第9章 歪と失脚からの脱出 36話 鎮火された紅い炎
紅音は、先ほど黒装束の男に発射したものと同等の威力のある高熱の白熱大火球を放ったところで、驚き身と顔を強張らせた。
驚いた顔の菊沢美佳帆、焦った顔をしつつ先ほどの【霧散無消】という技能を放とうとしている霧崎美樹、その前に長い髪を靡かせ右目を黒く光らせた宮川佐恵子が火球を止めようと、紅音と美佳帆達のあいだに飛び込んできたからだ。
「えっ?!佐恵子?!っ無理よ!」
紅音はとっさに叫び、放った火球を解除しようとしたが、すでに手から離れてしまっては術者といえど、もはや止めることはできない。
白熱色の大火球は、紅音の込めたオーラ分の威力を内包したまま、美佳帆と霧崎目掛け放たれた勢いを失わず唸りを上げ突き進む。
「紅音!これ以上させないわ・・!」
肉体を極限まで強化した佐恵子は魔眼の右目を光らせ、大火球の軌道を逸らそうと身構えたのだ。
「避けなさいよっ!佐恵子!」
紅音は声を裏返し悲鳴に近い声で、何故そう叫んでしまったのか自分でもよくわからなかった。
霧崎美樹も美佳帆を背に隠しつつ、【霧散無消】を放つが、火球の威力のすべてを奪いつくすには、迫る火球の速度が速すぎた。
「くっ!消しつくせません!」
発射された時よりも火球はやや小さくなったが、着弾までに消しきれそうにないと悟った霧崎美樹は無念そうに短く唸った。
しかし佐恵子は、自身が大怪我をしてもこれ以上紅音に罪を重ねさせまいと覚悟を決め、両手を重ね、火球を弾き飛ばそうと振りかぶり肉体を強化していた。
「はぁああ!」
佐恵子が決死の覚悟で吼えた時、急に何者かに身体を抱きすくめられ振り回され視界が猛スピードで流れる。
「えっ?きゃああ!」
「はああああああぁ!」
とっさに叫んでしまった悲鳴は佐恵子自身の声で、ハスキーな声での咆哮は佐恵子にとっては聞きなれた声であった。
ぼぅんっ!
白銀の髪を靡かせ、佐恵子を抱きすくめ抱えたまま回転し、紅音の放った大火球を右脚の一閃で、遥か上空へと蹴り飛ばしたのだ。
弾かれた火球はそのまま朝焼けの雲を蹴散らし、雲の向こうに消えて見えなくなった。
「熱っつ!くうぅうう!・・」
「加奈子ぉっ!」
「・・佐恵子さん、遅くなって申し訳ありません・・!」
銀獣こと加奈子は、銀色に輝く髪のまま佐恵子を両腕で抱え遅参を詫びた。
「ああっ!加奈子っ・・!無事だったのね!電話が繋がらないからてっきり加奈子にもなにかあったのかと・・・でも、無事だったのですね。来てくれて助かったわ・・さすがに今のは死ぬかと思いましたから・・!」
佐恵子は抱えられたまま加奈子にそういったが、加奈子は佐恵子ににっこり笑顔を向けてから、すぐにキッと紅蓮こと緋村紅音を睨み上げた。
しかし、当の紅音も火球が弾き飛ばされ逸れたことになぜか安堵した様子で、手錠された両手を床についてガクリと崩れ落ちてしまった。
加奈子は紅音のその様子に「ん?」と眉を顰め訝しがるも、紅音らしくないとは言え紅蓮の動きを注視し油断なく構えた。
しかし、その紅音の様子を好機と察した霧崎美樹は、オーラを霧散させる技能を展開させたまま、紅音との距離を一気に詰め、一瞬で紅音を押し倒し床に組み伏せたのだ。
「きゃあ!・・っ痛ったいわね!もう抵抗しないわよ!!痛っ!痛いったらっ!霧崎っ・・!・・ちょっ!このデカ女!!」
「デカくありません!あなたが小さいだけです!」
少し気にしていることを言われたのか霧崎美樹はそう言い返すと、紅音を膝で地面に組み伏せ、抵抗しないと悪態をつく紅音の言をもはや信じる気もない様子で、容赦なく地面に押し付けている。
