第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 19話【回想】紅蓮と蜘蛛
白ずくめの女が紅音の傍まで歩き進むのを金太郎と銅三郎も止められずに、ただ黙ってみていた。
おそらく先ほどの攻撃はこの女によるものなのは確実だが、どんな攻撃を受けたのか皆目見当がつかなかったからだ。
金太郎と銅三郎は殴打によるダメージだが、倒れて呻く銀次郎の背中の裂傷は明らかに切傷である。
凪の儚さのある美貌と、真っ白い姿、光る碧眼も相まって、金太郎と銅三郎の二人は、警戒からとりあえず様子を見ることにし、手を出さずにいるのである。
「・・無事?」
そんななか、蜘蛛と呼ばれる白ずくめの女最上凪は、紅音のすぐそばまで近寄ると、床に座り込んだ紅音に問いかけた。
紅音は凪のその問いには答えず立ち上がり、破れた衣服を身体に巻き付けて腋の下で括り付けている。
紅音は破れた服でなんとか胸を隠したが、形のいいCカップの乳房のほとんどは露出してしまっており、乳房がなんとか隠れている程度でしかない。
「佐恵子はどこ?」
そんなあられもない恰好をなんとか取り繕った紅音の様子などお構いなしで、凪は静かにもう一度聞く。
「糸・・切れた。さっきまで繋がっていた」
紅音のこたえるのを待たず凪は再び静かに口を開いた。
声量も声色も穏やかに聞こえるが、実は凪がここまで言葉をつづけるのは珍しい。
光った眼光が表すのは発しているオーラ量が多いため。
凪の感情は明らかに高ぶっているのだ。
紅音はそこまで聞いて、凪の心情とこの場に現れた理由に察しが付き、表情を隠すように口元を拭う。
「・・さあね。ここにはいないみたいよ」
目を逸らし、きまりが悪そうに言う紅音の口調と表情に、凪は無表情ながら眉間にやや皺を寄せる。
「・・そう」
凪は紅音の返答に対し、少し間をおいて無表情でそう静かに呟いたのだ。
(糸を佐恵子に付けて見張ってた・・・?蜘蛛の能力は糸って言われてるわね・・・。迂闊・・・気づかなかったわ・・糸なんて見えなかった・・いつからなの?・・・じゃあ私の企みにも気づいてた・・?もしかして私を粛正するためにきたってこと・・?)
紅音は凪の無表情から読み取ろうと探るように見て、身体で隠した後ろ手で指先にいつでも炎を出せるようにオーラを集める。
凪は、そんな紅音の様子に興味はなさそうで、細く白い指先を顎に当て、少しだけ思案しているような素振りである。
だが次の瞬間、凪は紅音に向ってふいにその手を紅音に向けた。
殺気もオーラを練る予備動作もないが、その手の平には膨大な量のオーラが纏っている。
警戒していたのも関わらず、完全に不意を付かれたことに紅音は慌てた。
「くっ!?」
(問答無用ってわけ?!コイツの能力は糸の形状を変えることで斬撃や殴打になるはず!でも所詮は糸による単純な物理攻撃でしょ!焼き尽くしてやるわ!!)
凪の能力と強さを噂では知っている紅音は流石の反応速度であった。
負傷し、先ほどから何度も絶頂したというのに、術式の展開は凪の能力の発動と同時だ。
迫りくるであろう数えきれない糸の束を焼き尽くさんと炎を前面に発現させる。
だが、凪の能力は予想しない方向から文字通り降り注いできた。
大量に・・。
ばしゃあああ!!!
凪は、淡い緑色の液体を紅音の頭上で大きな水滴の形状で発生させたのだ。
じゅう!と派手に鎮火する音がし、炎によって半分以上蒸発させられた緑色の液体がもうもうと気体になる。
そしてその液体が異様な臭いを発しながらも、蒸発させきれなかった高温液となった半分ほどが紅音に降り注いでしまったのだ。
「きゃああああ?!熱っ!!?熱っつ!?」
紅音は突然頭上から降り注いだ得体のしれない液体で、全身びしょびしょの濡れネズミにされてしまったのだ。
紅音は拳を振り上げ八重歯をむき出しにして凪をぎらりと睨みつける。
それに対し凪は、やや驚いた表情で紅音を見て口を開いた。
「何してる」
「それはっ!こっちのセリフでしょうがっ!」
凪のセリフに間髪入れずそう反応した紅音は、こめかみに血管を露わに激昂し、凪に掴みかかりかけたものの、金太郎に殴られていた腹部の痛みがかなり和らいでいることに気づく。
「・・え?・・あれ?・・これは・・?」
凪が発現させたのは、凪が能力で生成した液状の薬だったのだ。
紅音はそうとは知らず、薬を煮沸し、半分以上蒸発させたうえ残りの薬液を熱湯に変えて浴びてしまったのだ。
紅音がエデンにいるのはやましいところがあったので、佐恵子の教育係の凪から攻撃を受けると思ってしまった。
紅音の複雑な表情とは違い、凪は紅音が薬液を燃やそうとしたことに対して無表情である。
しかし、紅音には見える。
いや、紅音の完全な思い込みの勘違いなのだが・・。
紅音にとって凪の顔は「せっかく治療してやろうとしたのに、なにやってるんだコイツ?」という表情に見えてしまっているのだ。
凪は純粋な気持ちで、宮コーに入社予定の特待生を治療しただけである。
(しかし、コイツって糸だけじゃなく治療薬も発現させられるの・・?)
