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第10章  賞金を賭けられた美女たち 31話 哀れな2流能力者の末路

第10章  賞金を賭けられた美女たち 31話 哀れな2流能力者の末路

真理はよろよろと覚束ない足で立ち上がり、窓の外に目を向ける。

正面にいる男が、抱えた和柄ジャンパーの男を部屋のソファに座らせている様子に注意しながらである。

今夜は月が出ていたはずだが、窓の外には月が見えるどころか外ですらなかった。

窓の向こうには円筒にちかいタマゴ型の部屋が、薄緑色の強い光量でその部屋内を照らしている。

その空間は見下すと円形の床があり、見上げると緩やかなカーブを描いた円錐に近い形の大きな部屋で全体の形はタマゴの形と言っていいだろう。

真理達がいる部屋は、そのタマゴ型の部屋をぐるりと囲んだ部屋の一つである。

タマゴ型の部屋はおそらく闘技場で、真理達がいる部屋は観戦席であろうことが推測できた。

だた、8つある観戦室に観客はおらず、いま階下で戦っている者たちを観戦するものはいない。

真理は、正面の男たちから警戒を切らずに、視線を階下へ落とすと円形状の床のほぼ中央に、男女が絡み合っていた。

真理はその意外な状況に目を見開く。

(な、なにやってるのよ?!さっきは完全に圧倒してたでしょ?!張慈円より高嶺弥佳子のほうがパワーもスピードも勝ってたはずなのになぜ・・?どおりで全然こっちに加勢にきてくれないわけだわ)

真理は高嶺弥佳子が落とし穴に落とされたせいで、一瞬の不覚を取り、張慈円に遅れをとったが、すぐに圧倒しかえすと思っていた。

しかし、弥佳子の形勢は信じられないぐらい悪い。

弥佳子は袖に自身の履いていた刀を二本とも鞘ごと通され、案山子のように両手を広げ垂れて拘束された格好で、仰向けに倒されていた。

そして、張慈円は弥佳子の背後から羽交い絞めにしていたのだ。。

弥佳子が手加減をして遊んでいるわけではないことが、弥佳子の必死の表情から伝わってくる。

(くっ!なにやってるのよ!?)

張慈円は案山子の格好で、張慈円に羽交い絞めにされ、両脚で弥佳子の脚が広がるように絡み付け、そして左手で弥佳子の豊満な胸を鷲掴みにし、揉みしだいている。

さらに張慈円の舌は弥佳子のうなじを這い、張慈円の右手には家電製品である凶悪な道具が握られていた。

本来の使い方をされることがほとんどない家電製品。

電気マッサージ機である。

張慈円はその先端を、弥佳子のめくれ上がったスカートから覗く濃紺のショーツに押し当てているのだ。

自分の武器である銘刀を使われて無様に拘束された弥佳子の表情は、先ほどまで不遜さが漂う雰囲気は感じられない。

うなじに這う張慈円の舌の感触を嫌う表情も演技には見えない。

既にかなり長い時間当て続けられているのであろう濃紺のショーツの中央部はより濃い色に染まっていた。

弥佳子は仰向けで、背後に張り付いている張慈円を何とか引き剥がそうともがいているが、目を吊り上げ不気味に口角をあげる張慈円は、その抵抗すら楽しんでいるようである。

真理は、弥佳子がいかに鍛えこんでいるとはいえ純粋な膂力であれば張慈円に劣るかもしれないとは思う。

しかし、オーラも上乗せした力比べであれば、張慈円すら上回るのではないかと思っていた。

だが弥佳子は、自分の武器である刀を奪われたうえ、それで両手を封じられ、背後から羽交い絞めにされて股間に電マを当てられて、口惜しさと焦りと込み上げてくる快感で顔を歪ませて、張慈円を振り解こうともがいていたのだ。

(なんてこと・・!何かあったんだわ・・!)

パシャ!

再び真理がそう思った時、正面から機械音がした。

(くっ!しまった!)

真理は音がした正面に慌てて顔を戻す。

そこには黑コートの男が階下にスマホを向けてシャッターを押したところであった。

真理がしまった!と思ったのは、弥佳子の女としての痴態を撮られたから、というわけではない。

敵を目の前にしていたというのに、状況の意外さに硬直してしまい、黑コートの行動に反応できない自分の油断に対しての反応であった。

「たいした機材がないが、一応な・・。アイツと高嶺弥佳子のこの画像があれば何とか面目も保てるというもんだぜ」

黑コートはそう言ってもう一枚弥佳子に向けてシャッターを切ると、真理の方へと向きなおった。

「・・クズね。そんなの撮って情けない人だわ」

真理は憔悴した顔ながらも、冷ややかに吐き捨てた。

弥佳子が痴態をとられたことに特別憤慨したというわけではない。

しかし、自分が仕留めた相手ではない女の痴態を盗撮する行為に対して、その男に端的な不快感をあらわにしただけの言葉であった。

「へっ・・」

黑コートは真理の棘のある言葉と、ゴミでも見るかのような視線を浴び、多少バツが悪かったのか、それ以上シャッターを押すのを止め、自嘲気味に笑ってスマホをしまった。

(言われてやめるぐらいならやらなきゃいいのに・・・。チンケな小物ほど、不釣り合いなプライドはあるものよね)

真理の痛烈な罵倒は、心中に収まったが、真理が黑コートを見る目つきはなお悪くなった。

真理には知る由もないが、そのスマホには、先に甚振っていた千原奈津紀の痴態データがたくさん入っている。

その撮影を真理が知っていたら、その目つきはもっと辛辣になっていただろう。

黑コートは、先ほど遭遇した高嶺六刃仙の二人に、千原奈津紀を取り返されはしたものの、奈津紀の痴態は大量に撮ったうえ、今また高嶺の頭領たる高嶺弥佳子が電マを当てられて、ショーツを濡らしている場面をも抑えたのである。

「千原奈津紀の身柄は高嶺に奪われたが、いきなりの六刃仙二人での奇襲だ・・。ボスも許してくれるだろう」

黑コート男は下卑た顔で、小物臭のきついセリフを吐いた。

そして、高額賞金首二人を自分の手柄でもないくせに、痴態を手に入れたことで勘違いを起こしだした。

自分が千原奈津紀と高嶺弥佳子を倒したわけでもないのに、不利な相手をみて増長したのだ。

気が大きくなった黑コートは、正面にいる神田川真理をも獲物と決めつけて、目を血走らせだしている。

5億近い千原奈津紀や、10億近い高嶺弥佳子に比べれば、2億そこそこの賞金首である神田川真理などは、簡単に手籠めにできるとでも思ったのだろう。

だが、千原奈津紀も高嶺弥佳子も、黑コートこと佐倉友蔵が独力で圧倒したわけではない。

今しがたも、六刃仙の一人である大石穂香相手に、和柄ジャンパーことスティッキー・ロウとう中国系アメリカ人の同僚と二人がかりで襲い掛かったにも関わらず、指一本触れることができず、ずたずたにされたのだ。

黑コートこと佐倉友蔵の能力は、和柄ジャンパーことスティッキー・ロウと二人がかりで発動する【転移】だけではない。

自身に与えられたダメージを、決めた対象に分散させて負わす能力【謬冤の呪い】なる呪詛技能を持っており、その対象として千原奈津紀に貼り付けていたのであった。

その技能の特徴としては、佐倉友蔵に与えられた攻撃は、対象者へと還元する。

しかし、純粋な肉体的ダメージとして反映するわけではない。

痛みはあるが、削るのは精神力である。

対象人物の精神力が持つ限り、術者である佐倉友蔵自身も、痛みは伴うものの死ぬことはない。

呪詛を貼られた対象も、痛みで精神力を削り取られはするが、死ぬことはない。

精神力を削り取られ切ると気を失い昏倒してしまうのである。

呪詛を貼り付けられた対象がそうなったところで、術者にようやくダメージが入るようになるのであった。

佐倉友蔵が大石穂香の剣撃で死ななかったのは、千原奈津紀という強靭な精神力を持った人物にその【謬冤の呪い】なる呪詛を貼り付けていたからであった。

しかし、たった今呪詛は外れた。

どうやらついに千原奈津紀が気を失ったようである。

黑コート男、佐倉友蔵にもリンクが切れたのが伝わってきていた。

「ちっ!・・・ずいぶん持ったがここまでか・・」

(しかし、神田川程度なら【謬冤の呪い】無しでもやれるか・・・?)

黑コート男、佐倉友蔵の観察眼では見抜けなかったが、それは大いなる勘違いというモノである。

神田川真理は、忍者男こと神宮司三郎になすすべもなく圧倒されはしたが、宮コー十指の一人であり、佐倉友蔵などよりはるかに強い。

しかし、能力の低いものは、己の能力の低さ故に、己の能力の低さに気づくことはできない。

佐倉友蔵は正面で構えるアーマースーツの女、神田川真理の力量を測ろうと真理のボディラインがくっきり浮き出たスーツを舐めるように観察する。

美しいが鋭い目つきで構える女、神田川真理は顔を上気させ、汗は顎までしたたり、荒い息で胸を上下させている。

おそらく、雇った忍者男こと通称ジンと呼ばれていた傭兵にずいぶんと痛めつけらたのだろう。

鋭い目つきといっても疲労で淀み、呼吸は荒い。

そして、ダメージからだろうか?構えたその姿はやや内股気味で、足が小刻みに震えている。

(もうボロボロで、しかも怯えてやがるのか・・・。これなら・・やれる。俺も、あれだけの攻撃のダメージをほとんど千原に覆いかぶせることができたからな・・。服はボロボロだがこいつもひん剥けば大手柄だ。ボスも清水たちのようなならず者に期待することもなくなるだろう)

佐倉はそう意気込むと、疲労困憊に見える真理には勝てそうだと判断して距離を詰める。

同僚のスティッキー・ロウは重症で、早く治療をしてやらなければいけないが、荒い呼吸ではあるものの、自力で傷口を抑えており、まだしばらくは持ちそうである。

「2億か。これで組織内でも俺の立場も上向くってもんだ」

佐倉友蔵のセリフに真理はほとんど反応していない。

鋭い目つきながらも、真理には疲れがにじみ出ているのは事実だった。

しかし佐倉は知らない。

真理が疲労困憊なのは、ダメージを負ったわけでもなく怪我をしているからでもないということを・・・。

ほとんど反応しないのは、他のことに夢中であるからということ・・・。

呼吸が荒いのは、先ほどの快感の余韻に耐える為であり、足が小刻みに震え、膝が内股気味になってしまうのは、股間の喪失感を求めるように、秘肉を少しでも合わせそうになってしまっているからである。

真理は、大小4回のオルガズムを味わった直後なのだ。

特に最後のオルガズムは強烈で、実はとっても淫乱な真理をしても、いままでで最高に深く達した一撃であったのである。

(うるさいわね。静かにしてくれないかしら・・?・・・それより、まだ、ひざに力が入らないわ・・・。脚がプルプルする・・・。股間の喪失感がすごい・・・。私ったら・・・こんな目に合ってなんて・・なんて淫乱なの・・)

真理は、詠春拳らしい小さく構えたまま快感の余韻を味わいつつ、自身の快楽に対する貪欲さに呆れつつも逃れられずに嘆いた。

(まだ感覚が残ってる・・。公麿以外でこんなに感じたのなんて初めて・・。公麿以外の男でこんなによかったことなんてなかったのに・・)

真理の鋭い目つきは、少しでも余韻を長く楽しむために、佐倉を牽制するためにつくった表情にすぎない。

実際の真理は、まだ心ここにあらずの状態で、先ほど味わった快感の余韻を、股間が脳にじくじくと怪しく伝えてくる余韻を堪能している真っ最中なのだ。

本当ならば、柔らかな布団で横になりシーツを被って余韻を堪能したいところであるが、そうもいかない状況だからそうして構えているだけである。

だが、それは真理が敵と対峙していても、そういうことを常に考えているわけではない。

すでに目の前の男に対しては対策ができている。

真理は【未来予知】は再度展開しなおしていた。

二通りの未来が見えていた。

そのどちらも真理にとって悪いものではない。

黑コート男にすれば、真理のほうが攻撃してくれた方が死なずに済むだろう。

だが、真理にとって黑コートの男は何の価値もなかった。

だから真理は余韻も味わえて、黑コートをより確実に処分できる出来事を待つことにしたのだ。

(そのほうが少しでも余韻を長く味わえるわ・・)

「ずいぶん弱ってるようだが、恨むなよ」

佐倉は真理が弱ってそうに見え、後ずさりまでしている様子に、すっかり勝ったつもりになっていた。

下卑た表情で、興奮に鼻孔を膨らまし、得意そうにそう言って距離をじりっと詰めだしのだ。

「はぁはぁ!・・んっ・!・・はぁはぁ!」

真理は息をこれ以上荒くしないようにして、込み上げてくる唾液を飲み込み、腰を捩らないようにするので必死だ。

もう少しで、何の刺激もなく逝けそうなのだ。

プルプルと震える内ももに力が入り、口元が快感で開きそうになる。

しかし真理は思い出した。

(・・・許可がないと逝けない・・のは相手がいなくても・・オナニーでも逝けないというのかしら・・?でも、それはもうすぐわかる・・わ)

「はぅ・・ん!くぅ・・・・・ん!・・ぃく・・」

本当は『逝く』と大声で絶叫したかった。

黑コートの男に聞こえないぐらいの声量、そして呼吸音と勘違いしてもらえそうな言い方で条件を満たしてみた。

(きた!)

「ん!・・ふぅ・・・!ぅん・・・」

真理は、出来る限り声を押し殺し、下唇を噛みしめる。

名前も知らない黑コートの敵の前で、構えたまま頤をあげ、目が反転しかけるのを何とか抑えて、構えたままブルリと身体を振るわせたのだ。

真理のその様子は、黑コート男には何が起こったのかは分からなかったが、嗜虐心を掻き立てるには十分だった。

黑コート男が床を蹴る。

しかしその瞬間、すでに弥佳子によって斬り飛ばされていた扉から、蒼煌の一閃が部屋を真っ二つに斬り分けるように走ったのだ。

閃光の正体は、窓とは反対側の壁あたりで背を向けたまま止まって口を開いた。

「かおりんの【見】って便利だよね~。いるって言った場所にちゃんといてくれるんだもんね~」

真理から見れば、どういう原理で行っているのかわからないが、大石穂香は葵紋越前康継を右手の甲に乗せ、血のりを振り払うようにビュンビュンと回して左手の甲に移してからしっかり柄を掴むと、キンと澄んだ音をさせて蒼い刀身を鞘に納めた。

そして、穂香がニコーと屈託のない表情で黑コートだったモノの方へ振り返った時、どんっ!と絨毯の上に重く鈍い音がした。

「お・ま・た・せ~。って・・え?今度は斬れちゃった~?。また楽しめると思って急いできたのに~」

黑コートの首から下はいまだに立っていたが、すぐに糸が切れた操り人形のように力なく絨毯の上に崩れおれたのだ。

黑コートのその様子に、穂香が不満そうに鳴らして黑コートの死骸まで近づくと、和柄ジャンパーの男がかすれた声をあげた。

「お・・おまっ・・どうしてここが・」

「え?言ったじゃん。かおりんに教えてもらったって~」

そう言うと、穂香は床に転がった黑コートこと佐倉友蔵の頭部を、和柄ジャンパーことスティッキー・ロウの正面に来るように足で転がす。

「きさっ・・」

ざんっ!

