第10章 賞金を賭けられた美女たち 19話 六刃仙2人の脱出作戦
廊下から差し込む淡い光を避けるように、沙織と香織は身を寄せ合い、無機質な金属製のテーブルの後ろにしゃがんで隠れていた。
そんな二人が隠れた部屋の前を、何者かがカツカツと足音をさせて通り過ぎてゆく。
廊下を照らす灯りを遮り、足音を響かせて通り過ぎてゆく人影を背中に感じながら、二人は息を殺していた。
沙織は目覚めたばかりで、いまだに隣にいる香織ともほとんど会話はできていない。
それでも沙織は、場所も状況も全くわからないが、この場所が敵地であり、自身と同僚である前迫香織ともども敵の手に落ちてしまったのだと見当をつけていた。
沙織は神経を集中し、廊下を歩く気配が部屋を通り過ぎ、遠ざかっていくのを感じると、ようやくゆっくりと肺にたまった息を吐きだし隣にいる同僚の顔を覗き込んだ。
「かおりん。大丈夫?」
ひとまずの危機が去ったことで南川沙織は、隣で顔色を蒼白にして息を切らせている前迫香織を気遣ったのだ。
沙織が目覚めたときから香織の様子はおかしかったし、一緒に廊下を逃げているときも香織はどこか精彩を欠いているように見えたからだ。
普段なら立場は逆で、クールな前迫香織が暴走しがちな南川沙織を気遣う場合が多いだけに、沙織は心配そうに香織の顔を伺うように言ったのである。
「大丈夫です。沙織こそひどい怪我だったのですよ?」
そんな沙織の様子を感じ取ったのか、香織も普段の口調で、沙織より3つ年上らしく優しくそう返してきたが、その顔には不安とも言えない憂いを帯びていることに、沙織は顔を曇らせないように話を逸らせた。
「治癒入魂するから」
沙織はそれ以上追求せず短くそう言うと、握っていたいくつかのメスを物色し出した。
沙織は先ほどの部屋からつかみ取ってきた医療用の刃物のなかから、清潔そうな一本を選び、着ている患者衣の裾で、刃部分の先端をよく拭ってからオーラを込め出した。
普段は部下の一人である十鬼集が造った刃物、治癒専用に造らせている匕首に治癒オーラの入魂をするのだが、身ぐるみをはがされ、愛刀どころか患者衣しか身につけていない。
そのため沙織は、とっさに武器と治癒に利用できそうな刃物を、逃げる際に目ざとく見つけ引っ掴んできたのであった。
いつもの愛用匕首ほどの効果は期待できないが、治癒できる道具が有るのにこしたことはない。
淡い緑色の光が沙織の両手から発っせられ、握った刃物いわゆる円刃と呼ばれる医療用のメスへと流し込む。
沙織の治癒は特殊で、刃物を媒介させなければ効果を発現できない。
もともと治療は得意ではないのだが、沙織はたゆまぬ努力で得手でもなく適正も乏しい治癒を何とかモノにしていた。
しかし本来とは違った形で、しかも通常の治癒能力者に比べて効果も低いながら、高嶺六刃仙の中では唯一の治癒使い手なのである。
左手薬指の【爪衣蓑】に仕込んでいた治癒匕首はS島ですべて使い果たしてしまっていた。
「できた・・。かおりん使って」
沙織は治癒の力を込めたメスを香織に差し出した。
「ありがとう。でも私の傷を癒しても役に立てないわ。オーラが回復するまでしばらくかかりそうなの」
香織は少し迷うそぶりを見せたが、メスを手にしている沙織の手を握り押し戻した。
「でも・・」
沙織は、はだけた香織の患者衣から覗く包帯に滲む傷口を見て顔を悲しませた。
「大丈夫・・傷はふさがってるの。血が滲んでるから見た目は派手だけど」
先ほど袁揚仁に弄られる際に、治癒を浴びせられたため香織の傷口は完全に塞がっていたのだ。
香織は患者衣をはだけ、整ってはいるが控えめなバストを露わにすると、沙織に心配させないように包帯を解いてゆく。