紅音は怒りつつも凪の治療能力に、警戒を強めて感嘆する。
凪は紅音の2歳年上という若さで、すでに宮川コーポレーション宮川昭仁社長の秘書主任を務めている。
秘書主任という立場故に、幼少期より特待生として宮コーから教育支援を受け、来春入社予定の緋村紅音のことも当然知っていたのであった。
ただ、凪が紅音を知っているほど、紅音は凪のことについて詳しくは知らない。
紅音は最上凪という秘書主任がいるとは知っていたし、社長と一緒にいるのを見たことはあった。
しかし、凪がビジネスパーソンではなく純粋な護衛要員であり、言葉数が少ないポンコツコミュ障だとは知りようがなかったのである。
最上凪が凄腕能力者で社長のボディガードにいるということだけは噂で知っていたし、社長のそばに楚々と影のように立っている姿も見たことはあった。
凄腕といっても、どうせ私に適うはずもない程度の者だろうとタカをくくっていた蜘蛛こと最上凪が、予期せずこの場に突然現れたのだ。
能力者である凪に言葉もなく、いきなり目の前で術を発動されたら警戒されても仕方ない。
味方を治療しようとしたとはいえ、凪の言葉が足りないのも悪い。
いっぽう、紅音は佐恵子を陥れようとしてたやましさがあり、それゆえに凪から攻撃されると早とちりしてしまっての行動である。
「治療するなら治療するって先に言いなさいよ!」
濡れた髪を手で拭いながら怒鳴る紅音に対し、凪は相変わらずの無表情のまま、今度は紅音に指先を向ける。
しかし今度は無言でオーラを収束させた指を突き付けてきた凪の行動に、再び紅音はビクンと反応して身構えた。
破れて肌の露出が多くなった紅音の胸元に、凪はまたもや一言の断りもなく、糸を巻き付けだしたのだ。
「だ~か~ら!いきなりやるなつってんでしょうがっ!」
巻き付けてくる糸を、とっさに発現させた炎で焼いてしまった紅音が凪に食って掛かって怒鳴る。
「見せていたい・・?」
凪は同じ女として、かろうじて乳房が隠れているだけの紅音の胸元を不憫に思ったゆえの行動であったのだが、紅音に猛烈に拒絶されたことに対し、ためらいがちに信じられないという表情で首を傾げてそう言ったのだ。
紅音は凪に向かって、怒りで顔を赤く染めて怒鳴り返す。
「そんな訳ないでしょうが!先に言えつってんの!なんにも説明されずにいきなり指先突き付けられて、こんな至近距離で能力発動されたら誰だって警戒するわよ!わかんないのっ?!」
「わからない」
真っ赤な顔の紅音とは対照的に真っ白い顔のままの凪は、小首をかしげ、ためらいがちに呟いた。
凪が銀次郎に深手を負わせ、いまから緑園兄弟の3人を相手に戦うのだが、将来紅蓮とよばれる緋村紅音と、蜘蛛こと最上凪は阿吽も斯くやという抜群の相性ぶりを三兄弟に見せつけだしたのである。
「なんだ・・あいつは?緋村の仲間じゃないのか・・?」
「それより銀次郎!大丈夫か?ずいぶん深くやられたな・・今治療してやる」
金太郎と銅三郎は、銀次郎を介抱しながらも、紅音と突然現れた白ずくめの女とのやり取りをチラチラと警戒している。
「はぁああ?!だから~!目の前で急に術を発動されたら誰だって警戒するって言ってんの!」
「五月蠅い。本当に佐恵子みてない?糸はこの建物内で切れた」
紅音の言葉に、一見物静かに見える凪が無表情ながらも紅音に再び質問しかえす。
「うるさいですって?!あんたねえ少しばかり先に会社に入ってるからって、この私に大きな態度とらないでよね!?」
凪は一見物静かに見える。
楚々とした風貌の深窓の令嬢に見えるだろう。
「佐恵子の保護が最優先。緋村を助けたのはついで。知らないなら話すことない。だから五月蠅いと言った」
鼻先まで詰め寄った紅音に対し、凪は表情を変えずそう言いきったのだ。
一見楚々と見えても、凪はかなり苛立っている。
凪がそれだけしゃべるのは、感情が高ぶっている証拠なのだが、紅音にとってはそんなことなどどうでもよく、「ついでに助けた」と言われたのが、高いブライドを激しく傷つけたのだ。
「ついでに助けたですって?!この私を?!」
「そう。相手は3人。苦戦してもしょうがない。恥じることはない。さっきの凌辱も誰にも話さない。安心する」
「なっ!・・なんですってえぇ!」
食って掛かりかけた紅音の反論の怒号を完全に無視して、凪は両手をかざす。
瞬間、目に見えないきらめきが、部屋の空間全てで照明の光と、スプリンクラーから噴射される水しぶきを弾いた。
緑園兄弟を中心にして、そのきらめきの一つ一つが空気を切り裂く唸りを上げ収束したのだ。
ぎしいいぃい!!
