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第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 1話 蜘蛛最上凪の苦悩 

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 1話 蜘蛛最上凪の苦悩 


「その件につきましては、弊社のほうで管理いたしております。ご安心ください」

大阪湾を淡路島側に一望できる部屋で、若い男はさわやかにそう言って微笑む。

その若い男はスーツ姿で、短く刈り揃えた短髪であり、その所作は若いながらも洗練されている。

いま数人の男女が商談に用いているこの一室は、人工島である浪花マリンピアに建造された高級ホテルの一つ、ワールドリゾート・宮川ロイヤルホテルの最上階レストラウンジの一室である。

浪花マリンピアはIR法施工に伴い、発足した国内最大のアミューズメント複合施設なのだ。

人工島浪速マリンピアに複合アミューズメント施設、リゾート・ワールド・NANIWA・カジノが落成すれば、アジア最大の国際カジノとなる。

浪速国際空港とも海路で直接アクセスできるようにもなっており、海上路ということもあり空港から高速船で15分の距離で利便性も高い。

その運営を一社で一手に引き受けているのが宮川コーポレーションなのだ。

その政府公認合法カジノ施設の落成式を2か月先に迎え、運営の全権を握る宮川コーポレーションでは、最後の調整に幹部職員から末端のアルバイトに至るまで大忙しである。

「では、資材の受け取りに関して、我々の荷であるというのに、我々は関与できんということかね?」

若い男の返事に、顎に髭を生やした青い目をした壮年の男は、少しばかりの不満を表情に滲ませ、隣で座る部下と目を合わせると、切り返してきたのだった。

青い目をした壮年の男は、働き盛りのいかにもやり手のビジネスマンという風貌である。

青い目のビジネスマンの心中は、若い男の返答次第では、商談はご破算にする意思があった。

だが若い男は落ち着いていた。

相手の不快に大いに理解できるという表情を浮かべながらも笑顔を崩さず、そして大きくうなずいてから、口を開く。

「誤解させてしまったのであれば私のミスです。ミスター・ブランチャード。もちろん、御社のほうで、視察や管理体制と言った態勢をとることも可能です。ですが、弊社は24時間体制で荷役業務に従事し、この中央分配デポより各協力企業様へと、割り振りさせていただく予定です。そうすれば、ミスター・ブランチャード。
御社としても余計な人件費をかけなくてもよいというメリットが生まれますし、早朝や深夜、そして急な荷受けに煩わされることはございません。
いかがでしょう。
それに決して御社が受け取りに関与できないということではありません。各社それぞれ専用のIDカードが発行させていただくことになります。ですので、カードを持った御社の職員であれば、いつでも中央分配デポの中に入っていただくことができます。逆にカードを持たないものはアクセスできませんが、それは警備という点では安心なのでは?弊社は御社の代わりにスムーズに24時間体制で資材を搬入し、厳重な管理のもと保管しておく。この資材搬入の件に関してはそれのみを目的としております」


若い男はテーブルに広げられた、浪速マリンピアの配置図を指さしながら、流暢に説明し終わると、再び笑顔を浮かべ一礼したのだ。

ブランチャードと呼ばれた壮年の実業家は、組んでいた腕を顎に当て、若い男を観察する。

ブランチャードは外食産業界では知られた実業家である。

その他の方面でもビジネスを展開しているが、やはり本業は飲食が中心なのだ。

食べ物の質は、食材の質がそのまま直結する。

そのため当然、食材やアルコール類の材料の管理、賞味期限、温度管理などにはかなり敏感なのだ。

ブランチャードは、ここにきて厳しい顔を見せてはいるが、ずいぶん前から概ねの方針は決まっている。

アジアに大きな足掛かりをつくるチャンスと、宮川コーポレーションという日本屈指の優良企業が運営するとなればこその決断である。

リスクとリターン、野心と安全を秤にかけて賽を振るのがビジネスの常識であるし醍醐味でもある。

当然ビジネスの世界において絶対はない。

しかし、それでもブランチャードという実業家の中で、ルールは決まっていた。

それは、どんなビジネスをするか、それと同じぐらい誰とビジネスをするかということは重要視しているのだ。

ブランチャードの目の前に座る男は、いささか若さに過ぎたが、ここ3か月ほどの付き合いで、なかなか有能な青年であることはわかっていた。

青い目の実業家、世間では男尊女卑の精神がある気難し屋と揶揄されている大物ビジネスマンであるブランチャードは頷いた。

「ふむ・・いいだろう。だが、食材は料理の基礎だ。その管理に他社が一枚噛む。宮川コーポレーションが優秀な企業というのは知ってはいるが、それでも言葉だけでは納得できなくてね。だが、君ならばトラブルがあったとしても、対処してくれるだろう。・・そのデポとやらに案内してもらいたいのだがよろしいかな?」

ブランチャードの言葉を予想していた若い男は、笑顔のまま目を閉じて一礼してから立ち上がる。

「ありがとうございます。ミスター・ブランチャード。もちろんです。本日その予定でおりました」

「うむ」と言ってブランチャードも立ち上がり、その部下も彼に倣って無言で立ち上がる。

「主任。ご案内して」

若い男は、傍らで控えていた快活そうな美女にそう言うと、その美女もブランチャードに笑顔で恭しく頭を下げた。

「ご案内いたしますわ」

明るい髪の色に、女としてメリハリのついたボディラインは、シックな色を基調としたビジネススーツでも隠し切れない。

銀獣こと稲垣加奈子その人であった。

二重瞼の大きな目には、可愛らしさと知性があり、その笑顔にも立ち振る舞いにも相手を安心させるいい意味で自信が溢れている。

商談相手の相性に合わせ、メインを男性にはらせて加奈子はサポートに徹していたのだ。

加奈子の心中はともかく案内役を仰せつかったことに対する不満など表情には微塵も感じさせていない。

加奈子のことを男勝りでガサツだと思うのは大いに間違いである。

その男勝りな面は、加奈子のほんの一面であるし主にビジネス面ではそういった部分は影を潜める。

明るく気さくな雰囲気から軽く見られがちだが、稲垣加奈子は思慮深く聡い。

そうでなければ、業務の成果を優先するためとはいえ、加奈子ほどの才媛のエリート社員が、自分より未熟な若い男のサポートなどできるはずがない。

「君は来ないのかね?」

やり手のビジネスマンとはいえ男尊女卑の精神に偏っているブランチャードは、その美女だけでは不満に思ったのか、若い男に向かって眉をひそめた。

「いえ、私もすぐに合流いたします。ご安心ください」

ブランチャードは杞憂だったことに安心してうなずくと、美女に促され部屋を出て行った。

若い男はブランチャードの背に向かって頭を下げ見送ったが、扉が閉まってたっぷり10秒がたったところで、ようやく肺に溜まった空気を軽く吐き出す。

「ふぅ」

安堵からやや表情をやわらげた若い男は、その大きな身体で伸びをしてから、片手を肩にやり、首をコキコキと鳴らす。

そのとき再び扉が開き、若い男のよく知る人物が二人入ってきた。

一人は小柄で細身、三白眼のショートカットの女性、宮川コーポレーション関西支社長執行役員の宮川佐恵子である。

佐恵子たちは、別室で商談の一部始終を見ていたのだ。

若い男は佐恵子の姿を見て砕顔すると、先ほどとは別人のように口調を変えた。

「支社長!どうでしたか?!」

鼻息を荒くして、若い男は佐恵子にそう詰め寄ったが、佐恵子の後ろに控えているもう一人の白ずくめの女性がそれを視線と言葉だけで遮ったのだ。

「近い。離れる」

若い男は白ずくめの女のセリフに、「うぐっ」と小さく呻いて動きを止めるが、ロングワンピースで白ずくめの女の目と声色に抑揚はない。

仕方なく、若い男は白ずくめ女の目付きが柔らかくなるまで後退する。

結局3歩ほど下がったのだ。

「凪姉さま、モブがわたくしに危害を加えることはないし、そんなことができないのはわたくしにも見えていますわ」

佐恵子の右目は、見る者が見ればわかる程度だが淡く灯っていた。

この1年で佐恵子の眼は、栗田教授の治療の甲斐もあってかなり良くなったのだ。

相変わらず左目は義眼で視力すらないが、一日中ということでなければ、右目だけで【感情感知】を発動しても痛まない程には回復している。

軽くため息をついた佐恵子は、ゆるく腕を組んだままの白ずくめの女に顔だけ向けて言うが、白ずくめこと最上凪は、無表情のまま佐恵子に向って静かに肯首したのみである。

モブこと茂部天牙は、最上凪に対してトラウマがあり、かなり苦手意識を持っていた。

最上凪は、見た目だけなら楚々と可憐な風貌だが、その中身の濃厚さは多くの者の想像も絶するだろう。

モブは1年半ほど前、蜘蛛こと最上凪に「腕試し」をされて、辛口評価を下されてしまった苦い経験が尾を引いているのだ。

モブはその後、何度も凪と腕試しと評し挑んでみたが、ことごとくあしらわれ続けているのである。

モブの能力は【複写】。

凪の能力の【糸】全般に関する技能を数多く【複写】して戦ってみたが、それでも凪に一度も勝てずにいたのである。

モブは、銀獣こと稲垣加奈子と組手をしても、凪同様いまだに一度も勝てずにいるが、同じ一勝もできない相手とはいえ、蜘蛛の強さは銀獣とは異質すぎると感じていた。

稲垣加奈子にも勝てたことがないが、頑張れば何時か勝てる日がくるかもしれないと思えるのだ。

しかし、蜘蛛と畏怖をこめて呼ばれる最上凪に対してはそんなことを到底感じたことがない。

(最上主任ってほんとに人間か?ってときどき思っちまう・・。神田川主任も怖えけど、最上主任の怖さって本当に命取られるような怖さがあるんだよなあ。いろいろわかってくると稲垣主任ってなんだかんだ言っても、秘書主任の中じゃ一番優しいんだよな)

先ほども自分を立ててくれて、秘書役に徹してくれた稲垣加奈子に心中で手を合わせて感謝の念を送る。

(稲垣主任。ありがとうございます!おかげで上手くいきそうっす!恵比寿ビール20ダース送るっす!)