そこにはうっすらと打撲痕が残ってはいるが、傷口自体はすっかりふさがっている様子であった。
「ね。だからそれは沙織に使って。それに沙織の方こそ傷はいいの?治癒入魂ができるということは、オーラは少し戻ってるんでしょうけど肝心の傷は?沙織は銀獣にずいぶん傷つけられていたのですよ?」
香織がそう言うと沙織は可愛らしい顔にエクボをほころばせかけたが、きっ痛みをこらえる顔になった。
「ほら・・やっぱり」
「つつつ・・。あのケモノ女」
沙織は肩口と鎖骨付近を抑え、恨めし気に目を吊り上げてそう言った。
不十分な状態で銀獣こと稲垣加奈子に甚振られた屈辱が、沙織の脳裏に思い出され、言葉に変えられない感情が沸きあがってくる。
沙織の傷は見た目にほぼ塞がっているが、肩口から肺に達するまで太刀を突き刺されたのだ。
肺をはじめ、筋肉を複雑に傷つけられた見えない部分の治癒はいまだ不完全で、先ほどまで緊張と我慢で痛みを抑え込んでいただけだったのだ。
香織は沙織が手にしているメスを優しく取ると、そのまま沙織の肩と鎖骨の間に治癒入魂されたメスをゆっくり差し込んだ。
「うっく!」
自分で治癒入魂したメスが、自分の白い肌に食い込んでいく、鈍い痛みに沙織は顎を上げて短く悲鳴を上げてしまう。
メスが刺さった傷口から鮮血がぷっくりと湧き出してくるが、肌に食い込んだ刃が淡く緑色に光って治癒のオーラが沙織の体内に流れ込んでいく。
「この治癒。人に刺すのは何ともないけど、自分に刺すのってけっこうぞくっとするよね」
「ふふっ、何ともない?沙織は人をいつも匕首で仲間を治療するときでも楽しそうですもんね」
「え・・そう見えてるんだ?」
「ええ、そう見えてますよ」
香織の答えに沙織は、痛みと治癒が混ざった不思議な感覚に耐えるように片目を閉じ聞き返すも、香織からは笑顔で再度そう言い渡されてしまった。
そうなのかなぁ。と沙織が首をかしげている間にも治癒は進み、完全とは言えないでも痛みがほぼ気にならない程度になってきた。
沙織は体の回復を認めると、香織に向きなおり真剣な顔で問いかけた。
「かおりん・・。状況教えてほしい。わかる範囲でいいから。・・ここはどこ?さっきのヤツはだれ?・・なっちゃんさんは?」
淡い緑色の治癒の光をまとったメスを自分に使ってくれた香織に感謝の目を向けて、沙織は問いかけた。
沙織は敵にとっては悪鬼のごとく思われているが、沙織にしても味方であり、普段から気に掛けてくれ、何かと尻ぬぐいをしてくれている香織や奈津紀にはその可愛らしい人形のような顔を素直に向けるのだ。
香織は頷くと、沙織に刺していたメスが治癒の光を失う寸前に引き抜いて口を開いた。
「・・・私たちは宮コーの大量人員投入により撤退を余儀なくされました。50名を超える人員をSに送り込んできたのは覚えていますか?」
篭められていたオーラを放出しきったメスが、金属としての硬度を失い灰のようになって香織の手から床に落ちる。
自らの治癒刃のおかげで傷がほぼ癒え、沙織の顔には普段の血色が戻りつつあり、ほぼ平常を取り戻した様子で返事を返しだした。
「うん。覚えてるよ。かおりんが【見】で見て言ってたね。そのあとなっちゃんさん背負って逃げてるときに銀獣がきて・・そこから私【夢想剣】を使ったから・・」
「そう・・・やはりそこまで・・」
香織のそこまで無理をさせたという色を帯びたセリフに対し、笑顔でかぶりを振った沙織は、まだいくつか持っているメスを物色しマシなものを選び、もう一本だけ治癒刃を作ろうと治癒の力を流し込みだした。
「沙織、わたしは大丈夫なのですよ」
「これ、予備。あと一本ぐらいなら。とっさの時につくってたんじゃ間に合わないからね」
