第9章 歪と失脚からの脱出 19話 点穴に魔眼の脅威
弥佳子の搭乗を待つヘリコプターが、だだっ広いコンクリートの広場の真ん中で海風を切裂き、ひゅんひゅんとローターブレードを響かせている。
二人は吹き付ける海風を受け、髪が靡くのをそのままに、倉庫とヘリの中ほどで立ち止まった。
「奈津紀さん。張慈円は濁していましたが、おそらくこの取引は何者かに嗅ぎつけられています。でなければ、我ら六刃仙を3名も所望しないでしょうからね。・・きな臭いですが、奈津紀さん達なら難なく熟してくれると確信してますよ」
「はい、お任せください。どのような曲者が現れても撃退いたします。・・・・ですが御屋形様。・・御屋形様こそ、あまり予定を詰めすぎずに・・」
奈津紀は弥佳子に御意を示すが、こんな僻地まで足を運んできた弥佳子の体調を心配し、つい出過ぎたことを言ってしまいそうになって、奈津紀らしくもなく言いよどんだ。
奈津紀をよく知る者以外がこの様子を見ても、奈津紀の様子はいつも通りに見えるだろう。
いまは弥佳子と奈津紀だけであり、周囲には誰もいない。
沙織と香織は建物の中で、劉幸喜と打ち合わせをしている。
劉幸喜ら香港の連中は見送るのは礼儀だと言っていたのだが、弥佳子が見送りなど不要と判断したため、見送りは奈津紀のみである。
ヘリの周囲では、高嶺の門弟が慌ただしく作業しており、弥佳子がすぐに乗り込めるようにと準備を整えているのが遠目に見えた。
奈津紀は、言い淀んだのを弥佳子に悟られまいとし、その門弟たちのほうへ視線を移し、普段のポーカーフェイスを装っているが、二人の付き合いは長い。
「・・・私の身体を心配してくれているのですか?たしかに、会社の方の業務も忙しいですが、そちらのほうは退屈ですからね。問題ありませんよ」
「御屋形様にとっては容易いことでしょうが、仕事量に関しては、そのようなことは無いと存じております」
顔を上げた奈津紀は、思ったことを素直に答えただけだが、弥佳子には微妙な表情の変化を見抜かれてしまったようだ。
弥佳子はふっと笑うと
「まったく・・さすが奈津紀さんね。なんとか形になったと思ったんだけど・・・今朝の【無明残月】のことを言っているのでしょう?」
「申し訳ありません」
弥佳子の問いかけに奈津紀は目を閉じ、僅かに眉間に皺を寄せたまま軽く頭をさげそう言った。
今朝方、弥佳子たちの力を試してきた樋口の片眼鏡とファスナーを斬り割いた、弥佳子の剣筋のことを奈津紀は言っているのだ。
空間を越え、離れたところに斬撃を打ち込む絶技で、奈津紀もその技能を習得している。
そのため、奈津紀は弥佳子の剣筋を見て、いまだ本調子ではないことがわかってしまったのだ。
「・・・おそれながら・・、もともと点穴は大陸から伝わった技と聞き及んでおります。・・栗田も何らかの機会を得て、点穴を習得したものだと・・」
ポーカーフェイスを装う奈津紀だが、弥佳子には奈津紀が思い切って口を開いたことが、よくわかった。
だから、弥佳子は奈津紀が続きを言うのを無言で待つ。
「・・・張慈円さまが以前点穴の話をしていることがあり、張慈円さまも点穴をマスターしようと訓練したことがあるそうです・・。結果的に点穴をマスターすることはできたが、オーラの扱いが難しすぎて、実戦には使えない代物だと言っておりました。・・・それと同時に、点穴を突かれた者の症状を解除する方法も同時に習得した・・とも言っておりました」
奈津紀はそこまで言うと、弥佳子の表情を読み取ろうと顔を上げた。
「私が点穴を突かれたことを張慈円に言ったのですか?」
弥佳子は静かに、しかし感情を抑えた声色で奈津紀に問い返す。
一瞬で温度が下がったかのような間が、奈津紀の声を高くさせた。
「いえ!決して」
奈津紀が慌てた口調で事実を伝えると、弥佳子は安心させるような表情に和らぐ。
