第9章 歪と失脚からの脱出 50話 着いた援軍そして宏の姉
「邪魔だ!どけよ!」
南川沙織は行く手を遮る黒服たちに乱暴にそう言って廊下を進む。
海水であろう水滴を全身から滴らせ、廊下を濡らしてしまうことに構うゆとりもなく二人は速足だった。
沙織は高嶺の剣士たちへ待機部屋という名目で張慈円からあてがわれていた一室のドアの前まで来ると、勢いよくドアを開き後に続いてきている前迫香織を先に部屋に入れるようドアを開けっぱなしにする。
「ストーブだ!あとっ・・清潔な布と包帯も!・・・っ大至急!!」
ドアの前でオロオロとしている黒服たちにそう言うと、沙織は錆びた鉄製のドアをバタン!と勢いよく締めてしまった。
張慈円から南川沙織が戻れば劉幸喜を治療するように伝えるように言われている黒服の男たちは、沙織に張慈円の命令を伝えることもできず高嶺の剣士たちの様子と剣幕に慄いていた。
高嶺の剣士は3人とも満身創痍で濡れネズミであった。
そのうえ南川沙織と前迫香織も戦闘によりかなり負傷しているのが見て取れる。
前迫香織に背負われている千原奈津紀に至っては顔色もなく死んだようにぐったりしていたのだ。
「奈津紀!死なないで!」
部屋に入り、仮眠用に用意されていたベッドに奈津紀を寝かせ、濡れた衣服を剥がしながら香織は奈津紀の身体を拭う。
「くっそ!なんなんだよこのキズ!なんで治らねえんだよ!」
海岸で必死に人工呼吸と心臓マッサージを奈津紀に施し、オーラも大半奈津紀に流し込んだところで、ついに奈津紀は海水を吐き出し、確かに脈が戻ったのを見計らい沙織は治療用にオーラを込めてある匕首を奈津紀の傷口に突き刺したのだ。
意識のない人間に刃物をぶっ刺すという傍目に診ればこれ以上なく物騒な行為であるが、本来なら効果はてき面で対象者の体力とキズを大幅に回復することができる。
しかし、携帯用治療道具の治療匕首は、沙織の期待通りの結果にはならなかった。
奈津紀が胸に負った傷が、匕首に込められた治療効果のオーラを拒絶しているかのように、相殺しているように見える。
治療匕首の効果がまったく無いというわけでなさそうだが、本来の1割程度の効果しかあらわれていなさそうなことに沙織は焦った声をあげたのだ。
奈津紀の脈が戻った時は、これで助けられると歓喜したのも束の間で、いまも奈津紀の状態は予断を許さない。
その治療匕首は奈津紀に刺さったままであり、まだ治療のオーラを奈津紀の身体に注いでいるため何とか奈津紀は一命を取り留めている状態だが、体温は上がらないし、なにより胸の傷口だけが塞がらない。
「まずいわ・・。また体温が下がり始めました」
「取ってくる!」
香織が奈津紀の濡れた衣服を剥がし、身体をタオルで拭きながら心配そうに言ったセリフに沙織が勢いよく応え部屋から飛び出す。
「おい!ストーブと布だっ!」
どかっ!と勢いよく鉄製の扉を開きながら沙織がそう叫ぶと、目の前にはちょうど石油ストーブと大量のタオルと毛布を抱えた黒服たちと鉢合わせた。
「きたか・・よし!そこにおけ。・・・いつまで見てんだ!とっとと出てけ!」
沙織はそう言って黒服たちを部屋にいれ、指をさしてストーブと布を置かせると、ほぼ全裸の奈津紀の裸体を気にしてか、すぐに黒服たちを部屋から追い立てるように背を押した。
「・・お、お待ちください!」
沙織に背中をぐいぐい押され部屋から追い出されようとしている黒服の一人が、ドアの枠に手を付き踏ん張ったのだ。
「ああ?!なんだよ!?死にかけてる私らの仲間の裸を見たいのか?そんな腐った根性と目はいらねえってことでいいな?!」
そして悪鬼のような形相の沙織に待ったをかけたのだが、更に不愉快そうに顔を歪めた沙織に怒鳴り返されてしまう。
「ひぃ!申し訳ありません!りゅ、劉さまが負傷しておりまして、南川さまが戻られたら劉さまを治療するようにと張雷帝から仰せつかっております・・!劉さまは肋骨が折れている重症です。一刻を争う容体でしたが、南川さまが戻られて我々も安堵いたしております。・・何卒劉さまを助けてください。お願いたします」
沙織の剣幕に完全にビビった様子の黒服Aであったが、主からの命令を伝えないわけにはいかず、部下に優しい劉を救ってほしい思いから、何とか悪鬼の表情の沙織にも伝えきったのだった。
「・・・わかった。あとで行く!」
沙織は黒服Aの言葉に一瞬言葉に詰まったが、言葉少なくそう言うと黒服の背を押しドアを閉めて鍵を掛けた。
「さ、沙織・・匕首はもう・・」
ズリズリと石油ストーブを奈津紀の身体の前まで近づけてきている沙織の背に向かって香織は問いかけた。
「・・・そうだよ。もうあと一本しかない」
沙織がそう応えると、暫く二人の間に沈黙が流れる。
クライアントの命令は基本的に絶対であるし、この依頼を断るのは契約違反にも当たる。
有事の際は張慈円の一味の治療を優先することになっているのだ。
「・・私、なっちゃんさんに使うから」
小さな声で、しかしはっきりと呟いた沙織は匕首を取り出して鞘から抜いた。
「さ、沙織・・」
「止めても無駄!それともなに?!かおりんはなっちゃんさんが死んじゃってもいいわけ??!」
香織の声に、沙織は咎められたのかと思って振りかえって過剰に反応し、契約違反も辞さないという強い口調で香織に食って掛かったが、声をあげた当の香織はそんな様子の沙織を手で制し、天井を見上げている。