年少である沙織に無理をさせ、いままた回復しきっていないオーラで治癒入魂をしている沙織に、香織は数年前まではまだまだ頼りなかった沙織の成長に目を細めた。
【夢想剣】を使えば意識はなくなる。
身体能力を大幅に向上させ、眼前に居る者全てを殲滅するまで剣を奮う修羅となるが、一度【夢想剣】を使ってしまうと、周囲すべてを殲滅するまで意識はなくなってしまうのだ。
「あの人数相手に【夢想剣】など・・。沙織、私たちを逃がすために・・」
「ほかにもう手はなかったからね。あのケモノ女もいたし・・。でも1日一度の制限を付けてたせいでちゃんと発動してくれなかったの。途中から意識も戻ったし、【夢想剣】自体も解除されちゃったしね・・・。でも、だからかえって命拾いできたのかもしんない・・」
「二度目だったのですか?」
もう一本治癒刃を作成し終わった沙織は、左手薬指の【爪衣蓑】に治癒刃を押し込みながら、バツが悪そうに頷いた。
「う、うん。私たちが海岸で追いかけまわしたムキムキの3人の男たち・・。私と戦ったヤツ相手に一回使っちゃったんだよね」
「それほどの相手だったのですね沙織の相手は・・。しかし一日に【夢想剣】を二回とは・・無茶です・・」
「まあ・・あのままじゃどうせ死ぬしと思って・・ね」
残った数本のメスを一応使えるかな?と物色しながら沙織は左手中指の【爪衣蓑】に押し込みつつ、沙織に自嘲気味の笑顔を向ける。
「・・沙織がいなくなってしまったら悲しいわ。きっと奈津紀も御屋形様も同じ思いのはずよ?」
「ありがとう。でも御屋形様もそう思ってくれるかなあ・・?」
医療用メスをすべて収納し終わった沙織は、片手で口元を隠すようにして真剣に考えこんだ。
「もちろん御屋形様も思ってますよ。それに、沙織には帰りを待つ弟がいるじゃありませんか。私や奈津紀以上に沙織は帰らなくてはいけません。今回ほどの危機は初めてですが、何とか脱出しましょう」
「うん。そうだね」
そう言って二人は患者衣がはだけないよう腰帯できつく結びなおして立ち上がった。
「まずは奈津紀を助けないと、それからできれば私たちの装備もですね・・」
「なっちゃんさん私たちと同じ部屋にいなかったけど、別のところに掴まってるの?」
「ええ、一度【見】で見たときから動いてなければ、あちらの方向です」
「よし行こう」
「慎重に行きましょう。沙織のおかげで怪我はほとんど癒えましたが、オーラはほとんど回復していないのです。沙織は・・?」
「怪我は・・うん・・まだ銀獣にやられた肩口がちょっと痛いけど、表面の傷はふさがってるし、無茶しなきゃ大丈夫。でも、オーラは2割ってとこかな・・。だから、治癒刃もあと一本だけ・・。助けたなっちゃんさんが負傷してたら、なっちゃんさんに使おうと思って。かおりんは怪我は大丈夫なんでしょ?」
「ええ、でもオーラがほぼ枯渇してます。戦力としては期待しないで・・」
「了解。じゃあ、さっきの男には出会わないようにいかなきゃね・・。私の蹴りをまともに受けても立ち上がってたじゃん・・。あいつ何者なの?」
「袁です。香港三合会の袁揚仁、夢喰いの袁揚仁です」
「え?あいつが?・・・でも、どおりで。ってでもここ日本だよね?袁揚仁もいるなら、張慈円と倣華鹿もいて、三合会全員そろってるじゃん」」
「そうなりますね。あのヘリで日本海を渡れるほどの燃料があるはずがありません。おそらくここは日本でしょう。袁揚仁は張慈円と取引したらしく、取引の内容はわかりませんが、私たちの治癒が取引の条件だったようです」
「え?張慈円と取引?・・わたしさっき思いきり袁揚仁のこと蹴っちゃったんだけどまずかったかな?・・どう考えてもまずいよね・・?でもあいつ、かおりんにひどい事しようとしてたよね?」