「紅蓮のオーラを無力化してる間に拘束して!はやくっ!」
「承知しました!」
霧崎と紅音の体格差はずいぶんと有り、豊満だが、がっちりした筋肉質な霧崎に、小柄で華奢な紅音が地面に押し付けられているという図である。
そこに霧崎の指示に勢いよく返事をした警官隊員たちが殺到しだした。
霧崎美樹に抑え込まれた紅音は今度こそ完全に拘束されだし、赤く艶のある巻き毛は床を這い靴で踏まれている。
大勢の警官たちに膝や脚でのしかかられた小柄な紅音は、耐えるような小さな悲鳴を上げ、悔しさに滲んだ顔を歪め屈辱と痛みに耐えているように見えた。
「あ、紅音・・」
そんな様子の紅音と目があった佐恵子は、抱きすくめている加奈子だけに聞こえる程度の声で思わず幼馴染であり先輩でもある名を呼んでしまっていた。
「・・・佐恵子さん・・。紅音に同情しちゃダメです。あいつは私や真理も・・メガネ画家まで殺そうとしたんですよっ!美佳帆さんたちだって・・たった今まで・・死線の上を綱渡りしてたはずなんです!支社だってこんなめっちゃくちゃに・・」
佐恵子の心境を知ってか、加奈子が嗜めるように佐恵子の耳元でささやく。
「そうね・・。みんなわたくしのせいですわ。・・わたくしの力が及ばないせいで・・紅音をここまで暴走させてしまったのです・・」
「佐恵子さんのせいじゃありません・・」
政敵とは言え幼馴染の紅音が、オーラを封じられ力づくで拘束されている様子に佐恵子は同情を滲ませたが、加奈子の心境は微妙だ。
地面に押さえつけられ、霧崎美樹の【霧散無消】を照射されっぱなしの紅音は、武装警官たちに乱暴に抑えつけられ、背中や脚、さらには頭にも膝を乗せられ体重をかけられて、床に顔を押し付けられて苦しそう歯を食いしばり、目を固く瞑って耐えている。
すでに身体の前で戒められていた手錠を解かれ、再度、背中側に両手を捻りあげられ厳しく戒められたうえ、さらに念には念をということだろうか、指錠までも嵌められだしたのだ。
「ちょっ!そんなことまでしなくても動けないって!・・痛っ!・・て、抵抗しないって言ってるでしょ!ちょっ!痛い!!もうっ!痛いってばあ!乱暴にしないでよぉ!指錠とか肉を挟んでるからっ!痛いって言ってるじゃないっ!」
手を後ろ手に手錠されたにも関わらず、更に厳しく戒められだした紅音は再度声を上げて抗議し出した。
霧崎美樹の【霧散無消】を至近距離で照射されっぱなしの紅音は、得意技の炎はもちろん肉体強化を行うことも全くできない。
見た目通り華奢で小柄な女並みとまではいかないが、いまの紅音は純粋な筋力でしか力を出せていないのだ。
しかし、先ほどまでオーラを纏った紅音の猛威を目の当たりにし、実際にその技を受けた武装警官たちは紅音に容赦はなかった。
「足も拘束しろ!どんな能力を使うかわかったもんじゃないぞ!」
「痛いつってんでしょお!?今はあの爆乳のせいで使えないわよ!あなたたち上司の能力も知らないの?!・・重いっ!ううぅ!!きゃっ!どっ!どこ触ってんのよ?!止めっ!脚を触るな!痛いのよお!もうぅ!き、霧崎!私は能力使えてないのよぉ!わかってるでしょ?!こいつら止めさせてぇ!」
警官隊員たちにもみくちゃにされ、紅音が着ていたジャケットは破れて床に落ちており、ブラウスのボタンははだけ、タイトスカートもスリットから腰の部分まで縦に破れてしまっている。
紅音の身につけている赤いブラとショーツが、ブラウスとスカートから覗くと警官隊員たちの心の何かに少しずつ点火しだしてしまったのだ。