「かおりん・・?どこ見てんの・・?」
香織の様子に訝し気に沙織が声をあげる。
「な、なんですか・・こ、この数は・・!」
普段冷静な前迫香織が焦りを露わに天井、否、天井よりはるか上空を見据えてそう言い放つ。
「え?・・どういうこと?!」
沙織は香織の様子と言っている意味がすぐには理解できず狼狽える。
「・・50人以上います!」
「・・け、【見】ね!?敵?!」
沙織もようやく香織の【見】の索敵に反応があったことに気が付いた。
「ええ!いま私たちの真上を通過しました!おそらくヘリかなにかでしょう・・。このアジトのすぐそばに着陸しそうです!」
香織の切羽詰まった口調から、事態は余程深刻だと伝わってくる。
「強いオーラを纏っている者が10名・・。その他の者もそれなりの手練れです・・。それにこの気配は以前スタジオ野口で見た銀獣!・・ですが、その銀獣を上回るオーラを纏った者もいます!一対一ならどうにか・・、しかし消耗した今の私たちでは生き残ることすら困難でしょう。ましてや奈津紀はこの怪我・・。くっ・・こんな局地で宮コーの物量と質をここまで投入されては今の私たちに対抗できる手立てはありません」
「宮コーの主力能力者どもが来たってことね?!」
香織が早口に【見】で得た情報を沙織に伝えると、沙織も目を見開き聞きなおす。
「そのようです・・・。沙織!奈津紀を治療してください!・・こんな状態の奈津紀をむざむざ敵の手に渡し、嬲(なぶ)らせるわけにはいきません。わたしは宮コーが来たことを張慈円さまに報告し即時撤退を進言してきます!」
香織は沙織にそういう立ち上がった。
「う、うん!任せて!こっちもなっちゃんさんバッチリ治して、すぐダッシュできるように準備しとく!」
沙織もドアを開け駆け出した香織の背にそう言ったのだった。
一方、倉庫内での菊沢宏&猫田美琴と趙慈円一味の戦いでは、
「いいザマだな菊沢宏!」
紫電を全身に纏い倒れ伏した宏に張慈円が勝ち誇って言う。
「カスが・・!麗華を離さんかい!」
べっ!と口から赤い液体を吐き出した宏が、深紅の目で張慈円の後ろにいる倣華鹿を睨み上げながら立ち上がる。
しかし先ほどから何度も無防備なまま殴られ続けたせいか、その足取りは覚束ない。
「この俺をカス呼ばわりとは・・!貴様こそ取引を台無しにしおって!特大のカスは貴様のほうだ!」
「ボス猿!ええかげん麗華を離さんかい!そんな氷漬けやと死んでまうやろが!」
宏は張慈円の罵声を無視し、負傷した右肩を抑えた格好のまま再度張慈円の背後にいる倣華鹿に怒鳴った。
血も迸らんほどの宏の怒声に、倣華鹿の表情は氷の彫刻のごとく無表情を崩さない。
否、正確には倣華鹿は無表情なだけではなく、宏の声もほとんど届いていなかった。
何故なら倣華鹿のすぐそばには長年身辺を警護し、部下とは呼べなくなるほど親しくなった側近のザビエラが仰向けで倒れ動かなくなっていたのだ。
倣華鹿も最初はザビエラがタチの悪い悪戯をしているのかと思ったのだが、ザビエラは口こそ悪いが、こういったタチの悪い悪戯をするタイプではない。
信頼する側近でありボディガードのザビエラは、倣華鹿がさきほどから何度声を掛けても立ち上がらないのだ。
腹部に大ダメージを負っているが紫電を纏い、未だ菊沢宏に攻撃を加えられるほど体力を温存していた張慈円と違い、ザビエラは仰向けに倒れたまままるっきり動かない。
倣華鹿は寺野麗華を人質にとったまま、ザビエラの倒れているところまでようやく来れたのだ。
最初は動かないザビエラのことを、思いのほかダメージが大きく立ち上がれないだけかと思ったのだが、そうではなかった。
凶震ザビエラと恐れられた人外の能力者の最後にしてはあっけなさ過ぎた。
張慈円と共闘し、張慈円が自らの力を温存するように戦っているのに対して、ザビエラは全力で戦い、常に張慈円の前で菊沢宏という難敵の盾にされていたのだ。
宏の天穴による攻撃に加え、痛みを直接頭に送り込んでくる精神攻撃による波状攻撃でついに倒れたのであった。
その信頼する側近の側で、倣華鹿は寺野麗華を首まで氷漬けにし、その首には氷刃を突きつけたまま呆然としていた。
「ザビ・・。うそでしょ・・?あなたがやられるなんて・・・。まだまだいけそうだったじゃない・・。ほとんど攻撃も受けてなかったじゃない!」
掠れた声で小さくそう呟く倣華鹿の目には倒れてピクリとも動かなくなったザビエラしか入っておらず、菊沢宏の怒声も、張慈円が菊沢宏を罵る声も聞こえていない。
戦いが得意ではない倣華鹿は、菊沢宏が精神汚染攻撃までしていることを見抜けず、物理的な戦いだけではまだまだザビエラは持ちこたえられると見誤ってしまっていたのであった。
麗華を離せと言っている当の宏も、呆然としている倣華鹿の様子に気が付いた。
そして、ボス猿が倒れたジャイアント女を見て固まっているのを見て、宏もその心中を察することが出来てしまった。
(せやからこういうは嫌なんや。・・・そいつが強すぎたんや・・。高嶺のねーちゃんもそうやが、手加減なんてしてやれんかった。隙ができたとき咄嗟に殺ってしもた・・。女は殺さんつもりやったんやが・・クソ野郎やが張慈円みたいな達人相手にしながらやとこっちも余裕なかったんや・・!それに張慈円はそいつを盾にするような戦い方やった・・マジクソ野郎やで張慈円・・!)