びゅんっ! キンッ!

「かおりんものすごく怒っててね~。君たちなっちゃんにおいたし過ぎたでしょ~。でもひどいんだよ?「穂香!あなたにも責任があります!責任をとって始末してきなさい!」だって。おなじ六刃仙なのに命令もできないはずなのにさ~。でも穂香きみとまた遊びたいってのもあったから急いできたんだよ?なのに、一度斬っただけで死んじゃうなんてひどいじゃない~。また楽しめると思ってたのに~。・・・・って、もう聞こえないか。でも、これで~、さみしくないよね~?まりりんもそうおもうでしょ~?」

和柄ジャンパーと黑コートの首を仲良く床に並ぶようにパンプスで調整すると、穂香はのどかな口調で満足そうにそう言い、本当に屈託のない満面の笑みを真理へと向けたのであった。

「はぁはぁ・・・ええ。・・そうね・・はぁ・・ん・・」

真理が展開している【未来予知】のとおり、黑コートも和柄ジャンパーも大石穂香に始末されたが、真理は余韻での絶頂で、背後の背中にもたれ掛かり、まだ余韻に浸っていた。

真理にとっては名も知らない敵の死に様などより、今まででもほとんど経験したことのない極上の絶頂の余韻を噛みしめるほうが、余程、優先度が高かったのだ。

しかし真理は、絶頂の余韻で混濁した意識の中、下唇を噛み両手で肩を抱き、両ひざを合わせて身もだえながらも、階下の弥佳子の苦戦に快楽におぼれた意識を向けようと努力していた。

「まりりん汗だくじゃん。大丈夫~?御屋形様は~?」

余韻での絶頂だというのに、意識を飛ばし、そのまま眠ってしまいたくなるほどの快感から逃れようとしている真理の耳に、大石穂香ののどかな声が微かに聞こえていた。

【第10章  賞金を賭けられた美女たち 31話 哀れな2流能力者の末路 終わり】32話へ続く

第10章  賞金を賭けられた美女たち 32話 至極の剣士人生最大の危機

第10章  賞金を賭けられた美女たち 32話 至極の剣士人生最大の危機

柄に左手を置いたままの、突入前と変わらぬ表情の穂香の問いかけに、真理はうずくまったまま視線をあげる。

真理は、穂香の主人でもある弥佳子の窮地を伝えようと口を開きかけたが、その必要なかった。

ついさっきまでの穂香は、普段と変わらぬにこやかな表情であった。

しかしたった今、穂香は無表情な顔で窓の外を見下し、ただ一点を凝視していたのだ。

次の瞬間、真理が何かを言う前に穂香は腰の得物を抜き放っていた。

ギギギィン!!

部屋中に劈く硬質な音が幾重にも重なり、音より一瞬早く蒼い閃光が幾本も迸って真理の視界を眩く遮る。

真理が先ほど何度も蹴りこんだおかげで、僅かにヒビをいれることに成功した厚さ50cmはあろうかという特殊ガラスに、穂香は刃を振るったのだ。

しかし、穂香の斬撃の連打を浴びても、特殊ガラスにキズ付きはしたものの、切り崩せてはいない。

穂香は僅かに苛立たし気に鼻の頭にしわを寄せたが、それも一瞬で、再び腰を落とした。

「うっとうしー。硬いな~」

ギギギッギイッギィン!

表情はともかくいらだった口調でそう言った穂香は、更に刃を激しく振るう。

真理は、穂香が振るう蒼い剣閃を避けるように、身を屈め固くするが、真理にその刃が当たる心配はなかった。

再びの剣撃連打で、さすがの特殊ガラスも重く耳慣れない音を発すると、最後にピキッと乾いた音を立てた。

そしてその直後、ずずっ!と、重い音が響き、透明の分厚いガラスの一部が自重で傾いて、タマゴ型の部屋の方へと一欠片滑り落ち始めたのだ。

どぉん!どぉん!ど!どぉおん!!

分厚いガラスは50cm角ほどの立方体に切り取られており、そのうちの4つをすかさず穂香が階下へと蹴り落とす。

最後のガラスの塊を蹴り落とすと、一瞬の迷いもなく穂香自身もその空いた空間目掛け身を翻し、タマゴ型の部屋へと飛び込んでいったのだ。

「ダメです穂香!!来てはいけません!!」

重量物が落下してきた音でこちらに気が付いた弥佳子が大声で叫ぶ。

その弥佳子は両手を案山子のように広げられ、それを固定するように自身が腰に帯びていた二振りの銘刀で縛り上げられていた。

しかし、主人の命は絶対であるにもかかわらず、穂香は従わなかったと言うか、すでに穂香は床を蹴った後だったのだ。

穂香は弥佳子と視線が交錯したのを確認して笑顔を浮かべ、命令を聞けなかった無礼を目だけで詫びるが、すぐ無表情になった。

そして弥佳子の背中に張り付いた曲者に対し、物騒に目を輝かせてから、普段の笑みのある表情に戻る。

穂香は、伸身したたまま空中で捻りを加え、遠心力を使って無言で蒼い刀身を振るった。

「無礼者め~!その汚い手を御屋形様から離せ!」

穂香は狙いを寸分なく定め、必殺を確信してそう言うと、ぶぅん!とためらいなく閃光を放った。

蒼い【刀閃】が寸分たがわぬ正確さで、弥佳子の背後にしがみつき、顔を半分だけ覗かせた蟷螂の頭を粉砕するはずであった。

しかし、穂香は空中で盛大に空振りをしただけで、その剣先からは何も飛び出さない。

普段から笑顔か無表情の穂香の顔は、【刀閃】が発動しないことに、驚きの表情に染まっていた。

「えっ?!??なんで~?」

薄緑色に発色したタマゴ型の内部では、女である限り一切のオーラを練り上げることができない。

穂香はとっさに頭を切り替え、着地に備えて【肉体強化】をしようとしたが、オーラを練り上げ脚部に集中することができない。

大石穂香はようやく主である弥佳子が来てはいけないと叫んだ理由がわかったがもう遅い。

10mほどの高さからもう一度伸身して身体をひねり、低いとはいえヒールのあるパンプスで着地する。

「きゃっ!」

穂香は生身の運動神経だけで、うまく着地したが、体重を支え切れず前転して前受け身をとって衝撃を和らげ、腰を床に付いたまま刀を敵へと向けて構える。

穂香ほどの剣士であっても、普段自在に使えている能力が使えない身体で、10mもの高さからオーラ無しの生身で着地するには、いささか急過ぎた。

上手く受け身をとって着地したが、態勢を大きく崩してしまったことに変わりはない。

敵はその隙を逃さなかった。

狡猾な蟷螂は、そういう隙をみすみす逃すタイプの男ではないのだ。

弥佳子を電マで甚振っていたのを切り上げ、得物に飛び掛かる蟷螂のごとく、両手を広げ、不気味に口角をあげたまますでに穂香に肉薄している。

「穂香!逃げなさい!この部屋から出なさい!!この部屋にいると何故かオーラが一切使えないのよ!!」

床に仰向けになった弥佳子は、不自由に拘束された身体を懸命に起こし、穂香に向って叫ぶ。

そして、弥佳子の言葉通り張慈円は、オーラの乗っていない穂香の迎撃で振るった剣撃をいとも簡単に受け止めていた。

「ふはははは!飛んで火にいるとはこのことだな?」

「こんの~!」

【見気隆盛】も纏っておらず、【肉体強化】もできていない穂香の生身の剣筋では、オーラも使え万全に近い張慈円のスペックには及ばない。

穂香は鎬を指で摘まんだ得意そうに笑う張慈円の後頭部へ、間髪入れず蹴りを見舞うが、それすらも余裕をもって防がれてしまう。

「遅い遅い!遅いぞ?!それでも高嶺の剣士か?!」

「穂香!逃げなさい!」

笑う張慈円の背中に、思惑通りにはさせじと弥佳子は叫ぶが、なんとか立ち上がった穂香は、張慈円と何とか距離はとったものの、刀は奪われてしまっている。

「よくも~。御屋形様に貰った刀なんだからね。返しなさい~」

剣士にとって刀を奪われるのは恥辱であり、ましてや葵紋越前康継という銘刀は、当主である弥佳子自らの手で六刃仙に就任した祝いとして下賜された逸品である。

ド天然な大石穂香としても、多少どころか、剣をよりどころとしている穂香だからこそ余計に愛着があった。

「今は刀は諦めなさい!命令です穂香!逃げるのです!」

弥佳子の命令に、穂香は弾かれたようにして行動に移った。

弥佳子が大声で命令することは珍しくないが、このように必死な声で命令するときはない。

弥佳子からこのように切羽詰まった声で命令されたことはなかったのが、より状況の深刻さを理解させるには十分であった。

しかし、穂香は弥佳子の命令とは言え、もはや逃げる気は頭にはなかった。

(御屋形様~穂香を逃がしてどうするの~?)

穂香は丸腰のまま、距離を詰めてくる張慈円を避けるように左へと飛ぶ。

オーラが使えないと言っても、五体満足の穂香の身体能力は流石である。

距離を詰めてくる張慈円相手に、なんとか距離を保てている。

もっとも、張慈円はオーラの使えない哀れな女能力者相手には本気を出していないからこそであった。

「くははは!どんどん早くしていくぞ?!」

「調子にのって~・・!」

そういう張慈円に対し、穂香はそう言い返すのがやっとである。

しかし、穂香自身なぜかオーラが使えない状況を何とか分析しようと、張慈円の戯れまがいの攻撃を躱しながらも周囲を観察していた。

(【肉体強化】なしでさすがにあんなところまで飛べないかな~)

穂香は自身が飛び降りてきた窓を見てそんなことを思っていた。

(この男がもっと速く動けるなら穂香がやられちゃうのも時間の問題だし~・・・。なんとか御屋形様の拘束を・・・。御屋形様と二人がかりなら・・・。ううん、上にまりりんもいるから3人がかりだね~。この男相手でオーラが使えなくても3人ならやれるかも~。御屋形様は逃げろって言ってたけど出口はさっき私が来た窓しかなさそうだし・・)

「神田川真理!生きているの?!生きているならこっちに来てはダメよ!貴女もオーラが使えない木偶にされてしまうわ!あなたは菊沢宏と合流なさい!」

弥佳子が上階の切り刻まれた窓の傍にいる真理に向って叫んだ。

階下で何とか立ち上がった弥佳子は、案山子のように両腕を拘束されたまま真理に向って怒鳴る。

「はやく行きなさい!」

「くっ!・・でも!どこにいるかわからないわ!それに今菊沢部長を探している暇なんか・・」

真理がそこまで言った時、タマゴ型の部屋で穂香を遊び半分で追い回していた張慈円が、突如真理の目の前まで跳躍してきたのだ。

「そのとおりだ神田川真理。あやつを探している暇などないぞ?」

「くっ!」

不気味目を吊り上げ、下種な笑みを浮かべた蟷螂はそう言うと、真理の髪の毛を片手で鷲掴みにして、その身を真理ごと空中に躍らせた。

「きゃあああああああああ!」

どしんっ!

「真理!・・っ!」

「まりりん!」

弥佳子の悔しそうな声と、穂香の声が重なる。

真理は張慈円に髪を掴まれ、タマゴ部屋へと叩き落とされたのだ。

「がっ!げほっ!!っ!!・・かはっ!」

見事に着地した張慈円とは違い、真理は満足に受け身も取れず床に叩きつけられたのだ。

真理は、先ほどまで甘くも背徳に満ちた絶頂の余韻とは真逆の、全身に受けた衝撃で満足に呼吸もできない苦しさで目を白黒させて、息を整えるのに必死だ。

張慈円が真理の苦悶に気をとられている間に、穂香が無言で弥佳子に掛け寄ろうとするが、それをさせるほど張慈円は甘くない。

「きゃん!」

張慈円の飛び蹴りをまともにわき腹に受け、穂香は吹っ飛び床を擦りながら壁に激突してしまう。

「穂香っ!・・・おのれ!このゲス蟷螂がっ!」

弥佳子は蹴られた穂香が何とか受け身をとったことに安堵したものの、もともと鋭い目つきを烈火の炎のごとく燃え滾らせて張慈円を睨み付けた。

「同時に3人も相手にせねばならんとは、俺としても体力が持つかどうか心配だぞ?んん~??」

張慈円は穂香を蹴った脚をそのままの姿勢で固定したまま、ニタニタとした顔のまま弥佳子に好色な顔を向ける。

「くっ・・この~!させないんだから~!」

張慈円に蹴り飛ばされ受け身はとったもののうつ伏せに倒れていた穂香だったが、それは一瞬でも張慈円の隙をつくための芝居であったのだ。

しかし、速いとはいえオーラも使えず生身の身体で殴りかかってくるだけの女に、香港最強と謳われる張慈円が遅れをとる筈がない。

がんっ!ごきっ!

