第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 4話 護衛任務と才媛の悪だくみ
頭より高いコニファーを寄せ植えた生垣はきれいに刈り込まれ、足元も色とりどりの扁平な石が敷き詰められた細い道になっている。
生垣の角を曲がる度に小さな花壇や蔓薔薇の絡まった棚、石造りのベンチや本物そっくりの獅子のブロンズ像などが置かれていた。
府内のど真ん中だが、かなりの面積のある庭園は、外界の雑踏や車両の音は聞こえず、かわりに心地よい水の音が奏でられていた。
宮川コーポレーションが運営しているオープンテラスカフェの庭園内を、加奈子と真理は、片手にカップを持ち、二人がお気に入りにしている場所まで歩いている。
まだ正午前だが、すでに日は高く上り、はるか上空に白い雲が数個浮かんでいるだけで天気はとてもいい。
「明日も天気に恵まれそうね。それにしても一日休暇なんて久しぶりで嬉しいわ」
真理がそう言って柔らかな日光を遮るようにして手をかざし、身体を伸ばすようにして相方を見やった。
「そうね。いい天気。久しぶりに真理にもゆっくり会えたし・昨日は昨日で久しぶりに楽しかったけど・・」
真理のセリフに加奈子も微笑み返すが、いつもの輝く笑顔は少しばかり冴えない。
「まあね」
真理も、加奈子の心情を察して言葉を濁す。
あれだけ飲んでも二日酔いにならない二人の美女は微妙な笑顔ではにかみ合った。
昨日の打ち上げ後、佐恵子の部屋で丸岳が持ち込んだSDカードのデータの中身が二人とも気になっていたのである。
「たしかに、あの紅音があんな重労働を文句も言わずにしてるなんて、前の紅音からは想像できないわね」
真理はそう言いながら、壺を抱えた半裸の女神像を通り過ぎ、お気に入りの席に腰を下ろす。
大理石でできた女神像が持つ壺からは、尽きることなく水が溢れ泉に流れこみ、そこから庭園内に小川がめぐらされていた。
加奈子も真理に倣い、真理の対面にある籐でできた背もたれの深い椅子に腰を下ろして足を組む。
ふたりとも今日は休日とあって、指定のスーツ姿ではなく珍しく私服姿である。
真理は、ブラウンのセーターにグレイのサイドスリットの入ったタイトスカート姿、加奈子はお尻が隠れる程度の黒いチュニックに、動きやすいデニム生地のタイトパンツ、腰にはチュニックと同じ色でベルトを巻いている。
普段着の真理と、加奈子だったが、宮コー関西支社が誇る双璧の才媛は、このカフェテラスに出入りしているものであれば、知らない者の方が少ない。
スーツ姿でなくとも、すぐになじみのカフェスタッフに笑顔で歩み寄られ、席に促されたのだ。
勤務日の社員たちが、この席に着くまでに話しかけてきたが、真理と加奈子はプライベートで着ているからとやんわり断りをいれて、ようやく座われたのである。
「でもどう思う?」
「うーん。佐恵子は石黒のこと目でみてたんでしょ?」
加奈子の問いかけに、真理はカップに入った香ばしい香りを楽しんでから加奈子と同じように足を組んでからこたえる。
「ええ」
「じゃあ、丸岳さんが、単に紅音の今の不憫さに加えて、自分の感情を盛りすぎてるだけだと思うわ」
「・・ですよね」
歯切れの悪い加奈子に、真理は興味深そうに問いかける。
「加奈子の感じゃ違うのかしら?」
「うーーん・・。たしかに丸岳さんが持ってきたSDカードの映像だけだと、紅音が重労働してるってだけで、当の紅音もあんな地味な作業服着て汗だくになって作業していると言っても、本人はそんなことを不満に思ってる表情じゃなかったですよね・・。だけど・・」
だけど?と真理は首をかしげて加奈子に続きを促す。
「あとの、その・・紅音がベース内で男たちの慰み者になってるっていうのは、丸岳さんの言葉だけでしかなくて証拠も何も無いですよね」
「そうね。佐恵子も石黒が話している様子を穴が開くほど目で見てたわ。アルコールも入ってて22時を過ぎてたとはいえ、あの状態の佐恵子が【感情感知】でたとえ十指の一人に数えられる幻魔が相手だったとしても、あの距離で感情を読み違えるとは思えないのよね」