先ほどまで人外と思える膂力で自分たちを蹴り飛ばし、銃弾さえもほとんど炎と業風で弾き飛ばした超人である紅蓮が、今では単なる女になり、見た目通りの華奢な身体では自分たちを跳ね退ける力が無いことに、妙な高揚感を覚えだしたのだ。
霧崎美樹は紅音の言い分を聞きながらも肩や脚にある銃創を最低限の治療で失血を止めただけで、警官隊員たちを制止はしない。
「ち・・治療よりもこいつら止めさせてよ!・・重いわっ!わ、私はオーラで肉体を強化してなかったら、素の力はそんなに強くないのよぉ!いっつも普段から肉体は強化してるだけなのよ!だからっ!いまは・・!・・・く・・苦しいのよぉ!」
悲鳴どおり、紅蓮と言えども能力が使えなければ、自分たちの力でも抑えつけられると分かった警官隊員たちの心情に、嗜虐心が混ざりだしているのを霧崎もわかっていた。
しかし、霧崎は紅蓮を今度こそ完全に無力化させるのを優先し、公務員にあるまじき部下たちの少し行き過ぎた行為に少目を瞑ることにしたのだ。
武装した屈強な警官隊員たちに何人も身体の上に乗られ、後ろ手の手錠と足首も同じく施錠されだした。
「くっ・・くそ・・・こんな格好っ!・・私にこんな・・ただじゃ済まさないわよっ!霧崎ぃ!・・お前なんかどうにだってできるのよっ!?」
うつ伏せにされ、破れたスカートから覗いているであろう自分の下着をせめて隠そうと膝を閉じようとするが、先ほど紅音に蹴り飛ばされた警官の一人が紅音の足の間に座り込み両足首の施錠をしだしたのだ。
先ほど紅音に蹴り上げられた警官の一人は、わざと紅音の膝が閉じられないようにして膝の間に割って座り込み、地べたに這いつくばっている紅音の形の良いヒップがよく見える位置で見下ろしゆっくりと足首に施錠しだす。
警官隊たちは一様にフルフェイスのヘルメットをかぶっているため、表情は読み取れないが、ヘルメットの下の顔の口元は緩んでいただろう。
真っ赤な下着に包まれたヒップを隠すこともできずに歯を食いしばり悔しがっている紅音の無防備な股間に、下着ごしとは言え乱暴に靴のつま先がめり込むほど押し当てられている。
「こっ・このっ!こんなの許せない!・・いい加減にっ!・・きゃっ!?」
恥辱から顔赤くした紅音は、うつ伏せのまま顔を上げ後ろの男の顔を確認しようとしたとき、髪の毛を掴まれて頭に黒い布をすっぽりと被せられ、素早く首のところで括られてしまったのだ。
「もういい!これだけ拘束すれば大丈夫でしょう・・連れて行きなさい!」
紅音に【霧散無消】を十分施した霧崎は、額の汗を手の甲で拭いながら、ようやく部下たちに指示を出した。
腰のところで両手と両脚を戒められた紅音は、赤いショーツが丸見えになった格好で二人の警官たちに持ち上げられ、袋をかぶったままの無残に戒められた格好のまま連行されて行ってしまった。
「ふん・・。ざまあ・・だわ」
銀髪でなくなった加奈子が、顔に袋を被せられ、何かを喚きながらも、担がれて連れていかれている紅音をみて一言そう呟いた。
「・・・」
加奈子のセリフに佐恵子は何も言えずに目を伏せていたが、加奈子がその表情をみて口を開く。
「悩み過ぎですよ佐恵子さん・・。紅音は昔から嫌なヤツでした。同情の余地なんてありません。それにあいつが今日やったことは許されることじゃないです。私や真理や美佳帆さんたちまで、あいつはみーんな殺すつもりだったんですからね!あいつに同情なんてしちゃいけないんです!・・・本社も今回ばかりは紅音にキツイお灸を据えてくれるのを期待します・・でないと・・」
私が許さない。という雰囲気の加奈子のボルテージが上がりすぎないように、佐恵子は口を開いた。