「ぐっ!げぼっ!!」

穂香が発したとは思えない苦悶の悲鳴と、吐しゃ物の音が弥佳子と真理の耳にへばりつく。

「あん?少しばかり強く打ち過ぎたか?脆いものだ。生身相手だと手加減がむずかしいわい」

突っ込んできた穂香を半身になって躱し、肘と膝で穂香の胴を挟むように強打したのだ。

「穂香!刀なしでそんな無茶です!」

弥佳子はそう叫びながらも生身の膂力のみで何とか拘束を解こうと、腕に力を込めるが、鋼の刀身を収めた二本の鞘はびくともしない。

弥佳子は悔しそうに身を捩り、身体を震わせるが、鍛えに鍛え抜かれが鋼を更にオーラによる鍛錬入魂で更に強化してあるのだ。

いかに生身の弥佳子がベンチプレス100kgを超える怪力であったとしても、びくともするはずがない。

「はぁはぁ!穂香を離しなさい!」

拘束を解くのを諦め、弥佳子は張慈円に不自由な恰好のまま体当たりを敢行するも、そのような攻撃が当たる筈はなかった。

張慈円はひょい!と弥佳子を躱すと、拾い上げた穂香の愛刀、葵紋越前康継を足でけり上げて手で掴むと、もつれる弥佳子の膝をその鞘で強かに打ちつけた。

「くっ!?」

自身の体当たりの勢いと、膝を強打されたことで弥佳子はうつ伏せに倒れむ。

「良いざまだ高嶺弥佳子。貴様は先ほど一度気をやったというのに、その精神見上げたものだぞ?もっとも貴様のように簡単に落ちん女の方が嬲りがいはあるのだ。あの千原奈津紀もずいぶんと強情な女であったがしょせんは女よ。最後はひぃひぃと鳴いて許しを乞うておったなあ」

張慈円は愉快そうにそう言うと、穂香を投げ捨ててそう言った。

「穂香をっ!おのれえええ!・・下種が!奈津紀さんを!わたしのかわいい妹たちをよくも!!」

倒れこんだものの弥佳子は、腹筋と足の反動だけで立ち上がり、先ほどの電マ攻撃でこっそりわからないように気をやったつもりであったが、それを張慈円にバレてしまっていたことで赤面しながらも痛烈に罵倒する。

しかし、案山子のように拘束されたその姿は滑稽であった。

味方と言える穂香も真理も虫の息に近い。

そして弥佳子自身もオーラも使えない。

そのうえで敵である張慈円はほとんど無傷で、オーラが使えるのだ。

絶望的な状況である。

「さて・・念のために高嶺弥佳子。貴様の能力は完全に封じておくとしよう。神田川真理と・・たしか大石穂香だったな。そやつらも念のために封環で能力を更に封じておくとするか」

張慈円はそういうと、壁面に備え付けられている道具箱からゴトゴトと金属音を鳴らして何やら物色しだすと、クサリの付いた枷を幾つも取り出してきたのだ。

「やめなさい!」

弥佳子は後退った。

封環の効果は、少しでもある程度の組織に属している能力者であればだれでも知っている。

首や手首、足首に嵌められてしまえば身体をめぐるオーラの流動が上手くいかず、ほとんど能力が使えなくなってしまう。

そして大抵の場合、封環は施錠ができるのだ。

千原奈津紀も、張慈円に凌辱されるときに首に一つ、両手首と足首にと計5つも施されていたのだ。

弥佳子は今までこれほど追い詰められたことはなかった。

オーラを用いなくても大抵の能力者なら剣技だけでも圧倒できる自信があったし、それは事実でもあった。

しかし、オーラを使えないこのタマゴ型の部屋と、目の前にいる男は人格的にはクズだが香港三合会で最強であるのは事実なのだ。

「あきらめろ。高嶺弥佳子。貴様はこの俺がおいしく食してやる。宮コーの銀獣が冷えたクラゲの前菜だとすれば、貴様は極上の主菜、さしずめ俺の好物である鮑や海老と言ったところだ!少しばかり強めにスパイスが効いているところがまたそそるというものだ!」

必勝のつもりで意気揚々と自信満々で乗り込んだ弥佳子にこんなシナリオは露ほども考えていなかった。

「・・おのれ・・・!」

弥佳子は、私に勝ったつもりですか?と言いたかったが、それを言葉にできない自分が歯がゆい。

そして弥佳子がもう一歩後ずさり壁に背が当たった時、穂香が再び立ち上がった。

「げほっ・・。御屋形様~・・。御屋形様に対し図々しい申し出ですが、穂香がいまお助けいたします~」

穂香に外傷は見当たらないが、口元は血と吐しゃ物で汚れており、先ほどみぞおちと背中を強打されたダメージが深刻なのは、その覚束ない足取りで明らかであった。

言い終わると穂香は、ようやく膝立ちで立ち上がった真理に一瞬だけ視線を送ると、張慈円に飛び掛かった。

穂香は能力を発動し、幻覚を見せてから張慈円を襲ったつもりだったが、やり能力は発動しない。

生身の身体で手負いにしては素早い動きであったが、張慈円にとってはやはり遅すぎる。

「ゲロまみれの女に組み付かれてはかなわんからな。貴様はあとで相手にしてやるから大人しくしておるのだ。貴様にも3億ほどの値がついておる。・・・くははは、こんなボロい商売があったとは俺にも運が向いてきたというモノだ。袁の奴めには今回ばかりは感謝せんといかんな」

そう軽口を言いながらも、殴りかかってくる穂香をあしらって笑っていたが、不意に穂香の速度が上がった。

手負いで生身の身体とは言え、穂香がここまで遅いわけがなかったのだ。

「むっ!?」

張慈円の慢心の隙をとらえ、穂香が張慈円に胴にガッチリと組み付く。

「まりりんー!走って!長く持たない!御屋形様の拘束を解いて!!で、できたら逃げて!!穂香がこいつを抑えておくから~!!」

大声を出すとと全身に痛みが走るが、それには構わず、穂香は組み付いたまま叫んだ。

「貴様!汚い!離せバカ者めが!!」

「ぐっ!!」

張慈円の肘の打降ろしを、無防備な背中に受けるも穂香は自身の両手首を強く握りしめ、決して張慈円を逃さぬ構えである。

落下から今まで沈黙を守って息を回復していた真理も、穂香の行動と同時に動いていた。

「弥佳子!動かないで!」

真理はすぐさま弥佳子の傍に駆け寄り、腕を拘束していた大刀を結んでいる、腰帯を引き千切りながら、手早く解いてしまう。

「離せ!このゲロまみれが!」

張慈円の怒号と共に、ごきりっ!と不気味な音がする。

張慈円の腹に組み付いた穂香の口からはくぐもった声が僅かに洩れただけだったが、穂香と張慈円の足元には穂香の口から出た血がびしゃびしゃと大量にまき散らされている。

折れた骨が臓器を傷つけ、器官を登ってきたのだろう。

それでも穂香は手を離さない。

もはやまともにしゃべることはできないことも穂香自身わかっていた。

だが、命が尽きようとも張慈円は逃がすまじと穂香は決して手を離さない。

「穂香-!!!」

弥佳子の声が響き渡る。

真理の手で、袖から大刀の二つが抜き取られた瞬間に、弥佳子はその一本、中曽根虎徹の柄を掴んで鞘を投げ捨てると、八相に構えて一気に距離を詰め袈裟懸けに切り裂いた。

ぶぅん!!

と、当たれば確実に死をもたらす一撃は無情にも空を切る。

「やれやれ・・。なかなか肝を冷やしたぞ」

弥佳子の横、真理の背後から聞きなれた聞きたくもない気持ち悪い声が響く。

胴に巻き付いたままの穂香ごと張慈円は移動していたのだ。

張慈円の足は紫電を纏っている。

能力を使い爆発的な脚力を持って死地から脱したのだ。

張慈円の腰に巻き付けた腕は離れていないが、穂香は膝を引きずるようにしてうなだれていた。

そして、張慈円はその穂香を面倒そうに振り解くいて床に投げ捨てると、弥佳子と真理に向って、残忍な笑みを浮かべたのであった。

【第10章  賞金を賭けられた美女たち 32話 至極の剣士人生最大の危機 終わり】33話へ続く

第10章  賞金を賭けられた美女たち 33話 剣聖復活!雷帝の最後

第10章  賞金を賭けられた美女たち 33話 剣聖復活!雷帝の最後

張慈円は倒れた女に近づき、髪の毛を掴んで引き上げる。

「ぅ・・」

穂香は口元を血に汚した顔を苦し気にゆがめて、小さな声で呻いた。

穂香の印象深い笑顔はもはやない。

穂香のその表情を見て満足気に頷くと、張慈円は掴んでいた髪の毛を離した。

ゴトリと鈍い音が響き、穂香は顔を血だまりに浅く沈めたまま、微かに震えながら身じろぎしている。

そして微かに胸を上下させているだけで、それも、だんだんとその動きも小さくなりつつあるように見えた。

「くくく、六刃仙もオーラが使えんとなるとまるっきり話にならん程度でしかないのだな。それもそうか、いくら鍛えていようが、オーラが使えんと女である貴様らは肉体的には男にはずいぶん劣るからな」

張慈円は、怒りで肩を震わせている高嶺弥佳子と、伏した大石穂香を交互に見比べて、愉快そうに笑ってそう言っている。

高嶺弥佳子は大石穂香であれば、張慈円に遅れをとることはないと確信していた。

事実その見込みは完全に正しい。

大石穂香がオーラも使え、万全の状態であれば無傷とはいかずとも張慈円を圧倒しきったはずなのだ。

だが、現実にはイレギュラーがつきものである。

「まだかすかに息はあるが、こやつは時間の問題だな。俺の好みではないがなかなかの上玉と言えるであろう。それになにより3億超えの賞金首だからな。無駄に死ぬのは俺も望むところではない。貴様が大人しく俺の言いなりになると言うのであれば助けてやれるのだが・・どうだ?高嶺弥佳子。膝を折って負けを認め、俺に頭を垂れるがよいぞ?」

張慈円は穂香の頭を踏み付けながら、弥佳子に向って挑発するように嘯く。

圧倒的優位を確信し、人質まで得た張慈円はニタニタと笑い、弥佳子が自分好みの反応をするのを期待しているのだ。

弥佳子の隣で張慈円を睨んでいた真理は、怒りで我を失い弥佳子が短気を起こさないかという懸念で、チラリと弥佳子の方へと顔を向ける。

真理は安堵した。

さすがに高嶺の頭領は、仲間が死に瀕していたとしても冷静であったのだ。

先ほどまで、激高し張慈円を罵っていた表情は消え失せていた。

そこには愛刀を正眼に構え、一部の隙も無い恐ろしく無表情な顔の弥佳子がいたのだ。

真理は、高嶺弥佳子という人物に、寒気を覚える。

(・・・うちの佐恵子なら取り乱して喚き散らすところね。まあ、佐恵子の場合はそこが可愛いんだけど・・)

真理は高嶺弥佳子の胆力を素直に感嘆した。

死に瀕した部下を目の前にして、取り乱さない上司を冷酷であると思ったが、取り乱せば得になることは何一つない。

そして真理は、頭を足蹴にされ血だまりの中でほとんど動かなくなっている穂香の方にも目を向ける。

(・・・能天気そうな女だと思っていたのに・・・。高嶺弥佳子はそこまでできる主人ということなのね?そして貴女も命をかけてそれができる。)

真理は、虫の息になっている「気の抜けた炭酸水のような女」と評した大石穂香の捨て身の行動には本当に驚いていた。

真理に、主人の縛めを解かせるため、今日出会ったばかりの真理に主人を託して、自らは捨て石となったのだ。

(宮コー内部じゃ高嶺なんて血も涙もないアウトロー集団だという認識でしかないのに・・・。この人たちのこと私たちは実のところ何も知らなかったんだわ・・・。とはいっても宮川と高嶺は何代も前からずっといがみ合ってるのも事実・・・)

真理の思議を差抉るように、張慈円の嬉し気で不快な声が遮る。

「ほう。やはりそうか。そうこなくてはな。そうでなくては嬲りがいがない。もっとも・・貴様が無様に許しを乞うたとしても、きつい灸をすえるつもりではいたがなあ」

構えた弥佳子に対して、張慈円は満足げに何度もうなずいてから、穂香の頭から足を退ける。

弥佳子や真理にとっては幸運と言えるだろう。

張慈円は大石穂香を盾にして、屈服を迫ってくる様子ではない。

あくまで、弥佳子と真理の二人を力づくでねじ伏せたいのだ。

弥佳子は、張慈円のその慢心にぎりっと歯をかみ合わせるが、同時に安堵もしていた。

部下を人質に取られては、流石に戦えない。

「真理。貴女もその刀を使いなさい。剣の心得がなくとも貴女なら丸腰よりもマシでしょう」

弥佳子は張慈円の挑発を無表情の鉄面皮で受け流し、隣にいる真理に和泉守兼定を拾うように促す。

「ええ」

真理はその指示に素直に従い、拾った刀を鞘から抜き柄を逆手にもって構えた。

慣れない真剣の重さと、冷え冷えと輝く美しい刀身が剣が、刀を使ったことのない真理にも不思議と頼もしく感じる。

(それほど追い詰められてるってわけね・・)

「くくく、二人まとめて相手をしてやろう」

構えた二人に対し、張慈円は構えすら取らない。

すでに勝った気でいるのである。

「真理。真理も能力は・・やはり使えないわね?」

「ええ。【肉体強化】は全然できないし、【治療】もまるで発動しない・・・。【未来予知】もダメよ」

弥佳子の問いかけに、真理は張慈円に聞こえないよう、弥佳子と頬がくっつくほど接近して、耳元でそう囁いた。

真理の顔の位置からは、弥佳子の表情は見えなかったが、触れている弥佳子の肌からはいささかも動揺している様子はない。

声に出して騒がないところは流石である。

「そうですか。そうだとしても・・・わずかですが勝機はあります」

たっぷりと、ふた呼吸ほどの間を空けて、弥佳子は目に闘志をたぎらせてそう言って真理と目を合わせ力強く頷く。

「真理。手を貸してもらうわよ?」

「もちろんよ」

弥佳子は再び正眼に構え呼吸を整える。

弥佳子の表情は冷静そのもので思考も鮮明であるが、あふれ出す闘気で心拍数は上がっている。

そして隣の真理も、大刀を右手で逆手に持ちって防御の構えながらも、張慈円に対する憤りは弥佳子に負けるものではない。

同僚である銀獣こと稲垣弥佳子の指の骨をほとんどへし折り、左目を奪って一度は死に追いやったのは張慈円なのだ。

結果的に偶然にも居合わせた栗田教授に蘇生を施され加奈子は息を吹き返しが、その代償は大きかった。

加奈子蘇生の触媒として、近しい者のオーラの籠った肉体が必要だったのである。

そのため宮川佐恵子は左の魔眼を失い、力は大幅に失った。

そのせいで対抗派閥の先兵であり、佐恵子の先輩でもあった緋村紅音に対抗することが難しくなり、敵対派閥の台頭を許して支社長の座を追われたのである。

(この男のせいでめちゃくちゃだわ・・・。橋元不動産にいた単なる用心棒ごときと侮っていたのがそもそもの私のミスね・・)

真理の思議を今度は弥佳子が遮る。

「わたしが攻撃します。オーラが使える張慈円相手に挟撃は速度的に無理です。決して挟み撃ちなどをしようと思わぬこと。お互いの背後に回られぬように立ち回るのです。いいですね?」

弥佳子がそう言い終わった瞬間、張慈円が一瞬で間合いを詰め、弥佳子の手首目掛け踵を振りおろしてきたのだ。

「くっ!」

弥佳子は刀を持ち上げ、刀を霞にして辛うじて受け流し、流した勢いを利用して突き返す。

流麗で見事な一閃。

だが、蟷螂は愉快そうに笑った。

「ほほう!このぐらいの速度には対応してくるか?」

張慈円は、反撃の刃を難なく躱すと楽しそうな口調で言い返してきたのだ。

「くっ・・。視力や肉体が強化できないと、あの程度の速度にも対応できないとは・・それに・・」

愉快そうな張慈円に対し、弥佳子は冷静な表情の裏で、激しく苛立っていた。

達人の域にある張慈円とは言え、万全の高嶺弥佳子からすれば欠伸のでる速度である。

しかし、身体がついてこないのだ。

それに攻撃を受けきれたとはいえ、パワーの差は激しすぎる。

両手の霞で受けたにも関わらず、両手は肘まで痺れてしまほどの強撃であったのだ。

それゆえ、必殺の喉元への突き返しも満足な速度が出なかった。

弥佳子は気を取り直して刀を握り直し、息を整える。

「・・・真理。そう何度も受けられません。カウンターの一撃で決めます・・。霞で受けては反撃が遅れてしまいます。・・・私が望む形で張慈円が攻撃する瞬間が見切れればよいのですが・・」