モブは加奈子に感謝しつつも、無表情で見つめてくる凪の様子を伺っていたが、しゃべっても大丈夫だと判断すると口を開いた。

「支社長。いま稲垣主任がデポの方に案内してくれてるっすけど、たぶん本決まりっす。支社長の眼で見て、どうでしたか?いけそうっすよね?」

ガッツポーズをしてそういうモブに対し、佐恵子は細い目を更に細めて微笑を浮かべると、軽く頷いてやる。

男尊女卑の大物ビジネスマンが相手であったため、迷ったが佐恵子もあえてモブを商談相手に抜擢していたのだ。

そして、佐恵子は念のために別室から眼でブランチャードの感情を見ていたのである。

もしなにかあれば、不本意ながら魔眼の力を使うつもりであったが、今回はモブの活躍に素直に喜べる結果となりそうであった。

「ふふっ、お手柄ですわ。ここ3か月は神経をすり減らしたようですね。よく頑張りましたわモブ。眼で見てましたが決まりでしょう。これで店舗はすべて埋まりましたわね」

「いよっしゃあ!」

そう言って今度は盛大にガッツポーズをとるモブを、やや寂し気な微笑で眺めていた佐恵子は口を開いた。

「ほぼ勝ち確定ですが喜ぶのは早いですわ。優勢と勝利は似て非なるものです。行ってきなさいモブ。わたくしの能力で見た限り、彼の決意は固まっていました。待たせてはいけません。勝ちをきめてきなさい」

佐恵子はそう労って、モブこと茂部天牙の背を押すように促す。

「行ってくるっす支社長!・・約束忘れてないっすよね?!」

そのモブのセリフで部屋に入ってきてから初めて凪の表情が僅かに変わる。

形の良い眉の片方をピクンと跳ね上げたのだ。

モブも佐恵子も凪の様子に気が付いたが、モブは凪に追い払われないかと表情を硬くしながらも佐恵子の返答を待っている。

「忘れてませんわ」

微笑を浮かべた佐恵子のその言葉を聞いたモブは、満面の笑みを浮かべ白い歯を見せる。

「行ってくるっす」

そう言うと、モブは佐恵子と凪の横をすり抜けて、廊下を駆けて行った。

「・・・男ってずっと馬鹿なままな者も多いですが、成長する男というのは驚くような速さですわね」

モブの背を見送りながら、佐恵子は少し寂しそうな顔で呟く。

「・・・佐恵子。本気?」

凪はモブには、というか佐恵子以外の誰にでも手厳しいのだが不満をにじませて静かに言った。

「食事に付き合うぐらい良いではありませんか。そんなことぐらいお安い御用です」

「二人だけで行く。それは問題」

凪が護衛としてモブが頼りないと思っているのだと感じた佐恵子は、モブのフォローを兼ねて口を開いた。

「ここ最近は平和ですし大丈夫だとは思いますわ。香港も張慈円がいなくなってからは静かですし、高嶺とは・・真理のおかげで共同歩調と言えなくとも、邪魔はしてきませんしね。それにモブも少しは強くなりましたわ。そのモブが護衛を兼ねております。眼を使わなければ、今のわたくしよりモブの方がもう強いかもしれません。凪姉さまも当然それは感じてらっしゃいますでしょう?モブにずいぶん目をかけてしごいている様子ですものね?」

凪は無表情だが、佐恵子は長年の付き合いで凪のその表情が不満顔だということがよくわかる。

凪はモブのことを護衛としても非常に頼りないと思っているが、その件は言わずに、もう一つの懸念を佐恵子にぶつけてみる。

「・・・佐恵子がモブと二人で歩いたり食事をしているところを誰かに見られたら面倒。佐恵子。豊島哲司と付き合ってた。これは社内の多くの社員も知るところ。そして、いまは付き合っていないのも社内の人間は知っているものも多い」

しかし、凪のこの切り口はマズかった。

「・・・豊島さんは、今回のこととは関係ありませんわ」

佐恵子が眉間にしわを寄せ、表情をぞっとするほど冷たくさせてそう吐き捨てたのだ。

じつは1か月ほど前、凪の【糸】が豊島哲司、三出光春、北王子公麿が風俗に行っているところをキャッチしてしまったのである。

それを止せばいいものを、空気の読めないコミュ障の最上凪は、馬鹿正直に佐恵子に報告してしまったのだ。

彼氏が風俗に行くのを容認できるほど、佐恵子は女として割り切れないし、忙しさにかまけて彼氏にSEXを年に3回しかさせていないことが、男にとってどれほどのことかを理解してあげるほど人間はできていなかった。

風俗イコール浮気だとブチ切れた佐恵子は、自身の私室に置いてあった哲司の私物をすべて廊下に投げ捨てたのだ。

そしてそこへ、何も知らずツヤツヤした顔をして風俗から帰ってきた豊島哲司を佐恵子は小一時間ほど滅多打ちにしたのである。

佐恵子にボコスカ殴られながらも、とっても頑丈な豊島哲司はキズ一つつかなかった。

しかし、それがかえって佐恵子をヒートアップさせ、警備の八尾部長達も手が付けられぬ騒ぎになったのである。

痴話げんかとしては壮絶であったが、ケガ人が出なかったこと不幸中の幸いであった。

凪は知っている限りの男の生態に関しての正論を言ってみるが、それが佐恵子のような嫉妬心と独占欲の強い女には逆効果であることなど、コミュ障の最上凪にはわからない。

「わたくしがいながら、他の女との行為に及ぶ方のことなど・・!」

「性交ではない。口だけ。そもそも佐恵子が豊島哲司との時間をとらなさすぎ。私の記憶違いでないなら、1年で3回しかプライベートで会ってない。しかも佐恵子が部屋で豊島哲司と最後に会ったのは8か月も前・・。それだとオスは他の女に目移りしても仕方ない」

凪が火にドボドボとガソリンを注ぐ。

「よく覚えてますわね?!・・・わたくしだって好きで会わなかったわけではありませんわ!仕事で忙しかったのですから仕方ないではないですか!しかし予定が合わないからと言ってどこの馬の骨とも知れぬ女と・・。汚らわしいことこの上ない!」


このフロアに誰もいないことがわかっていた佐恵子は怒鳴ると、踵を返してカツカツとヒールを鳴らして歩き出す。

佐恵子の様子に、凪は無表情ながら困憊していた。

(真理。帰ってくる。どうすればいいのかわからない・・・)

戦闘においては比類なき強さを誇る最上凪であるが、言葉が拙く、自身がシンプルな考えをするがゆえに、他者の感情を汲み取るのが苦手なのだ。

そしてビジネスにおいては卓越したバランス感覚を持つ宮川佐恵子であるが、恋愛経験が少ないうえに、仕事にはストイックすぎるのである。

恋人との時間を省みず、健全で逞しい男を1年で3回しかベッドで相手にしなかったことが問題だとは気づけないのだ。

その行為の少なさが、豊島哲司を風俗に再び通わせてしまった原因であることなど、恋愛レベルポンコツな佐恵子にはわかる筈もなかったのである。

そのうえ最後に肌を重ねたのは、8か月以上も前である。

付き合い始めて間もないカップルがそんなありようでは、たいていうまくいかないだろう。

好みがわかれるところとはいえ、佐恵子は十分美人と言えるし、女としてのフェロモンも濃い部類だ。

そんな彼女が、男の性欲には鈍感なのである。

健全な男にとってはたまらないはずなのだ。

神田川真理が宮川佐恵子の傍にいたならば、このような事態は防げたはずなのだが、その真理はここ1年程高嶺製薬に出向している。

3か月に1度は宮コーに顔を見せるのだが、その頻度ではさすがに神田川真理でも制御不能だったのだろう。

いや、モブに菩薩モドキと陰で揶揄される真理が、わかっていて放置していたのかもしれない。

だが、真相はわからないし、とにかく真理は不在なのだ。

1年前、張慈円を狩る目的で襲撃した際から、真理の提案で高嶺製薬ともアライアンス提携をしたのである。

具体的な共同事業の内容は決まっていないが、長年の確執を取り除き、現状ビジネスにおいて発生している二社間のマイナスの除去が当面の目的となっている。

真理がその指揮を高嶺側で執り、高嶺静という高嶺家血縁の者が、宮川側で指揮を執っているのだ。

いままでの確執もあり、お互いに交換させられた幹部社員は数人の部下と共に、ギスギスとした雰囲気の中で業務を進めている。

しかし、神田川真理も高嶺静も、そのようなストレスやプレッシャーで胃を痛めるタイプではない。

アライアンス提携をして最初の半年間は、二社間の確執は全く緩和されなかったが、1年も経った今では、少しずつであるが成果は出てきている。

それ故に、成果が出始めたばかりであるのに、神田川真理が宮コーに帰ってくるわけにはいかない。

ビジネスに関しては無頓着に近い凪でも、真理の帰還がまだまだ先だと予想がたつ。

その考えに至ったため、げんなりした思いから凪らしくもない嘆息をしてしまうが、凪にとって懸念は消えず、佐恵子は小柄な体で肩をいからせてエレベーターにすでに乗り込み、凪が乗り込んでくるのを待っている。

凪もそれに続くが、今日は、これ以上この件で口を開くことはなかった。

凪はそんなスキルは持ち合わせていないので、あきらめることにしたのだ。

(豊島哲司・・・自分で何とかする。私に真理の真似ごとはできない)

凪はそう割り切ると、いつもの表情に戻って佐恵子の背後の定位置にピタリと付いたのであった。

並みの能力者程度なら、視力強化をしても見えない細さの糸が、凪を中心に張り巡らされいる。

そしてその何万本にも及ぶ糸が、凪の意思一つで硬質で鋭利な刃物や、粘着性のモノに変化させることができるのだ。

宮川昭仁会長の側近であった蜘蛛こと最上凪さえいれば、佐恵子の護衛は完璧といえた。

(私にできるのはこういうこと。それ以外のことは私以外の人間がやるはず・・・)

柄にもなく、不得手なことに首を突っ込んだ凪は、自分をそう戒めると、最初から何の変化も無いように見える表情に、人知れず平静を取り戻していた。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 1話 蜘蛛最上凪の苦悩 終わり】2話へ続く

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 2話 名工菊沢美佳帆の工賃そして幻魔来訪…

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 2話 名工菊沢美佳帆の工賃そして幻魔来訪…

「創作和食・良酒蘭」の座敷は、2次会特有のはっちゃけ気味な光景が広がっていた。

人工島カジノ「NANIWA・マリンピア」の落成式を明後日に控えた能力者の面々たちが、勢ぞろいし、ずいぶん酒がすすんでいるのだ。

17:00からは関西支社全社員による決起会と親睦会を兼ねたパーティーがあり、それがお開きになったその後は、佐恵子の計らいで能力を持つ幹部社員が、この「創作和食・良酒欄」に集められていたのだ。

「計画は成功ですわ。みなさま大いに飲んでください。今回はこのモブもお手柄でしたの。みなさま拍手を」

佐恵子が音頭をとりそう言うと、頭をかいて照れるモブに対し、すでに出来上がってる面々は盛大な拍手を送って更に盛り上がり始めたのである。

「みなさまのおかげっす!稲垣主任には頭が上がらねえっす!こないだアゴで使うような真似してマジすいませんっした!」

「そうでしょうともそうでしょうとも!加奈子さま最高って言ってもいいわよ?!」

「加奈子さま最高っす!」

モブと加奈子のやり取りに、どっと歓声が上がる。

その歓声と拍手がやむと、アゴは髭で濃いのに、額は薄い男が仕事で発揮できない本領を炸裂させだした。

「よっしゃ!次はワインや!今日はとことん飲むで~!!」

「ちょっとモゲくん!飲み過ぎよ!モゲ君はいつもとことん飲んでるじゃない!」

お嬢こと伊芸千尋は、酒瓶を片手に騒ぐ額の薄い彼氏を窘める。

「かまへんかまへん!今日は祝いやで?アジア最大のカジノの完成やで?こりゃ飲まんわけにいかんやろ!千尋ももっといっとけ!これなんかええんちゃうか?75年のロマネ・コンティや!千尋、赤も好きやろ?俺のおごりや!」

モゲこと三出光春は、すでにグロッキー気味になって酩酊している画伯こと北王子公麿と肩を組み、禿げあがった頭を皮脂でテカらせ、千尋を片手で抱くようにして、酒瓶をあおっている。

