【第8章 三つ巴 48話 緋村紅音】
驚いた表情のまま二の句が継げないでいる佐恵子の様子を、紅音は満足げに眺めると、やや巻いた赤髪を右手で人撫でしてから鼻で笑う。
「納得できないの?・・佐恵子あなた自分がやったこと自覚してる?湾岸計画整備の2か月の遅延、橋元不動産という地元民間企業とのトラブルでの警察沙汰。霧崎美樹っていう公安の女が本社に何度も聞き取り調査にきてるのよ?マスコミもいつも宮コーの味方ってわけじゃないわ。彼らは上がっているものがあれば落とす習性があるのよ?スキャンダルがあればすぐに駆けつけてくるのわ。それに、彼らを黙らせるのだってタダじゃないの。わかってる?いくら何でも看過できないと役員会が判断したから私が来たんじゃない」
いまだ念動力の金縛りで動きを封じられ、病院の床に座り込んだ格好でいる宮川佐恵子にやれやれと肩を竦め、勝ち誇ったような口調で愉快そうに捲し立てた。
「ま、待ちなさい!それだけでそのような決定乱暴すぎますわ!」
栗田教授が念動力を解除すると、身体が自由になった佐恵子はギロリと栗田を一瞥したが栗田には何も言わず、すぐに紅音に視線を移し、紅音に聞き返す。
佐恵子に睨まれた当の栗田は、佐恵子の視線を全く無視して宏に何事か目配せをすると、スタスタと真理の駆けて行った方向に速足に歩き去ってしまった。
師匠の目配せに頷き、肉食系の獰猛な女同士が牙を剥き合いだした様子を横目に、菊沢宏は、無言で飛ばされたサングラスのところまで歩き拾い上げグラサンを掛けると、少し離れたところで壁に背を預け二人を傍観することに決めたようだ。
その宏の側にスノウも続き、壁にもたれてはいないが宏にピタッと寄り添って宏と同じく、獰猛女子同士の様子を伺う。
「待ちなさいですって?相変わらず口の利き方を知らないわね。来月からは私が栄えある宮川コーポレーションの関西支社長なのよ?対外的な目もあるんだから口の利き方に気を付けてもらいたいわね」
「・・くっ・・。まさか本当に本当ですの?」
このような嘘を付くはずがないと分かっていつつも、佐恵子は聞き返さずにはいられなかった。
「残念ながら本当よ。あなたは降格。くすっ・・。・・それとも、そのくそったれな目で真贋を確かめてみる?まぁ・・、出来ればの話だけど!?」
そう言うと紅音は佐恵子に向かって右手を付きだし、手の甲をみせるようにして指を自身のほうに倒して手招きして挑発した。
佐恵子のパッシブスキルですでに【感情感知】は展開中であったが、通常運転では紅音の防御思念を突破できてはいない。
「言いましたわね!・・・吐いた唾は飲めませんわよ?・・丸裸にしてあげますわ!」
降格と伝えられたことにより困惑の表情になっていた佐恵子だが、紅音の尊大な態度での挑発に佐恵子は、迷いなく目に力を蓄え黒い光を纏う。
紅音の感情を読み取ろうと発動していた【感情感知】を更に精度を上げて紅音を凝視する。
「やってみなさいよ!味方同士じゃ能力使うの御法度だけど、感情感知ぐらいなら大目に見てくれるんじゃない?!でも、嬉しいわ!これで優劣が解るわね?!佐恵子ももっと早くこうしたかったんでしょ!?」
佐恵子の思念を跳ね退ける自信があった紅音だったが、魔眼に抵抗できなかった場合のことがどうしても不安を掻きたてられる。
傀儡にされるか、頭の中を隅々まで読まれ情報を全て知られてしまうかもしれない恐怖に震える心を全力で鼓舞し、紅音は素早くさらに強力な防御思念を展開する。
紅音は(はな)や丸岳そして、ほぼ取り込んでいるが松前や紅露にもどちらに着いたほうが得か、目に見える形で見せつける必要があると考えている。