弥佳子は相変わらず冷静を装ってはいるが、内心ではそうもいかない。

今の攻防でわかってしまったのだ。

速度だけであれば何とか対応はできるが、パワーの差は如何ともしがたいということに。

くわえて張慈円には電撃がある。

徒手空拳のついでに電撃を放たれたりすれば、今受けたダメージの比ではないだろう。

今の弥佳子に、張慈円の膂力と電撃の同時攻撃を捌き切ることはできない。

救いなのは張慈円がすでに勝った気でおり、全力で戦っていないというところである。

蟷螂は、羽を毟った2匹の蝶をたっぷりと甚振るつもりなのだ。

「くくくっ・・。思ったより随分楽しめそうだ。こういう遊び方はな、稲垣加奈子と戦った時に思いついたのだぞ?・・SEXで甚振るのも戦いで甚振るのも、本質は同じのようであるな。簡単には終わらんぞ?覚悟するのだな・・。くくくくっ」

ニタニタと笑った蟷螂が、羽をもぎ取られた蝶たちを嬲らんとゆっくりと距離を詰めてきたのだ。

15分後―

弥佳子は受け身をとって起き上がり、ぜぇぜぇと肩を上下させて額から滴る血が目に入らないよう、電撃で焼き焦げた袖で血を拭う。

しかし一緒に戦っていた仲間は躱しきれなかったようである。

「真理・・!」

張慈円が広範囲に放った電撃を躱しきれず、真理は電撃で身体をのけぞらせて倒れこんだのだ。

戦いの最中であるというのに、弥佳子は倒れた真理に駆け寄り膝をつく。

その弥佳子の行動を、敵である張慈円は邪魔することなく咎めもしない。

ただニタニタと笑い楽しんでいる風ですらある。

「だめ・・はぁはぁ!・・見えても今の私じゃ躱しきれないわ・・。先が見えてない弥佳子がこんなに躱せるなんて・・悔しいけどさすがね・・」

「真理。あなたはよく頑張った。六刃仙にはしてあげられないけど、十鬼集にはなんとか任命してあげられるほどには強いわ。・・あとは私がやるからもう休んでなさい」

「はぁはぁ・・くっ・・。なによそれ・・。褒めてる?貶めてるの?・・・それに弥佳子もボロボロじゃない・・・」

真理はそう言いながらも、隣で膝をついて険しい表情ではあるが、優しい口調で奮闘をねぎらってくる弥佳子の様子をまじまじと眺めた。

どうやら張慈円は、本当に弥佳子や真理を簡単には仕留める気はないらしい。

刀をまともに振れなくなるようにと、張慈円は弥佳子の両腕を執拗に狙ったのだ。

服の袖は破け、弥佳子の左腕は肘が明らかに折れており、力なくダラリと垂れ下がり、左手がもう役に立たないのは一目瞭然である。

刀を持っている右手も、肩から下の服は千切れて、打撲と裂傷がひどい。

特に刀を落とさせようと狙われた指はどれも青紫色に痛ましいほど腫れあがっていた。

くわえて、その他の部位、胴や足もおびただしい攻撃を受け1デニールのパンストは、チリヂリに敗れ、蹴撃によって腫れた痣を隠しきれていない。

「弥佳子こそ・・もうボロボロじゃない。なんでそんな冷静な顔してられるのよ・・まったく・・。痛くないの?」

「痛がっても痛みは引かないわ」

「そりゃそうだけど・・。ねえ、弥佳子・・・言いにくいけど生き残る為なら・・」

真理がそこまで言った時、弥佳子は真理に背を向けて立ち上がり片手で構えて張慈円に向きなおった。

「屈しないわ。何があっても」

見上げた背中越しにそう言われ、真理も覚悟を決める。

(・・・日本で唯一宮コーに従わない組織の長ですものね・・。ほんとうに流石ね)

ただ、このままでは敗北はほぼ確実なのは濃厚である。

真理は、戦いの最中もなんとか有利にならないかと思考を巡らせていたが、良い解決策は今の瞬間まで思いつかなかったせいでこの有様なのだ。

「神田川もここでリタイアか?・・そろそろ俺の電砲も我慢が効かなくなってきたからな。いい加減に終わりにするか・・・。どうしても貴様の口から命乞いを聞きたかったのだが、それは嬲るときにでも聞かせてもらうとするか」

張慈円は勝ち誇ってそういうと、もはやまともに刀を振ることもできなくなった弥佳子に狙いを定め、トドメを刺さんと腰を落とした。

その時である。

タマゴ部屋の照明がチカチカと点灯したのだ。

眩いと言えるほどの光量だった部屋の灯りが、ほんの1秒足らずの瞬きだったとはいえ、光量が多いからこそ、その異変はわかりやすかった。

「む?」

張慈円も天井を仰ぎ見るようにして足を止める。

そしてもう一度チカチカと点灯すると、部屋に降り注いでいた緑色の光が完全になくなったのだ。

タマゴ型を囲む中二階にある部屋から差し込む灯りだけしかなくなってしまう。

「うぉっ!?」

我に返った張慈円が突如襲ってきた横凪の一閃を後方宙返りで躱したのだ。

「ようやく・・・力が振るえるようになりましたね。覚悟しなさい!!」

額から流した血で左目を瞑ったままの弥佳子が、オーラを練り上げ刀を振るったのである。

「くっ・・。なんだ?故障か?電力が切れたのか?!」

張慈円はあたりを見回し狼狽してそう言ったが、高嶺弥佳子が一閃を振るっただけで追撃してこないことに、動きを止める。

「ん?どうした?オーラは戻ってももう身体はボロボロか?・・・そうだな。散々いためつけてやったからな?いまさらオーラが戻ってもしょうがあるまい?その左手、その指で刀などまともに触れるわけがなかろうな?くははははははっ!」

一瞬焦った表情を見せたももの、張慈円は再び勝ち誇った顔になって哄笑しだした。

「そうなると・・・」

ニヤついた表情のまま張慈円は顎に手を当て、床を蹴った。

がっ!

弥佳子の横を通り過ぎ、倒れていた神田川真理を引きずり起こしたのだ。

「離しなさい!」

「黙れ!回復されてはたまらんからな!貴様も2億ほどの首だ。殺しはせんが気を失っておれ!」

叫び藻掻いた真理であったが、背後から組み付かれ、背後から首を絞められてはどうしようもなかった。

手と足を1,2度バタつかせただけで、あっけなく動かなくなる。

ダラリとなった真理を張慈円は床に落とした。

「張慈円・・勘違いしているようですね。回復などしなくても、貴方程度は今の私でも十分です」

そうは言ったものの、実は弥佳子はそれだけ口にするのがやっとであった。

張慈円の動きは見えていたが、真理を助けようとしても、もはや身体が動かなかったのだ。

(無念すぎます・・・。このようなところでこの程度の男に・・・!)

弥佳子の冷静な鉄面皮が崩れかける。

「そうだ・・貴様のその表情が見たかったのだぞ?どれ・・もう少しよく見せてみろ!」

「黙りなさい!」

怒号と同時に弥佳子が残った力を振り絞り【剣気隆盛】を刃に乗せて、右手だけで刀を振るう。

しかし、足の踏ん張りも効かず、片手だけで振った剣撃は流石に隙が多い。

張慈円は、半身になって刃をやり過ごすと、そのまま身体を弥佳子の方へと滑らせてわき腹に拳を叩きこんだ。

「ぐっ!!」

弥佳子が薄暗くなったタマゴ部屋の壁に叩きつけられた。

しかし、それにしては衝撃音がない。

もはや勝ちを確信した張慈円は、部屋が多少暗くなったとしても暗視を使ってはいなかったが、違和感を感じ目にオーラを集中させる。

張慈円が目にオーラを集中させた瞬間、弥佳子を受け止めた背後にいた影が飛び掛かってきた。

ほとんど無傷の張慈円でも、油断をしていれば反応できないほどの速度。

「ぐあっ!?」

頬に衝撃が走り、張慈円は口から血吐きながら横転した。

動転した張慈円が、横転から素早く起き上がった時、聞きなれた声が張慈円の耳に飛び込んできたのだ。

「人は、斬られるのより殴られる方が屈辱を感じるそうですね。どうでしたか?」

凛とした声。

すらりと立った女性が張慈円に言い放ったのだ。

「奈津紀さん!」

壁を背にした弥佳子がその名を呼ぶ。

「御屋形様。私のせいでこのような大惨事を引き起こしてしまい、申し開きのしようもありません。あとで甘んじて責めはお受けいたします。・・・しかし、罰を受ける前に今はこの男を斬ることをお許しください」

タマゴ部屋のほぼ中央で張慈円が下手に動けないように牽制しながら、奈津紀は静かに、それでいて当主に対し恥じるようにして言ったのだ。

弥佳子はそんな奈津紀に対して、笑みを浮かべて言ってやる。

「許可します。本来は私がやりたいところですが、奈津紀さんが適任でしょう」

「・・畏れ入ります」

奈津紀はその言葉に対し、隙をつくり過ぎないように軽く、しかし深い感謝と謝罪の念を込めて頭を下げた。

「貴様!どうやって出てこれたのだ?!袁の見張りがいたであろう?封環はどうしたのだ?!だれが千原の拘束を解いたのだ?!」

取り乱して喚く張慈円を横目に、奈津紀は羽織った患者衣をはためかせて、真理のところまでくると、片膝をついた。

「神田川真理。助力感謝します。貴女は御屋形様と穂香をお願いします」

「・・まかせていいわよ」

笑顔で頷く真理に、奈津紀は頷くと、真理が握っていた和泉守兼定をそっと受け取ると立ち上がった。

真理に背を向け、張慈円に向きなおる。

「この部屋の動力室はさきほど私が破壊しました。これでフェアに戦えますね。張慈円様?」

かちゃり!と抜き身の刃を構えた奈津紀の表情は、怒りでも悲しみでもない表情でそう言ったのだ。

しかし、白衣を羽織っただけでまともな服こそ着ていない千原奈津紀だが、傷は完治しており、オーラも十分で気力が溢れているのが肌で感じられる。

張慈円は、奈津紀の脅威を嫌というほど知っていたはずだったが、敵として本気で相対した場合との違いに瞠目していた。

慌ててオーラを全開で開放し、体中に紫電を纏って構えなおす。

バチバチと全身に紫電を纏いながらも、張慈円の汗は止まらない。

奈津紀も張慈円に呼応するようにオーラを開放させた。

張慈円のように激しく波打っていないが、刺すような冷たいオーラであり、そして奈津紀を中心に濃厚な死の気配が広がる。

「・・・すごいわね・・」

穂香に膝枕をして【治療】をしていた真理が、思わず声に出してしまったのだ。

かつて張慈円のアジトである港倉庫では、千原奈津紀の今展開しているオーラの中に真理はすっぽり入ったことがあるのだ。

(あの気配を向けられたら生きた心地はしないわよね・・。張慈円でもあの取り乱しようだもの)

「ごほっ!・・まりりん・・。穂香より先に御屋形様を診てよ~」

真理が全身に鳥肌を感じていると、膝元からのどかな声が聞こえた。

「その御屋形様が貴女を先に治せっていってるの。肋骨が折れてて肺に刺さってるし、貴女ちょっとにおうわね・・。それに口から吹いてる血が私にかかったわ・・」

「・・まりりん面白いね。穂香まりりんのこと気に入ったかも~」

穂香が張慈円に突貫するとき、一瞬の目配せだけで穂香の意図を真理が組んでくれたのが嬉しかったのだ。

「まりりん。なっちゃんどう?」

今だに首すら回せない穂香は、視線を二人に向けることができなかったのだが、すでに静かになった部屋の様子を知りたがったのだ。

真理の目には見えていた。回復も少しは進んだことだし穂香の脇を持ち上げ、見やすいように身体を引き上げてやる。

顔を引きつらせ紫電を纏った張慈円が吼えたところだった。

「千原!!俺が貴様をたっぷり可愛が・・・」

張慈円の反応速度を超えた奈津紀の和泉守兼定が、張慈円の首を一閃で断ち切ったのだ。

首は薄暗くなったタマゴ部屋の宙に舞い、恐懼の表情を張り付かせた張慈円がセリフの続きを言おうと口を何度か開かせていたが、言葉にはならず奇怪な呼吸音しか発せていない。

卑劣な手で女を凌辱した自慢話などを、この場にいる誰もが聞きたくなかった。

千原奈津紀自身がもっとも忘れたくて忘れられない恥辱を刻み込んだ張慈円は、首と胴が離されたのだ。

そしてその首は、ぶんぶんと回転して首から、汚らわしい血をまき散らしながら、最後はぐしゃり!と床に落ちたきり目を開いたまま動かなくなった。

「御屋形様!」

首が床に落ちたと同時に刀を鞘に納めた奈津紀が、弥佳子に駆け寄り膝をつく。

「・・・反省会は後ですよ奈津紀さん。真理。私もお願いします」

「ええ」

穂香をあらかた治療し終えた真理はそう言うと弥佳子に駆け寄ったのであった。

弥佳子、奈津紀、穂香、真理の4人が集まり、いまだ敵陣の中だと言うのに笑顔である中、部屋の中央には張慈円の胴体と、半分つぶれた顔が目を見開いたまま転がっていた。

香港三合会最強と謳われた雷帝張慈円であったが、最後の最後は趙慈円の数多い女性遍歴の中でも最高級の美味をむさぼった相手に首を切り落とされての最後であった。

【第10章  賞金を賭けられた美女たち 33話 剣聖復活!雷帝の最後終わり】第11章へ続く

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 1話 蜘蛛最上凪の苦悩 

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 1話 蜘蛛最上凪の苦悩 


「その件につきましては、弊社のほうで管理いたしております。ご安心ください」

大阪湾を淡路島側に一望できる部屋で、若い男はさわやかにそう言って微笑む。

その若い男はスーツ姿で、短く刈り揃えた短髪であり、その所作は若いながらも洗練されている。

いま数人の男女が商談に用いているこの一室は、人工島である浪花マリンピアに建造された高級ホテルの一つ、ワールドリゾート・宮川ロイヤルホテルの最上階レストラウンジの一室である。