「モゲ君のおごりじゃないでしょ?!いくら何でもそんな高いの頼んだらダメよ?!!」

メニューに表示されている価格をみて千尋声をあげるが、そう言う千尋の顔も相当赤い。

今日ばかりは、普段お淑やかな伊芸千尋も飲んでいるのだ。

「せっかく真理さんが帰ってきてるのに、モゲ君!そろそろ離して下さい!真理さんのもとへ行かせてください~!」

真っ赤な顔で焦点も定まらない公麿は、ズレたメガネを直してそう言うも、言ったそばからすでに飲み過ぎているらしく、モゲに肩を揺さぶられるにまかせている。

菊一の面々は、もともと酒豪ぞろいのせいもあって、一次会に続き相当酒が進んでいた。

普段寡黙気味な菊沢宏ですら、サングラスをした顔を酒で赤くさせて、ぴたっと寄り添うように座ったスノウこと斎藤雪の言葉に相槌を打っている。

宏とスノウは仕事で、会話はするものの、仕事以外の会話はほとんどしないのだ。

スノウは、ここぞとばかりに宏を独占し、おしゃべりを楽しんでいるのである。

「部長。やっぱりお酒強いですね。ふふっ・・高校の時も、私たち何かあればこうやってお酒飲んでましたよね・・。校則やぶって飲酒しちゃうような不良なのに、部長、成績はずっとトップなんですもん。私いっつも部長に勝てるように頑張ってたんですよ?でもぜんぜん敵わなくって・・。ほんとに何時勉強してたんですかあ?あの時だって、私たちと朝まで走り回ってたのに・・ほら、画伯が半グレの人にさらわれた時ですよ・・。・・・聞いてます部長?」

いじらしくも宏の隣にピタリと座り、盃があかないようにと酌をしているが、相槌ばかりで、話しかけてくれない宏に焦れたスノウは、作戦を変えてみた。

「・・・私、酔っぱらっちゃったみたい・・・」

そう言ってスノウは宏の腕を抱くように掴むと、サングラスを下から覗き込むようにして目を潤ませている。

「そうかぁ・・スノウ・・ちょっと酔い醒ましたほうがええんちゃうか?」

「いいですね。外に涼みに行くのも・・。行きましょうか」

宏のセリフに、スノウは潤ませた目のまま、宏の腕を引っ張って立ち上がろうとする。

「・・・」

宏は、先ほどから積極的なスノウを気にしてか、美佳帆の様子をちらちらと伺って、スノウから離れてモゲのところに混ざろうとしているのだが、スノウは宏を独占できている今を逃さないように頑張っているのだ。

(なんってこっちゃ・・。なんで誰も止めにけえへんのや・・。誰か助けてくれ・・まあスノウやしな…別に嫌やないんやが…さすがにこりゃマズいんちゃうか?しかしスノウってこんなキャラあったかのう?酔うてもいっつも冷静あったのに…)

宏は、サングラスで隠した目を左右に泳がせるも、誰も宏に助け船を出そうとする者は見当たらない。

みんなそれぞれに楽しんでいるのだ。

そしてその宏たちの隣の席では、稲垣加奈子と菊沢美佳帆が、今日の決起親睦会の為に帰社した神田川真理と近況を楽しそうに話し合っていた。

美佳帆もスノウのふるまいと、宏の様子には当然気づいていたが、気づかぬふりを決め込み、久方ぶりに帰還した神田川真理との話に花を咲かせている。

橋元とひと悶着があったあと、宏と美佳帆も別居状態なのだ。

仕事中は普段通りなのだが、別々のところに住んでいる二人は、プライベートな会話は皆無となっていた。

橋元たちに凌辱されていたのを助けてくれたのは、夫である宏なのだが、それでもお互いに気まずい思いが拭えずに尾を引いているである。

それに美佳帆は、宮コーで緋村紅音と戦った時に、スノウの能力によってスノウの宏に対する想いを、嫌というほど知ってしまっている。

可愛い後輩の想いを知ってしまった今、スノウが宏に露骨なアプローチをしていることに対して、割り込むような真似をしてしまうことに気が引けてしまっているのだ。

美佳帆には文句を言う権利は当然あるのだが、夫の宏とは1年以上もレスである。

宏とは仕事上の会話はしているとはいえ、夫婦の営みはここ1年皆無なのだ。

そんな状態で、女房面をしてスノウを責めるのは、美佳帆としても気が引けたし、スノウが純粋に宏を慕っているのは、あの時によくわかってしまっている。

それに1年もレス状態あのである。

2人とも既婚者とは言え、元々モテまくる2人なので、優秀すぎる至極の雄フェロモンを無意識気に巻き散らかしながら歩く宏に言い寄る女性はスノウ以外にも山ほどいるし、美佳帆にしても今年で39歳を過ぎ40歳を迎えるとは思えない美貌なので、今でも20代の男性からでもアプローチがあるほどなのだ。

そんな事もあり、宏はわからないが性欲も性に対しても比較的アグレッシブな美佳帆の事なので、1年間宏とはレスなのだが美佳帆自身がレスだったかどうかはわからない。

そのため、美佳帆は真理が口にした意外な内容に対して、自身の心中を誤魔化すように、ことさら驚いたふりをして答えたのである。

「へぇ!私も高嶺の刀工鍛冶場を見てみたいわ!」

「弥佳子も美佳帆さんが造った鉄扇のことをおっしゃってました。菊沢部長が持っているのを見せてもらったことがあるそうなのです。弥佳子は、その出来栄えを頻りに褒めていましたよ?・・可能ならば自分用に1本見繕ってほしいと・・。刀を持ち歩くのはどうしても目を引いてしまうから、お忍びのときにも護身用に鉄扇が欲しいそうなのです。弥佳子が、高嶺の刀匠たちに造らせてみたものの、美佳帆さんが造った物とはずいぶんと出来が違うようなのです。彼らは、刀造りは上手なようですが、鉄扇は今まで作ったことがないそうで・・・。ですから、美佳帆さんさえよければなのですが・・。玉鋼など、必要な良質な鉄はいくらでも送ると弥佳子も言ってます。・・どうでしょう?」

1年も高嶺製薬に出向している真理は、高嶺製薬の代表である弥佳子ともずいぶん打ち解けている。

真理は頼みにくそうにしながらも、美佳帆に切り出してみるが、美佳帆はあっさりとこたえた。

「いいわよ」

美佳帆は親指を立てて、笑顔でウインクして言ったのである。

美佳帆の即答に真理は胸をなでおろした。

「よかった。断られるかと思ったので、弥佳子には期待しないでと言っておいたのですけど、肩の荷がおりましたよ」

真理が安堵して顔を綻ばせる。

「一本800万かな。希望の入魂や鍛錬は別途追加でいただくことになるけど、安くしとくわよ?!」

美佳帆は親指を立てたまま、笑顔である。

「ええ。そのぐらいはしますよね」

「真理さんの頼みだし、格安にしといたわ!」

流石は真理である。

心中はともかく美佳帆に対し、真理は笑顔を全く崩ずそう言ったが、横で加奈子がお腹を抱えて笑い転げだした。

「あはははっ!美佳帆さんこの顔覚えておいてくださいよ?!これは真理しゃんが、意表を突かれたときの顔です!写メ!写メ!」

「ちょっと・・加奈子。何を言い出すのよ?」

真理が笑い転げる加奈子を、じっとりとした目で睨みつける。

「だって!真理しゃん。いま『くっそ高っか!』って思ったでしょ?!いーひひひひ!その顔も最高!」

「あ、そうなの?」

と真顔の美佳帆。

「そんなこと思ってないのよ美佳帆さん」

真理が笑顔のまま応える。

「ウソばっか!」

加奈子は真理を指さして笑い転げている。

「えっ?えっ?!どうなの真理さん」

「いえいえ・・。ちょっと・・加奈子!」

「こんな顔の真理しゃんを見られるなんて、今日はこれだけでも価値がありますよ!いひひひっ!」

そう言って、加奈子は笑い転げながらもスマホのレンズを真理に向けてシャッターを押しだしたのだ。

真理の笑顔が少し違ったテイストの笑顔に変わる。

どぐっ!

「はがっ!?」

笑い転げていた加奈子が奇っ怪な悲鳴を上げて、身体をくの字にしたのだ。

加奈子のわき腹を、笑顔の真理が拳で抉ったのである。

「わかったわよ加奈子!こうされたかったんでしょ?!違いないわね?!もう何年もこうしてあげてなかったから久しぶりにしてほしいんでしょ!?」

「いやぁああ!真理しゃん怒らないでくださいよ~!!」

身を護るように身体を丸めた加奈子のお尻を、真理が平手で叩きだす。

お尻を平手打ちされながら、真顔で800万円を要求していた美佳帆の顔と、冗談ながらも怒った顔でお尻を叩いてくる真理の様子をみて加奈子は座敷で笑いだしたのだ。

無礼講とあって、真理と加奈子も羽目を外して大いに楽しんでるのである。

真理と加奈子の身体を張った催しに、固まって飲んでいた岩堀香澄とモブこと茂部天牙、そして、すっかりモブと和解した雨宮雫と楠木咲奈の二人も、直属の上司の珍しい寸劇にお腹を抱えて笑い出したのである。

ビジネスシーンでのお淑やかな二人のエリート淑女は、まるで別人と見間違うような笑い声をあげて楽しんでいるのだ。

「主任!ああ!・・・あの神田川主任が稲垣主任のことを・・!これは事件だわ!」

「きゃぁあ!主任たち何やってるんですか!?でも・・良い!シュールです!」

咲奈が両手で顔を覆い、雫も珍しくも信じられない光景だと言わんばかりの表情で二人の上司が畳の上でじゃれているのを興奮気味に見入っている。

「おおぅ!関西支社の双璧の才媛がこんなことに!・・もうちょっと・・!もう少しでお二人のパンチラが見えそうっす!これは本当に事件っす!」

「茂部君!」

香澄は茂部の耳を引っ張って、畳の上でじゃれている二人から引き離す。

「いててて!冗談っすよ!岩堀部長!いてて!」

双璧の才媛二人が畳の上でじゃれ合っているのと、モブと香澄の様子に、他の面々もどっと歓声を上げだした。

「みなさま、本日は無礼講ですわよ。浪花マリンピア計画をすすめてこれましたのも、みなさまのおかげです。大いに飲んで楽しんでください。三出さん・・今日ばかりはどんなに飲んでくださってもけっこうですわよ?ロマネ・コンティ注文なさい」

佐恵子も今日ばかりは仕事にストイックな仮面を外し、普段から下品なことばかり言うモゲこと三出光春にも、甘い顔を見せてやる。

「さすがや!愛してるで佐恵子さん!」

「調子に乗り過ぎない!!」

佐恵子の言葉に感激し、すかさず投げキッスを返すモゲに、千尋がモゲの頭を叩いてツッコミを入れる。

モゲと千尋のやり取りに、一同が声を上げて笑う。

「真理!加奈子!久しぶりに会ってじゃれ合うのもけっこうですが、怪我したりお店をこわしてはいけませんよ?今日は貴女たち二人が暴れても、取り押さえてくれそうな人たちが揃っていますが、この店に迷惑をかけないようにしてくださいね?」