「ぐああああ!」
目に見えない細さの糸が幾万本と集まり、3兄弟を締め上げだす。
見えないほどの細さと言えども、集まらば見える。
白銀色に輝く糸の束ががっちりと3人を捉えているのが。
「拘束」
凪は目を翠色に輝かせ、腕を交差し、白く細い指の先端から出ているであろう糸を手繰ってそう言った。
3兄弟の動きを完全に封じ、地面に糸で伏せかけた瞬間、業火が3人に向かって迸る。
ごああああああああああ!
「くそったれ兄弟が焼き殺してやる!」
紅音が咆哮と同時に、両手から火柱を発射させたのだ。
動けなくなった3兄弟を見て好機を悟った紅音の行動は早い。
しかし、炎が火柱となって進むにつれ、ぶちぶちと部屋中に奇怪な音がこだまし、3兄弟を縛めていた糸が緩みだす。
「止す」
凪が紅音にそう言うが、紅音がやめるはずがない。
凪の糸が紅音の炎の温度に耐え切れず、焼き切れていっているのだ。
拘束しきった緑園3兄弟をそのまま業火が包み込んでしまえれば問題なかったのだが、3人とも辛くも紅音の炎の放射線状から脱する。
「死ぬかと思ったぜ!」
「金兄!この糸も無力化できねえんですか?!」
「多すぎて無理だ!」
中途半端に糸に絡まった状態の3人が、スプリンクラーで水浸しになった床に這ったまま糸まみれで言う。
紅音の炎で凪の糸から分断された糸には、凪の力は及ばないようで、3兄弟は絡まった糸を手で引きちぎり剝いでいく。
一度は捕らえた3兄弟が再び自由を取り戻しかけたのを見た凪は、そうはさせじと能力を再び発動させる。
同時に、紅音も3兄弟を焼き尽くさんと能力を発動させた。
「【八重鎖網緊糸縛】」
「死ね!【紅蓮火柱】!!」
凪が発した膨大な量の糸と、紅音の発した深紅の炎が3兄弟に迸り、空中で接触してお互いに相殺し合う。
バチバチとけたたましく爆ぜる音を発しながら、糸が焼き切られ、糸に纏うオーラが紅音の炎の勢いを猛烈に劣化させる。
お互いの能力が阻害し合っているのだ。
「邪魔」
「アンタがやめろっての!!」
「殺したら聞けない」
「こいつら何も知らないわよ!」
「なぜ言い切れる」
「うっさいわね!知らないわよ!」
「・・少し静かにする」
3兄弟に向かってお互いに能力を放出していた二人が、言い争いだしたが、見た目ほど気の長くない凪が先に紅音に仕掛けたのだ。
横にいる紅音に向って、左手の人差し指と薬指を器用に操り、糸を飛ばしたのである。
紅音が両手を突き出した格好で、【紅蓮火柱】を発していたのだが、片手が不意に空中に引っ張られる。
その為、火柱の軌道が大幅に反れ、荒れ狂う炎となって部屋中を駆け巡りだした。
「ちょっ!?なにやってんのよおお!!?」
「さっさと能力を解除する」
「あんたが解除しなさいよっ!」
「強情」
「危ないから!早く解除しなさいってば!私たちに当たるでしょおぉお!?この火柱の熱はシャレにならないから!!」
片手だけで【紅蓮火柱】を発射し、制御不能となった紅音が慌てた様子で言っているが、慌てたいのは3兄弟の方であろう。
「ぐあああああ!」
「あ、兄貴ぃ!!」
予測不能となった火柱が、部屋中を荒れ狂い、3兄弟を無軌道に炙り出したのだ。
そして暴れ狂う炎の奔流が、部屋中を破壊し焼き尽くし、当の紅音本人も術の発射反動で身体を翻弄されているのだ。
制御不能となった炎に巻かれ、3兄弟が悲鳴を上げる中、凪は炎が3兄弟を焼き殺してしまわないように糸を飛ばしながら、紅音に絡めた糸を剥ごうとするも、紅音が暴れまくるので上手くいかない。
「じっとする!」
ついに凪にしては大きな声を出した。
「無理だってば!」
右手を完全に背中側に回され糸で拘束されたままの紅音が、左手から発する【紅蓮火柱】を制御しきれずにぐるぐる回って、部屋中に火炎放射してしまっている。
「・・・ここはなんていう地獄ですか?・・・阿鼻叫喚地獄でしょうか?・・」
凪に遅れて到着した加奈子は、この有様をホールの入口から見て呆然と呟いたのだった。
【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 19話【回想】紅蓮と蜘蛛終わり】20話へ続く