノオンナドモトイイ・・コイツトイイ!ジャップノオンナハ、ドイツモコイツモ・・・!」
先ほどの麗華とのやり取りでスピードもパワーも、目の前の美貌の女のほうが僅かに上回っている。アレンは急所への決定打はなんとか防いでいるが、幾度も顔や脚にクリーンヒットを受けてしまっていた。
しかし、アレンは元来女性軽視の精神のせいで正確な判断ができず、戦いを諦めることができずにいた。
「コノ!コイツ!・・・ガアアアア!ナゼアタラン!」
冷静さを失いかなり大振りなラッシュを麗華は難なく躱す。
「命まではとらないわ!でも、痛い思いぐらいは覚悟しなさい!」
麗華は大きな目で鋭くアレンを睨みながら、そう言い重いアレンの連打を躱しながら隙を伺う。
「ホザケェ!・・イタイメヲミルノハオマエダ!コノメスブタ!」
麗華は頭に血が上ったアレンの大振りだが破壊力抜群の右ストレートを、身体を翻して躱すと同時に、踏み込んだアレンの右膝を内側から左足のローキックで打ち砕く。
「ギャアアアアア!・・・アシガ・・オレノアシガアアア・・・・!!」
踏み込んだアレンの右脚は麗華のローキックによって不自然な方向に折れ曲がり、クルーザー級であるアレンの右脚はアレン自身の体重を支え切れず妙な方向に折れながらアレンが崩れ落ちる。
「・・・あんたみたいな悪党の悲鳴でも、聞いていい気分はしないわね・・」
アレンの取り巻いていた中国系のチンピラどもは途中で隙をみて麗華を襲ってきたため、すべて麗華に打ちのめされ麗華とアレンの周りですでにうめき声をあげて倒れていた。
「・・急がなきゃ!」
周りを見回し、自分が来た方向を確認すると、倒れているチンピラを一人二人と飛び越え、公園と護岸遊歩道を隔てる2mほどの高さのフェンスの上管に飛び乗ったところで、低いが冷静で場違いな声を掛けられた。
「おいおい・・もうやられちまったのかよアレンの奴は・・。奴は女難の相でもでてるのかねえ。・・って俺も最近は女難の相ばっかりか」
フェンス近く、麗華のやや右後ろあたりからの声に、麗華は飛び乗ったフェンスの上で猫のようなしなやかな仕草で、美しい顔を声のほうに向けた。
「・・・見覚えがある顔だわ」
麗華はフェンスの上で身を丸くしながら何方にでも飛べるよう、声の主、劉幸喜の動きを注意深く観察しながら声を掛けた。
「覚えててくれたのかい?・・・あのときはみっともなかったから忘れてくれててもよかったんだがな・・」
劉幸喜は腰に手を当て片方の手で後頭部をかきながら、やれやれと言った様子で首を振り、自嘲めいたセリフで麗華に応えた。
「・・・私、今急いでるから・・貴方のお仲間も、ほら・・あのとおり」
麗華は劉幸喜から視線を外し、先ほどまで立ち回っていた付近に寝転がっているアレンやチンピラたちを顎でしゃくって劉に確認するように促す。
「貴方も今日は忙しいでしょ?今度また時間がある時にでも、ゆっくりお話でもしましょ?」
寺野麗華は黙ってさえいれば木村文乃によく似ていて清楚でお淑やかそうな美人である。その寺野麗華にそう声を掛けられたら気分が高揚しない男性はほとんどいないであろう。
そう言った麗華の顔には笑みはなく、ややもすると緊張した面持ちではあるが、その緊張を宿した美貌は損なわれるどころか研ぎ澄まされた刃物ように美しい。
劉幸喜も世間の男と同じで、例に漏れず美女は大好きではあったがそれ以上にプロでもあった。
「ふっ・・ビジネスクラスでたまたまお前が隣に座って話も合い、降り際にいまと同じセリフを言われたら・・連絡先でも聞くんだがな」
劉は肩をすくめ少しだけその整った顔を綻ばせたが、目は笑ってはいなかった。
「どうしても今しないといけない話だ。こないだ俺を2階から蹴り落してくれた礼もしないといけねえし・・。その礼を次回に持ち越すのはあんたみたいな美人相手にあまりにも失礼だろ?」