宮川佐恵子を上回らなければ宮川コーポレーション内では、これ以上はのし上がってはいけない。
社内で紅音と佐恵子の不仲は、まだ表向きは噂程度でしか囁かれていないが、社内の能力者たちや幹部連中には確定情報として知られてしまっている。
紅音ほどの逸材だからこそ、佐恵子と反目していても宮川コーポレーションである程度のポジションは確保できた。
しかし、それ以上のポジションを望むには、目の前の七光り女を目に見える形で打ちのめす必要があり、ただでさえ社内で善政を敷いて人気の高い宮川家の一族を押しのけるには、自身の最も頼りとする能力、力で示し味方と賛同者を増やすしかないと思っている。
紅音は自分なりの信念を克己し、覚悟を決めて佐恵子の魔眼による本気の【感情感知】を正面から受けとめる。
佐恵子は目の周りに血管が浮かぶほど力を込めてオーラを込め、紅音が嘘をついていないのは認知できた。しかし、佐恵子は表面感情だけでなく紅音と紅音を支援している背後関係まで看破しようと更に力を強める。
「さ、さすがに・・魔眼ね!・・でもそれがなければあんたなんて・・!」
強まる佐恵子の黒い光に晒された紅音も、負けじとオーラを放出する。
紅音の周囲を紅い炎のような揺らめきのオーラが纏う。実際に熱を孕んでいるかもしれいが、紅く揺らめくオーラの中で紅音は全力で佐恵子の魔眼による干渉を排除しようと力を込める。
はな、丸岳、松前と紅露が二人のオーラの放出に、危険を感じたのかその場から数歩下がり身構える。
「佐恵ちゃん・・・紅音ちゃん・・お互いやりすぎたらあかんで?」
「これはこれは・・、なかなか見れるものではないですな」
紅音の取り巻きの(はな)と丸岳の2人が、紅音と佐恵子のオーラのぶつかり合いを、安全な位置まで距離をとりつつ眺めながら口々に感想を漏らす。
院内のブランドがガチャガチャと揺れ、窓ガラスも割れてしまうのかと思うぐらい震えている中、佐恵子のほうが先にうめき声をあげる。
「く・・!っくぅ・・!・・そ、そんなことが・・!」
佐恵子は額に粒状の汗を浮かせ、顔を真っ赤にして全力で放っている力でも、紅音のオーラが貫通しきれそうにないことに焦り声を上げたのだ。
佐恵子の強烈な思念波による干渉を、全力で抵抗しきった紅音は、息をきらせて、額に汗を浮かべつつも、無理して余裕を感じさせる表情で続ける。
「はぁ!・・はぁ!・・・げほっ!・っふ、ふふん!やった!やったわ!・・はぁ!はぁ!・・げほっげほっ!・・見せて・・あげないわよ・・覗き女め!・はぁ・・!はぁ!・・でもなぜ、一番に自分のところに報告が上がってこなかったのか教えてはあげる!」
佐恵子自身も息を切らせ、肩で息をしているが、力を弾かれ、困惑と不安の色が先ほどよりより濃くなった表情の佐恵子に、紅音自身も肩で息をして額には大粒の汗を浮かべているが、無理して腕を組んだ状態で髪を弄びながら愉快そうに補足した。
「紅露部長、松前常務。来てください」
完全に勝ち誇った態度で紅音が二人を呼ぶようにして声を上げると佐恵子は僅かに全身をびくりと震わせ、全てを悟り表情を強張らせた。
「・・・ばかな・・、わ、わたくしの・・まさか?!」
かすれた声で佐恵子はそう言うと、近づいてくる足音のほう、紅音の後方に目を向ける。紅音の後方で困惑の表情をしている(はな)や不敵な笑みを浮かべている丸岳の更に後ろから、細身と巨漢の影が革靴の音を鳴らせてゆっくりと入ってきた。
「支社長。何時ぞやはお世話になりましたなぁ」
「おいおい紅露君。彼女は来月から支社長じゃなくなるんだよ。総務部長代理・・君の部下になるわけだ」
「げはははは、そうでしたな。これで宮川お嬢様も俺より職位が下ということですなあ」