浪花マリンピアはIR法施工に伴い、発足した国内最大のアミューズメント複合施設なのだ。

人工島浪速マリンピアに複合アミューズメント施設、リゾート・ワールド・NANIWA・カジノが落成すれば、アジア最大の国際カジノとなる。

浪速国際空港とも海路で直接アクセスできるようにもなっており、海上路ということもあり空港から高速船で15分の距離で利便性も高い。

その運営を一社で一手に引き受けているのが宮川コーポレーションなのだ。

その政府公認合法カジノ施設の落成式を2か月先に迎え、運営の全権を握る宮川コーポレーションでは、最後の調整に幹部職員から末端のアルバイトに至るまで大忙しである。

「では、資材の受け取りに関して、我々の荷であるというのに、我々は関与できんということかね?」

若い男の返事に、顎に髭を生やした青い目をした壮年の男は、少しばかりの不満を表情に滲ませ、隣で座る部下と目を合わせると、切り返してきたのだった。

青い目をした壮年の男は、働き盛りのいかにもやり手のビジネスマンという風貌である。

青い目のビジネスマンの心中は、若い男の返答次第では、商談はご破算にする意思があった。

だが若い男は落ち着いていた。

相手の不快に大いに理解できるという表情を浮かべながらも笑顔を崩さず、そして大きくうなずいてから、口を開く。

「誤解させてしまったのであれば私のミスです。ミスター・ブランチャード。もちろん、御社のほうで、視察や管理体制と言った態勢をとることも可能です。ですが、弊社は24時間体制で荷役業務に従事し、この中央分配デポより各協力企業様へと、割り振りさせていただく予定です。そうすれば、ミスター・ブランチャード。
御社としても余計な人件費をかけなくてもよいというメリットが生まれますし、早朝や深夜、そして急な荷受けに煩わされることはございません。
いかがでしょう。
それに決して御社が受け取りに関与できないということではありません。各社それぞれ専用のIDカードが発行させていただくことになります。ですので、カードを持った御社の職員であれば、いつでも中央分配デポの中に入っていただくことができます。逆にカードを持たないものはアクセスできませんが、それは警備という点では安心なのでは?弊社は御社の代わりにスムーズに24時間体制で資材を搬入し、厳重な管理のもと保管しておく。この資材搬入の件に関してはそれのみを目的としております」


若い男はテーブルに広げられた、浪速マリンピアの配置図を指さしながら、流暢に説明し終わると、再び笑顔を浮かべ一礼したのだ。

ブランチャードと呼ばれた壮年の実業家は、組んでいた腕を顎に当て、若い男を観察する。

ブランチャードは外食産業界では知られた実業家である。

その他の方面でもビジネスを展開しているが、やはり本業は飲食が中心なのだ。

食べ物の質は、食材の質がそのまま直結する。

そのため当然、食材やアルコール類の材料の管理、賞味期限、温度管理などにはかなり敏感なのだ。

ブランチャードは、ここにきて厳しい顔を見せてはいるが、ずいぶん前から概ねの方針は決まっている。

アジアに大きな足掛かりをつくるチャンスと、宮川コーポレーションという日本屈指の優良企業が運営するとなればこその決断である。

リスクとリターン、野心と安全を秤にかけて賽を振るのがビジネスの常識であるし醍醐味でもある。

当然ビジネスの世界において絶対はない。

しかし、それでもブランチャードという実業家の中で、ルールは決まっていた。

それは、どんなビジネスをするか、それと同じぐらい誰とビジネスをするかということは重要視しているのだ。

ブランチャードの目の前に座る男は、いささか若さに過ぎたが、ここ3か月ほどの付き合いで、なかなか有能な青年であることはわかっていた。

青い目の実業家、世間では男尊女卑の精神がある気難し屋と揶揄されている大物ビジネスマンであるブランチャードは頷いた。

「ふむ・・いいだろう。だが、食材は料理の基礎だ。その管理に他社が一枚噛む。宮川コーポレーションが優秀な企業というのは知ってはいるが、それでも言葉だけでは納得できなくてね。だが、君ならばトラブルがあったとしても、対処してくれるだろう。・・そのデポとやらに案内してもらいたいのだがよろしいかな?」

ブランチャードの言葉を予想していた若い男は、笑顔のまま目を閉じて一礼してから立ち上がる。

「ありがとうございます。ミスター・ブランチャード。もちろんです。本日その予定でおりました」

「うむ」と言ってブランチャードも立ち上がり、その部下も彼に倣って無言で立ち上がる。

「主任。ご案内して」

若い男は、傍らで控えていた快活そうな美女にそう言うと、その美女もブランチャードに笑顔で恭しく頭を下げた。

「ご案内いたしますわ」

明るい髪の色に、女としてメリハリのついたボディラインは、シックな色を基調としたビジネススーツでも隠し切れない。

銀獣こと稲垣加奈子その人であった。

二重瞼の大きな目には、可愛らしさと知性があり、その笑顔にも立ち振る舞いにも相手を安心させるいい意味で自信が溢れている。

商談相手の相性に合わせ、メインを男性にはらせて加奈子はサポートに徹していたのだ。

加奈子の心中はともかく案内役を仰せつかったことに対する不満など表情には微塵も感じさせていない。

加奈子のことを男勝りでガサツだと思うのは大いに間違いである。

その男勝りな面は、加奈子のほんの一面であるし主にビジネス面ではそういった部分は影を潜める。

明るく気さくな雰囲気から軽く見られがちだが、稲垣加奈子は思慮深く聡い。

そうでなければ、業務の成果を優先するためとはいえ、加奈子ほどの才媛のエリート社員が、自分より未熟な若い男のサポートなどできるはずがない。

「君は来ないのかね?」

やり手のビジネスマンとはいえ男尊女卑の精神に偏っているブランチャードは、その美女だけでは不満に思ったのか、若い男に向かって眉をひそめた。

「いえ、私もすぐに合流いたします。ご安心ください」

ブランチャードは杞憂だったことに安心してうなずくと、美女に促され部屋を出て行った。

若い男はブランチャードの背に向かって頭を下げ見送ったが、扉が閉まってたっぷり10秒がたったところで、ようやく肺に溜まった空気を軽く吐き出す。

「ふぅ」

安堵からやや表情をやわらげた若い男は、その大きな身体で伸びをしてから、片手を肩にやり、首をコキコキと鳴らす。

そのとき再び扉が開き、若い男のよく知る人物が二人入ってきた。

一人は小柄で細身、三白眼のショートカットの女性、宮川コーポレーション関西支社長執行役員の宮川佐恵子である。

佐恵子たちは、別室で商談の一部始終を見ていたのだ。

若い男は佐恵子の姿を見て砕顔すると、先ほどとは別人のように口調を変えた。

「支社長!どうでしたか?!」

鼻息を荒くして、若い男は佐恵子にそう詰め寄ったが、佐恵子の後ろに控えているもう一人の白ずくめの女性がそれを視線と言葉だけで遮ったのだ。

「近い。離れる」

若い男は白ずくめの女のセリフに、「うぐっ」と小さく呻いて動きを止めるが、ロングワンピースで白ずくめの女の目と声色に抑揚はない。

仕方なく、若い男は白ずくめ女の目付きが柔らかくなるまで後退する。

結局3歩ほど下がったのだ。

「凪姉さま、モブがわたくしに危害を加えることはないし、そんなことができないのはわたくしにも見えていますわ」

佐恵子の右目は、見る者が見ればわかる程度だが淡く灯っていた。

この1年で佐恵子の眼は、栗田教授の治療の甲斐もあってかなり良くなったのだ。

相変わらず左目は義眼で視力すらないが、一日中ということでなければ、右目だけで【感情感知】を発動しても痛まない程には回復している。

軽くため息をついた佐恵子は、ゆるく腕を組んだままの白ずくめの女に顔だけ向けて言うが、白ずくめこと最上凪は、無表情のまま佐恵子に向って静かに肯首したのみである。

モブこと茂部天牙は、最上凪に対してトラウマがあり、かなり苦手意識を持っていた。

最上凪は、見た目だけなら楚々と可憐な風貌だが、その中身の濃厚さは多くの者の想像も絶するだろう。

モブは1年半ほど前、蜘蛛こと最上凪に「腕試し」をされて、辛口評価を下されてしまった苦い経験が尾を引いているのだ。

モブはその後、何度も凪と腕試しと評し挑んでみたが、ことごとくあしらわれ続けているのである。

モブの能力は【複写】。

凪の能力の【糸】全般に関する技能を数多く【複写】して戦ってみたが、それでも凪に一度も勝てずにいたのである。

モブは、銀獣こと稲垣加奈子と組手をしても、凪同様いまだに一度も勝てずにいるが、同じ一勝もできない相手とはいえ、蜘蛛の強さは銀獣とは異質すぎると感じていた。

稲垣加奈子にも勝てたことがないが、頑張れば何時か勝てる日がくるかもしれないと思えるのだ。

しかし、蜘蛛と畏怖をこめて呼ばれる最上凪に対してはそんなことを到底感じたことがない。

(最上主任ってほんとに人間か?ってときどき思っちまう・・。神田川主任も怖えけど、最上主任の怖さって本当に命取られるような怖さがあるんだよなあ。いろいろわかってくると稲垣主任ってなんだかんだ言っても、秘書主任の中じゃ一番優しいんだよな)

先ほども自分を立ててくれて、秘書役に徹してくれた稲垣加奈子に心中で手を合わせて感謝の念を送る。

(稲垣主任。ありがとうございます!おかげで上手くいきそうっす!恵比寿ビール20ダース送るっす!)

モブは加奈子に感謝しつつも、無表情で見つめてくる凪の様子を伺っていたが、しゃべっても大丈夫だと判断すると口を開いた。

「支社長。いま稲垣主任がデポの方に案内してくれてるっすけど、たぶん本決まりっす。支社長の眼で見て、どうでしたか?いけそうっすよね?」

ガッツポーズをしてそういうモブに対し、佐恵子は細い目を更に細めて微笑を浮かべると、軽く頷いてやる。

男尊女卑の大物ビジネスマンが相手であったため、迷ったが佐恵子もあえてモブを商談相手に抜擢していたのだ。

そして、佐恵子は念のために別室から眼でブランチャードの感情を見ていたのである。

もしなにかあれば、不本意ながら魔眼の力を使うつもりであったが、今回はモブの活躍に素直に喜べる結果となりそうであった。

「ふふっ、お手柄ですわ。ここ3か月は神経をすり減らしたようですね。よく頑張りましたわモブ。眼で見てましたが決まりでしょう。これで店舗はすべて埋まりましたわね」

「いよっしゃあ!」

そう言って今度は盛大にガッツポーズをとるモブを、やや寂し気な微笑で眺めていた佐恵子は口を開いた。

「ほぼ勝ち確定ですが喜ぶのは早いですわ。優勢と勝利は似て非なるものです。行ってきなさいモブ。わたくしの能力で見た限り、彼の決意は固まっていました。待たせてはいけません。勝ちをきめてきなさい」

佐恵子はそう労って、モブこと茂部天牙の背を押すように促す。

「行ってくるっす支社長!・・約束忘れてないっすよね?!」

そのモブのセリフで部屋に入ってきてから初めて凪の表情が僅かに変わる。

形の良い眉の片方をピクンと跳ね上げたのだ。

モブも佐恵子も凪の様子に気が付いたが、モブは凪に追い払われないかと表情を硬くしながらも佐恵子の返答を待っている。

「忘れてませんわ」

微笑を浮かべた佐恵子のその言葉を聞いたモブは、満面の笑みを浮かべ白い歯を見せる。

「行ってくるっす」

そう言うと、モブは佐恵子と凪の横をすり抜けて、廊下を駆けて行った。

「・・・男ってずっと馬鹿なままな者も多いですが、成長する男というのは驚くような速さですわね」

モブの背を見送りながら、佐恵子は少し寂しそうな顔で呟く。

「・・・佐恵子。本気?」

凪はモブには、というか佐恵子以外の誰にでも手厳しいのだが不満をにじませて静かに言った。

「食事に付き合うぐらい良いではありませんか。そんなことぐらいお安い御用です」

「二人だけで行く。それは問題」

凪が護衛としてモブが頼りないと思っているのだと感じた佐恵子は、モブのフォローを兼ねて口を開いた。

「ここ最近は平和ですし大丈夫だとは思いますわ。香港も張慈円がいなくなってからは静かですし、高嶺とは・・真理のおかげで共同歩調と言えなくとも、邪魔はしてきませんしね。それにモブも少しは強くなりましたわ。そのモブが護衛を兼ねております。眼を使わなければ、今のわたくしよりモブの方がもう強いかもしれません。凪姉さまも当然それは感じてらっしゃいますでしょう?モブにずいぶん目をかけてしごいている様子ですものね?」

凪は無表情だが、佐恵子は長年の付き合いで凪のその表情が不満顔だということがよくわかる。

凪はモブのことを護衛としても非常に頼りないと思っているが、その件は言わずに、もう一つの懸念を佐恵子にぶつけてみる。

「・・・佐恵子がモブと二人で歩いたり食事をしているところを誰かに見られたら面倒。佐恵子。豊島哲司と付き合ってた。これは社内の多くの社員も知るところ。そして、いまは付き合っていないのも社内の人間は知っているものも多い」

しかし、凪のこの切り口はマズかった。

「・・・豊島さんは、今回のこととは関係ありませんわ」

佐恵子が眉間にしわを寄せ、表情をぞっとするほど冷たくさせてそう吐き捨てたのだ。

じつは1か月ほど前、凪の【糸】が豊島哲司、三出光春、北王子公麿が風俗に行っているところをキャッチしてしまったのである。

それを止せばいいものを、空気の読めないコミュ障の最上凪は、馬鹿正直に佐恵子に報告してしまったのだ。

彼氏が風俗に行くのを容認できるほど、佐恵子は女として割り切れないし、忙しさにかまけて彼氏にSEXを年に3回しかさせていないことが、男にとってどれほどのことかを理解してあげるほど人間はできていなかった。

風俗イコール浮気だとブチ切れた佐恵子は、自身の私室に置いてあった哲司の私物をすべて廊下に投げ捨てたのだ。

そしてそこへ、何も知らずツヤツヤした顔をして風俗から帰ってきた豊島哲司を佐恵子は小一時間ほど滅多打ちにしたのである。

佐恵子にボコスカ殴られながらも、とっても頑丈な豊島哲司はキズ一つつかなかった。

しかし、それがかえって佐恵子をヒートアップさせ、警備の八尾部長達も手が付けられぬ騒ぎになったのである。

痴話げんかとしては壮絶であったが、ケガ人が出なかったこと不幸中の幸いであった。

凪は知っている限りの男の生態に関しての正論を言ってみるが、それが佐恵子のような嫉妬心と独占欲の強い女には逆効果であることなど、コミュ障の最上凪にはわからない。

「わたくしがいながら、他の女との行為に及ぶ方のことなど・・!」

「性交ではない。口だけ。そもそも佐恵子が豊島哲司との時間をとらなさすぎ。私の記憶違いでないなら、1年で3回しかプライベートで会ってない。しかも佐恵子が部屋で豊島哲司と最後に会ったのは8か月も前・・。それだとオスは他の女に目移りしても仕方ない」

凪が火にドボドボとガソリンを注ぐ。

「よく覚えてますわね?!・・・わたくしだって好きで会わなかったわけではありませんわ!仕事で忙しかったのですから仕方ないではないですか!しかし予定が合わないからと言ってどこの馬の骨とも知れぬ女と・・。汚らわしいことこの上ない!」


このフロアに誰もいないことがわかっていた佐恵子は怒鳴ると、踵を返してカツカツとヒールを鳴らして歩き出す。

佐恵子の様子に、凪は無表情ながら困憊していた。

(真理。帰ってくる。どうすればいいのかわからない・・・)