「・・・・わかりました。奈津紀さんが何を考えているのかいくつか推測できますが、それは却下です」
「・・・ですが!・・・いえ・・承知いたしました。出過ぎたことお許しください」
もしかすれば、張慈円が弥佳子の状態を治せるかもしれないと思った奈津紀であったが、髙嶺グループおよび、髙嶺六刃仙筆頭である17代目当主髙嶺弥佳子が、取り得ない行動であるということを、心配のあまり一時失念してしまったのだ。
自らの発言に恥じ入り、僅かに顔を伏せる奈津紀に弥佳子はつづけた。
「いいえ、わたしのほうこそ、奈津紀さんがそんなこと言うはずないというのに・・。私を心配してくれただけですよね。・・それに奈津紀さん、張慈円の言葉を鵜呑みにしてはいけませんよ?点穴のことは点穴を受けた私自身がもっとも研究したと自負しています。・・解除方法も含めて。・・結局のところ、私では修得できそうにありません。もちろん解除方法も・・。・・それとも奈津紀さんは張慈円が点穴を使うところを見たのですか?」
「いえ、実際に見たわけでは・・・」
弥佳子にそう聞かれ、奈津紀は更に自らの不肖を恥じるような顔つきになる。
とはいっても、その表情の変化は弥佳子ぐらいにしかわからない程度ではある。
その様子を見て弥佳子は、奈津紀を安心させるような口調ではあるが、窘めながらも更に続けた。
「そうでしょうね。奈津紀さんらしくありませんよ。・・あれを使えるものがそう何人もいてはたまりません。・・修得するもなにも・・・私も文献を読みあさり、試行錯誤して修得や解除方法を試しましたが、点穴の習得も、そして点穴を消失、解除するのは無理でした。結局、自身内部でゼロにされたオーラを、長い年月かけて僅かなところから練り上げ、徐々に点穴で突かれた穴を塞ぎ紡ぐ・・そういった原始的で地道な方法しかとれなかったのです。・・奈津紀さんには見破られてしまいましたが、完全に塞ぐにはあと少しかかりますがね」
「御屋形様・・1年以上も、わたしの失態のせいで・・」
「それはもういいのですよ。私自身も油断がありました。それより・・もし、張慈円があの技を使えるのであれば、張慈円の危険度は跳ね上がります」
「不確かな情報で煩わせてしまい申し訳ありません」
弥佳子のこととなると、普段冷静な奈津紀も感情的な部分が出てしまう。
弥佳子は半分だけ血のつながった妹の気持ちを察し、それ以上咎めず続けた。
「私のことは私が何とかします。あと少しで完治させられそうですからね・・。それに、点穴を使う栗田もそうですが、・・宮川のような危険因子を我々が今日まで排除しきれないどころか、私が臥せている間にずいぶんと台頭させてしまっているのは、奴らが即死攻撃技能を有しているからです。我ら六刃仙、それに次ぐ十鬼集や高弟たちであれば、大抵の者はあの呪われた目に対し、抵抗することは可能でしょう・・。しかし、まだ未熟な弟子たちはそうはいきません。・・・抵抗力の弱い若い剣士が、鍛えた剣技を振るう機会も与えられず、運よく生れついたというだけで、魔眼を有する者どもに、むざむざと・・・いったい何人・・。どれほど・・・無念に散っていったか・・・!」
弥佳子は声量こそ大きくはないが、柳眉を吊り上げ、その美しい顔を怒りに歪めており、柄に置いた手には無意識に力が入っていた。
脈々と受け継いできた剣技、独特のオーラ技能を継承してきた髙嶺といえども、自らに対抗しうる勢力の力は一定の脅威がある。
佐恵子や、佐恵子の父の昭仁、叔父の誠ほどの能力でないにしても、宮川家一族には魔眼覚醒者は大勢いるのだ。
「点穴使いの栗田は現在宮川のところに身を潜めている・・そう言ってましたよね。奈津紀さん?」
「はい。宮川佐恵子を捕らえ連れ去ろうとしたとき、あの栗田が現れました。宮川と組んでいなければ、あのタイミングで私たちの前に現れるのは不自然だと愚考します」