細身中背で50代半ばを少し過ぎただろうと思わせる松前常務と、190cm以上の身長で、100kgは超えてそうな巨漢の紅露部長が紅音の両脇をかためるようにして佐恵子の前に現れた。
紅音はカツカツとヒール音を響かせて佐恵子に近づき、佐恵子の前でしゃがんで、心底嬉しそうな顔でほほ笑んだ。
「佐恵子、あなた松前さんと紅露さんに目を使ったわね?味方に攻撃をしたでしょう?」
すでに床に座り込んでいる佐恵子からは、しゃがみこんできた紅音のタイトスカートの隙間から覗く真っ赤のショーツが丸見えであるが、もちろんそんなことに気のない佐恵子は無視して紅音に言葉を返す。
「そ、・・それは、そちらの二人から仕掛けて・・」
【感情感知】というパッシブスキルと言えど全力で放出した疲労から、息も絶え絶えに答える佐恵子の目は敗北感で泳いでいた。
「あらぁ?そんなこと立証できるの?・・出来ないなら、この状況でそんな言い訳を言うのは賢い選択とは言えないんじゃない?」
「く・・」
「あなた気絶かオーラを使い切るかしなかった?・・あなたの力が弱まった時に二人は自力で解除に成功したのよ?その時からあなたは泳がされていたってこと」
「お、叔父様に釈明させてください!・・あれは両名が私に対して監視を理由に狼藉を働こうとしたから、抵抗した結果ですわ!」
「まだ言うの?役員たちを納得させられる証拠でもある?それに、仮にもし狼藉されたから抵抗したんなら、どうして目を使って操ったままなの?なんで二人を操ったままの状態にして(はな)を呼ばせたの?そういう事があったのならすぐに本社に報告すべきじゃない?佐恵子・・あなたが何か後ろ暗いこと考えてたからじゃない?」
「嘘じゃないですわ!叔父様の魔眼でわたくしの記憶を解析すれば証明できますわ!」
「もう遅いって言ってるの。社長の命令があったから私が来てるんだし、さっきの辞令なのよ?社長はあなたにとってもご立腹だわ。ひとまず降格というご判断だけど、佐恵子あなた随分好き勝手やってきたからね。社長も快く思ってないわよ?これからのこと覚悟してたほうがいいと思うわ。松前常務や紅露部長は社長の信任も厚くて、佐恵子のお目付け役として社長が選んだ人たちなのは知ってたでしょ?その二人を傀儡にしておいて報告しないっていうのはさすがに言い訳できないんじゃない?」
紅音は佐恵子から自ら晒したショーツが見えていることを自覚はしていたが、佐恵子の反応で思った通り佐恵子にレズの気がないようだと分かった。
もしその気があるなら、死んだ方がいいと思うような屈辱を味合わせてやろうかと思っていたので少し落胆したが、佐恵子が狼狽し言葉に詰まり、追い詰められていく様を間近でみているうちに、違う性癖の部分が紅音の下腹部をチロチロと淫靡な火が溶かし出し、赤い下着をより濃い赤にしてしまいそうになる。
一方佐恵子はそれどころではなく、紅音の脳裏で渦巻くドロドロの感情を完全に読み切れずにいた。
確かに紅音の言う通り、このような重大なことを佐恵子に何の連絡もなく決定したということは、叔父が相当に怒り心頭だということだと分かりつつも佐恵子は、自分自身の迂闊さに舌打ちをする。
そもそもあの二人の人選の時から紅音は口を出してきた。真理や加奈子を同行することについても反対をしていた。
「・・紅音・・。最初から仕組んでましたわね・・?」
「呆れた。人聞きが悪い。今度は私のせいにするつもりなの?」
「紅音・・なぜわたくしをそんなに嫌いますの?・・最初は門谷さんや加奈子、真理も関西支社に連れてこようとしたときも、色々邪魔したじゃない・・」
知らないふりをする紅音を無視して佐恵子は続ける。