そこまで言うと劉は右手を腰の後ろに回し、新しい青龍刀の柄に手をかけた。
「こないだはお気に入りの青龍刀を宮川のとこのじゃじゃ馬女にぶっ壊されてな・・・信じられるか?あいつ鎬のほうから刀を掴んで握力だけで刀身を砕いたんだぜ?・・・間近でみてて鳥肌が立っちまったぜ・・・って、まあ今はこの通り獲物も持ってるし、こないだみたいにいいようにやられねえ・・ってことが言いたかっただけだ・・・覚悟しな?!」
劉は言い終わる前に青龍刀を振り抜き、【斬撃】を麗華に向けて2発放ち間合いを詰める。
「っく!・・ったくクソ面倒な野郎!」
学生時代にお嬢ではなく姫と呼ばれその美貌でありながら、男子生徒たちからの受けが悪かった口調が今でも時折顔を覗かせる。
劉の攻撃に悪態をつき風を切り唸る【斬撃】を躱すようフェンスを鳴らし宙に舞う。
膝丈の雑草が生い茂った地面に着地したときにはすでに劉が目の前まで迫っていた。
青龍刀による剣撃と功夫を織り交ぜての蹴撃に麗華は防戦に陥る。
「っく・・こないだとは随分違うじゃない?!」
青龍刀もなくオーラも使い果たしていた先日とは違い、目の前の劉はこないだ中二階から蹴り落した男とは同じとは思えない動きで麗華を手数で圧倒してきた。
「そりゃどうも!・・先に聞いておきたいんだが、もう一人の年増の女はどうした?・・一緒にいただろ?」
「・・いくらイケメンでも、女性のことそんな風に言うなんて感心しないわね!!・・もう先に行ったわよ!」
言い放ったと同時に打ち放った麗華の蹴りは、青龍刀の腹で防がれ僅かに劉の動きを止めるのに成功した程度の効果しかなかった。
「失礼。覚えたばかりの日本語を使いたがる時期なんだよ・・!それにしてもあんた、あんまり嘘がうまくないな。あんたがさっき急いで行こうとしてた方向はフェンスの向こう側・・つまりさっきのマンションの方角だ。ってことはだ・・はぐれたか・・図星だな・・・顔にそう書いてあるぜ」
「うるさい!」
誤魔化すようにそう言うと、間合いを詰め劉に連打を浴びせる。
「無駄無駄・・得物もある俺に勝てるやつなんてそうそういないし、それに今日はあんたが疲れてるようだぜ?」
青龍刀を自身の身体のように振るい閃かし、麗華の攻撃を防ぎ、いなした後、攻撃を浴びせ返す。
劉の振るう青龍刀が麗華の左肩を捕え、ギリリと聞きなれないな金属音が響く。
「おっと、こっちが刃毀れしちまうか・・・あんたも良いもん着てるな・・!でも・・ってことは手加減しないで済むな・・助かるぜっと!!」
劉がそう言うと右手を高速で麗華目掛け振るい5つの剣閃が胸に3、両足に1ずつ加えられ無防備になった腹部に劉の右脚が食い込んでいた。
「くっ!!ううう!!」
蹴りの勢いで後ろに吹き飛ばされ、麗華は護岸ののり面にズリズリと擦られ転がっていく。
「あんた、そこそこ力も強いし動きも早いけど、まだまだだなぁ・・。命のやり取りだっていうのに遠慮してるっていうか、場数が少なすぎるってやつだぜ・・。それに、オーラの使い方が拙すぎる。ま、このアドバイスが次に生かせないのが残念だがな」
麗華の腹部を抉った右脚を下ろし、倒れた麗華に近づきながら青龍刀を向け油断なく歩んでくる。
「げほ・っ・・も、もう!・・張慈円の腰ぎんちゃくで脇役かと思ってたら・・貴方・・案外やるじゃない・・痛つつ・・」
置きあがり素早く切られた箇所を手のひらで確認しながら、劉に向かって相変わらずの悪態をつく。
「俺が脇役だってぇ・・?はっはっは・・嫌いじゃないぜ?気の強い女はよ」
劉は麗華の挑発気味の発言に対して本当に愉快そうに笑いながら言った。
しかし、当然のことながら劉とは対照的に麗華は苛立っていた。
(美佳帆さんとは逸れるし・・和尚は宮川さんとくっついちゃうし・・弱いと思ってたこの男は強いし・・・!)