麗華を洗脳したであろう憎い組織に与している女であれ、菊沢宏にとっては女に違いなかった。
ジャイアント女と罵った長身細身の女はほとんど外傷はないが、痛みによる精神汚染の限界が超えたのであろう、もはや動くこともなく仰向けに床に倒れている。
罵る為にジャイアント女と言ったが、確かにザビエラは170cm半ばほどあり女としては長身の部類だが、細身で胸こそ小さいが腰とヒップの差はあり十分女性らしいスタイルだ。
ほとんど外傷もなく、目を閉じたその顔は眠っているようにすら見える。
そしてボス猿女と猿呼ばわりした華僑の女ボスは、その目に哀しみを湛えて立ち尽くしている。
豪奢な旗袍とロングコートを纏った美貌の女マフィアは猿などと罵れるような容姿ではない。
仲間を失い、涙こそ流していないその美しい顔にははっきりと心境が現れている。
(くそが・・!なんで俺がこんな思いさせられなあかんねん!・・高嶺のねーちゃんと言い、こいつらと言い・・、こいつらかて仲間が死んだら俺らと同じように心が痛みよる血の通った奴等や・・・くそっ!後味悪さが最悪やねん!・・・俺がもっとはようにクソ慈円を始末しとったら・・!俺がもっと強かったらっ・・・!)
張慈円に一方的に攻撃されながらも、その光景を見るのが宏には辛かった。
想定外すぎる現実を受け入れることができず、倣華鹿は麗華を人質に取った格好のまま頭も体もフリーズしてしまっているのだ。
その倣華鹿の様子に、宏はいまなら麗華を助けられる。と思い麗華のほうに行こうとするも、迸る紫電を纏いついに完全に能力を解放して本気になった張慈円が、すでに満身創痍の宏に容赦なく襲い掛かってくる。
「行かせるものか!ここで死ねい!何度も何度も邪魔しおってからに!このガキが!貴様の嫁も橋元ではなく俺が犯してやればよかったわ!」
寺野麗華を完全に人質に取られていると思っていた宏は、張慈円の電流を纏った拳を一方的に受け過ぎてしまっていた。
女マフィアの倣華鹿がフリーズしていると気づくのが遅すぎた。
氷の刃を麗華の首に当てがってはいるものの、倣華鹿の視線は倒れたザビエラを見ており、呆然自失していた。
その倣華鹿の様子にもっと早く気付けていれば、ここまで張慈円の攻撃を受けることもなかったことが宏に歯噛みをさせる。
それに加えて、クズで卑怯な張慈円と言えども、その腕前は文句なしの達人であることが、憎たらしすぎた。
ムカつくがバカ・・というような人物はかなり多いが、ムカつく上に頭が良いといった人物が前者よりはるかに厄介な相手であるように、張慈円は残忍で狡猾で本当に強い難敵であった。
(電流の色が変わった・・!こいつさっきまで本気や無かったんかい!・・万全の状態でもなかなか厳しい野郎やがな!くそったれが!こいつ一人でも十分うっとうしい野郎やのに・・・!さっきまでほとんどザビエラに戦わせて、自分は力温存して様子見とったんや・・!ザビエラがやられた途端にようやく全力か!とことんクズ野郎や!共闘しとる仲間を使い捨てやがった!)