佐恵子が盃をあげてそう言うと、更にどっと歓声があがる。

「じゃれてなんか無いわ佐恵子!ちょっとこのお調子者に教育しているだけですから!」

「きゃははは!くすぐったいですってば真理しゃん!」

「ええい!加奈子には一度きっちりわからせてあげようと思ってたんです!覚悟しなさい!?」

「ちっちっち!真理しゃんのパワーでは私をどうこうするなんて・・・・うきゃああ!?」

畳の上で押し倒されながらも、人差し指を左右に振って真理を挑発していた加奈子が嬌声に近い悲鳴を上げた。

真理が、加奈子のブラウスの裾から手を突っ込み、ブラの下に腕を通して首を掴んだのだ。

「覚悟なさいって言ったでしょう?!」

「ちょっ!真理しゃん!反則っ・・!」

関西支社きっての才媛の二人が、場を盛り上げようと頑張ってくれているのだ。

そんな様子に佐恵子も声を立てて笑い、隣にいる蜘蛛こと最上凪と、高嶺製薬から出向し、1年ほど佐恵子の業務を手伝っている高嶺静の肩を叩いて、真理と加奈子を見るように促している。

しかし、そんな楽しそうな様子の面々をよそに、末席の隅で鬱々としたオーラをにじませて一人飲んでいる男がいた。

豊島哲司である。

哲司は面々の楽しそうにしている様子を眺めていたが、高嶺静が席を立ち真理達を止めようと移動したのを見計らって、佐恵子の席まで近づいてきた。

「佐恵子さん」

哲司の声は聞こえたはずだが、佐恵子は目を合わせようともしない。

それでも哲司は構わずに佐恵子の席の前に腰を下ろした。

佐恵子の顔から笑みが消える。

「・・豊島さん。楽しんでらっしゃいませんね?もしかして、この場に相応しくない話をなさるおつもりですか?・・・どうぞ遠慮してくださいませ」

佐恵子は真理と加奈子の方へと向けた目そのままにして、辛辣な拒絶のセリフを哲司に浴びせかけた。

その佐恵子の様子をすぐ隣で聞いていた最上凪は、なんとか豊島哲司に助け船を出したいのだが、凪はそんな器用なことができる女ではない。

凪にできるのは、目だけで豊島に「がんばれ!」とエールを送るのみである。

「ほな、あとで時間とってくれるか?」

一人だけお通夜のような表情の哲司はそう言ってみるが、佐恵子の返事はつれない。

「・・・どうかしらね」

佐恵子はそう言って、グラスのリムに唇を当てちびりと喉を潤す。

そう佐恵子が言ったきり二人の間には沈黙が続く。

加奈子と真理を中心に騒ぐ面々をよそに、店員が忙しそうに新たな料理や注文されたアルコールを運び、空になった皿を下げ忙しく働いている。

真理と加奈子の寸劇で盛り上がっていた面々も、上座の様子に一人二人と気が付き始めた。

佐恵子と哲司の二人の周りには重苦しい空気が漂っており、そのとなりで白づくめのボディガードが、「この空気、誰か何とかして」という思いを誤魔化すように、佐恵子と哲司のことなど気づかないふりをして、白身魚のお造りを口に運んでいるのである。

本来なら険悪になる前に、佐恵子の近くに侍った側近が気を利かすのであるが、いま佐恵子の傍にいるのはコミュ障の最上凪だけである。

真理は、胡麻を擦る為の長さ20cmほどのスリコギ2本を使って、スカート越しとはいえ、加奈子のしりこぶたで太鼓の達人の真似事をしていたのを止めて立ち上がる。

「豊島さん・・」

真理が言いかけたところで、貸し切りにしていた個室の扉が突如開かれた。

木枠でできた襖が、スパンと音を立てて開き、暖房と酒気と熱気で温まった部屋に、清涼で乾燥した空気が流れ込む。

「っと・・よかった~!ここであってたわねえ。違う部屋だったらどうしようかと思ってたのよ」

部屋の空気の流れの変化と、よくとおるが聞きなれない女の声に一同は振り返った。

「お揃いですね。角谷部長に聞けばここだと教えてくれましたので、押しかけてまいりましたわ。私たちも混ぜてくださいな」

宮コーの指定のスーツに身を包んだ女性が、佐恵子の方に向かって両手を頬の横で合わせながら身体をくねらせてそう言ったのである。

佐恵子を含む古参のメンバーが、驚きのあまりとっさに言葉を失って突然登場した女性に目を見張る。

その女性を見た元菊一事務所の面々は、一様に「誰?」という表情をして佐恵子に顔を向け、すぐに真理と加奈子にも同じように視線を投げかけた。

しかし、佐恵子も真理も加奈子も驚いた表情のまま答えない。

最上凪だけは、近づいてきている彼女たちに気づいていた。

這わせていた【糸】にはとっくに反応があったのである。

凪は念のために指先に力を集中させた。

凪の気配の変化を敏感に察知した女性は、凪に対して軽く一礼をしてから声を掛ける。

「最上主任。お久しぶりですねえ。ご挨拶に伺っただけですから私たちに殺気なんてなかったはずですよぉ?もしそうだとしたら、私たち同じ宮コーとはいえ、とっくに仕掛けられてますよね?怖いですわあ」

ふっくらした唇に真っ赤なルージュを引いた女性は妖艶な笑みを浮かべて、黒く塗られた爪が映える白い手を振ってそう言い、蜘蛛を牽制する。

「宮川お嬢様。お久しぶりでございますね。突然このような場に押しかけて申し訳ありません。非礼をお詫びいたしますわ」

「いえ、ご無沙汰しております。常務のご活躍ぶりは私の耳にもよく聞こえてまいります。叔父様も常務にはとても期待なさっていると役員会でも言われていますわ」

「ふふっ・・それは身に余る光栄というものです。しかし、今回の宮川お嬢様のご活躍に比べれば、私の社に対する貢献など霞んでしまいますことですのよ。さすがは会長のご令嬢です。本当に感服いたしますわ」

そう答えた女は、佐恵子に対して慇懃に恭しく頭を下げる。

その所作は、初対面であう菊一の面々から見ても、洗練されていた。

そして、驚くべきことにまったく隙が無い。

初対面の菊一メンバーの顔にも、この女が只者ではないことがわかったようで、一同の表情に警戒の色が漂う。

「石黒実花。久しぶり。佐恵子。石黒は話があって来ただけだと思う。ぜんぜん殺気がない」

最上凪が、緊張しかけた場の空気をできるだけ解すように、口を開いた。

「あらん?・・名前覚えてくれてるなんて嬉しいわ。会うのは2度目のはずだからすっかり忘れられてると思ってましたよぉ。最上主任」

幻魔という二つ名を持つ宮川十指の一人、石黒実花。

宮川誠派の側近中の側近であり、表向きは、秘書主任と常務執行役員を兼任する太平洋に敷設された、巨大な資源採掘洋上プラントの責任者である。

そして裏では、暗部と呼ばれる宮コーの恥部の組織のトップでもある。

宮川佐恵子の参謀が神田川真理であるように、宮川誠の参謀はこの石黒実花なのである。

佐恵子は凪の言葉に頷いたが、石黒のすぐ後ろに、よく知る見知った顔を見つけ酔いも吹き飛んだのであった。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 2話 名工菊沢美佳帆の工賃そして幻魔来訪… 終わり】3話へ続く

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 3話 悲しき再会

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 3話< 悲しき再会/strong>

「・・・紅音」

佐恵子のかすれた声に菊一メンバーが色めき立つ。

「なっ?!」

1年前、宮川コーポレーション関西支社内で烈火を纏い美佳帆たちを追い詰めた悪鬼が、石黒実花の後ろに佇んでいたのである。

酔いも吹っ飛んだ美佳帆は立ち上がり、腰に差していた鉄扇を抜き払ってスノウたちを庇うように身構えて吼える。

「よくも顔を出せたわね!」

「紅蓮?!」

美佳帆があげた声に、座敷の間の入口にいる緋村紅音を確認した千尋が口元を抑え悲鳴に近い声を上げた。

千尋とアリサはあのときに、圧倒的な紅蓮の火力で致命傷を負わされたのだ。

間一髪で霧崎美紀らの救援が間に合ったとはいえ、喉を焼き切られた痛みを思い出し、千尋は無意識に熱閃で貫かれた喉を手で押さえて身を固くしてしまっている。

「な・・なにしにきたのよう!」

アリサも紅蓮こと緋村紅音に向かってそう言ったものの、彼女が掌から発した火柱に正面から飲み込まれたことを思い出し、両手で自分の肩をだき、身を縮こまらせていた。

すでに、宏と哲司も女性陣を背に隠すようして身構えている。

スノウも宏の背に庇われながらも、美佳帆と同じように鉄扇を構えて込み上げてくる動悸を抑えようと苦労していた。

酔っぱらっていたモゲですら、その顔に冷や汗を浮かべながらも震える千尋を、背に隠すように庇っている。

「おのれは・・、俺らをあんな島に送りこんどいて、ようまあ顔だせたもんやのう?!ええ?緋村紅音さんよう!」

モゲはそう挑発したものの、紅音は悪態に反応せず、無表情でそこに佇んでいる。

その様子に、モゲは恐怖とも怒りとも分らない理由で顔を引きつらせた。

「俺みたいなもんはアウトオブ眼中ってわけか・・?!」

モゲが広くテカった額に血管を浮かべてそういったところで、石黒が口を挟んだ。

「あらあら、予想通り紅音ちゃんは嫌われてるのねえ」

座敷部屋の空気の激変に、石黒実花は本当に少し慌てた様子で紅音を庇うようにして口を開いたのだ。

しかし、目の前にいる面々が、紅音の純粋な強さをわかっているためだろうか、紅音に誰も掛かってこないことを確認すると、落ち着いた所作で優しく続けた。

「紅音ちゃん。・・・ご挨拶しときましょうか?」

石黒は伏し目がちにそう言うと、紅音の背に手をまわし、場にいる面々の前に立たせたのである。

以前と変わらぬ姿、黑を基調とした宮コー指定のスーツに身を包んだ紅蓮こと緋村紅音。

元関西支社長で宮川佐恵子を目の敵にしている最強の政敵のはずだが、姿は以前と同じだが、纏う雰囲気や醸し出す空気感がまるで違う。

見た目に違う点と言えば、以前はきめ細かな色白な肌であったのが、今は日に焼けて、肌は小麦色になり、髪も若干傷んでるように見える。

しかし、大きな違いは見た目ではなく、紅音の纏う雰囲気自体が、依然とは全く違うのだ。

石黒実花の紅音を見る目に憐憫があるように見えたのを佐恵子は見逃さなかったが、それよりも紅音の様子が気になってしまう。

紅音の形の良い指先を彩っていたマニキュアはなく、爪は短く切りそろえられていた。

それに、普段の人を見下した、高慢ちきな雰囲気がまるで無い。

佐恵子はイヤな予感を押し殺す。

「まさか」という思いが勘違いであってほしいと祈りながら、固唾をのんで紅音の言葉を待った。

「佐エ子。久しブり。げんキにしてた?」

紅音のその口調を聞いた途端、佐恵子の淡い期待は彼方へと吹き飛んでしまう。

「紅音・・!」

紅音の第一声を聞いて、佐恵子は一気に涙目になり口を覆ってそう言うのがやっとであった。

「石黒常務!?紅音に・・紅音を!・・貴女という人は!!」

石黒の能力を知る佐恵子は、顔を赤くして石黒に詰め寄る。

石黒の両肩を掴み、佐恵子は右目を黒く灯らせて血相を変えて怒鳴ったのだ。

「・・お嬢様。私も好きで紅音ちゃんをこうしたのではありませんよ。本当に残念です。同期の桜で、紅音ちゃんは否定するでしょうけど、私の親友でもあるんです・・・紅音ちゃんをこんな風にしてしまうのは私も・・お嬢様と同じ思いですわよう」