「いいでしょう・・。栗田を探す手間が省けました。栗田が宮川と組んでいるのであれば、危険ですが、これ以上にない好都合とも言えます。まとめて叩き潰すとしましょう」
弥佳子はそう言い、柄を握った手に力を込め決意を漲らせてはいるが、点穴の脅威と恥辱を、身をもって味わっているうえ、以前皇居で仕事をした際に、魔眼の威力も目の当たりにしているため、弥佳子の手に無意識に力が入ってしまったのは致し方ないことだと言える。
3年ほど前、皇居近くの舞台で請け負った仕事の際、標的となる人物と同席していた宮川家の連中と予期せず戦闘となったのだ。
弥佳子は、当然宮川のことも、魔眼のことも知識としては知っていたし、その会食に宮川家の人間が複数出席していることも事前情報で知っていた。
しかし弥佳子は宮川を、魔眼を見くびっていた。
魔眼の様々な噂話は聞いていたが、どれも信ぴょう性に欠け、裏の取れない情報ばかりであったため、魔眼の力については誇張が大いに含まれていると判断していたのだ。
標的を始末するときに、もしも宮川が邪魔をするのなら、駆逐してしまおうと安易に考えていた。
皇居は広く、標的も何人もいたため、髙嶺側も若い剣士らも多数動員し、強襲したのである。
結果的にすべての標的は見事始末したのだが、標的の盟友であった宮川は、標的を守ろうと髙嶺に対して応戦してきたのだ。
宮川が応戦してくるかもしれないことは、弥佳子の予想の範疇ではあった。
しかし、弥佳子の誤算は単なる老人達だと思われた連中の能力が、弥佳子の想像を大きく超えていたことだった。
老人達一人一人の力は、弥佳子や六刃仙、高弟たちにすら全く及ばないであろう。
しかし、まだ能力に目覚めて間もない若い剣士、若い弟子たちにとっては大変な化け物たちであった。
十数人はいる着飾った男女が、一斉に目を光らせると、弥佳子が手塩にかけて育てた若い剣士はバタバタと倒れ、棒きれで野花でも薙ぐように簡単に命を奪われていったのだ。
異様な光景だった。
キン!という高い音が響いたと同時に、奴らの目が黒く不気味に瞬く。
すると一人、また一人と、黒い閃光が迸る度に若い弟子は倒れていくのだ。
剣を構え、斬りかかろうとするも、薄ら笑いすら浮かべた老人達が、目をどす黒く光らせるだけで、弟子たちの命は散っていった。
自身が死ぬことも気づかぬまま、隣の仲間がなぜ死んでいくのかわからないまま倒れていったのだ。
老人たちに混ざり、青いドレスを着た宮川の娘もいた。
明らかに周りの老人達とは別格の力で、老人達の魔眼を耐えて肉薄した高弟たちを阻み、応戦していた。
着飾った護衛の女二人に守られながらも、周囲に指示を飛ばして機敏にたちまわり、髙嶺の高弟たちを体術で打ちのめしては、その呪われた目には光を纏い猛威を振るっていた。
作戦の指揮を執っていた弥佳子は、激昂したが若い弟子たちをこれ以上犬死させないため、奴等の始末より、苦渋の決断で撤退を優先させたのだ。
標的を全て抹殺したからという理由が大きいが、弥佳子はこれ以上弟子を死なせたくなかった。
弥佳子が斬り込めば、宮川の娘を含め老人達を全て屠れたかもしれない。
しかし、あちこちでの乱戦であったため、髙嶺の被害はもっと甚大になったであろう。
弥佳子は断腸の思いで、撤退を決断したのであった。
その決断の結果、あの時の弟子たちの中の生き残りの一人が南川沙織である。
当時はまだまだ未熟であったが、選別の儀を経て見事生き残った沙織は、めきめきと頭角を現し六刃仙の一人に数えられるほど成長したのだ。
沙織ほどの能力者は高嶺といえども、そうそう輩出できない。
あのときの弟子たちの被害を最小限に抑えるため、苦渋の撤退を選んだ結果のたまものだと弥佳子は納得してはいる。
あとは、深追いしてきた宮川の護衛の一人を、当時六刃仙に抜擢されたばかりの、井川栄一が見事撃退し、追撃を断ったことが、僅かに弥佳子の溜飲を下げさせた。