そう罵る宏の深紅に光る眼はいまだに光を失ってはいないが、張慈円の殴打により徐々にその光に陰りが見え始めているのも事実であった。
張慈円が飛び上がり身体を翻して放った回し蹴りが、満身創痍の宏では避けられず顎にまともに決まる。
口から鮮血をまき散らし、地面にたたきつけられた宏はそれでも立ち上がろうと手を付き、身をおこすが、さすがにこれまでのダメージ蓄積が大きく、立ち上がれず膝をガクリとついてしまった。
「ちっ、まだ動けるのか・・頑丈な奴め!」
オーラも力も極限まで込めた渾身の攻撃を受けても死なず、起き上がろうと這いつくばっている宏をみて張慈円は舌を鳴らす。
「おまえの蹴りがぬるいんじゃ・・非力な蟷螂野郎が。そんなんで俺がやれるわけないやろ」
血まみれで立ち上がれずにいる宏は、どう見ても無事に見えないが、せめて気持ちでは負けまいと張慈円の舌打ちに挑発で返す。
張慈円は一見して細身ではあるが、非力と呼ぶには程遠い程の怪力である。
オーラ強化無しの素の肉体のみの握力でも150kg、体重70kgそこそこだというのにベンチブレスは170kg程度を悠々と持ち上げることができる。
普段ゆったりとした服を着ているが、その服の下に隠された肉体は全盛期のブルースリー並みに引き締まっているのだ。
そんな張慈円の空中回し蹴りの威力がぬるいはずはない。
しかも、今の張慈円は紫電を纏い、電流による反応速度を極限まで高めた上、肉体全てを能力強化している。
もはや市販されている計測器などで、いまの張慈円の肉体性能を測ることは不可能なのだ。
そんな張慈円が非力と言われて、一瞬目が吊り上がりかけたが、良いことを思いついた。といった表情になり、勝利を確信した張慈円は顔を不気味な笑顔に歪める。
「・・・貴様をここで始末したあとは、貴様の嫁だ。今回の損を貴様の嫁に少しでも支払ってもらうとしよう!もっともあのような年増では幾らも稼げんだろうがな!・・いや待て・・際どい性癖をもった変態どもは存外高値を付けてくれるかもしれん・・。年の割にはツラもスタイルもなかなかだ・・。だが、ケツ穴を犯されるのはもちろん、糞も食わされるかもしれんがな!くはははははっ!どうだ?!貴様の嫁は俺がたっぷり犯したあと手足の健を切って変態に売ることに決めたぞ?!喜べ?!くははははっ!」
「クソ慈円・・!とことん腐りきったカス野郎が・・!美佳帆さんに手出しはさせへん。それに簡単にやられる女やないで!・・なんせ俺の奥様やからな!」
紫電をその身に纏い、高笑いをあげている張慈円に向かって、宏は血まみれ満身創痍の姿ながら言い返す。
「ふん!もはや貴様に何ができるというのだ?菊沢美佳帆が雷帝と呼ばれる俺に敵うとでも思っているのか?!・・いいことを教えてやろう!菊沢美佳帆を橋元のところに送ったのは俺だ。捕らえたのもこの俺。スタジオ野口に付くまでの車中では随分可愛がってやったのだぞ?!あの牝から聞いておらんのか?貴様の嫁は何度も気をやっておったわ!敵の手でも感じまくる淫売女、それが貴様の嫁だ!」
「抜かせ!臭い口それ以上動かすなやクソ慈円・・。ゲロ臭いんじゃ。お前の口は・・。ぷんぷん臭うてくるやないか」
張慈円の外道すぎる言い分に宏は深紅の目に怒りを込めて辛辣に言い返すも、張慈円は吊り上がった目を更に細め愉快そうに嗤った。
嗤ったのだ。
宏の伴侶である美佳帆を罵ったことよりも、残忍なことを思いついた表情で・・。
そして振り返り怒鳴る。
「倣!もう人質は必要ない!この男の前で殺してやれ!」
腐れ外道張慈円は、人質がいる為無抵抗であった菊沢宏が、もはや人質無しでも始末できると判断して倣華鹿に向かって叫んだのだ。
「なっ!や、やめんかい!た、頼む!ボス猿・・いや倣華鹿やったな?!麗華はお前の仲間でもあるんちゃうんかい!」
さすがに慌てた宏が大声で倣華鹿に向かって怒鳴る。
「くはははっ!馬鹿めが!それがものを頼む言い方か?!あのプライドの高い倣に猿などと!それに裏切り者をあの倣が許すわけがなかろう!」
満身創痍ではじめて慌ててそういう宏を張慈円が嘲笑う。
さきほどから全く動きのない倣華鹿は、張慈円の声に僅かに反応したが動かない。
「倣!心配するな!もはや人質無しでも十分嬲り殺せる!」
それでも倣は動こうとしない。
「・・・倣?どうしたのだ?」
「張・・。私は貴方の指図など受けないわ」
ここにきて倣華鹿がようやく口を開いた。
「取引は無くなってザビも殺されて、そのうえ優香まで私から失わせようというの?」
倣華鹿は抑揚のない冷たい声で淡々と張慈円に問いかけた。
「倣・・。取引のことはすまんとしか言えん・・俺も大損だ・・。ザビエラのことは残念だが、その女は裏切り者であろう?・・っ!?」
張慈円のセリフが言い終わる前に、倣華鹿は寺野麗華を覆っていた自身のオーラで作っていた氷を霧散させた。
麗華は氷から解放され、ドサリとその身を地面に横たえるも、意識はあるらしく身を起こす。
「ごほっ!ごほっ!」
氷で首を絞められていた為、喉を抑え咳き込む麗華。
「麗華!無事か?!もう少しまっとけ!ゲロ臭いクソ慈円しばきまわしてまうからな!」