そう言った石黒の眼にも涙がこぼれんばかりに溢れていた。

アイラインで真っ黒の目尻に大粒の涙が伝う。

「石黒常務・・・。説明してくださるかしら・・?」

佐恵子は絞り出すような声でようやくそれだけ言って、屈託ない顔をした紅音から堪らず眼を逸らせる。

「はい。社からは正式な社名を帯びてこちらに参りましたが、お嬢様に紅音ちゃんを合わせたくなって、予定より1日早くこちらにきたのですから」

石黒常務は、人工島NANIWAマリンピアの落成式に、役員として出席する予定であることは佐恵子も事前に聞いていた。

だが、洋上プラントの維持運営に多忙を極める彼女がたった1日とはいえ、予定を早めるのは相当スケージュールを無理したのだと佐恵子も理解できる。

佐恵子は「こちらに」と言って、石黒実花を自身の席の隣に誘うと、一同に向かって言った。

「みなさま大丈夫ですわ。ご紹介いたします。こちらは本社常務執行役員の石黒実花さまです。加奈子や真理以外は初めてですわよね?石黒常務はわたくしの叔父である宮川社長の秘書主任も兼ねております。そのうえ、普段は太平洋に敷設された資源採掘プラント「パシフィック・ベース」の責任者という重責を担っておりまして、当社になくてはならない人材のお一人ですわ。そして、わたくしの先輩で・・・こちらの紅音の同期の方でもあります。このメンバーに伏せておいても仕方ありませんから言ってしまいますが、彼女は宮川十指の一人、幻魔の二つ名を持つ能力者ですの。・・・はっきりいって石黒常務の立場は、派閥という観点からみれば、私の協力者というわけではございません。その石黒常務がこの場にあえて来られたのはそれなりの理由があると思います。ですが、それだからこそ今日は危険なことはありません。みなさま・・突然の余興に驚いたとは思いますが、どうか気にせず・・そのままお楽しみください」

佐恵子はそう口早に説明をすると、緋村紅音を伴った石黒実花を自身の席の近くに座らせ、目配せで加奈子と真理に来るように呼んだのである。

「真理も加奈子も久しぶりねえ。仕事は忙しいけど、たまの休暇になっても本土に帰って往復するには大変だし、パシフィック・ベースは釣りや日光浴ぐらいしか娯楽がないからなかなか・・ねえ。休暇の日には真理も加奈子もたまには遊びにきなさいよう」

傍に座った二人の秘書主任に対して、石黒はできるだけ表情をやわらげて声を掛ける。

「お久しぶりですね。石黒常務」

「ええ、ですがパシフィック・ベースには、他部署の者はそう簡単に降りられないと聞いてますが・・?」

真理も加奈子も、来訪の意図がわからない対立派閥の中核人物の真意を読みかねてか、表情を硬くしてそういうのがやっとである。

ましてや、すぐそばには命をかけて戦った紅蓮も座っているのだ。

異様すぎる組み合わせである。

「あなたたちが来るのなら歓迎しなくちゃだからなんとかするわよう。でも来てくれる時は事前に連絡してね?プラントはすっごく広いから私も走り回ってるのよ。一人で目を光らせるのはなかなか大変よう・・。まあ、紅音ちゃんが来てくれていまは大助かりなんだけどね」

石黒も会話がスムーズに進むようにと配慮してのセリフを二人に返す。

佐恵子、真理、加奈子、そして石黒実花と緋村紅音がお互いの顔を突き合わせるようにして、席を囲んでいる。

その輪の外側で、佐恵子の後ろに最上凪も腰を下ろした。

しかし、それ以上世間話をするのは無理だと思った実花は、本題を切り出す。

「・・・紅音ちゃんが、お嬢様に会いたいとしきりに言うので連れてきたのよう。こういう機会はめったにないしね」

「佐エ子。ほンとうにひさしブり。髪きっタのね?いめちぇン?ワたし、佐エ子ハ髪ながイほうがすキだわ」

小柄で愛らしい顔をした緋村紅音そのものであるが、以前のような人を見下すトゲトゲしさと威圧感はまるでない。

短くなった佐恵子の髪を紅音が、両手を伸ばして触ってくる。

「紅音・・」

明らかに依然と違う紅音の様子に、佐恵子は心が絞めつけられる。

佐恵子と紅音はお互いにいがみ合っていた。

紅音のほうがほとんど一方的に佐恵子に絡んでいたと言った方がいいのだが、佐恵子は紅音のことを大いに認めていたのである。

紅音は、佐恵子を「七光り」と呼び、数々の嫌がらせをしたものの、結局佐恵子のことを紅音も認めていたのだ。

皮肉なことに紅音は実花の【鏡面桃源郷】という技能で、ほぼ自我を失ったが故、素直な気持ちが表すことができているのだ。

「佐エ子。なゼ泣いテる?アカねはひさしブりに佐エ子に会エて、うれシ。佐エ子も、ヨロ・・よロこベ・・?・・うん・?・・うれシ・・?うれシめ」

膝にある紅音の手の上に、手を重ね佐恵子は溢れる涙を止められなかった。

佐恵子は、目の前にいる紅蓮に大切な部下を殺されかけたのだから、この場で緋村紅音がこうなってしまったことに対して涙を流すのは、立場上ダメだと重々わかっている。

しかし、わかっていたが我慢できなかった。

義眼である左目からも、涙腺は残っているため涙が溢れている。

実花もあの佐恵子が泣いていることに驚き、少しだけ鼻をすすっていたが、「ふぅ」と短く息を吐くと、たんたんと話すべきことを口にしだしたのであった。

真理と加奈子は石黒実花の話を、一言も聞き逃さぬよう神経を張り詰めていたし、佐恵子も無遠慮に目に光をともして、石黒実花の言葉の真贋を凝視していた。

はっちゃけた雰囲気だった二次会は、静かに杯を傾ける場になり、佐恵子たち以外は誰もが無言で、聞き耳を立てていた。

二次会解散後-

乗り込んだハイヤーの後部座席で脚を組み、窓ガラスに肘をついて佐恵子は物憂げに流れる夜景を眺めていた。

護衛も兼ね、住まいが同じである凪と加奈子と真理も同乗しているが、誰も一言も発しない。

打ち上げ時のはしゃぎぶりが、嘘のようであった。

ハイヤーの静かなエンジン音と、過ぎてゆく景色の光と影が車内を不規則に彩るばかりである。

誰も何も口を開かないまま、マンションの地下の駐車場についてしまう。

運転手も雰囲気を察してか、何も言わず運転席を降り、丁寧な仕草で後部座席の扉を開けた。

その時である。

運転手が小さく狼狽の声を上げたのだ。

「誰だ?!」

その声に、沈痛な面持ちだった面々も僅かに気配がある方へと目を向ける。

「丸岳部長?」

車から降りた佐恵子が、意外な人が突然ありえないところに現れたことに驚いたが、すでに酔いから醒めた顔には、普段の鉄面皮で取り繕っている。

「紅音のことでいらしたのですね?」

そう聞いた佐恵子に対して、オールバックの長髪、大きな身体の丸岳は深々と頭を下げた。

「お嬢様。私はもう部長ではありません。辞職してまいりましたので」

「辞職を?・・なぜです?」

丸岳の開口一番の言葉に、佐恵子は湧き出た怒りを抑え、無表情で聞き返す。

「紅音があんなことになってしまったのなら、紅音にはいままで以上に支えてくれる人が必要ですわ。それには丸岳さんが一番だと思っておりましたのに・・・。紅音がああなってしまったから、手に余る・・紅音には興味を失ったということですか?」

怒りを極力抑えながら聞く佐恵子は、丸岳の感情を読み取ろうと目に力を集中させかけたが、夜も更け、色々とあったためにもうオーラは底をついていた。

「紅音を・・見限るのですか?そんなことをわざわざ言いに来たのですか?」

佐恵子は枯渇したオーラを恨めしく思いながらも、手を握りしめ怒りを抑えて聞き返す。

「このようなことを言えば、笑われることは承知のうえで参りました」

丸岳は佐恵子の問いかけには答えず、再び頭を下げたかと思うと、その場に膝をついて頭を地面に打ち付けたのだ。

「緋村を!・・紅音を!救ってやってほしい!お願いいたします」

油気のない長髪が、駐車場の床に付くのもかまわず、丸岳は土下座をしてそう言ったのだ。

その様子を佐恵子は無言無表情で見下す。

どう救うのか。

あの状況の紅音にとって何が救いになるのかを佐恵子は頭の中で、めまぐるしく熟考反芻するが、やはり答えは出ない。

丸岳の言う救いとは、紅音の為の救いではなく、丸岳自身の救いになるだけの話しではなかろうか?

そういう思いが交錯し、佐恵子は即答できずにいたのだ。

「ちょっと調子よすぎるんじゃないの?丸岳さん?私たちにずいぶんなことしてたのにさ」

そのとき、丸岳を警戒していた加奈子が、ずいっと歩み出て冷ややかに言ったのだ。

「緋村さんの状況は聞きました。しかし、救うといってもどうするのです?何か手があるのですか?」

真理も加奈子に同調するように切り出す。

先ほどの話しで、緋村紅音の症状を石黒実花から聞いてしまっているのだ。

紅音は政府組織に属する霧崎捜査官の能力によってオーラを一時的に封じられた挙句、低位の能力者4人に6時間以上かけてレイプされたのだ。

さらに、その様子を撮影され、香港三合会が運営している非合法サイトでその痴態を販売されている。

現在、宮コーの全精力を上げて、そのサイトへとサイバー攻撃し、ダウンロードはもちろん、閲覧ができないように妨害しているが、すでに相当の者が紅音の痴態を見てしまっている。