「そうね・・。そのとおりだわ・・。加奈子の言う通りよ。でも・・加奈子ありがとう・・来てくれて。おかげでせめて紅音に殺人をさせずに済みましたわ・・。わたくしだけでは到底、紅音を止められませんでしたから・・加奈子が来てくれてなければ、私もどうなっていたか・・」
「い、いえ・・えっと・・私こそ、遅くなってすいません。で、でも、佐恵子さん達が無事でよかったです。・・あっ!・・佐恵子さん!ずいぶん髪が燃えて縮れちゃってますね・・せっかくの綺麗な髪だったのに・・」
加奈子はまさか行きずりの男との情事が良すぎて気を失って着信音に気付かなかった、などとは言えず、少ししどろもどろ気味になるのを誤魔化すように、熱で縮れた佐恵子の髪の毛を手にしてそう言った。
佐恵子は香奈子の様子に気付いた様子もなく「そんなのいいのよ」と言いつつ、霧崎に手を貸してもらって立ち上がろうとしている美佳帆のところに歩き出した。
「美佳帆さま!よくぞご無事で」
「無事~ってことないけど生きてる。はははっ・・とんでもないヤツだったけどなんとかなったわね・・・。みんなのおかげだけど・・。まったく・・宮コーにはあんなのがいたのね。今回ばっかりは本気で死ぬと思ったし、私ももっと精進しなくっちゃって思い知らされたわ。・・4人ならもっと戦えると思ってたのに・・」
駆け寄り二人は手を取り合って無事を喜びあう。
「あの紅音相手によく生きのびてくれましたわ。美佳帆さま・・本当によく持ちこたえてくれました・・。美佳帆さまたちをこんな危険に晒してしまったのはわたくしの失態ですわ・・。ここまで大胆な行動をとらないと・・紅音のことを甘く判断してしまってました・・」
「ま・・私たちもなんとか無事だったし・・支社はめちゃめちゃでこれから大変そうだけど・・問題はこれから・・よね?・・宮川さんはどうするの?」
火傷やキズは霧崎捜査官に癒してもらったのだが、ススだらけなのはどうしようもない。
美佳帆はススで汚れた顔を神妙にさせて、佐恵子の返答を待った。
「・・・本社に行きますわ・・。目が使えないからなどと気弱になってました・・わたくしらしくもない・・。本社に・・お父様と叔父様にわたくしを宮川コーポレーション関西支社長に戻すようにと言ってまいりますわ」
美佳帆が何を言わんとしているのか察した佐恵子は、ふぅと軽く息を吐き出してから、静かな声ではあったが、はっきりとそう言った。
「そうよね。そうこなくっちゃ!私たちを宮コーに誘ったのは宮川さんなんですからね。宏だって口では、なんだかんだ言っても宮川さんには期待してるみたいだし・・、私としても、宮川さんには今日の危険手当や損失分・・深夜残業に必要経費もばっちり見てもらわなきゃ・・・、それに・・これからもちゃーんと稼がせてもらいますからねっ!?」
「まあ!・・ふふっ・・美佳帆さまったら・・」
「ここだけの話・・紅蓮は支払いのほうもなかなかシビアでさあ・・だから、宮川さんにはまた期待してるのよ?」
手の甲で口を隠すようにして、顔を近づけてペロリと舌を出し、悪戯っぽい顔でそう言った美佳帆に、破顔した佐恵子は美佳帆の顔の前に人差指を立てた。
「う~~んと働いていただきますからね!」
佐恵子はそう言うと珍しく声を立てて笑い、美佳帆もススで汚した顔で同じく声を上げて笑う。
「また佐恵子さんのことを支社長って呼べるようになりますね!」
そう言うと加奈子も二人に合わせて笑った。
半壊した宮コー関西支社の屋上近くのフロアで、登る朝日を浴びながら3人は大いに笑ったのだった。
【第9章 歪と失脚からの脱出 36話 鎮火された紅い炎終わり】37話へ続く