氷から解放された麗華を見て、一気にそこまで駆け付けたいのだが、張慈円に散々殴られたダメージで駆けつけるどころか宏はそう言うと、よろりと一歩踏み出しただけで倒れ込んでしまう。
「く、くそが・・!こんなときに動かんでいつ動くっていうんや・・」
動かない身体を怨めしそうにしてそう憤る宏を横目に、張慈円はふん!と鼻をならしてから同胞に問いかける。
「倣!・・正気か?!どうしたのだ?!」
張慈円と倣華鹿のやり取りに、麗華を助け出すチャンスが無いかと、傷つきすぎた身体の痛みを堪え宏も窺っている。
「優香は裏切っていないわ・・。そうでしょう?優香?」
はぁはぁと息を切らせて、みだれた旗袍から足を露出させて蹲っている優香の背に倣華鹿は優しく声を掛けた。
優香は立ち上がり倣華鹿のほうに向きなおると、無表情に近いが僅かに不安を押し殺した表情の女主人に頭を下げた。
「もちろんです。華鹿さま・・・。私の至らないばかりにお心を惑わせてしまい申し訳ありません・・。それに・・ザビエラが・・お許しください」
優香はそう言い女主人の前に片膝を付いた。
女主人に膝を付き、頭を下げた優香の頬には涙が伝っていた。
膝を付いた優香の前に安堵した表情になった倣華鹿も膝を曲げ目線を下ろし、優香の手を取り立たせる。
「ごめんなさいね・・疑ったりして」
倣華鹿は心底申し訳なさそうな顔をして優香を抱きしめ、その頭を撫でた。
「華鹿さま・・。大丈夫です」
優香も倣華鹿にそう言って応える。
「張!・・貴方にこれ以上肩入れできない。・・私は、戦いは素人だけど、誰がザビを殺したかはわかるわ・・。張とヨリを戻しても良いと思った自分が情けない・・!・・でも同胞は殺せない・・。だから私たちは撤収する・・優香、ザビエラをお願い」
残った左手を優香に支えられるようにしている倣華鹿はそう言うと、コートをはためかせて踵を返した。
優香も倒れたザビエラを背負い、歩き去り始めてしまう。
「倣・・・」
張慈円は同胞の去り行く背をみて、そう言ったのみで、それ以上声を掛けられなかった。
「ま・・待てえ!麗華!!お前の帰るところはそっちやないぞ!」
宏は膝を付きそう言って麗華の背に大声で叫ぶ。
倣華鹿はその声には反応しなかったが、そのあとにつづく優香こと湯島優香は、ザビエラの亡骸を背負ったままチラと顔だけ宏の方を振り返ったが、歩みは止めずそのまま女主人に従い去って行ってしまった。
「くそっ!麗華・・!」
宏は全身ボロボロ血まみれの姿で、地面に拳をうちつける。
「貴様はまだそんなことを心配しておるのか?この期に及んで他人のことを気にしておるとは・・度が過ぎるお人好しだな」
そう言う宏に張慈円が冷めた声で言い近づき、紫電を纏った手刀を宏に振り下ろそうとしたとき、倉庫の入口が勢いよく開いた。
「張慈円さま!宮コーが・・!もうすぐ港の船着き場に着陸してまいります!ものすごい数です!撤退を!」
扉が開くと同時に、駆け込みそう叫んだのは長髪を振り乱した前迫香織であった。
「なんだと?!」
手刀を振り上げた格好のままそう言った張慈円だったが、これだけはと思い、宏にとどめを刺そうとその手を振り下ろした瞬間、張慈円の後頭部に硬質な何かが直撃した。
「ぐぉ!?・・な、なんだ?!」
倒れこそしなかったが、確かに何かに後頭部を強打された痛みが走った張慈円が、たたらを踏みながらも衝撃が飛んできた方向に向かって構えなおす。
「どうしたのですか張慈円さま!一刻の猶予もなりません!勝手かと思いましたが、部下の方達に撤退の準備をするように言ってまいりました。敵の数は能力者が10人以上おります!とても太刀打ちできる状況ではありません!お急ぎください!・・えっ!?その刀は・・!」
一人で踊っているように見える張慈円に向かって、前迫香織が珍しく焦った声で促したが、香織は蹲った男、菊沢宏が背に背負っている太刀を見て息を飲んだ。
「くっ!こやつだけでも片付けておかねば!」
香織の焦燥には構わず張慈円がそう吐き捨てると、再び宏に肉薄しその首に手刀を叩き込む。
しかし、手刀を振り下ろす寸前に、再び張慈円の側頭部に激しい謎の衝撃が走る。
またもや不意をつかれた張慈円は、さすがに吹っ飛び倒れるも、ダメージはほとんど無いらしく即座に立ち上がり構えなおして周囲をキョロキョロと見まわし、苛立った声をあげる。
「な・・なんだというのだ!これは?!」
訳が分かない現象に張慈円の苛立ち度合いはピークになっている。
あと一歩で、憎い強敵菊沢宏にとどめを刺せるというのに、不可解な現象が邪魔をする。
「【見】でも関知できません・・!いったい・・!?」
宏の背負った太刀が和泉守兼定だと一瞬で見抜いた香織であったが、得体のしれない攻撃で張慈円を吹っ飛ばした何かに警戒している。
不可解な現象は大いに気になるが、目の前に同僚の奈津紀を惨く痛めつけた男と、奪われた奈津紀の太刀を見て香織は動く。
「この男が奈津紀を・・!っ・・奈津紀の刀だけでも・・!」
香織はそう言いうと、得体のしれない攻撃の正体がつかめぬまま蹲り動けないほど重症の宏に迫る。
どがっ!