既に購入してしまったものが、ネットに拡散するような行為をした場合は、宮コーの全力を挙げて、そのモノを探し出し、手を下すという非情ぶりだ。

これは紅音の為という意味合いではなく、宮コー本体の威信が揺らぐことを宮コーの役員連中が恐れたからであるが、紅音にとって少しは救いである。

しかし、紅音のようなプライドの高い女にとって、この一連の事件は紅音の心を壊すには十分すぎたのだ。

紅音は拒食症に陥り、躁鬱を繰り返して、命が危ういところまで衰弱してしまったのである。

どんな治療を施しても、紅音の心の病は癒えず、ついに極秘裏に処方が行われたのだ。

暗部に転属。

【鏡面桃源郷】は事実の記憶を消し去り、都合のいい嘘で埋める技能。

厳しく辛い現実よりも、甘く優しい嘘で傷口を負おう幻覚術である。

ただし、副作用も大きい。

暗部の面々たちがそうなったように、紅音も自我を失ってしまっているのだ。

本社の宮川誠以下の組織で話し合いが行われ、紅音にとって最良の救いという行為自体が、【鏡面桃源郷】という結果なのだと石黒も言っていた。

紅音に能力を使うのは、石黒も断腸の思いだったことも、佐恵子はこの目で確認している。

真理も加奈子も、紅音にとってそれが最適だろうと、複雑な心境ながらも納得していたのだ。

この状況で、緋村紅音をどう救うと言うのか。

「丸岳さんはどうしたいのです?」

佐恵子は、答えを推測しながらも丸岳に促す。

「紅音を石黒から、いや・・宮コーから逃がす・・。それしか紅音を救ってやる方法はない・・・!石黒は悪魔だ!洋上プラントでの作業は過酷を極める。なぜなら本土から遠く離れた治外法権の場所。それに、あのプラントで働く石黒の部下はほとんど【鏡面桃源郷】の支配下にある。そうでなければ、あの過酷な環境で精神を病む者が続出するからだ!」

丸岳が話す内容に、佐恵子は首をかしげる。

佐恵子の予測とは違うのだ。

「石黒常務が話していた内容とはずいぶん異なりますわ」

「あの女の言うことは信用できない!」

普段沈着冷静な丸岳らしからぬ強い口調で吐き捨てる。

「わたくしは目を使ってみてましたのよ?断じて石黒常務は嘘を言ってませんでしたわ」

佐恵子は冷静な口調で返す。

「そうか・・・。なるほど・・。石黒にはもはや人としての最低限の人格もないということだな!」

「どういうことです?」

佐恵子は、眉間にしわを寄せて丸岳の様子を伺う。

「人を人と扱わずとも、良心の呵責がないのだ。だからこそ、平然とあのようなことをやらせられる。魔眼で見られても心が揺れないのだ・・。感情に両親の呵責がない?それほどあの女が人を家畜のように思っているのだろう。・・・洋上プラントで働いている人間がどんな様子なのか宮川支社長はご存じないのか?」

「・・・昨年も、これまでもずっと無事故と報告が上がっておりますし、当初は僅かであった資源採掘も昨年から他国も無視できない採掘量になってまいりましたわね」

佐恵子は、丸岳の言わんとせんことを読み取ろうと、もしかすれば紅音にとって最適なことは他にあるのではという期待から、辛抱強く耳を傾けることにする。

「俺が言っているのは、そんな紙の上の報告のことではない!現場に従事する者たちが、どんなことをしているのか知っているのか?と聞いているのだ!紅音がどんなことをさせられているのか知っているのか?!」

「口が過ぎますよ丸岳部長!・・いえ、もう部長ではないのでしたね。それでも、口の聞き方には気を付けてください」

加奈子が丸岳を窘めるが、丸岳は加奈子に一瞥くれると、もどかしそうにジャケットの懐に手を入れた。

その動きに加奈子が反応して、丸岳の手を素早く抑えたが、丸岳は手を掴まれたまま薄く笑って口を開いた。

「稲垣。武器などださんよ。魔眼に銀獣に菩薩、それに蜘蛛までいるのだぞ?・・俺一人ではどうにもならんのは痛いほど俺がわかってる。それに、そんな気は微塵もない。・・カードだ。ゆっくり出す。安心しろ」

丸岳はそう言って、加奈子に手を掴まれるにまかせて、掴んでいるSDカードを佐恵子に見えるように、見せてきた。

「これを見てくれ。そうすればわかる」

丸岳はそう言ってカードを差し出してつづけた。

「紅音を・・助けてやってくれ。紅音を俺だけで連れ出し助けてやりたかったが、あの洋上プラントには容易に近づくことも難しい。ましてや、あの幻魔石黒実花を相手にとなれば俺一人では手に余る。・・・石黒が紅音を連れてここに来た今がチャンスなのだ。この人工島が完成すれば、石黒は落成式に参加せざるを得ない。当初は落成式に向かう石黒不在のその隙を突いて、プラントに侵入し、紅音を逃がす1年かけた計画だったが、石黒は紅音を連れ出した。立てていた計画はパアになったが、これはこれで好都合でもある・・・。知っているんだ!アンタも紅音のことを心底嫌っているわけじゃないことはわかってるんだ!頼む・・!頼む・・・!あんな仕打ちをあの紅音が受け続けているなんて、我慢できない!頼む・・・」

駐車場の床に頭を付け、丸岳は肩を震わせて嗚咽を上げた。

真理と加奈子が佐恵子の判断を伺うように顔を向ける。

「そのカードに丸岳さんの見せたいものがあるのですね?」

「そうだ!見てほしくないが・・・見てもらえれば・・貴女も憤慨するのは間違いない」

「・・・丸岳さんの思った結果にはならないかもしれませんよ?」

「・・それでもいい!貴女に見切りを付けられる!」

「ふん、囀りますわね・・。いいでしょう。とりあえず、見せていただきましょう。私も見てみたくなりましたわ」

静かにそう言った佐恵子は、蹲った丸岳に歩み寄ると、膝を折りその肩を撫でてやったのである。

「しかし、丸岳さん・・紅音のことを本当に想ってらっしゃるのですね」

叔父の宮川誠と紅音の関係を間近で知っていたはずの丸岳の心中を察した佐恵子は、丸岳を慮ったのだ。

しかし真理と加奈子は、丸岳が佐恵子に何かしないかと警戒していたが、その心配は杞憂であった。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 3話< 悲しき再会 終わり】4話に続く

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 4話 護衛任務と才媛の悪だくみ


第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 4話 護衛任務と才媛の悪だくみ



頭より高いコニファーを寄せ植えた生垣はきれいに刈り込まれ、足元も色とりどりの扁平な石が敷き詰められた細い道になっている。

生垣の角を曲がる度に小さな花壇や蔓薔薇の絡まった棚、石造りのベンチや本物そっくりの獅子のブロンズ像などが置かれていた。

府内のど真ん中だが、かなりの面積のある庭園は、外界の雑踏や車両の音は聞こえず、かわりに心地よい水の音が奏でられていた。

宮川コーポレーションが運営しているオープンテラスカフェの庭園内を、加奈子と真理は、片手にカップを持ち、二人がお気に入りにしている場所まで歩いている。

まだ正午前だが、すでに日は高く上り、はるか上空に白い雲が数個浮かんでいるだけで天気はとてもいい。

「明日も天気に恵まれそうね。それにしても一日休暇なんて久しぶりで嬉しいわ」

真理がそう言って柔らかな日光を遮るようにして手をかざし、身体を伸ばすようにして相方を見やった。

「そうね。いい天気。久しぶりに真理にもゆっくり会えたし・昨日は昨日で久しぶりに楽しかったけど・・」

真理のセリフに加奈子も微笑み返すが、いつもの輝く笑顔は少しばかり冴えない。

「まあね」

真理も、加奈子の心情を察して言葉を濁す。

あれだけ飲んでも二日酔いにならない二人の美女は微妙な笑顔ではにかみ合った。

昨日の打ち上げ後、佐恵子の部屋で丸岳が持ち込んだSDカードのデータの中身が二人とも気になっていたのである。

「たしかに、あの紅音があんな重労働を文句も言わずにしてるなんて、前の紅音からは想像できないわね」

真理はそう言いながら、壺を抱えた半裸の女神像を通り過ぎ、お気に入りの席に腰を下ろす。

大理石でできた女神像が持つ壺からは、尽きることなく水が溢れ泉に流れこみ、そこから庭園内に小川がめぐらされていた。

加奈子も真理に倣い、真理の対面にある籐でできた背もたれの深い椅子に腰を下ろして足を組む。

ふたりとも今日は休日とあって、指定のスーツ姿ではなく珍しく私服姿である。

真理は、ブラウンのセーターにグレイのサイドスリットの入ったタイトスカート姿、加奈子はお尻が隠れる程度の黒いチュニックに、動きやすいデニム生地のタイトパンツ、腰にはチュニックと同じ色でベルトを巻いている。

普段着の真理と、加奈子だったが、宮コー関西支社が誇る双璧の才媛は、このカフェテラスに出入りしているものであれば、知らない者の方が少ない。

スーツ姿でなくとも、すぐになじみのカフェスタッフに笑顔で歩み寄られ、席に促されたのだ。

勤務日の社員たちが、この席に着くまでに話しかけてきたが、真理と加奈子はプライベートで着ているからとやんわり断りをいれて、ようやく座われたのである。

「でもどう思う?」

「うーん。佐恵子は石黒のこと目でみてたんでしょ?」

加奈子の問いかけに、真理はカップに入った香ばしい香りを楽しんでから加奈子と同じように足を組んでからこたえる。

「ええ」

「じゃあ、丸岳さんが、単に紅音の今の不憫さに加えて、自分の感情を盛りすぎてるだけだと思うわ」

「・・ですよね」

歯切れの悪い加奈子に、真理は興味深そうに問いかける。

「加奈子の感じゃ違うのかしら?」

「うーーん・・。たしかに丸岳さんが持ってきたSDカードの映像だけだと、紅音が重労働してるってだけで、当の紅音もあんな地味な作業服着て汗だくになって作業していると言っても、本人はそんなことを不満に思ってる表情じゃなかったですよね・・。だけど・・」

だけど?と真理は首をかしげて加奈子に続きを促す。

「あとの、その・・紅音がベース内で男たちの慰み者になってるっていうのは、丸岳さんの言葉だけでしかなくて証拠も何も無いですよね」

「そうね。佐恵子も石黒が話している様子を穴が開くほど目で見てたわ。アルコールも入ってて22時を過ぎてたとはいえ、あの状態の佐恵子が【感情感知】でたとえ十指の一人に数えられる幻魔が相手だったとしても、あの距離で感情を読み違えるとは思えないのよね」

「ですよね」

宮川佐恵子の能力は完全ではないにしても日常的に使うだけであれば、問題ない程度には回復している。

だが加奈子は、佐恵子の眼の精度を知っていて信用もしているのだが、石黒がいままで佐恵子たちにとってきた手法や態度、それにいつも冷静な丸岳のあの取り乱しようを考えると、どうにも納得できずにいたのだ。

「まだ不満そうね。紅音が前みたいに身勝手な暴走をしなくなったのなら、いまの紅音には残念には思うけど、良かったかもしれないわ。佐恵子も、紅音の内包するオーラはまだまだ多いけど、攻撃的じゃなくなってるって言ってたしね」

「そうよね・・。支社長が目で見たんだから間違いないですよね」

真理の言葉に加奈子も頷く。

しかし、自分で言い聞かせるようになってしまったのが加奈子自身なんとなく嫌な予感を感じずにはいられなかった。

「それより佐恵子は本当に大丈夫なんでしょうね?」

加奈子の一抹の不安顔を察しながらも、真理はもう一つの懸念事項へと急に話題を変える。

「モブのことですか?」

「豊島さんのことも」

「うーーん・・・、そっちも頭が痛いんですよね」

加奈子は色素の薄い髪をくしゃくしゃとかきあげて呻いた。

「豊島さんのことは本社でも念入りに身元調査が入って、この家系ならってようやく納得したっていうのに。よりによって今度は茂部くんですって?絶対無理よ?どこの高校だっけ?・・しかも中退だし、それに茂部くんの父親なんて行方知れずなのよ・・?宮沢の一族郎党から非難轟々は必至じゃない・・」