戦闘においては比類なき強さを誇る最上凪であるが、言葉が拙く、自身がシンプルな考えをするがゆえに、他者の感情を汲み取るのが苦手なのだ。

そしてビジネスにおいては卓越したバランス感覚を持つ宮川佐恵子であるが、恋愛経験が少ないうえに、仕事にはストイックすぎるのである。

恋人との時間を省みず、健全で逞しい男を1年で3回しかベッドで相手にしなかったことが問題だとは気づけないのだ。

その行為の少なさが、豊島哲司を風俗に再び通わせてしまった原因であることなど、恋愛レベルポンコツな佐恵子にはわかる筈もなかったのである。

そのうえ最後に肌を重ねたのは、8か月以上も前である。

付き合い始めて間もないカップルがそんなありようでは、たいていうまくいかないだろう。

好みがわかれるところとはいえ、佐恵子は十分美人と言えるし、女としてのフェロモンも濃い部類だ。

そんな彼女が、男の性欲には鈍感なのである。

健全な男にとってはたまらないはずなのだ。

神田川真理が宮川佐恵子の傍にいたならば、このような事態は防げたはずなのだが、その真理はここ1年程高嶺製薬に出向している。

3か月に1度は宮コーに顔を見せるのだが、その頻度ではさすがに神田川真理でも制御不能だったのだろう。

いや、モブに菩薩モドキと陰で揶揄される真理が、わかっていて放置していたのかもしれない。

だが、真相はわからないし、とにかく真理は不在なのだ。

1年前、張慈円を狩る目的で襲撃した際から、真理の提案で高嶺製薬ともアライアンス提携をしたのである。

具体的な共同事業の内容は決まっていないが、長年の確執を取り除き、現状ビジネスにおいて発生している二社間のマイナスの除去が当面の目的となっている。

真理がその指揮を高嶺側で執り、高嶺静という高嶺家血縁の者が、宮川側で指揮を執っているのだ。

いままでの確執もあり、お互いに交換させられた幹部社員は数人の部下と共に、ギスギスとした雰囲気の中で業務を進めている。

しかし、神田川真理も高嶺静も、そのようなストレスやプレッシャーで胃を痛めるタイプではない。

アライアンス提携をして最初の半年間は、二社間の確執は全く緩和されなかったが、1年も経った今では、少しずつであるが成果は出てきている。

それ故に、成果が出始めたばかりであるのに、神田川真理が宮コーに帰ってくるわけにはいかない。

ビジネスに関しては無頓着に近い凪でも、真理の帰還がまだまだ先だと予想がたつ。

その考えに至ったため、げんなりした思いから凪らしくもない嘆息をしてしまうが、凪にとって懸念は消えず、佐恵子は小柄な体で肩をいからせてエレベーターにすでに乗り込み、凪が乗り込んでくるのを待っている。

凪もそれに続くが、今日は、これ以上この件で口を開くことはなかった。

凪はそんなスキルは持ち合わせていないので、あきらめることにしたのだ。

(豊島哲司・・・自分で何とかする。私に真理の真似ごとはできない)

凪はそう割り切ると、いつもの表情に戻って佐恵子の背後の定位置にピタリと付いたのであった。

並みの能力者程度なら、視力強化をしても見えない細さの糸が、凪を中心に張り巡らされいる。

そしてその何万本にも及ぶ糸が、凪の意思一つで硬質で鋭利な刃物や、粘着性のモノに変化させることができるのだ。

宮川昭仁会長の側近であった蜘蛛こと最上凪さえいれば、佐恵子の護衛は完璧といえた。

(私にできるのはこういうこと。それ以外のことは私以外の人間がやるはず・・・)

柄にもなく、不得手なことに首を突っ込んだ凪は、自分をそう戒めると、最初から何の変化も無いように見える表情に、人知れず平静を取り戻していた。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 1話 蜘蛛最上凪の苦悩 終わり】2話へ続く

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 2話 名工菊沢美佳帆の工賃そして幻魔来訪…

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 2話 名工菊沢美佳帆の工賃そして幻魔来訪…

「創作和食・良酒蘭」の座敷は、2次会特有のはっちゃけ気味な光景が広がっていた。

人工島カジノ「NANIWA・マリンピア」の落成式を明後日に控えた能力者の面々たちが、勢ぞろいし、ずいぶん酒がすすんでいるのだ。

17:00からは関西支社全社員による決起会と親睦会を兼ねたパーティーがあり、それがお開きになったその後は、佐恵子の計らいで能力を持つ幹部社員が、この「創作和食・良酒欄」に集められていたのだ。

「計画は成功ですわ。みなさま大いに飲んでください。今回はこのモブもお手柄でしたの。みなさま拍手を」

佐恵子が音頭をとりそう言うと、頭をかいて照れるモブに対し、すでに出来上がってる面々は盛大な拍手を送って更に盛り上がり始めたのである。

「みなさまのおかげっす!稲垣主任には頭が上がらねえっす!こないだアゴで使うような真似してマジすいませんっした!」

「そうでしょうともそうでしょうとも!加奈子さま最高って言ってもいいわよ?!」

「加奈子さま最高っす!」

モブと加奈子のやり取りに、どっと歓声が上がる。

その歓声と拍手がやむと、アゴは髭で濃いのに、額は薄い男が仕事で発揮できない本領を炸裂させだした。

「よっしゃ!次はワインや!今日はとことん飲むで~!!」

「ちょっとモゲくん!飲み過ぎよ!モゲ君はいつもとことん飲んでるじゃない!」

お嬢こと伊芸千尋は、酒瓶を片手に騒ぐ額の薄い彼氏を窘める。

「かまへんかまへん!今日は祝いやで?アジア最大のカジノの完成やで?こりゃ飲まんわけにいかんやろ!千尋ももっといっとけ!これなんかええんちゃうか?75年のロマネ・コンティや!千尋、赤も好きやろ?俺のおごりや!」

モゲこと三出光春は、すでにグロッキー気味になって酩酊している画伯こと北王子公麿と肩を組み、禿げあがった頭を皮脂でテカらせ、千尋を片手で抱くようにして、酒瓶をあおっている。

「モゲ君のおごりじゃないでしょ?!いくら何でもそんな高いの頼んだらダメよ?!!」

メニューに表示されている価格をみて千尋声をあげるが、そう言う千尋の顔も相当赤い。

今日ばかりは、普段お淑やかな伊芸千尋も飲んでいるのだ。

「せっかく真理さんが帰ってきてるのに、モゲ君!そろそろ離して下さい!真理さんのもとへ行かせてください~!」

真っ赤な顔で焦点も定まらない公麿は、ズレたメガネを直してそう言うも、言ったそばからすでに飲み過ぎているらしく、モゲに肩を揺さぶられるにまかせている。

菊一の面々は、もともと酒豪ぞろいのせいもあって、一次会に続き相当酒が進んでいた。

普段寡黙気味な菊沢宏ですら、サングラスをした顔を酒で赤くさせて、ぴたっと寄り添うように座ったスノウこと斎藤雪の言葉に相槌を打っている。

宏とスノウは仕事で、会話はするものの、仕事以外の会話はほとんどしないのだ。

スノウは、ここぞとばかりに宏を独占し、おしゃべりを楽しんでいるのである。

「部長。やっぱりお酒強いですね。ふふっ・・高校の時も、私たち何かあればこうやってお酒飲んでましたよね・・。校則やぶって飲酒しちゃうような不良なのに、部長、成績はずっとトップなんですもん。私いっつも部長に勝てるように頑張ってたんですよ?でもぜんぜん敵わなくって・・。ほんとに何時勉強してたんですかあ?あの時だって、私たちと朝まで走り回ってたのに・・ほら、画伯が半グレの人にさらわれた時ですよ・・。・・・聞いてます部長?」

いじらしくも宏の隣にピタリと座り、盃があかないようにと酌をしているが、相槌ばかりで、話しかけてくれない宏に焦れたスノウは、作戦を変えてみた。

「・・・私、酔っぱらっちゃったみたい・・・」

そう言ってスノウは宏の腕を抱くように掴むと、サングラスを下から覗き込むようにして目を潤ませている。

「そうかぁ・・スノウ・・ちょっと酔い醒ましたほうがええんちゃうか?」

「いいですね。外に涼みに行くのも・・。行きましょうか」

宏のセリフに、スノウは潤ませた目のまま、宏の腕を引っ張って立ち上がろうとする。

「・・・」

宏は、先ほどから積極的なスノウを気にしてか、美佳帆の様子をちらちらと伺って、スノウから離れてモゲのところに混ざろうとしているのだが、スノウは宏を独占できている今を逃さないように頑張っているのだ。

(なんってこっちゃ・・。なんで誰も止めにけえへんのや・・。誰か助けてくれ・・まあスノウやしな…別に嫌やないんやが…さすがにこりゃマズいんちゃうか?しかしスノウってこんなキャラあったかのう?酔うてもいっつも冷静あったのに…)

宏は、サングラスで隠した目を左右に泳がせるも、誰も宏に助け船を出そうとする者は見当たらない。

みんなそれぞれに楽しんでいるのだ。

そしてその宏たちの隣の席では、稲垣加奈子と菊沢美佳帆が、今日の決起親睦会の為に帰社した神田川真理と近況を楽しそうに話し合っていた。

美佳帆もスノウのふるまいと、宏の様子には当然気づいていたが、気づかぬふりを決め込み、久方ぶりに帰還した神田川真理との話に花を咲かせている。

橋元とひと悶着があったあと、宏と美佳帆も別居状態なのだ。

仕事中は普段通りなのだが、別々のところに住んでいる二人は、プライベートな会話は皆無となっていた。

橋元たちに凌辱されていたのを助けてくれたのは、夫である宏なのだが、それでもお互いに気まずい思いが拭えずに尾を引いているである。

それに美佳帆は、宮コーで緋村紅音と戦った時に、スノウの能力によってスノウの宏に対する想いを、嫌というほど知ってしまっている。

可愛い後輩の想いを知ってしまった今、スノウが宏に露骨なアプローチをしていることに対して、割り込むような真似をしてしまうことに気が引けてしまっているのだ。

美佳帆には文句を言う権利は当然あるのだが、夫の宏とは1年以上もレスである。

宏とは仕事上の会話はしているとはいえ、夫婦の営みはここ1年皆無なのだ。

そんな状態で、女房面をしてスノウを責めるのは、美佳帆としても気が引けたし、スノウが純粋に宏を慕っているのは、あの時によくわかってしまっている。

それに1年もレス状態あのである。

2人とも既婚者とは言え、元々モテまくる2人なので、優秀すぎる至極の雄フェロモンを無意識気に巻き散らかしながら歩く宏に言い寄る女性はスノウ以外にも山ほどいるし、美佳帆にしても今年で39歳を過ぎ40歳を迎えるとは思えない美貌なので、今でも20代の男性からでもアプローチがあるほどなのだ。

そんな事もあり、宏はわからないが性欲も性に対しても比較的アグレッシブな美佳帆の事なので、1年間宏とはレスなのだが美佳帆自身がレスだったかどうかはわからない。

そのため、美佳帆は真理が口にした意外な内容に対して、自身の心中を誤魔化すように、ことさら驚いたふりをして答えたのである。

「へぇ!私も高嶺の刀工鍛冶場を見てみたいわ!」

「弥佳子も美佳帆さんが造った鉄扇のことをおっしゃってました。菊沢部長が持っているのを見せてもらったことがあるそうなのです。弥佳子は、その出来栄えを頻りに褒めていましたよ?・・可能ならば自分用に1本見繕ってほしいと・・。刀を持ち歩くのはどうしても目を引いてしまうから、お忍びのときにも護身用に鉄扇が欲しいそうなのです。弥佳子が、高嶺の刀匠たちに造らせてみたものの、美佳帆さんが造った物とはずいぶんと出来が違うようなのです。彼らは、刀造りは上手なようですが、鉄扇は今まで作ったことがないそうで・・・。ですから、美佳帆さんさえよければなのですが・・。玉鋼など、必要な良質な鉄はいくらでも送ると弥佳子も言ってます。・・どうでしょう?」

1年も高嶺製薬に出向している真理は、高嶺製薬の代表である弥佳子ともずいぶん打ち解けている。

真理は頼みにくそうにしながらも、美佳帆に切り出してみるが、美佳帆はあっさりとこたえた。

「いいわよ」

美佳帆は親指を立てて、笑顔でウインクして言ったのである。

美佳帆の即答に真理は胸をなでおろした。

「よかった。断られるかと思ったので、弥佳子には期待しないでと言っておいたのですけど、肩の荷がおりましたよ」

真理が安堵して顔を綻ばせる。

「一本800万かな。希望の入魂や鍛錬は別途追加でいただくことになるけど、安くしとくわよ?!」

美佳帆は親指を立てたまま、笑顔である。

「ええ。そのぐらいはしますよね」

「真理さんの頼みだし、格安にしといたわ!」

流石は真理である。

心中はともかく美佳帆に対し、真理は笑顔を全く崩ずそう言ったが、横で加奈子がお腹を抱えて笑い転げだした。

「あはははっ!美佳帆さんこの顔覚えておいてくださいよ?!これは真理しゃんが、意表を突かれたときの顔です!写メ!写メ!」

「ちょっと・・加奈子。何を言い出すのよ?」

真理が笑い転げる加奈子を、じっとりとした目で睨みつける。

「だって!真理しゃん。いま『くっそ高っか!』って思ったでしょ?!いーひひひひ!その顔も最高!」

「あ、そうなの?」

と真顔の美佳帆。

「そんなこと思ってないのよ美佳帆さん」

真理が笑顔のまま応える。

「ウソばっか!」

加奈子は真理を指さして笑い転げている。

「えっ?えっ?!どうなの真理さん」

「いえいえ・・。ちょっと・・加奈子!」

「こんな顔の真理しゃんを見られるなんて、今日はこれだけでも価値がありますよ!いひひひっ!」

そう言って、加奈子は笑い転げながらもスマホのレンズを真理に向けてシャッターを押しだしたのだ。

真理の笑顔が少し違ったテイストの笑顔に変わる。

どぐっ!