「ですよね」
宮川佐恵子の能力は完全ではないにしても日常的に使うだけであれば、問題ない程度には回復している。
だが加奈子は、佐恵子の眼の精度を知っていて信用もしているのだが、石黒がいままで佐恵子たちにとってきた手法や態度、それにいつも冷静な丸岳のあの取り乱しようを考えると、どうにも納得できずにいたのだ。
「まだ不満そうね。紅音が前みたいに身勝手な暴走をしなくなったのなら、いまの紅音には残念には思うけど、良かったかもしれないわ。佐恵子も、紅音の内包するオーラはまだまだ多いけど、攻撃的じゃなくなってるって言ってたしね」
「そうよね・・。支社長が目で見たんだから間違いないですよね」
真理の言葉に加奈子も頷く。
しかし、自分で言い聞かせるようになってしまったのが加奈子自身なんとなく嫌な予感を感じずにはいられなかった。
「それより佐恵子は本当に大丈夫なんでしょうね?」
加奈子の一抹の不安顔を察しながらも、真理はもう一つの懸念事項へと急に話題を変える。
「モブのことですか?」
「豊島さんのことも」
「うーーん・・・、そっちも頭が痛いんですよね」
加奈子は色素の薄い髪をくしゃくしゃとかきあげて呻いた。
「豊島さんのことは本社でも念入りに身元調査が入って、この家系ならってようやく納得したっていうのに。よりによって今度は茂部くんですって?絶対無理よ?どこの高校だっけ?・・しかも中退だし、それに茂部くんの父親なんて行方知れずなのよ・・?宮沢の一族郎党から非難轟々は必至じゃない・・」
真理はそこまで言うと盛大な溜息をついて、どうしてこんな事態になったのかと非難する目で、信頼する相棒を眺めたが、再びため息をついて肩をすくませた。
「で、佐恵子と茂部くんは、今日はどこに行ったんだっけ?」
「・・・大正区にあるタグボート施設。あそこのオープンに合わせてストリートピアノが設置されるのよね。そこで支社長も一曲披露することになってる。仕事は午前中のそれで終わりだから、今頃はモブとの約束通りデートになってそろそろ昼食じゃないかな・・」
「あんな開けたフードコートや商業施設があるところでショパンって雰囲気でもないでしょうに・・。それより・・茂部くんとねえ・・。なにがどこでどう間違ったのかしら・・・?」
佐恵子のピアノの腕前を知る真理はやや心配そうにそう言ったが、それ以上に佐恵子と午後からデートする男のことで真理も頭を抱えて呻った。
佐恵子は、真理と加奈子にはついてくるなと厳命したので二人はさらに頭を抱えているのである。
「可愛がりにもほどがありますよ。・・支社長はただ目をかけているだけかもしれませんけど、モブのほうは・・・」
「ったく困ったモノね。佐恵子にしたって茂部くんの感情が見えて無いわけじゃないでしょうに・・・!豊島副部長に対する当てつけにしても悪趣味だわ。茂部くんにも悪いし、豊島さんにも酷だわ・・・」
「まあまあ、支社長は本当に今回のことは怒ってるんです。忙しさにかまけて豊島さんがデートに誘ったりするのを袖にし続けた支社長も悪いと思いますけど・・・。支社長は彼氏が風俗に行くなんて到底我慢できるはずがなくて・・」
「今となったら仕方ないわ。それより護衛よ。茂部くんだけじゃ心もとなさすぎるしね。佐恵子は私たちにはついてくるなっていったけど。彼女はそんなことお構いなしで追跡してるんでしょ?」
「こっそり尾行してるはず。・・・でもあの人全然連絡付かないんですよね」
「・・・でしょうね」
真理も諦めるような口調でそう言うと、籐の背もたれに身を沈めた。
あの人とはもちろん蜘蛛こと最上凪である。
極めて高い能力を持った彼女であるが、いまいち連携が取れないのである。
加奈子も連絡のないスマホを恨めしそうに眺めていたが、真理が口を開く。
「心配しないで。・・菊沢部長にも護衛を依頼してあります。もちろん佐恵子にはナイショだけど」
「えっ!?よく引き受けてくれましたね?!」