真理はそこまで言うと盛大な溜息をついて、どうしてこんな事態になったのかと非難する目で、信頼する相棒を眺めたが、再びため息をついて肩をすくませた。

「で、佐恵子と茂部くんは、今日はどこに行ったんだっけ?」

「・・・大正区にあるタグボート施設。あそこのオープンに合わせてストリートピアノが設置されるのよね。そこで支社長も一曲披露することになってる。仕事は午前中のそれで終わりだから、今頃はモブとの約束通りデートになってそろそろ昼食じゃないかな・・」

「あんな開けたフードコートや商業施設があるところでショパンって雰囲気でもないでしょうに・・。それより・・茂部くんとねえ・・。なにがどこでどう間違ったのかしら・・・?」

佐恵子のピアノの腕前を知る真理はやや心配そうにそう言ったが、それ以上に佐恵子と午後からデートする男のことで真理も頭を抱えて呻った。

佐恵子は、真理と加奈子にはついてくるなと厳命したので二人はさらに頭を抱えているのである。

「可愛がりにもほどがありますよ。・・支社長はただ目をかけているだけかもしれませんけど、モブのほうは・・・」

「ったく困ったモノね。佐恵子にしたって茂部くんの感情が見えて無いわけじゃないでしょうに・・・!豊島副部長に対する当てつけにしても悪趣味だわ。茂部くんにも悪いし、豊島さんにも酷だわ・・・」

「まあまあ、支社長は本当に今回のことは怒ってるんです。忙しさにかまけて豊島さんがデートに誘ったりするのを袖にし続けた支社長も悪いと思いますけど・・・。支社長は彼氏が風俗に行くなんて到底我慢できるはずがなくて・・」

「今となったら仕方ないわ。それより護衛よ。茂部くんだけじゃ心もとなさすぎるしね。佐恵子は私たちにはついてくるなっていったけど。彼女はそんなことお構いなしで追跡してるんでしょ?」

「こっそり尾行してるはず。・・・でもあの人全然連絡付かないんですよね」

「・・・でしょうね」

真理も諦めるような口調でそう言うと、籐の背もたれに身を沈めた。

あの人とはもちろん蜘蛛こと最上凪である。

極めて高い能力を持った彼女であるが、いまいち連携が取れないのである。

加奈子も連絡のないスマホを恨めしそうに眺めていたが、真理が口を開く。

「心配しないで。・・菊沢部長にも護衛を依頼してあります。もちろん佐恵子にはナイショだけど」

「えっ!?よく引き受けてくれましたね?!」

さすが真理!と思った加奈子だったが、菊沢宏が絶対に受けそうにない依頼を引き受けたことに驚きの声を上げた。

「快く引き受けてくれましたよ」

真理は、驚いた加奈子の顔を満足そうに見てから、にっこりと悪そうな菩薩の笑顔を向けたのだった。


「なんかけったいな仕事やねんけど・・」

宏は誰ともなしに、誰にも聞こえない小声で呟いた。

(最近スノウがやたら話しかけてくるええ機会や。この機会にちゃんと話しとかんと・・)

昨晩、酒の席の合間にスノウが化粧直しに席を立ったとき、真理が宏の隣に座って酌をしてきたのだ。

「少しお願いが」

久しぶりに帰還した関西支社の才媛の一人が、改まって申し出ると言うことは、重要なことか?と思ったが、当てが外れた。

明日一日、宮川支社長をこっそり尾行して護衛してほしいとのことである。

そんなことはいつも稲垣主任や最上主任がやっとるやないかいと、一度は断りの言葉をいれたのだが、真理は引き下がらなかったのである。

真理は、スノウが帰ってくる前にどうしても話を終わらせたかったらしく、口早に畳みかけた。

「部長は以前、任務の途中で私の胸を事故とはいえ見ましたよね?」

宏はうぐっと唸ると、あの時同様「すまん」と小声で詫びるが、真理は更に言う。

「怒っているのではないのです。その時のお詫びと言ってはなんなのですが、明日佐恵子の護衛をお願いいたしますね?佐恵子やモブにバレてはダメですよ?・・引き受けてもらえて肩の荷が下りました。お願いしますね」

真理は一方的にそう言い切ると、詳細を書いた小さく折りたたんだ紙を宏に渡したのである。

そして、戻ってきたスノウと入れ替わるように腰を上げると、言葉を継げないでいる宏の肩をにこやかな表情でポンと叩いて席を立ち去ったのだ。

宏は、返事をする代わりにミニバンの中で、高嶺の剣士の一人である大石穂香という女にファスナーを下げられた真理の姿を思い出していた。

「Dはあるな・・」

『・・ちょう・・、部長?見えてますか?聞こえてます?・・Dってなんです?』

ふいに頭に響く声に、とっさに意識を現実に戻す。

「い、いや、なんでもあらへんで?。見えてるし聞こえてる。そ、それにしてもスノウの聴覚視力を【共有】できる能力ってほんまに便利やな」

頭の中に直接響くスノウこと斎藤雪の声で我に返った宏は、平静を装って返事を返した。

その宏の脳には、音声だけでなく、映像として脳に直接視覚情報も送られてきている。

スノウが見聞きした情報を、スノウが【通信】と【共有】の能力を駆使して宏の脳内に直接送っているのだ。

頭のなかで響くスノウの声には張りがあり、尾行という秘密の任務を宏と共同で行っているという嬉しさが声のトーンの高さに現れていた。

『はい、いろいろなものを【共有】して【通信】できますよ。でもあまり離れないでくださいね。届かなくなっちゃいますから』

スノウはそう【通信】を飛ばすと、ピアノの背にある大きな柱から身を少しだけ出して様子を伺い、音と映像を送り続ける。

スノウは華奢な身体をゆったりとした白のセットワンピースで身体のラインを隠し、目深にかぶった黑のハンチングキャップに大きな丸いサングラスで顔の輪郭を隠している。

セミロングの黒髪は帽子の中でアップに結い上げて押し込んで、一見するとスノウとは見破られない程度の変装をしていた。

流石に元探偵事務所のスタッフと言ってもいい変装ぶりである。

スノウの目の前では宮川支社長がショパンのノクターン2番を弾き終わり、周囲から拍手を受け観客に向かって丁寧に頭を下げて、手を振っていたところである。

そのすぐ隣で、周囲を警戒して目を光らせているモブこと茂部天牙が護衛の仕事に精を出し過ぎて気張っている様子もうかがえた。

(っと・・支社長の視界に入ったらオーラを見られちゃうわ。モブ君は私に気づいていないわね。)

観客を見渡すように佐恵子が視界を動かす動きに合わせて、スノウは身を柱の後ろに縮める。

(それにしても・・・真理さん最高だわ。私にこんな話を持ち掛けてくれるなんて・・!)

真理は昨晩、美佳帆に鉄扇の作成を依頼したのだが、とっても高額だったため頭を悩ませていたのだ。

しかし真理は、斉藤雪も鉄扇を持っていると言っていたことがあったのを思い出したのである。

さっそく真理は、宴会の途中で、宏と離れるのを嫌がるスノウを連れ出し、事情を説明してみたが、スノウこと斎藤雪の反応は芳しくなかった。

スノウは二振りも鉄扇を持っているとさえ言っているのに、美佳帆さんからもらったものだし他人に譲るわけにはいかないと頑として聞かなかったのである。

そんなことよりも、めったにない宏との時間を失われるのがもったいない様子で、早く席に戻りたそうにそわそわしていたぐらいである。

しかし、真理は鉄扇と引き換えにある提案をしたのだ。

菊沢宏とコンビを組んで、気づかれないように佐恵子の護衛をしてほしいという任務と引き換えに、ほぼ新品の細雪という鉄扇を所望してみたのである。

細雪は見事な黒鉄の拵えで、抜群の逸品である。

高貴な黒の姿の細雪は、持ち手の要と中骨部分は違うが、扇面と親骨の片面と先端は鋭利な刃物となっており、もう一対の親骨の方は刃にはなっていない。

つまり扇でありながら、打ちと斬りが行える二面性を持った業物且つ、美術品としても一級品なのである。

細雪は、世界に数本しか存在しない菊沢美佳帆作の銘の一つなのだが、スノウはその条件ならばとあっさり首を縦に振ってしまったのである。

(このピアノ設置のセレモニーが終わったら、ピアニストたちを交えての懇談会の昼食・・、それが13時ぐらいに終わるから、それからは美術館、遊園地、そのあとはリーガルホテルのフレンチのお店を個室で予約してるって真理さん言ってたわ・・・)

スノウはそこまで頭の中でおさらいをして、視線を壇上へと戻す。

ストリートピアノにしては豪華すぎるグランドピアノの演奏には、ピアニストが数人招待されていたようで、今は二人目が演奏していた。

佐恵子は来賓用の椅子に座り、モブはその隣で立っている。

(・・・真理さん。支社長はホテルの部屋も予約してるって言ってた。フレンチのお店も、ホテルの個室も・・。でも、私と部長のお部屋も、支社長の隣の部屋を真理さんが手配してくれてる!もちろん支社長たちの護衛をこっそりすると言う名目だけど、部長と二人っきりでディナーにホテルに一泊だなんて・・!しかも部長と同じ部屋だなんて!や、役得だわ・・!人生の幸運のすべてをを今日ここで使い果たしちゃったんだわ!)

学生時代から恋慕し続けていたスノウの心情は、美佳帆、スノウ、アリサ、千尋の4人だけの秘密だったが、目の能力が戻った佐恵子にスノウの心情はあっさりと見抜かれてしまっていたのである。

そして必然的に、宏に対して妻である美佳帆よりも熱烈なピンクの感情を放ちまくっているスノウのことを、念のために佐恵子は真理に相談したことがあったのだ。

真理は、佐恵子に人の事情に首を出さないほうがいい、知らないふりをしていた方がいいと言ったものの、そんな面白そうな情報を真理が脳内のメモに書き忘れるはずがなかったのである。

スノウは油断すると緩みそうになる顔を、目深にかぶった帽子で隠す。

『部長。支社長たちが移動します。予定通り昼食をとるみたいですよ!私たちも怪しまれないように・・・ラ・・ランチをとりましょう!あくまで怪しまれないように・・こ・・恋人のふりなんかがいいんじゃないですか・?』

スノウは上ずりそうになる声を極力抑えて、宏に通信を送る。

処女でもなくバツイチですらある、もうすぐ36歳になろうとするスノウだが、恋心に年齢は関係がないと言われるのを体現している状態である。

『ああ、せやけど見られへんようにな。たぶんあのモブって子のテストも兼ねてんのやろしな。あんまり簡単に見つかったらテストにならんやろ』

暴走気味のスノウの発言をスルーして宏は極力平静を保って言うが、当のスノウは「どこがいいかしら」と宏と座る店を物色することに夢中になっていた。

そして宏は、この尾行の意図を真理や加奈子たちが、モブに課したテストだと勘違いしていたのである。

ただ単に、自分たちが付いてくるなと言われたから、真理は代わりの人選を宏とスノウに割り当てたのだ。

真理が適材適所だと思って配置した人員ではあるが、真理は面白そうなことになるかもしれないという期待は当然しての起用であった。

果たして、いつもの真理の悪だくみは、とりあえず意図した通り動き出したのである。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 4話 護衛任務と才媛の悪だくみ 終わり】5話へ続く