突如香織の顎が跳ね上がり、次の瞬間香織の長い髪の毛が後方に引っ張られその勢いで、香織は背から地面に叩きつけられた。
「くっ!どういうことです?!」
ほとんどダメージもなく、即座に跳ね上がった香織も思わず叫んだ。
張慈円の身に起こっていたことが、香織の身にも降りかかったのだ。
突然の衝撃は、驚異があるほどの威力が無いにしても出所が全くつかめない。
辺りを見回してもそれらしき気配がないことに焦燥を隠そうともしない香織だったが、今度は【見】による気配のほう、宮コーの動きに顔を歪める。
「くっ・・!もう着陸いたします!あっ!3名ほど飛び降りました!」
張慈円のほうに向かって、前迫香織が焦った声をあげる。
「お・・おのれ!どのような手品を・・ぐおぅ!?」
そう言いかけた張慈円の顎が跳ね上がる。
顎が跳ね上げられた瞬間、張慈円が紫電を纏った手刀を横なぎにするが、手ごたえはない。
「これはなんだ?!・・いったいどういうことだ・・?!」
顎に衝撃が走った張慈円が、後ろに数歩下がりながら怪現象を訝しがるも、視界外からの超長距離からの攻撃なのか、どこから攻撃をしてきている所在が全くわからないことに、さすがの張慈円も狼狽し困惑した。
「張慈円様!致し方ありません!・・・私も無念ですが、敵はもうそこまで迫っております!【見】でみたオーラの気配では、迫ってきている先遣の二名はとんでもない使い手です!お急ぎください!」
そう言う前迫香織も奈津紀の太刀を回収できなかったことに思うところは大いにあるが、このままでは、撤退も間に合わなくなる。
そう判断し、すでに倉庫のドアを開け張慈円の方に向かって叫んだのだった。
「くそっ!忌々しい!ここまで追い詰めておきながら・・!」
張慈円はそう言うと、倉庫の周囲に迫ってきた気配をさすがに感じたのか、蹲る宏を憎々し気に睨みつつ背を向け香織の方へと走り去っていった。
張慈円がドアに駆け込み、派手に鉄製ドアが閉る。
脅威とよべる敵影は全て去った。
目的であるディスクの回収や、宏達の目標であった張慈円を取り逃がしたものの、宏は人生で迎えた最大のピンチで命を失わずに済んだのだ。
血にまみれ、膝を付いた宏の荒い呼吸音だけが倉庫に響く。
「・・逃げえ言うたやんか・・・なんで逃げんかったんや・・せやけど・・命拾いしたで。・・すまんな・・」
いまだにブツブツと奇怪な独り言をつぶやき仰向けに寝ている樋口を除けば、それ以外に敵の影はない。
しかし、宏は確信をもって窮地を救ってくれた人物に対して声を掛けた。
その声に反応するかのように、さっきまで何もなかった空間から突如アーマースーツに身を包んだ女性が現れる。
【完全不可知化】を解除し、あらわれた女はそのまま力なく床に突っ伏すように倒れ込んだ。
「・・借り・・は・・返せた?・・あの雷帝を・・3回も蹴ってやった・・・わよ・・・・・ぜんぜん効いてなかったみたいだったけど・・にゃはは・・」
倒れた女をその女から流れ出た血液が濡らしてゆく。
張慈円が苦し紛れに薙いだ手刀が、宏の窮地を救った女、猫柳美琴の胸を切裂いていたのだ。
【完全不可知化】の効果により、張慈円は自身の攻撃が美琴に当たっていたことに気付けなかったのだが、その攻撃は美琴を捉え大きなダメージを与えていた。
【完全不可視化】中の体力の消費は著しい。
猫柳美琴は息を20分ほど止めているのと同じぐらいの体力を消費して、姿を隠していた上、張慈円の当てずっぽうの反撃を受けてしまっていたのだ。
宏ほどではないが放っておけば死んでしまうほどの重症である。
「ミコにゃん、また笑い方が猫語になっとるやんけ・・どっちが素やねん。それになに勝手に死のうとしとんや・・そんなん超迷惑やねんぞ?」
宏はそう言い、倒れた美琴のところまで這っていき、美琴の身体を抱き起すと、座ったまま後ろから抱きかかえた。
「・・にゃぁ・・!こんな時に、な、なにを・・元気な時に誘ってよぉ・・」
大怪我を負い、血まみれながらも宏に後ろから抱きかかえられて赤面する美琴が恥ずかしそうに動かせない身をよじる。
(ひぁ!・・後ろから抱きかかえられて・・ひぃ・・耳に息が当たる!ああぁ!腰に腕が・・、太い腕・・大きな手・・こんな大怪我してるのにこの男・・こんな状況で・・?なんて大胆なの・・この人私が支社長の命令で嵌めたってわかってて助けてくれた節あるし、それにめちゃめちゃ戦っている姿なんてカッコ良かったし、グレイのテルさんみたいで顔もかっこいいし全然ウェルカムなんだけど…お互い元気な時じゃなきゃ動けないし…)
「あほ、なに考えとんや。もぞもぞ動くんやない。こうやって出血を止めるだけや・・。・・せやけど、そこまでせんでも助かりそうやな・・。それよりテツやモゲは無事なんやろか・・ミコにゃん通信でちょっと確認とれへんか?」