「あー・・・ちまちま防いだりしようとするからオーラの移動が面倒なのよね。防御に回したり攻撃に回したり・・さっさと告ればよかったのに、ちまちまうじうじ・・・面倒・・本当に面倒!」
麗華の独り言のような大きな声での独白に劉は興味を持って頷き言い返す。
「男に振られちたのか?もったいねえな。でも自信持てよ。あんた相当な美人だぜ。俺で良ければ何時でも相手してやるから・・っと!」
劉が言い終わらないうちに無言の麗華が傷めた脚を庇いつつも猛スピードで劉に襲い掛かる。
「この!お前が言うな!何がわかるっていうのよ!」
「わからねえけど!八つ当たりはよくねえし・・・言っただろ、こういうところが下手なんだよ!」
麗華の大振りのフックを屈んで躱した劉は、麗華の鳩尾に肘を食い込ませそのまま肩で体当たりし麗華を吹き飛ばす。
「ぐうぅふ!・・・はぁ・・」
かろうじて転倒を免れた麗華ではあったが、今の衝撃で口からは僅かに血が流れ出て臓器を少し傷めてしまっていた。先ほど蹴られる前に青龍刀で攻撃された左膝も青龍刀の背で打たれたのか、ジンジンとした痛みが頭まで響いてくる。
「・・・あんたはオーラの攻防移動ができてねえんだよ。拳にオーラが乗ってねえ。防御したい所にオーラがねえ。だから思ったようにダメージを与えられねえし、その服に頼り切りで防御もおろそか・・つまり経験不足が敗因だ・・・。さて、と授業料ももらえねえし・・・そろそろ尋問タイムといくぜ?」
劉は青龍刀を器用に回しながらゆっくりと麗華との距離を詰めてくる。
(まずい・・・。この優男がこんなに強いなんて・・。真理さんはこの劉って男を一人で押さえてたって聞いたけど・・。ショック受けちゃうなぁ・・・)
「・・尋問?」
間合いを詰めてくる劉に対し、麗華は逆に劉と距離をとるように傷めた左足を引きずり、退がりながら聞き返した。
「ああ・・、ついでにお前も連れて行くが、今日の目的は宮川佐恵子と菊沢美佳帆だ。宮川佐恵子は奴らが捕らえてたし、菊沢のほうも時間の問題だろう」
「え!?・・・支社長が?アリサや真理さん達は?!」
あっさりとした口調で言う劉のセリフに麗華は思わず聞き返してしまう。
「名前言われたって誰が誰だかよくわかんねえよ・・。普通に考えたら死んだんじゃねえかな?」
「・・・し、死んだですって・・?あの人たちがそう簡単に死ぬわけないわ!」
出会って短い時間ではあるが、宮川佐恵子や稲垣加奈子、神田川真理、彼女たちがそんな短時間でやられるとは麗華にはどうしても思えなかった。
「まあ問答してもしょうがねえ。とにかく目的以外は殺すつもりだったんだ。生け捕りできるならそれに越したことはないってこと。今ここで死ぬか、後で死ぬかもしれないが生きながらえるかもしれないならどうする?・・選ばせてやるよ。戦ってみて勝ち目がないのは解っただろ?」
劉は青龍刀を右肩に担ぐようにして持ち、麗華に問う。
麗華は一瞬何を言われているのかわからなかったが、すぐに察し怒りがこみ上げ、そして悟る。
(たしかに・・私だけじゃ・・ど、どうしたら?・・美佳帆さん・・・和尚・・!)
劉の提示した選択肢を頭の中で反芻し、絶対にどちらも選べないと麗華が頭を振った時、劉が右耳に手を当てた。
「ん・・はい・・・。ええ・・捕らえましたか。・・こちらはアレンの奴が・・・っあ!」
劉が通信している会話を聞いて推理を働かせた麗華は、痛みで悲鳴を上げる左足と脇腹を無視して、最後の力を振り絞り府内中心を流れる大きな川目掛けて飛び込んだ。
劉は慌てて川岸に駆け寄ったが、暗い水面は麗華が飛び込み乱した波紋が不規則に揺れているばかりで、人の気配はもはや見当たらなかった。
「いえ・・・なんでもありません。・・一足遅く、もう一人の女はアレンをやって逃亡したようです・・」
劉は自身のボスである張慈円に正確ではない報告をし、通信を切ると、いまだに乱れている水面を眺めながら「ちっ」と舌打ちし、仕方なくアレン達のほうに向かった。
【第8章 三つ巴 34話 じゃじゃ馬の誤算終わり】35話へ続く