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 5話 【回想】魔眼と銀獣のキャンパスライフ時代

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 5話 【回想】魔眼と銀獣のキャンパスライフ時代

―10年前-

広い吹き抜け構造の校舎内には、明るい声で闊達に話す学生たちの姿が多く見える。

内部の吹き抜け部分は、白を基調とした近代アートを思わせるディティールでありながらも、外部は威厳と知性を感じさせる重厚な茶色のレンガ造りである。

その建物、宮川系列の私立大学、明成経済流通大学の廊下を加奈子は注意深くあたりを見回しながら駆けていた。

明成経済流通大学の2回生である稲垣加奈子にとって、この建物の構造は勝手知ったるところであった。

見落としが無いように効率よく廊下を駆けまわり、行き交う人にぶつからぬよう縫うようにして走る。

時折、顔見知りの学生たちが、走る加奈子に気づいて声を掛けてくる。

しかし、加奈子はその同輩たちに愛想のいい顔で一言二言言葉を返しても、走る速度は緩めなかった。

容姿端麗ながらも、明るく接しやすい人柄の加奈子は、大学内でも有名人なのだが、今は足を止めている暇はないのだ。

肩まで届く色素の薄い髪をなびかせ、加奈子は裏門へと一直線に続く大きな目抜き通りの入口にあるアーチ状の門の下を潜り抜ける。

照明で明るかった校舎内とは違う、陽光の明るさに少しだけ目がくらむが、その日差しは並木となった大きな楠木の樹冠で覆われている。

さわさわと風に鳴る葉の音を楽しむこともなく、速度を落とさずにキャンパスに飛び出す。

飛び出したすぐ目の前には、本校舎を中心にして南北に伸びた大きな目抜き通りがあった。

このキャンパスは、校舎から北側に抜けると裏門に通じる。

裏門と言っても、正門よりやや間口が狭いだけで立派なことには変わりはないが、こちら側には駅がないため、正門のような人通りはない。

そうは言っても、1,000以上学生のいるこのキャンパス内では、本校舎の北側にもかなりの学生がいる。

メインで使われることがない北目抜き通りだが、流石は大学として150年の歴史を持つ学び舎である。

正門に比べて人通りの少ないが、正門のある南側と同じく、立派な楠木が通りの左右に植えられていて、通りの全体は夏の強烈な日差しからすっぽりと守られている。

目抜きの通りの左右にある歩道は、視線を遮るように灌木が植えられ、石の調度品などがあるうえ、東屋やバーゴラの下にあるデスクでは学生が参考書を広げたり、開けたところでは楽器を持った学生たちが演奏をしていたりもする。

そんな中、少々焦った表情の加奈子は目的の人物を見つけようと、走りながら能力を使って視力を強化させたのだ。

加奈子の目的とするその人物は、その一直線の通りの先、雑踏の向こう側、裏門出口のすぐそばにいた。

後ろ姿しか見えないが、腰まで届くロングストレートの黒髪姿、歩幅や足運びには品がありながらも、何処か他を寄せ付けない尊大な雰囲気が後ろ姿にもにじみ出ている。

「いた!あんなところに・・!佐恵子さーん!」

加奈子のハスキーな大声が目抜き通りの端まで届く。

すぐそばのベンチに座っていたカップルが、加奈子の声に驚いて目を向けるが、加奈子は構わず手を振って先ほどより速い速度で駆けだした。

加奈子は、御影石でできたモニュメントを飛び越え、パルクールの選手のような軽快な身のこなしで学生たちの間を風のように駆け抜ける。

一方の大声で名前を呼ばれた佐恵子は、加奈子の大声に一瞬ギクリと肩をすくめたものの、それも本当に一瞬で、すぐに何事もなかったように肩に下げたハンドバックを手でおさえて加奈子に背を向けて歩きだしていた。

「佐恵子さんってば!」

白のノースリーブにブラウンのガウチョ姿の佐恵子は、やや早足になって加奈子から逃げるように歩いていたが、再度大声で名を呼ばれてピタリと歩みをとめた。

佐恵子は、野生動物同然の加奈子からは逃げきれないとあきらめたようである。

大きく息を吐きだしてから立ち止まり、ゆっくりと振り返ったのだった。

佐恵子は、振り返ったときに肩にかかった長い髪を、手の甲で払うようにかきあげ、顎をツンと持ち上げた尊大な態度で、平坦な胸を反りくって口を開いた。

「なんですの?こんな大勢人がいるところで、大声で呼ばないでくださる?」

加奈子は佐恵子の前まで来ると、膝に手をついて肩で息をしていたが、その息を整えるのももどかしく口を開いた。

「なんですの?じゃありませんよ・・。どこにいくんですか?今日は講義が終わったらすぐに武蔵野の本宅に来るように言われてたじゃないですか。正門に車がずっと待ってます。佐恵子さんがきてくれないと私が叱られちゃうんですよ」

白のカットソーに、淡い青色のデニムのショートパンツという活発な恰好の稲垣加奈子は、困惑顔で身振りを交えながら、尊大な同期生に訴えた。

車が待っていた正門の校門から南目抜き通りを駆け、キャンパス内を縦断し、北目抜き通りから裏門までは、距離にして2km近くもあるのだ。

キャンパスから、高尾山の嶺が見えるほど都内の西に位置する明成経済流通大学はとにかく広い。

そんな広いキャンパス内で、待ち合わせの場所と全く違う場所をうろついている佐恵子のことを探し回る羽目になった加奈子は、恨めしそうな目を佐恵子に向けたのである。

「悪かったですわね」

佐恵子は胸を反らし、顎を上げた尊大な態度を崩さずにそういったものの、その口調には少々悪びれた色が含まれている。

「んもぅ。・・さ、いきますよ?最近講義やお稽古にも身が入ってないみたいですけど、どうせサボった分、倍にしてしごかれちゃうんですから、ちゃんとしたほうがいいですって。こないだ遅刻した時のこと覚えてます?凪姉さんにずいぶん叱られちゃったじゃないですか・・・。あの人ほんとに容赦ないですし、遅刻したのは佐恵子さんなのに、なぜか私にくるとばっちりのほうが激しいんですからね・・!」

加奈子は、依然遅刻した時に最上凪に糸でさかさまに吊るされたことを思い出し、佐恵子を逃がすまいとしっかりと手を握って歩きだした。

明成経済流通大学の理事長の娘である宮川佐恵子とその友人の稲垣加奈子は、大学での講義が終われば、宮川家の優秀な家庭教師たちによって、毎日22時まで講義と体術の稽古が日課になっているのだ。

唯一水曜日だけは大学の講義が終われば自由時間なのだが、今日は水曜日ではない。

佐恵子の手をしっかりと握ったまま正門まで連れて行こうとする加奈子に、佐恵子は素直について行きながらも口を開く。

「ねえ・・加奈子。今日だけ見逃してもらえないかしら?」

加奈子は、近頃佐恵子が日課を嫌がっているのをわかってはいたが、佐恵子の言葉に改めて驚く。

「・・どうしたんです?そんなこというの珍しいじゃないですか?でも行かないと・・」

加奈子は行かなかったり遅刻したらどんな目に合わされるかと、頭に浮かんだ最上凪の顔を振り払うように頭を振って手を引いて歩く。

「今日は・・その・・えっと・・所用がありまして」

「そんなのダメですってば・・。またゲロ吐くまでしごかれちゃいますよ」

「今日だけです。あとで凪姉さまには私から言い訳しますから。・・人を待たせているのです。それでですね・・今日だけはどうしても稽古を休みたいのです」

佐恵子の方を振り返らず、手をつないだまま引っ張って歩きながら佐恵子に返す。

「それ直接凪姉さんに言ってくださいよ。それに人を待たせてるって・・、水曜日に変更してもらうしかないですよ?」

「そうしたいのはやまやまなのですが・・」

加奈子は歯切れの悪い背後の佐恵子の方にようやく向きなおった。

「何か理由があるんですか・・?もっと事前に言っておけばもしかしたらお許しが出たかもしれませんけど、今からどうしても行かなきゃいけないことなんです?すぐ済む用なんですか?」

「たぶん・・すぐ済みますわ。でも武蔵野に帰るには1時間ぐらい遅刻しそうですわ・・」

佐恵子の答えに加奈子は困ったように髪の毛をくしゃくしゃとかきあげたとき、背後から声を掛けられた。

「稲垣さんじゃん!」

同じ学科の学友たちが、加奈子を見つけてがやがやと近づいてきたのだ。

「ねえねえ。こんなところにいるなんて珍しいね。今日は大丈夫な日なの?」

大学の講義が終われば、加奈子はすぐにお稽古に行ってしまうというのは、加奈子の友達の間では共通の認識であるのだ。

そのため、講義が終わって30分以上たっているにも関わらず、裏門近くに加奈子がいるのは珍しかったのだろう。

いまから大学のほど近くにあるカフェでお茶をしようとしているようで、加奈子のことを頻りに誘ってきたのであった。

「たまにはいいじゃん。俺は加奈子さんとじっくりお話したいなー」

背の高い学友の一人が、加奈子を誘ってくるが、加奈子は今日も宮川家の家庭教師にみっちりしごかれるスケジュールが詰まっている。

「せっかくだけど、今日もダメなのよ。また次の水曜日ならいけるけど・・ね?佐恵子さん」

加奈子は誘ってくれる学友たちに、バツが悪そうにそう言い、しっかりと手をつないだまま後ろにいる佐恵子の方を振り返った。

「え?」

加奈子が佐恵子だと思っていた手は、佐恵子ではなかった。

「稲垣さん。俺の手をこんなにきつく・・・」

逃がすまいと強く握っていた手は、青紫色に変色していた。

加奈子に手を握られている学友の男は、脂汗をたらして顔を真っ赤にしていたのである。

彼の手は、知恵の輪をオーラ無しの素手で解体するパワーの持ち主である加奈子によって破壊される寸前だったのだ。

能力者である佐恵子であれば、この程度の力で手を握ってもどうということはないのだが、大の男といえども生身の人間にとっては強すぎる力であった。

「きゃっ!ご、ごめんなさい!!」

加奈子は慌てて学友の手を放して謝ったものの、佐恵子にはまんまと逃げられてしまったのであった。

「えっ?!ちょっ?!さ、佐恵子さん!ええええええぇっ!・・・そんなぁ!ずるいですよぉ!こんな時に目を使うなんて!」

手を抑えて蹲る男の背を撫でながら、加奈子は嘆きの声を上げたのであった。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 4話 【回想】魔眼と銀獣のキャンパスライフ時代 】終わり6話へ続く
筆者紹介

千景

Author:千景
訪問ありがとうございます。
ここでは私千景が書いた小説を紹介させて頂きたいと思います。
ほぼ私と同年代の既婚者が主役のものになるかと思います。登場人物同士が
つながりを持っていて別の物語では最初の物語の主人公が脇役を務める様な
小説全体につながりを持たせ想像を膨らませていけたらと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します

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