第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 5話 【回想】魔眼と銀獣のキャンパスライフ時代
―10年前-
広い吹き抜け構造の校舎内には、明るい声で闊達に話す学生たちの姿が多く見える。
内部の吹き抜け部分は、白を基調とした近代アートを思わせるディティールでありながらも、外部は威厳と知性を感じさせる重厚な茶色のレンガ造りである。
その建物、宮川系列の私立大学、明成経済流通大学の廊下を加奈子は注意深くあたりを見回しながら駆けていた。
明成経済流通大学の2回生である稲垣加奈子にとって、この建物の構造は勝手知ったるところであった。
見落としが無いように効率よく廊下を駆けまわり、行き交う人にぶつからぬよう縫うようにして走る。
時折、顔見知りの学生たちが、走る加奈子に気づいて声を掛けてくる。
しかし、加奈子はその同輩たちに愛想のいい顔で一言二言言葉を返しても、走る速度は緩めなかった。
容姿端麗ながらも、明るく接しやすい人柄の加奈子は、大学内でも有名人なのだが、今は足を止めている暇はないのだ。
肩まで届く色素の薄い髪をなびかせ、加奈子は裏門へと一直線に続く大きな目抜き通りの入口にあるアーチ状の門の下を潜り抜ける。
照明で明るかった校舎内とは違う、陽光の明るさに少しだけ目がくらむが、その日差しは並木となった大きな楠木の樹冠で覆われている。
さわさわと風に鳴る葉の音を楽しむこともなく、速度を落とさずにキャンパスに飛び出す。
飛び出したすぐ目の前には、本校舎を中心にして南北に伸びた大きな目抜き通りがあった。
このキャンパスは、校舎から北側に抜けると裏門に通じる。
裏門と言っても、正門よりやや間口が狭いだけで立派なことには変わりはないが、こちら側には駅がないため、正門のような人通りはない。
そうは言っても、1,000以上学生のいるこのキャンパス内では、本校舎の北側にもかなりの学生がいる。
メインで使われることがない北目抜き通りだが、流石は大学として150年の歴史を持つ学び舎である。
正門に比べて人通りの少ないが、正門のある南側と同じく、立派な楠木が通りの左右に植えられていて、通りの全体は夏の強烈な日差しからすっぽりと守られている。
目抜きの通りの左右にある歩道は、視線を遮るように灌木が植えられ、石の調度品などがあるうえ、東屋やバーゴラの下にあるデスクでは学生が参考書を広げたり、開けたところでは楽器を持った学生たちが演奏をしていたりもする。
そんな中、少々焦った表情の加奈子は目的の人物を見つけようと、走りながら能力を使って視力を強化させたのだ。
加奈子の目的とするその人物は、その一直線の通りの先、雑踏の向こう側、裏門出口のすぐそばにいた。
後ろ姿しか見えないが、腰まで届くロングストレートの黒髪姿、歩幅や足運びには品がありながらも、何処か他を寄せ付けない尊大な雰囲気が後ろ姿にもにじみ出ている。
「いた!あんなところに・・!佐恵子さーん!」
加奈子のハスキーな大声が目抜き通りの端まで届く。
すぐそばのベンチに座っていたカップルが、加奈子の声に驚いて目を向けるが、加奈子は構わず手を振って先ほどより速い速度で駆けだした。
加奈子は、御影石でできたモニュメントを飛び越え、パルクールの選手のような軽快な身のこなしで学生たちの間を風のように駆け抜ける。
一方の大声で名前を呼ばれた佐恵子は、加奈子の大声に一瞬ギクリと肩をすくめたものの、それも本当に一瞬で、すぐに何事もなかったように肩に下げたハンドバックを手でおさえて加奈子に背を向けて歩きだしていた。
「佐恵子さんってば!」
白のノースリーブにブラウンのガウチョ姿の佐恵子は、やや早足になって加奈子から逃げるように歩いていたが、再度大声で名を呼ばれてピタリと歩みをとめた。
佐恵子は、野生動物同然の加奈子からは逃げきれないとあきらめたようである。
大きく息を吐きだしてから立ち止まり、ゆっくりと振り返ったのだった。
佐恵子は、振り返ったときに肩にかかった長い髪を、手の甲で払うようにかきあげ、顎をツンと持ち上げた尊大な態度で、平坦な胸を反りくって口を開いた。
「なんですの?こんな大勢人がいるところで、大声で呼ばないでくださる?」
加奈子は佐恵子の前まで来ると、膝に手をついて肩で息をしていたが、その息を整えるのももどかしく口を開いた。
「なんですの?じゃありませんよ・・。どこにいくんですか?今日は講義が終わったらすぐに武蔵野の本宅に来るように言われてたじゃないですか。正門に車がずっと待ってます。佐恵子さんがきてくれないと私が叱られちゃうんですよ」
白のカットソーに、淡い青色のデニムのショートパンツという活発な恰好の稲垣加奈子は、困惑顔で身振りを交えながら、尊大な同期生に訴えた。
車が待っていた正門の校門から南目抜き通りを駆け、キャンパス内を縦断し、北目抜き通りから裏門までは、距離にして2km近くもあるのだ。
キャンパスから、高尾山の嶺が見えるほど都内の西に位置する明成経済流通大学はとにかく広い。
そんな広いキャンパス内で、待ち合わせの場所と全く違う場所をうろついている佐恵子のことを探し回る羽目になった加奈子は、恨めしそうな目を佐恵子に向けたのである。
「悪かったですわね」