美琴の妄想暴走を他所に、宏は冷静に倉庫の外にあるたくさんの近づいてくる気配を察しつつも、宏は一緒に潜入した仲間の安否が気になっていた。
「いまどういうわけか繋がらない・・の」
「そうかぁ…」
真っ赤な顔でなんとかそう言った美琴に対し、背後にいる宏は素っ気なく、残念そうにつぶやいただけだった。
宏は美琴を後ろから抱きかかえ脇を圧迫することにより、失血を抑えできる限り延命し、体温を維持しようとしただけであったが、美琴には死に逝く寸前の戦場禁断ラブロマンスが始まったと思ったようであった。
「にゃぁ・・、一人で先走ってこっ恥かしい・・。さっき言ったこと聞かなかったことにしてくれる・・?・・・・・?・・ねえ?・・聞いてるの?」
真っ赤な顔のままそう言い、背中に感じる宏の分厚い胸板に身を任せている美琴は、返事のない後ろにチラリと顔を後ろに向けて宏の顔を見やる。
振り替えると目を閉じてはいるが精悍で整った顔が、すぐ目の前にあった。
宏は、ダメージと危機が去ったことの安心感から意識が遠のき始めているのだ。
反応のない宏の顔を見ながら美琴は、宏が目を閉じていることをいいことに、しげしげと宏の顔を覗き込む。
「・・・強いし・・いい男・・。自分もボロボロのくせに、こんな状況でも私を助けようとしてくれるなんて・・」
(わたし・・ついさっきまで丸岳部長のことが気になって仕方なかったのに・・わたしってお尻が軽いのかしら・・丸岳部長もかっこいいけど・・この人って・・超優良物件かも・・)
宏の顔を間近で見た美琴はつい本音を呟き、心中で自分のだらしなさを問うと、目を閉じてすでにほとんど意識を失いかけている宏の唇に吸い込まれるように、自分の唇を重ねようと顔を近づける。
しかし、あと数ミリで唇が触れるその時、張慈円達が去っていった方向とは違う扉が勢いよく開いた。
ばたーんっ!!!
「宏ちゃーん!!宏ちゃん!!ああっ!!先生!いました!こっちです!先生も手伝ってください!!宏ちゃんが死んじゃうっ!!」
美琴は勢いよく開いたドアの音と慌てた女性の声に驚き、ビクウッ!と身体を跳ねさせて、開いた扉の方に顔を向けた。
そこには初めて見る女性が、女性の背後に向かって誰かを呼んでいる姿だった。
つい最近宮川コーポレーション本社から関西支社に移動してきた猫柳美琴は知らない。
その女性のことを、ではない。
もちろんその女性のことも知らないが・・。
菊沢宏は菊沢美佳帆という伴侶がいるにも関わらず、宏本人も知らないうちに想い慕う女性を多く引き付けてしまっていることを・・・。
当の宏は美佳帆以外に興味を示さず、朴念仁のごとく鈍感なところが更に恋慕する女性を身悶えさせていることなど知りもしない。
元菊一メンバーの女性陣は美佳帆という防波堤がなければ、誰かが宏にアタックしてしまっていたことであろう。
菊沢宏は本人がわかっていないが、それほどいい男なのである。
特にスノウこと斎藤雪は、とうに防波堤危険水域のレッドゾーンを突破し、もう少しで防波堤を乗り越えてしまうギリギリのところ、禁断の愛情濁流は表面張力でかろうじて防波堤から零れていない状況であった。
スノウの素の顔がクールな無表情ため、周囲に気付かれにくにだけで、スノウの心は宏のことでいっぱいであり、週2回ほどが習慣になっている行為は宏ネタだらけである。
その菊一メンバーだけでなく、宏が宮コーに来てからは、宮コーの女性社員たちも、宏を意識している者は多い。
大学や会社の採用試験などでもそうだが、表向きは男女平等だと言われていても、女性採用枠より男性採用枠の方が多いことは、あまり知られていない。
特に公平であるべき公的機関ですら、得点率の低い男性が、遥かに高得点を取得した女性を差し置いて採用及び合格を告げられる場合がものすごく多く、メディアや新聞などを賑わした事件も記憶に新しい。
現に医大などでも女性学生の方が男性学生い得点率は高いのである。
その不平等な採用方針は、表向きとしては女性の将来的な離職率などを考慮した故と言われるが、女性を上に戴くのが気に入らない、矮小な男の高いプライドのせいであるのも否定できない。
しかし、宮コーでそのような不平等が許されるはずもない。
そのような風潮を良しとしない宮川コーポレーション、特に関西支社は宮川佐恵子が支社長に就任したときから、その不正は徹底的に排除されている。
こうして佐恵子が支社長に就任してからの4年間、平等に得点率に従って採用した結果、宮コー関西支社は女性社員の比率が7割近くも占めてしまっているのだ。
関西支社長の宮川佐恵子は男性の名誉のために捕捉の説明を付している。