「ふん。何のことかしら・・?・・それより明日8時に支社長室に来なさいね。今後のことを詳しく説明してあげます。すでに予定が入ってるみたいだからそれはこなしてもらいますからね」
「・・・わかりましたわ」
「聞き分けが良くてよかった。では皆さん今日は解散です。・・・それと・・菊沢部長?9時に私のほうから5階でしたかしら?調査部に伺いますからお時間空けておいてくださいね」
紅音は僅かに上気させた表情でそう言うと、項垂れてしおらしく返事を返す様子に紅音は満足そうに頷いて立ち上がり、クルリと踵を返して、取り巻きを引き連れ病院から出て行った。
すでに後手に回り、不利な状況であることが佐恵子はようやく状況がわかってきたようで、紅音たちが去った後も、無言で床に座り項垂れたままである。
「スノウ、美佳帆さんとアリサの様子を見てきてやってくれや」
病院の待合室の床にへたり込んだ佐恵子を見ながら宏はスノウに声を掛けた。
「え?所長は美佳帆さんのところ行かないの?」
スノウは宏の声に驚いたように振り返り聞き返す。
「俺はもう病室には一回行ってきたんや。それに命に別状はないし美佳帆さんをここまで背負って帰ってきてたからそれまでずっと一緒におったからな。スノウはまだ会うてないんやろ?」
「ええ・・・、さっきのあの方達の車で送ってもらいましたから」
「緋村紅音か・・」
「知ってるんですか?」
「・・いや、今日初対面や。・・それより行ったってくれ。後で俺も行くから」
「わかったわ」
宏は佐恵子のほうを見ているわけではないが、項垂れた佐恵子を気にかけているのかもしれないと気を利かせたスノウは短くそう答えると、階段のほうに駆け一度宏に振り返り手を振ると、佐恵子を一瞥したが項垂れた佐恵子とは目が合わなかったのでそのまま階段を駆け上がって行った。
佐恵子に思い切り殴られたせいでフレームが曲がってしまったのか、ややおさまりが悪くなったサングラスを不快気に持ち上げなおしながら、宏は佐恵子の近くまで行き膝を落した。
「・・・肩かしてやるから稲垣さんのとこまで行くで」
宏は普段と変わらぬ口調と表情で佐恵子に言う。
「・・菊沢部長?」
佐恵子は、無表情で記憶している声色の人物の名を口に出し顔を上げる。
「・・・アリサと画伯は軽傷や。まあ、美佳帆さんも怪我という面では軽傷や。・・・・神田川さんが稲垣さんとこ向かったあと師匠も向かってくれたみたいや。師匠の治療はしゃれにならんすごさやからな。俺も師匠の治療のおかげで何回も助けられとる。・・・だから、まだええ加減なことは言えんが、望みはあるんや。今あんたが直接稲垣さんにできることは無いかもしれんけど、稲垣さんはあんたの為に頑張ってたんやと思うで?あんたが行ってやらんとあかんのと違うか?」
虚ろな目をして見上げていた佐恵子の目に、宏の今の言葉で生気が戻ったように見えた。
佐恵子が左右に首を振り、自らの頬をピシャリと両手で叩くと佐恵子は宏に視線を戻した。
急な状況の変化で考えるべきことが増えたが、今はこの男にそう言わなければならないと思い佐恵子は素直にそう言った。
「・・・ありがとう。・・・・殴ってしまってごめんなさい・・・」
後半は声が小さく聞こえなかったのかもしれないが、宏は佐恵子の言葉を聞くと何も言わずに立ち上がり、背を向け歩き出した。
(あ、あら・・?・・・肩は貸してくれるわけではないのですね・・。いえ・・それは少し、わたくしが厚かましいというものですわ・・)
前を歩いていく宏の大きな背中を見ながら、佐恵子は少しだけ普段の自分を取り戻しているのに気が付いた。
【第8章 三つ巴 48話 緋村紅音終わり】第49話に続く