佐恵子は胸を反らし、顎を上げた尊大な態度を崩さずにそういったものの、その口調には少々悪びれた色が含まれている。
「んもぅ。・・さ、いきますよ?最近講義やお稽古にも身が入ってないみたいですけど、どうせサボった分、倍にしてしごかれちゃうんですから、ちゃんとしたほうがいいですって。こないだ遅刻した時のこと覚えてます?凪姉さんにずいぶん叱られちゃったじゃないですか・・・。あの人ほんとに容赦ないですし、遅刻したのは佐恵子さんなのに、なぜか私にくるとばっちりのほうが激しいんですからね・・!」
加奈子は、依然遅刻した時に最上凪に糸でさかさまに吊るされたことを思い出し、佐恵子を逃がすまいとしっかりと手を握って歩きだした。
明成経済流通大学の理事長の娘である宮川佐恵子とその友人の稲垣加奈子は、大学での講義が終われば、宮川家の優秀な家庭教師たちによって、毎日22時まで講義と体術の稽古が日課になっているのだ。
唯一水曜日だけは大学の講義が終われば自由時間なのだが、今日は水曜日ではない。
佐恵子の手をしっかりと握ったまま正門まで連れて行こうとする加奈子に、佐恵子は素直について行きながらも口を開く。
「ねえ・・加奈子。今日だけ見逃してもらえないかしら?」
加奈子は、近頃佐恵子が日課を嫌がっているのをわかってはいたが、佐恵子の言葉に改めて驚く。
「・・どうしたんです?そんなこというの珍しいじゃないですか?でも行かないと・・」
加奈子は行かなかったり遅刻したらどんな目に合わされるかと、頭に浮かんだ最上凪の顔を振り払うように頭を振って手を引いて歩く。
「今日は・・その・・えっと・・所用がありまして」
「そんなのダメですってば・・。またゲロ吐くまでしごかれちゃいますよ」
「今日だけです。あとで凪姉さまには私から言い訳しますから。・・人を待たせているのです。それでですね・・今日だけはどうしても稽古を休みたいのです」
佐恵子の方を振り返らず、手をつないだまま引っ張って歩きながら佐恵子に返す。
「それ直接凪姉さんに言ってくださいよ。それに人を待たせてるって・・、水曜日に変更してもらうしかないですよ?」
「そうしたいのはやまやまなのですが・・」
加奈子は歯切れの悪い背後の佐恵子の方にようやく向きなおった。
「何か理由があるんですか・・?もっと事前に言っておけばもしかしたらお許しが出たかもしれませんけど、今からどうしても行かなきゃいけないことなんです?すぐ済む用なんですか?」
「たぶん・・すぐ済みますわ。でも武蔵野に帰るには1時間ぐらい遅刻しそうですわ・・」
佐恵子の答えに加奈子は困ったように髪の毛をくしゃくしゃとかきあげたとき、背後から声を掛けられた。
「稲垣さんじゃん!」
同じ学科の学友たちが、加奈子を見つけてがやがやと近づいてきたのだ。
「ねえねえ。こんなところにいるなんて珍しいね。今日は大丈夫な日なの?」
大学の講義が終われば、加奈子はすぐにお稽古に行ってしまうというのは、加奈子の友達の間では共通の認識であるのだ。
そのため、講義が終わって30分以上たっているにも関わらず、裏門近くに加奈子がいるのは珍しかったのだろう。
いまから大学のほど近くにあるカフェでお茶をしようとしているようで、加奈子のことを頻りに誘ってきたのであった。
「たまにはいいじゃん。俺は加奈子さんとじっくりお話したいなー」
背の高い学友の一人が、加奈子を誘ってくるが、加奈子は今日も宮川家の家庭教師にみっちりしごかれるスケジュールが詰まっている。
「せっかくだけど、今日もダメなのよ。また次の水曜日ならいけるけど・・ね?佐恵子さん」
加奈子は誘ってくれる学友たちに、バツが悪そうにそう言い、しっかりと手をつないだまま後ろにいる佐恵子の方を振り返った。
「え?」
加奈子が佐恵子だと思っていた手は、佐恵子ではなかった。
「稲垣さん。俺の手をこんなにきつく・・・」
逃がすまいと強く握っていた手は、青紫色に変色していた。
加奈子に手を握られている学友の男は、脂汗をたらして顔を真っ赤にしていたのである。
彼の手は、知恵の輪をオーラ無しの素手で解体するパワーの持ち主である加奈子によって破壊される寸前だったのだ。
能力者である佐恵子であれば、この程度の力で手を握ってもどうということはないのだが、大の男といえども生身の人間にとっては強すぎる力であった。
「きゃっ!ご、ごめんなさい!!」
加奈子は慌てて学友の手を放して謝ったものの、佐恵子にはまんまと逃げられてしまったのであった。
「えっ?!ちょっ?!さ、佐恵子さん!ええええええぇっ!・・・そんなぁ!ずるいですよぉ!こんな時に目を使うなんて!」
手を抑えて蹲る男の背を撫でながら、加奈子は嘆きの声を上げたのであった。
【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 4話 【回想】魔眼と銀獣のキャンパスライフ時代 】終わり6話へ続く
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前回の続きと思い拝見すると、題名からして、、
私がこよなく愛する銀獣の回であり、なんと!?
スピンオフ佐恵子&加奈子ではありませんか!
なんか良いですね、若かりし頃のお話も。
色々と楽しませて頂いてます。
応援しておりますので、無理せず頑張って下さいませ。