「ええ・・オーラも刀もない私では袁に抗うことができなかったので、沙織が目覚めてくれて助かったのです」
「そっか・・。でも張慈円と袁揚仁が私のせいでヘソ曲げちゃうならマズいかもしれないね・・。私っていっつも早とちりでかき回しちゃう・・・」
「いいのよ沙織。後で詳しく話すけど、張慈円も袁揚仁ももはや私たちの敵とみてもよさそうなの」
「え?そうなの?!」
張慈円が袁揚仁と取り交わした内容に、私たちを売り払った節があったことを香織は沙織にそれとなく伝えた。
しかし香織は、すでに奈津紀が張慈円に犯され、自身も袁揚仁に奈津紀の脳をリンクさせられて、現実と夢との違いが付かない状態にされてしまい、犯されていると思い込まされ、無意識に自慰してしまっていたことは流石に言い出せなかった。
そして、袁揚仁が香織個人に興味をもって迫ってきところで、運よく予想外の回復の速さで目覚めた沙織が、問答無用で袁揚仁を蹴り飛ばしてくれたことに感謝していた。
「ええ、だから奈津紀を助けて一刻も早く御屋形様に報告しに戻りましょう」
「うん!私が蹴ったのがもとでダメになったんじゃないならよかったよ・・。今度こそ御屋形様に丸坊主にされちゃうもん・・」
沙織は、短くなった髪の毛を指先で摘まみ、かつてロングヘアだったことを思い出して、苦笑した。
「でも、かおりん。いま張慈円が私たちの敵になったって言ったのに、なんで私たちの治癒が取引の条件なの?私たちの敵になったんなら、手酷くやられたままの私たちをそのままトドメ差しちゃえば話早くない?」
「・・・ええ、・・いえ、それは奈津紀を助け出した時に二人に話しますね」
沙織の無意識な当然の質問に、香織はドキリとしたが、曖昧に濁して未来の自分に丸投げしてしまった。
「うん、わかった」
当の沙織はそう聞いたものの、特に疑問を感じた様子もなく、手首や足首をコキコキと鳴らし、体の不調具合を調べながら素直にそう言って返し、油断なく慎重にドアノブに手を掛けた。
「じゃあ行こう。ここって人の気配は少なそうだから、見つかりにくそうではあるけど、広そうだよね。なっちゃんさん助けてとっとと脱出しようよ。・・刀がないとすっごく不安だけど、行くっきゃないもんね」
「ええ、沙織の爪衣蓑には、なにかめぼしい武器や服ってないのかしら?」
長身な香織では簡素な患者衣だけだと、露出部分がどうしても多くなり、裾を抑えながら沙織の背に問いかける。
香織が着ている患者衣は、沙織が来ている患者衣と同じサイズらしく、沙織はスネの中ほどまで服があるが、香織に膝上までしか生地がないのであった。
S島でモゲこと三出光春にムダ毛のことを指摘され、沙織にもでてるよ?と笑われたことが今更だが気になってしまっていたのだ。
彼氏もなく普段パンツルックだったことで、ムダ毛処理の頻度は少なめだったのだ。
「予備で持ってた瓶割刀は取られちゃったみたい・・。あれ太刀の中じゃお気に入りだったのに・・。・・あれも見つけられたらいいんだけど・・。あ、服は、Sでかおりんに渡したのだけなの。ごめんね。・・・飴玉ならあるけど・・いる?」
振り返った沙織は、常備しているお気に入りの飴玉を2個取り出し、自身の口に一つ放り込むと、もう一つを香織についと差し出した。
Sでは丁重にお断りした飴玉だったが、空腹なうえ激しい戦いの連続のストレスで、甘いものが欲しくなっていた香織は、服のことはあきらめて、飴玉をありがたく受け取ると、口に放り込んだのだった。
【第10章 賞金を賭けられた美女たち 19話 六刃仙2人の脱出作戦 終わり】20話へ続く