さすが真理!と思った加奈子だったが、菊沢宏が絶対に受けそうにない依頼を引き受けたことに驚きの声を上げた。
「快く引き受けてくれましたよ」
真理は、驚いた加奈子の顔を満足そうに見てから、にっこりと悪そうな菩薩の笑顔を向けたのだった。
「なんかけったいな仕事やねんけど・・」
宏は誰ともなしに、誰にも聞こえない小声で呟いた。
(最近スノウがやたら話しかけてくるええ機会や。この機会にちゃんと話しとかんと・・)
昨晩、酒の席の合間にスノウが化粧直しに席を立ったとき、真理が宏の隣に座って酌をしてきたのだ。
「少しお願いが」
久しぶりに帰還した関西支社の才媛の一人が、改まって申し出ると言うことは、重要なことか?と思ったが、当てが外れた。
明日一日、宮川支社長をこっそり尾行して護衛してほしいとのことである。
そんなことはいつも稲垣主任や最上主任がやっとるやないかいと、一度は断りの言葉をいれたのだが、真理は引き下がらなかったのである。
真理は、スノウが帰ってくる前にどうしても話を終わらせたかったらしく、口早に畳みかけた。
「部長は以前、任務の途中で私の胸を事故とはいえ見ましたよね?」
宏はうぐっと唸ると、あの時同様「すまん」と小声で詫びるが、真理は更に言う。
「怒っているのではないのです。その時のお詫びと言ってはなんなのですが、明日佐恵子の護衛をお願いいたしますね?佐恵子やモブにバレてはダメですよ?・・引き受けてもらえて肩の荷が下りました。お願いしますね」
真理は一方的にそう言い切ると、詳細を書いた小さく折りたたんだ紙を宏に渡したのである。
そして、戻ってきたスノウと入れ替わるように腰を上げると、言葉を継げないでいる宏の肩をにこやかな表情でポンと叩いて席を立ち去ったのだ。
宏は、返事をする代わりにミニバンの中で、高嶺の剣士の一人である大石穂香という女にファスナーを下げられた真理の姿を思い出していた。
「Dはあるな・・」
『・・ちょう・・、部長?見えてますか?聞こえてます?・・Dってなんです?』
ふいに頭に響く声に、とっさに意識を現実に戻す。
「い、いや、なんでもあらへんで?。見えてるし聞こえてる。そ、それにしてもスノウの聴覚視力を【共有】できる能力ってほんまに便利やな」
頭の中に直接響くスノウこと斎藤雪の声で我に返った宏は、平静を装って返事を返した。
その宏の脳には、音声だけでなく、映像として脳に直接視覚情報も送られてきている。
スノウが見聞きした情報を、スノウが【通信】と【共有】の能力を駆使して宏の脳内に直接送っているのだ。
頭のなかで響くスノウの声には張りがあり、尾行という秘密の任務を宏と共同で行っているという嬉しさが声のトーンの高さに現れていた。
『はい、いろいろなものを【共有】して【通信】できますよ。でもあまり離れないでくださいね。届かなくなっちゃいますから』
スノウはそう【通信】を飛ばすと、ピアノの背にある大きな柱から身を少しだけ出して様子を伺い、音と映像を送り続ける。
スノウは華奢な身体をゆったりとした白のセットワンピースで身体のラインを隠し、目深にかぶった黑のハンチングキャップに大きな丸いサングラスで顔の輪郭を隠している。
セミロングの黒髪は帽子の中でアップに結い上げて押し込んで、一見するとスノウとは見破られない程度の変装をしていた。
流石に元探偵事務所のスタッフと言ってもいい変装ぶりである。
スノウの目の前では宮川支社長がショパンのノクターン2番を弾き終わり、周囲から拍手を受け観客に向かって丁寧に頭を下げて、手を振っていたところである。
そのすぐ隣で、周囲を警戒して目を光らせているモブこと茂部天牙が護衛の仕事に精を出し過ぎて気張っている様子もうかがえた。
(っと・・支社長の視界に入ったらオーラを見られちゃうわ。モブ君は私に気づいていないわね。)
観客を見渡すように佐恵子が視界を動かす動きに合わせて、スノウは身を柱の後ろに縮める。
(それにしても・・・真理さん最高だわ。私にこんな話を持ち掛けてくれるなんて・・!)