あのまま追撃をうければ、若い剣士たちの被害は更に増えたのは明白なので、危険を顧みず殿を申し出た栄一の働きは、多くの若い弟子の命を救ったのだった。
魔眼一族宮川との一件を思い出した弥佳子は、美しい顔を怒りとも哀しみともとれる表情に一瞬だけ染めたが、かぶりを2度振って、肺に溜まった空気を吐き出した。
「栗田はもちろんのこと、宮川も不倶戴天の敵・・。奈津紀さんの言う通り、まずは私自身を万全にすることも急務の一つですね」
弥佳子のセリフに奈津紀には珍しい笑顔で、「恐れ入ります」と返したのみであった。
しばらく二人の間に沈黙があったが、弥佳子が不意に声色を変え「そうそう」、思い出したかのように話題を変えた。
「今回の商談、最初はどんな戯言を聞かされるのかと心配しましたが、さすが奈津紀さんが持ってきた話ですね。ビジネスとしてはよい稼ぎとなりそうで安心しました。わざわざ来たかいがありましたよ。宮コーと宮川重工業の機密となれば、かなりの価値がありますし、まさか張慈円があのような金額を提示するとは思いませんでしたからね。それほどの取引という事でもありますが・・。・・・奈津紀さん、色々思うところはあるでしょうが、あの樋口という男は重要です。専属で護衛を付けておきなさい。あの男のオーラ識別と網膜認証がないと、その機密情報が詰まったディスクを取り出せず、商談も御破算ですからね」
「はい、もちろん重要性は承知しております。香織と沙織に遠近二重で護衛をしてもらうつもりです」
普段の口調と表情にもどった弥佳子に、内心安堵した奈津紀は、相変わらず真面目に返答をする。
「そうですね・・、沙織に香織さんもいるのなら安心ですね。沙織も短気を起こすほど今はもう子供ではないでしょうし、大丈夫でしょう」
弥佳子はそう言うとようやくヘリの方に向かって歩を進めだした。
奈津紀もそれに続く。
すると前を歩く弥佳子が、奈津紀の方に振り向いて少しからかうような口調で言った。
「それにしても・・・・奈津紀さんは張慈円に気に入られているようですね」
「そうでしょうか・・?」
「そうですよ」
「・・そう、なのでしょうか・・。クライアントから嫌われるよりはいいのですが、張慈円さまのことを、ここ3か月ほどずっと護衛も兼ねて、商談を重ねてきましたので、香織や沙織よりは話をする機会は多いからでしょうか。・・・たしかに最近よく意見を求められたりはしますが・・、張慈円さまがわたしに無遠慮な視線を送りつけてくるのには、いい加減慣れてきましたが、まさか御屋形様にまであのような真似をするとは・・」
相変わらず真面目に答える奈津紀だが、先ほどの張慈円の態度に憤慨しだした様子にに弥佳子は不意におかしくなり、口元を緩めてしまった。
「ふふっ、まあ、私達のような女が目を引くのは仕方ないでしょう。興味を持たない殿方がおかしいですよ。そんな殿方がいるとすれば、おそらく不能か男色好みの者でしょう」
自身らの美貌を正確に把握しているとはいえ、自信たっぷりなセリフを言い終えた弥佳子はカラカラと愉快そうに笑った。
しかし、ヘリコプターの側までくると、直立不動の態勢で待っていた高弟の一人が、極度の緊張で固くなり、真面目くさった口調で話し掛けてきたため、弥佳子は一気に現実に戻される。
「お待ちしておりました!本社での予定がおしております!どうかお急ぎを!」
弟子のそのセリフに弥佳子は笑うのを中断させられ
「やれやれ・・間の悪いこと・・。そんな憂鬱なことを大声で言わなくても・・。もう少し笑わせておいてくれないものでしょうか・・・。さておき、久方ぶりの遠出もここまでね」
と小声の独り言を言い同時にため息をつくと、奈津紀に向き直った。
「では奈津紀さん、朗報を待ってますよ」
「はい、お任せください」
奈津紀はそう言ってヘリに乗り込む弥佳子の背中に向かって頭を下げたのだった。
【第9章 歪と失脚からの脱出 19話 点穴に魔眼の脅威終わり】20話へ続く