「はがっ!?」

笑い転げていた加奈子が奇っ怪な悲鳴を上げて、身体をくの字にしたのだ。

加奈子のわき腹を、笑顔の真理が拳で抉ったのである。

「わかったわよ加奈子!こうされたかったんでしょ?!違いないわね?!もう何年もこうしてあげてなかったから久しぶりにしてほしいんでしょ!?」

「いやぁああ!真理しゃん怒らないでくださいよ~!!」

身を護るように身体を丸めた加奈子のお尻を、真理が平手で叩きだす。

お尻を平手打ちされながら、真顔で800万円を要求していた美佳帆の顔と、冗談ながらも怒った顔でお尻を叩いてくる真理の様子をみて加奈子は座敷で笑いだしたのだ。

無礼講とあって、真理と加奈子も羽目を外して大いに楽しんでるのである。

真理と加奈子の身体を張った催しに、固まって飲んでいた岩堀香澄とモブこと茂部天牙、そして、すっかりモブと和解した雨宮雫と楠木咲奈の二人も、直属の上司の珍しい寸劇にお腹を抱えて笑い出したのである。

ビジネスシーンでのお淑やかな二人のエリート淑女は、まるで別人と見間違うような笑い声をあげて楽しんでいるのだ。

「主任!ああ!・・・あの神田川主任が稲垣主任のことを・・!これは事件だわ!」

「きゃぁあ!主任たち何やってるんですか!?でも・・良い!シュールです!」

咲奈が両手で顔を覆い、雫も珍しくも信じられない光景だと言わんばかりの表情で二人の上司が畳の上でじゃれているのを興奮気味に見入っている。

「おおぅ!関西支社の双璧の才媛がこんなことに!・・もうちょっと・・!もう少しでお二人のパンチラが見えそうっす!これは本当に事件っす!」

「茂部君!」

香澄は茂部の耳を引っ張って、畳の上でじゃれている二人から引き離す。

「いててて!冗談っすよ!岩堀部長!いてて!」

双璧の才媛二人が畳の上でじゃれ合っているのと、モブと香澄の様子に、他の面々もどっと歓声を上げだした。

「みなさま、本日は無礼講ですわよ。浪花マリンピア計画をすすめてこれましたのも、みなさまのおかげです。大いに飲んで楽しんでください。三出さん・・今日ばかりはどんなに飲んでくださってもけっこうですわよ?ロマネ・コンティ注文なさい」

佐恵子も今日ばかりは仕事にストイックな仮面を外し、普段から下品なことばかり言うモゲこと三出光春にも、甘い顔を見せてやる。

「さすがや!愛してるで佐恵子さん!」

「調子に乗り過ぎない!!」

佐恵子の言葉に感激し、すかさず投げキッスを返すモゲに、千尋がモゲの頭を叩いてツッコミを入れる。

モゲと千尋のやり取りに、一同が声を上げて笑う。

「真理!加奈子!久しぶりに会ってじゃれ合うのもけっこうですが、怪我したりお店をこわしてはいけませんよ?今日は貴女たち二人が暴れても、取り押さえてくれそうな人たちが揃っていますが、この店に迷惑をかけないようにしてくださいね?」

佐恵子が盃をあげてそう言うと、更にどっと歓声があがる。

「じゃれてなんか無いわ佐恵子!ちょっとこのお調子者に教育しているだけですから!」

「きゃははは!くすぐったいですってば真理しゃん!」

「ええい!加奈子には一度きっちりわからせてあげようと思ってたんです!覚悟しなさい!?」

「ちっちっち!真理しゃんのパワーでは私をどうこうするなんて・・・・うきゃああ!?」

畳の上で押し倒されながらも、人差し指を左右に振って真理を挑発していた加奈子が嬌声に近い悲鳴を上げた。

真理が、加奈子のブラウスの裾から手を突っ込み、ブラの下に腕を通して首を掴んだのだ。

「覚悟なさいって言ったでしょう?!」

「ちょっ!真理しゃん!反則っ・・!」

関西支社きっての才媛の二人が、場を盛り上げようと頑張ってくれているのだ。

そんな様子に佐恵子も声を立てて笑い、隣にいる蜘蛛こと最上凪と、高嶺製薬から出向し、1年ほど佐恵子の業務を手伝っている高嶺静の肩を叩いて、真理と加奈子を見るように促している。

しかし、そんな楽しそうな様子の面々をよそに、末席の隅で鬱々としたオーラをにじませて一人飲んでいる男がいた。

豊島哲司である。

哲司は面々の楽しそうにしている様子を眺めていたが、高嶺静が席を立ち真理達を止めようと移動したのを見計らって、佐恵子の席まで近づいてきた。

「佐恵子さん」

哲司の声は聞こえたはずだが、佐恵子は目を合わせようともしない。

それでも哲司は構わずに佐恵子の席の前に腰を下ろした。

佐恵子の顔から笑みが消える。

「・・豊島さん。楽しんでらっしゃいませんね?もしかして、この場に相応しくない話をなさるおつもりですか?・・・どうぞ遠慮してくださいませ」

佐恵子は真理と加奈子の方へと向けた目そのままにして、辛辣な拒絶のセリフを哲司に浴びせかけた。

その佐恵子の様子をすぐ隣で聞いていた最上凪は、なんとか豊島哲司に助け船を出したいのだが、凪はそんな器用なことができる女ではない。

凪にできるのは、目だけで豊島に「がんばれ!」とエールを送るのみである。

「ほな、あとで時間とってくれるか?」

一人だけお通夜のような表情の哲司はそう言ってみるが、佐恵子の返事はつれない。

「・・・どうかしらね」

佐恵子はそう言って、グラスのリムに唇を当てちびりと喉を潤す。

そう佐恵子が言ったきり二人の間には沈黙が続く。

加奈子と真理を中心に騒ぐ面々をよそに、店員が忙しそうに新たな料理や注文されたアルコールを運び、空になった皿を下げ忙しく働いている。

真理と加奈子の寸劇で盛り上がっていた面々も、上座の様子に一人二人と気が付き始めた。

佐恵子と哲司の二人の周りには重苦しい空気が漂っており、そのとなりで白づくめのボディガードが、「この空気、誰か何とかして」という思いを誤魔化すように、佐恵子と哲司のことなど気づかないふりをして、白身魚のお造りを口に運んでいるのである。

本来なら険悪になる前に、佐恵子の近くに侍った側近が気を利かすのであるが、いま佐恵子の傍にいるのはコミュ障の最上凪だけである。

真理は、胡麻を擦る為の長さ20cmほどのスリコギ2本を使って、スカート越しとはいえ、加奈子のしりこぶたで太鼓の達人の真似事をしていたのを止めて立ち上がる。

「豊島さん・・」

真理が言いかけたところで、貸し切りにしていた個室の扉が突如開かれた。

木枠でできた襖が、スパンと音を立てて開き、暖房と酒気と熱気で温まった部屋に、清涼で乾燥した空気が流れ込む。

「っと・・よかった~!ここであってたわねえ。違う部屋だったらどうしようかと思ってたのよ」

部屋の空気の流れの変化と、よくとおるが聞きなれない女の声に一同は振り返った。

「お揃いですね。角谷部長に聞けばここだと教えてくれましたので、押しかけてまいりましたわ。私たちも混ぜてくださいな」

宮コーの指定のスーツに身を包んだ女性が、佐恵子の方に向かって両手を頬の横で合わせながら身体をくねらせてそう言ったのである。

佐恵子を含む古参のメンバーが、驚きのあまりとっさに言葉を失って突然登場した女性に目を見張る。

その女性を見た元菊一事務所の面々は、一様に「誰?」という表情をして佐恵子に顔を向け、すぐに真理と加奈子にも同じように視線を投げかけた。

しかし、佐恵子も真理も加奈子も驚いた表情のまま答えない。

最上凪だけは、近づいてきている彼女たちに気づいていた。

這わせていた【糸】にはとっくに反応があったのである。

凪は念のために指先に力を集中させた。

凪の気配の変化を敏感に察知した女性は、凪に対して軽く一礼をしてから声を掛ける。

「最上主任。お久しぶりですねえ。ご挨拶に伺っただけですから私たちに殺気なんてなかったはずですよぉ?もしそうだとしたら、私たち同じ宮コーとはいえ、とっくに仕掛けられてますよね?怖いですわあ」

ふっくらした唇に真っ赤なルージュを引いた女性は妖艶な笑みを浮かべて、黒く塗られた爪が映える白い手を振ってそう言い、蜘蛛を牽制する。

「宮川お嬢様。お久しぶりでございますね。突然このような場に押しかけて申し訳ありません。非礼をお詫びいたしますわ」

「いえ、ご無沙汰しております。常務のご活躍ぶりは私の耳にもよく聞こえてまいります。叔父様も常務にはとても期待なさっていると役員会でも言われていますわ」

「ふふっ・・それは身に余る光栄というものです。しかし、今回の宮川お嬢様のご活躍に比べれば、私の社に対する貢献など霞んでしまいますことですのよ。さすがは会長のご令嬢です。本当に感服いたしますわ」

そう答えた女は、佐恵子に対して慇懃に恭しく頭を下げる。

その所作は、初対面であう菊一の面々から見ても、洗練されていた。

そして、驚くべきことにまったく隙が無い。

初対面の菊一メンバーの顔にも、この女が只者ではないことがわかったようで、一同の表情に警戒の色が漂う。

「石黒実花。久しぶり。佐恵子。石黒は話があって来ただけだと思う。ぜんぜん殺気がない」

最上凪が、緊張しかけた場の空気をできるだけ解すように、口を開いた。

「あらん?・・名前覚えてくれてるなんて嬉しいわ。会うのは2度目のはずだからすっかり忘れられてると思ってましたよぉ。最上主任」

幻魔という二つ名を持つ宮川十指の一人、石黒実花。

宮川誠派の側近中の側近であり、表向きは、秘書主任と常務執行役員を兼任する太平洋に敷設された、巨大な資源採掘洋上プラントの責任者である。

そして裏では、暗部と呼ばれる宮コーの恥部の組織のトップでもある。

宮川佐恵子の参謀が神田川真理であるように、宮川誠の参謀はこの石黒実花なのである。

佐恵子は凪の言葉に頷いたが、石黒のすぐ後ろに、よく知る見知った顔を見つけ酔いも吹き飛んだのであった。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 2話 名工菊沢美佳帆の工賃そして幻魔来訪… 終わり】3話へ続く

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 3話 悲しき再会

第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 3話< 悲しき再会/strong>

「・・・紅音」

佐恵子のかすれた声に菊一メンバーが色めき立つ。

「なっ?!」

1年前、宮川コーポレーション関西支社内で烈火を纏い美佳帆たちを追い詰めた悪鬼が、石黒実花の後ろに佇んでいたのである。

酔いも吹っ飛んだ美佳帆は立ち上がり、腰に差していた鉄扇を抜き払ってスノウたちを庇うように身構えて吼える。

「よくも顔を出せたわね!」

「紅蓮?!」

美佳帆があげた声に、座敷の間の入口にいる緋村紅音を確認した千尋が口元を抑え悲鳴に近い声を上げた。

千尋とアリサはあのときに、圧倒的な紅蓮の火力で致命傷を負わされたのだ。

間一髪で霧崎美紀らの救援が間に合ったとはいえ、喉を焼き切られた痛みを思い出し、千尋は無意識に熱閃で貫かれた喉を手で押さえて身を固くしてしまっている。

「な・・なにしにきたのよう!」

アリサも紅蓮こと緋村紅音に向かってそう言ったものの、彼女が掌から発した火柱に正面から飲み込まれたことを思い出し、両手で自分の肩をだき、身を縮こまらせていた。

すでに、宏と哲司も女性陣を背に隠すようして身構えている。

スノウも宏の背に庇われながらも、美佳帆と同じように鉄扇を構えて込み上げてくる動悸を抑えようと苦労していた。

酔っぱらっていたモゲですら、その顔に冷や汗を浮かべながらも震える千尋を、背に隠すように庇っている。

「おのれは・・、俺らをあんな島に送りこんどいて、ようまあ顔だせたもんやのう?!ええ?緋村紅音さんよう!」

モゲはそう挑発したものの、紅音は悪態に反応せず、無表情でそこに佇んでいる。

その様子に、モゲは恐怖とも怒りとも分らない理由で顔を引きつらせた。

「俺みたいなもんはアウトオブ眼中ってわけか・・?!」

モゲが広くテカった額に血管を浮かべてそういったところで、石黒が口を挟んだ。

「あらあら、予想通り紅音ちゃんは嫌われてるのねえ」

座敷部屋の空気の激変に、石黒実花は本当に少し慌てた様子で紅音を庇うようにして口を開いたのだ。

しかし、目の前にいる面々が、紅音の純粋な強さをわかっているためだろうか、紅音に誰も掛かってこないことを確認すると、落ち着いた所作で優しく続けた。

「紅音ちゃん。・・・ご挨拶しときましょうか?」

石黒は伏し目がちにそう言うと、紅音の背に手をまわし、場にいる面々の前に立たせたのである。

以前と変わらぬ姿、黑を基調とした宮コー指定のスーツに身を包んだ紅蓮こと緋村紅音。

元関西支社長で宮川佐恵子を目の敵にしている最強の政敵のはずだが、姿は以前と同じだが、纏う雰囲気や醸し出す空気感がまるで違う。

見た目に違う点と言えば、以前はきめ細かな色白な肌であったのが、今は日に焼けて、肌は小麦色になり、髪も若干傷んでるように見える。

しかし、大きな違いは見た目ではなく、紅音の纏う雰囲気自体が、依然とは全く違うのだ。

石黒実花の紅音を見る目に憐憫があるように見えたのを佐恵子は見逃さなかったが、それよりも紅音の様子が気になってしまう。

紅音の形の良い指先を彩っていたマニキュアはなく、爪は短く切りそろえられていた。

それに、普段の人を見下した、高慢ちきな雰囲気がまるで無い。

佐恵子はイヤな予感を押し殺す。

「まさか」という思いが勘違いであってほしいと祈りながら、固唾をのんで紅音の言葉を待った。

「佐エ子。久しブり。げんキにしてた?」

紅音のその口調を聞いた途端、佐恵子の淡い期待は彼方へと吹き飛んでしまう。

「紅音・・!」

紅音の第一声を聞いて、佐恵子は一気に涙目になり口を覆ってそう言うのがやっとであった。

「石黒常務!?紅音に・・紅音を!・・貴女という人は!!」

石黒の能力を知る佐恵子は、顔を赤くして石黒に詰め寄る。

石黒の両肩を掴み、佐恵子は右目を黒く灯らせて血相を変えて怒鳴ったのだ。

「・・お嬢様。私も好きで紅音ちゃんをこうしたのではありませんよ。本当に残念です。同期の桜で、紅音ちゃんは否定するでしょうけど、私の親友でもあるんです・・・紅音ちゃんをこんな風にしてしまうのは私も・・お嬢様と同じ思いですわよう」

そう言った石黒の眼にも涙がこぼれんばかりに溢れていた。

アイラインで真っ黒の目尻に大粒の涙が伝う。

「石黒常務・・・。説明してくださるかしら・・?」

佐恵子は絞り出すような声でようやくそれだけ言って、屈託ない顔をした紅音から堪らず眼を逸らせる。

「はい。社からは正式な社名を帯びてこちらに参りましたが、お嬢様に紅音ちゃんを合わせたくなって、予定より1日早くこちらにきたのですから」

石黒常務は、人工島NANIWAマリンピアの落成式に、役員として出席する予定であることは佐恵子も事前に聞いていた。

だが、洋上プラントの維持運営に多忙を極める彼女がたった1日とはいえ、予定を早めるのは相当スケージュールを無理したのだと佐恵子も理解できる。

佐恵子は「こちらに」と言って、石黒実花を自身の席の隣に誘うと、一同に向かって言った。

「みなさま大丈夫ですわ。ご紹介いたします。こちらは本社常務執行役員の石黒実花さまです。加奈子や真理以外は初めてですわよね?石黒常務はわたくしの叔父である宮川社長の秘書主任も兼ねております。そのうえ、普段は太平洋に敷設された資源採掘プラント「パシフィック・ベース」の責任者という重責を担っておりまして、当社になくてはならない人材のお一人ですわ。そして、わたくしの先輩で・・・こちらの紅音の同期の方でもあります。このメンバーに伏せておいても仕方ありませんから言ってしまいますが、彼女は宮川十指の一人、幻魔の二つ名を持つ能力者ですの。・・・はっきりいって石黒常務の立場は、派閥という観点からみれば、私の協力者というわけではございません。その石黒常務がこの場にあえて来られたのはそれなりの理由があると思います。ですが、それだからこそ今日は危険なことはありません。みなさま・・突然の余興に驚いたとは思いますが、どうか気にせず・・そのままお楽しみください」