試験の結果から分析すると、男と女を比べれば、平均的に男性のほうが平均値は高く、女性は能力差にばらつきが多いとのこと。
つまり、平均的には男性に優秀な人材が多いことはわかっているが、女性はピンからキリまでの能力差が著しいが、特に優秀なものがいる比率が男に比べて高いということだ。
しかし女性の社会進出を阻む最大の原因は、男女差別や能力ではなく、女性自身が持つ遺伝子的な特性によるところが大きいとも指摘している。
依存心が強い。
何千、何万年も男に守られて生きてきた女は、高い知能を有していたとしても、本能で男に依存することを選ぶ場合が多いのだ。
社員の採用方式としてどうするべきか迷うところであったが、佐恵子は純粋に得点率で採用することに決めた。
その結果が、現在の宮川コーポレーションの社員比率に反映してしまっている。
宮川コーポレーション関西支社は、その突出した能力を持つ女性を、取りこぼさず掬い取るような採用方式になっているのだ。
難関を突破した優秀な女性達からすればどうだ!と胸を張れる誇らしい結果なのだが、デメリットも発生する。
結婚や出産などで当然離職率が高い。
それは当然想定内の結果であったのだが、その他にも予想できていないデメリットが顕在化してきたのだ。
男の数が女に比べて少なすぎる。
宮コーに就職できるということは、その数少ない男性達も優秀には違いないのだが、如何せん数が少なすぎた。
公平な採用試験の結果、男性社員が少なく、女があぶれる・・。
そのため、必然的に比率の問題で、数の少ない男性社員は苦労もなくよくモテる。
男性には問題ないかもしれないが、女性達には当人たちの優秀さ故にデメリットが発生してしまったのだ。
自分よりバカな男は必要ない・・。と思う女性も多いが、生理的本能ではそうもいかない。
そんな状況の中、男が少ない宮川コーポレーション関西支社に、少ないながらも高スペックの男達が補充されたのだ。
菊一メンバー(モゲを除く)も軒並みイケメン枠であることから、元菊一男性陣(モゲを除く)の人気も、以前探偵事務所勤めをしていたときよりも急激に高まっている。
そして、その中でも宏は一番人気なのだ。
宮コーの待遇には不満のない元菊一事務所の女性陣たちだが、宏が宮コーの女性社員たちに人気があることには内心面白く思ってない・・などということはもちろん宏は気づいていない。
豊島哲司という彼氏がいるにも関わらず、普段禁欲的に仕事に邁進している宮川佐恵子でさえも宏に惹かれ始めていた。
スノウはそれすら敏感に察知し、佐恵子が宏に近づきすぎないよう警戒しているし、他の女性社員が宏に近づくことにも目を光らせている。
宏の女性を引き付けてしまう体質は、そういう【能力】を持ち合わせているわけではなく、単に雌が優秀な雄のフェロモンに引き寄せられてしまう本能に過ぎない。
倫理や貞操などという社会が決めたルールでは抑えきれない魅力が、優秀な雄からは発せられている・・。
それは女性もそうなのだが、いまの宏達を取り巻く環境は圧倒的に女性が多い。
しかも選抜された優秀で美人な女性が・・・、そのため、どうしても数少ない優秀な男性に女性が群がる図になってしまっている。
それ故、女たちは数の少ない優秀な男を獲得するため、自分に比肩するほど優秀で美人ばかり集められた宮コー内部で、他より少しでも抜きんでる為、女達の自己研磨に更に磨きがかかる。
そういう環境が、そういう熾烈な女の戦いが、宮川コーポレーション関西支社には文化として根付きつつあった。
とにかく、無駄に罪作りな無意識女性ホイホイの菊沢宏が、熾烈な女性闘争の巻き起こりかけている宮川コーポレーション関西支社に与えた影響は大きいし、なにより宏の知らないところで、女性達は牽制し合っていた。
奥さんより私のほうが魅力あるでしょ?と直接宏に言い寄る露骨な女性社員もいるぐらいなのだ。
そういうことが起きるほど宏は人気があった。
宮コー関西支社の状況をよく知らない、昨日宏と出会ったばかりの猫柳美琴の接吻行為が未遂に終わったのは良かったのだ。
宮コーの社員ではないが、菊沢宏をちゃん付けで呼ぶ人物の前で行為を中断できたことは、美琴にとっても幸運なことだった。
目の前に現れた女性に、伴侶もいる宏と接吻しているところなどをもし見られてなどすれば、タダでは済まない。
しかし、とにかくあと数ミリのところで美琴の接吻テロは未遂に終わった。
そんなめんどくさい女性特有の事件が未然に防がれたことなど知る由もなく、宏は遠ざかる意識の中で、美琴の声とは違う、聞き慣れた過保護すぎる声が倉庫内に響き渡った今度こそ安堵して本当に意識を失っていった。
【第9章 歪と失脚からの脱出 50話 着いた援軍そして宏の姉終わり】51話へ続く