真理は昨晩、美佳帆に鉄扇の作成を依頼したのだが、とっても高額だったため頭を悩ませていたのだ。
しかし真理は、斉藤雪も鉄扇を持っていると言っていたことがあったのを思い出したのである。
さっそく真理は、宴会の途中で、宏と離れるのを嫌がるスノウを連れ出し、事情を説明してみたが、スノウこと斎藤雪の反応は芳しくなかった。
スノウは二振りも鉄扇を持っているとさえ言っているのに、美佳帆さんからもらったものだし他人に譲るわけにはいかないと頑として聞かなかったのである。
そんなことよりも、めったにない宏との時間を失われるのがもったいない様子で、早く席に戻りたそうにそわそわしていたぐらいである。
しかし、真理は鉄扇と引き換えにある提案をしたのだ。
菊沢宏とコンビを組んで、気づかれないように佐恵子の護衛をしてほしいという任務と引き換えに、ほぼ新品の細雪という鉄扇を所望してみたのである。
細雪は見事な黒鉄の拵えで、抜群の逸品である。
高貴な黒の姿の細雪は、持ち手の要と中骨部分は違うが、扇面と親骨の片面と先端は鋭利な刃物となっており、もう一対の親骨の方は刃にはなっていない。
つまり扇でありながら、打ちと斬りが行える二面性を持った業物且つ、美術品としても一級品なのである。
細雪は、世界に数本しか存在しない菊沢美佳帆作の銘の一つなのだが、スノウはその条件ならばとあっさり首を縦に振ってしまったのである。
(このピアノ設置のセレモニーが終わったら、ピアニストたちを交えての懇談会の昼食・・、それが13時ぐらいに終わるから、それからは美術館、遊園地、そのあとはリーガルホテルのフレンチのお店を個室で予約してるって真理さん言ってたわ・・・)
スノウはそこまで頭の中でおさらいをして、視線を壇上へと戻す。
ストリートピアノにしては豪華すぎるグランドピアノの演奏には、ピアニストが数人招待されていたようで、今は二人目が演奏していた。
佐恵子は来賓用の椅子に座り、モブはその隣で立っている。
(・・・真理さん。支社長はホテルの部屋も予約してるって言ってた。フレンチのお店も、ホテルの個室も・・。でも、私と部長のお部屋も、支社長の隣の部屋を真理さんが手配してくれてる!もちろん支社長たちの護衛をこっそりすると言う名目だけど、部長と二人っきりでディナーにホテルに一泊だなんて・・!しかも部長と同じ部屋だなんて!や、役得だわ・・!人生の幸運のすべてをを今日ここで使い果たしちゃったんだわ!)
学生時代から恋慕し続けていたスノウの心情は、美佳帆、スノウ、アリサ、千尋の4人だけの秘密だったが、目の能力が戻った佐恵子にスノウの心情はあっさりと見抜かれてしまっていたのである。
そして必然的に、宏に対して妻である美佳帆よりも熱烈なピンクの感情を放ちまくっているスノウのことを、念のために佐恵子は真理に相談したことがあったのだ。
真理は、佐恵子に人の事情に首を出さないほうがいい、知らないふりをしていた方がいいと言ったものの、そんな面白そうな情報を真理が脳内のメモに書き忘れるはずがなかったのである。
スノウは油断すると緩みそうになる顔を、目深にかぶった帽子で隠す。
『部長。支社長たちが移動します。予定通り昼食をとるみたいですよ!私たちも怪しまれないように・・・ラ・・ランチをとりましょう!あくまで怪しまれないように・・こ・・恋人のふりなんかがいいんじゃないですか・?』
スノウは上ずりそうになる声を極力抑えて、宏に通信を送る。
処女でもなくバツイチですらある、もうすぐ36歳になろうとするスノウだが、恋心に年齢は関係がないと言われるのを体現している状態である。
『ああ、せやけど見られへんようにな。たぶんあのモブって子のテストも兼ねてんのやろしな。あんまり簡単に見つかったらテストにならんやろ』
暴走気味のスノウの発言をスルーして宏は極力平静を保って言うが、当のスノウは「どこがいいかしら」と宏と座る店を物色することに夢中になっていた。
そして宏は、この尾行の意図を真理や加奈子たちが、モブに課したテストだと勘違いしていたのである。
ただ単に、自分たちが付いてくるなと言われたから、真理は代わりの人選を宏とスノウに割り当てたのだ。
真理が適材適所だと思って配置した人員ではあるが、真理は面白そうなことになるかもしれないという期待は当然しての起用であった。
果たして、いつもの真理の悪だくみは、とりあえず意図した通り動き出したのである。
【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 4話 護衛任務と才媛の悪だくみ 終わり】5話へ続く