佐恵子はそう口早に説明をすると、緋村紅音を伴った石黒実花を自身の席の近くに座らせ、目配せで加奈子と真理に来るように呼んだのである。

「真理も加奈子も久しぶりねえ。仕事は忙しいけど、たまの休暇になっても本土に帰って往復するには大変だし、パシフィック・ベースは釣りや日光浴ぐらいしか娯楽がないからなかなか・・ねえ。休暇の日には真理も加奈子もたまには遊びにきなさいよう」

傍に座った二人の秘書主任に対して、石黒はできるだけ表情をやわらげて声を掛ける。

「お久しぶりですね。石黒常務」

「ええ、ですがパシフィック・ベースには、他部署の者はそう簡単に降りられないと聞いてますが・・?」

真理も加奈子も、来訪の意図がわからない対立派閥の中核人物の真意を読みかねてか、表情を硬くしてそういうのがやっとである。

ましてや、すぐそばには命をかけて戦った紅蓮も座っているのだ。

異様すぎる組み合わせである。

「あなたたちが来るのなら歓迎しなくちゃだからなんとかするわよう。でも来てくれる時は事前に連絡してね?プラントはすっごく広いから私も走り回ってるのよ。一人で目を光らせるのはなかなか大変よう・・。まあ、紅音ちゃんが来てくれていまは大助かりなんだけどね」

石黒も会話がスムーズに進むようにと配慮してのセリフを二人に返す。

佐恵子、真理、加奈子、そして石黒実花と緋村紅音がお互いの顔を突き合わせるようにして、席を囲んでいる。

その輪の外側で、佐恵子の後ろに最上凪も腰を下ろした。

しかし、それ以上世間話をするのは無理だと思った実花は、本題を切り出す。

「・・・紅音ちゃんが、お嬢様に会いたいとしきりに言うので連れてきたのよう。こういう機会はめったにないしね」

「佐エ子。ほンとうにひさしブり。髪きっタのね?いめちぇン?ワたし、佐エ子ハ髪ながイほうがすキだわ」

小柄で愛らしい顔をした緋村紅音そのものであるが、以前のような人を見下すトゲトゲしさと威圧感はまるでない。

短くなった佐恵子の髪を紅音が、両手を伸ばして触ってくる。

「紅音・・」

明らかに依然と違う紅音の様子に、佐恵子は心が絞めつけられる。

佐恵子と紅音はお互いにいがみ合っていた。

紅音のほうがほとんど一方的に佐恵子に絡んでいたと言った方がいいのだが、佐恵子は紅音のことを大いに認めていたのである。

紅音は、佐恵子を「七光り」と呼び、数々の嫌がらせをしたものの、結局佐恵子のことを紅音も認めていたのだ。

皮肉なことに紅音は実花の【鏡面桃源郷】という技能で、ほぼ自我を失ったが故、素直な気持ちが表すことができているのだ。

「佐エ子。なゼ泣いテる?アカねはひさしブりに佐エ子に会エて、うれシ。佐エ子も、ヨロ・・よロこベ・・?・・うん・?・・うれシ・・?うれシめ」

膝にある紅音の手の上に、手を重ね佐恵子は溢れる涙を止められなかった。

佐恵子は、目の前にいる紅蓮に大切な部下を殺されかけたのだから、この場で緋村紅音がこうなってしまったことに対して涙を流すのは、立場上ダメだと重々わかっている。

しかし、わかっていたが我慢できなかった。

義眼である左目からも、涙腺は残っているため涙が溢れている。

実花もあの佐恵子が泣いていることに驚き、少しだけ鼻をすすっていたが、「ふぅ」と短く息を吐くと、たんたんと話すべきことを口にしだしたのであった。

真理と加奈子は石黒実花の話を、一言も聞き逃さぬよう神経を張り詰めていたし、佐恵子も無遠慮に目に光をともして、石黒実花の言葉の真贋を凝視していた。

はっちゃけた雰囲気だった二次会は、静かに杯を傾ける場になり、佐恵子たち以外は誰もが無言で、聞き耳を立てていた。

二次会解散後-

乗り込んだハイヤーの後部座席で脚を組み、窓ガラスに肘をついて佐恵子は物憂げに流れる夜景を眺めていた。

護衛も兼ね、住まいが同じである凪と加奈子と真理も同乗しているが、誰も一言も発しない。

打ち上げ時のはしゃぎぶりが、嘘のようであった。

ハイヤーの静かなエンジン音と、過ぎてゆく景色の光と影が車内を不規則に彩るばかりである。

誰も何も口を開かないまま、マンションの地下の駐車場についてしまう。

運転手も雰囲気を察してか、何も言わず運転席を降り、丁寧な仕草で後部座席の扉を開けた。

その時である。

運転手が小さく狼狽の声を上げたのだ。

「誰だ?!」

その声に、沈痛な面持ちだった面々も僅かに気配がある方へと目を向ける。

「丸岳部長?」

車から降りた佐恵子が、意外な人が突然ありえないところに現れたことに驚いたが、すでに酔いから醒めた顔には、普段の鉄面皮で取り繕っている。

「紅音のことでいらしたのですね?」

そう聞いた佐恵子に対して、オールバックの長髪、大きな身体の丸岳は深々と頭を下げた。

「お嬢様。私はもう部長ではありません。辞職してまいりましたので」

「辞職を?・・なぜです?」

丸岳の開口一番の言葉に、佐恵子は湧き出た怒りを抑え、無表情で聞き返す。

「紅音があんなことになってしまったのなら、紅音にはいままで以上に支えてくれる人が必要ですわ。それには丸岳さんが一番だと思っておりましたのに・・・。紅音がああなってしまったから、手に余る・・紅音には興味を失ったということですか?」

怒りを極力抑えながら聞く佐恵子は、丸岳の感情を読み取ろうと目に力を集中させかけたが、夜も更け、色々とあったためにもうオーラは底をついていた。

「紅音を・・見限るのですか?そんなことをわざわざ言いに来たのですか?」

佐恵子は枯渇したオーラを恨めしく思いながらも、手を握りしめ怒りを抑えて聞き返す。

「このようなことを言えば、笑われることは承知のうえで参りました」

丸岳は佐恵子の問いかけには答えず、再び頭を下げたかと思うと、その場に膝をついて頭を地面に打ち付けたのだ。

「緋村を!・・紅音を!救ってやってほしい!お願いいたします」

油気のない長髪が、駐車場の床に付くのもかまわず、丸岳は土下座をしてそう言ったのだ。

その様子を佐恵子は無言無表情で見下す。

どう救うのか。

あの状況の紅音にとって何が救いになるのかを佐恵子は頭の中で、めまぐるしく熟考反芻するが、やはり答えは出ない。

丸岳の言う救いとは、紅音の為の救いではなく、丸岳自身の救いになるだけの話しではなかろうか?

そういう思いが交錯し、佐恵子は即答できずにいたのだ。

「ちょっと調子よすぎるんじゃないの?丸岳さん?私たちにずいぶんなことしてたのにさ」

そのとき、丸岳を警戒していた加奈子が、ずいっと歩み出て冷ややかに言ったのだ。

「緋村さんの状況は聞きました。しかし、救うといってもどうするのです?何か手があるのですか?」

真理も加奈子に同調するように切り出す。

先ほどの話しで、緋村紅音の症状を石黒実花から聞いてしまっているのだ。

紅音は政府組織に属する霧崎捜査官の能力によってオーラを一時的に封じられた挙句、低位の能力者4人に6時間以上かけてレイプされたのだ。

さらに、その様子を撮影され、香港三合会が運営している非合法サイトでその痴態を販売されている。

現在、宮コーの全精力を上げて、そのサイトへとサイバー攻撃し、ダウンロードはもちろん、閲覧ができないように妨害しているが、すでに相当の者が紅音の痴態を見てしまっている。

既に購入してしまったものが、ネットに拡散するような行為をした場合は、宮コーの全力を挙げて、そのモノを探し出し、手を下すという非情ぶりだ。

これは紅音の為という意味合いではなく、宮コー本体の威信が揺らぐことを宮コーの役員連中が恐れたからであるが、紅音にとって少しは救いである。

しかし、紅音のようなプライドの高い女にとって、この一連の事件は紅音の心を壊すには十分すぎたのだ。

紅音は拒食症に陥り、躁鬱を繰り返して、命が危ういところまで衰弱してしまったのである。

どんな治療を施しても、紅音の心の病は癒えず、ついに極秘裏に処方が行われたのだ。

暗部に転属。

【鏡面桃源郷】は事実の記憶を消し去り、都合のいい嘘で埋める技能。

厳しく辛い現実よりも、甘く優しい嘘で傷口を負おう幻覚術である。

ただし、副作用も大きい。

暗部の面々たちがそうなったように、紅音も自我を失ってしまっているのだ。

本社の宮川誠以下の組織で話し合いが行われ、紅音にとって最良の救いという行為自体が、【鏡面桃源郷】という結果なのだと石黒も言っていた。

紅音に能力を使うのは、石黒も断腸の思いだったことも、佐恵子はこの目で確認している。

真理も加奈子も、紅音にとってそれが最適だろうと、複雑な心境ながらも納得していたのだ。

この状況で、緋村紅音をどう救うと言うのか。

「丸岳さんはどうしたいのです?」

佐恵子は、答えを推測しながらも丸岳に促す。

「紅音を石黒から、いや・・宮コーから逃がす・・。それしか紅音を救ってやる方法はない・・・!石黒は悪魔だ!洋上プラントでの作業は過酷を極める。なぜなら本土から遠く離れた治外法権の場所。それに、あのプラントで働く石黒の部下はほとんど【鏡面桃源郷】の支配下にある。そうでなければ、あの過酷な環境で精神を病む者が続出するからだ!」

丸岳が話す内容に、佐恵子は首をかしげる。

佐恵子の予測とは違うのだ。

「石黒常務が話していた内容とはずいぶん異なりますわ」

「あの女の言うことは信用できない!」

普段沈着冷静な丸岳らしからぬ強い口調で吐き捨てる。

「わたくしは目を使ってみてましたのよ?断じて石黒常務は嘘を言ってませんでしたわ」

佐恵子は冷静な口調で返す。

「そうか・・・。なるほど・・。石黒にはもはや人としての最低限の人格もないということだな!」

「どういうことです?」

佐恵子は、眉間にしわを寄せて丸岳の様子を伺う。

「人を人と扱わずとも、良心の呵責がないのだ。だからこそ、平然とあのようなことをやらせられる。魔眼で見られても心が揺れないのだ・・。感情に両親の呵責がない?それほどあの女が人を家畜のように思っているのだろう。・・・洋上プラントで働いている人間がどんな様子なのか宮川支社長はご存じないのか?」

「・・・昨年も、これまでもずっと無事故と報告が上がっておりますし、当初は僅かであった資源採掘も昨年から他国も無視できない採掘量になってまいりましたわね」

佐恵子は、丸岳の言わんとせんことを読み取ろうと、もしかすれば紅音にとって最適なことは他にあるのではという期待から、辛抱強く耳を傾けることにする。

「俺が言っているのは、そんな紙の上の報告のことではない!現場に従事する者たちが、どんなことをしているのか知っているのか?と聞いているのだ!紅音がどんなことをさせられているのか知っているのか?!」

「口が過ぎますよ丸岳部長!・・いえ、もう部長ではないのでしたね。それでも、口の聞き方には気を付けてください」

加奈子が丸岳を窘めるが、丸岳は加奈子に一瞥くれると、もどかしそうにジャケットの懐に手を入れた。

その動きに加奈子が反応して、丸岳の手を素早く抑えたが、丸岳は手を掴まれたまま薄く笑って口を開いた。

「稲垣。武器などださんよ。魔眼に銀獣に菩薩、それに蜘蛛までいるのだぞ?・・俺一人ではどうにもならんのは痛いほど俺がわかってる。それに、そんな気は微塵もない。・・カードだ。ゆっくり出す。安心しろ」

丸岳はそう言って、加奈子に手を掴まれるにまかせて、掴んでいるSDカードを佐恵子に見えるように、見せてきた。

「これを見てくれ。そうすればわかる」

丸岳はそう言ってカードを差し出してつづけた。

「紅音を・・助けてやってくれ。紅音を俺だけで連れ出し助けてやりたかったが、あの洋上プラントには容易に近づくことも難しい。ましてや、あの幻魔石黒実花を相手にとなれば俺一人では手に余る。・・・石黒が紅音を連れてここに来た今がチャンスなのだ。この人工島が完成すれば、石黒は落成式に参加せざるを得ない。当初は落成式に向かう石黒不在のその隙を突いて、プラントに侵入し、紅音を逃がす1年かけた計画だったが、石黒は紅音を連れ出した。立てていた計画はパアになったが、これはこれで好都合でもある・・・。知っているんだ!アンタも紅音のことを心底嫌っているわけじゃないことはわかってるんだ!頼む・・!頼む・・・!あんな仕打ちをあの紅音が受け続けているなんて、我慢できない!頼む・・・」

駐車場の床に頭を付け、丸岳は肩を震わせて嗚咽を上げた。

真理と加奈子が佐恵子の判断を伺うように顔を向ける。

「そのカードに丸岳さんの見せたいものがあるのですね?」

「そうだ!見てほしくないが・・・見てもらえれば・・貴女も憤慨するのは間違いない」

「・・・丸岳さんの思った結果にはならないかもしれませんよ?」

「・・それでもいい!貴女に見切りを付けられる!」

「ふん、囀りますわね・・。いいでしょう。とりあえず、見せていただきましょう。私も見てみたくなりましたわ」

静かにそう言った佐恵子は、蹲った丸岳に歩み寄ると、膝を折りその肩を撫でてやったのである。

「しかし、丸岳さん・・紅音のことを本当に想ってらっしゃるのですね」

叔父の宮川誠と紅音の関係を間近で知っていたはずの丸岳の心中を察した佐恵子は、丸岳を慮ったのだ。

しかし真理と加奈子は、丸岳が佐恵子に何かしないかと警戒していたが、その心配は杞憂であった。

【第11章 人工島カジノ計画に渦巻く黒き影 3話< 悲しき再会 終わり】4話に続く
筆者紹介

千景

Author:千景
訪問ありがとうございます。
ここでは私千景が書いた小説を紹介させて頂きたいと思います。
ほぼ私と同年代の既婚者が主役のものになるかと思います。登場人物同士が
つながりを持っていて別の物語では最初の物語の主人公が脇役を務める様な
小説全体につながりを持たせ想像を膨らませていけたらと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します

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