項垂れる正弘が気になって仕方がない千佳子、
普段から能天気で軽いノリである正弘は
日常的に心配するような事を表に
出す性格ではないため
余計に気になって声をかけてしまう。
「正君…どうしたの?
帰ってきてから
ずっとそんな格好でいたの?…
会社で何かあった?」
結婚する前に
付き合っているときは
軽く能天気な性格が災いして
契約に結びつかない事が多く
営業成績もイマイチであったが
千佳子と結婚して年上の気の強い
妻に鍛えられたこともあり
千佳子との様々な夫婦間の
交渉に比べれば仕事の上での
交渉など簡単だと思うように
なってからはメキメキ仕事で
力を発揮できるようになり
成績も伸び出した。
千佳子は昔風に言えば
あげまんであった。
ダメな男性を優しく励ますのでは無く
背中を叩き、発破をかけ
強い男に鍛え上げていく
術を意識せずに持っていた。
そんな正弘が珍しく
深刻な表情で項垂れている。
これはただ事ではないと
思った千佳子がこちらも
珍しく少し優しい口調で声をかけた。
「あ・・・うん・・・
何かあったか?
うん。
何かあったんだろうな・・・
ちかちゃん覚えてるかな?
結婚してから最初に仕事で
取れた大きな契約が葛原商事
だったという事」
ソファに座り両手を
膝に付き身体を
沈めこむように
していた正弘が顔を上げる。
千佳子も仕事帰り
のそのままの格好で
正弘と向かい合うソファに
腰を降ろし話を聞く。
「勿論覚えているわよ。
今では正君のお給料の
7割は葛原商事での
売り上げからの歩合だもの。
うちの家計の収入源でも
あるのだから・・・」
千佳子は少し前のめりになりながら
ソファで足を組みながらそう言った。
正弘はソファにかけたまま
自分の両膝に肘を付き
そこに顎を乗せながら
「やっぱり・・・
知ってて当然だよなぁ・・・
あのなぁ・・・
ちかちゃん・・・
実はね・・・
その葛原商事との
契約が・・・
今月一杯で終わりになったんだよ・・・
チクショウ!!」
正弘が自分の膝を思いっきり
自分の拳で叩きながら
悔しそうにそう呟いた。
「えっ・・・
何で?
正君が何かした
わけではないのでしょう?
そんな急に・・・」
瞬時に今の家計の状況から
マンションのローン。
正弘の収入が激減して
しまう事などを計算して
正弘同様に千佳子も青ざめて
いきソファに座り組んでいた
足を組み替えながら正弘に
冷静な口調ではあるが内心
穏やかではない心境で問う。
「それがよ~
あのクソッ!!
あの野郎~・・・
実は・・・
つい最近ちかちゃんに
当たり屋に合った
ていう話しただろ・・・」
「えっ・・・
あっうん・・・」
「その当たり屋がな・・・
葛原商事の社長の息子で・・・
葛原商事の企画開発部長だとよ・・・
あんな奴があの会社に居るなんて
知らなかったよ・・・
何度も訪問しているのに
初めて見たしなぁ・・・・」
いつも比較的冷静な千佳子も
驚きを隠しきれない表情で
正弘の1番の上得意の企業の
社長の息子にあの
数日前正弘が饒舌に話していた
当たり屋騒動の1件の当事者
であるとは驚くばかりで
それが正弘にとって
どのような悪影響を与えるかも
千佳子が帰宅してからの正弘の
表情を見ていれば解る。
「そんな・・・
そんな事ってあるの・・・
でもそんな立場の方が
どうして当たり屋なんか・・・」
千佳子が疑問に思うのは当然だが
そんな立場と言われる程
葛原博之は立派な人間ではなく
社長の息子だからという理由で
便宜上部長の役職に就いている
だけで普段は殆ど出社すらしていないのだ。
だから正弘も葛原博之の存在を
知るはずも無く今回このような
形での初顔合わせとなってしまったのだ。
「野郎・・・
今日俺が月末の挨拶に行くと
俺が松井物産の葛原商事
の担当営業と知っていたかのように
しゃしゃり出て来て・・・
全ての商品について
他社との比較を出され・・・
それでうちが高いと
ぬかしやがり・・・
今月一杯で契約は終わりだと・・・
元々あの野郎・・・
俺が松井物産の営業と知って
当たってきたのか・・・
それとも当たってから
俺が名刺を渡したときに知ったのか
解らないが・・・
最悪の相手に当たられたよ・・・」
そう言うと
正弘はもう1度ソファに
座る膝に手を付き頭を抱える。
「そんな事が・・・
でも当たり屋の件も
キチンと警察まで
呼んで正君が悪くないと言う
事になっているし・・・
しかし・・・
そうね・・・
相手がその人なら
事故の件が正君が悪かろうが
悪くなかろうが関係ないかも・・・
ただの嫌がらせとか復讐の類ね・・・
そんな不条理に屈する事ないよ正君っ!
その彼が出した他社との金額の
比較・・・
本当に合っているの?」
「えっあ・・・
うん・・・
そこはまだ調べていないけど・・・
嘘は言っていないんじゃ
ないかなぁ・・・」
正弘は思わぬ場所での
まさかの相手との遭遇と
その遭遇がもたらした
自分自身を地獄へ突き落すような
悪魔の宣告を受け意気消沈
していたが
その悪魔の宣告を主人に聞かされた
千佳子は経済的な問題から
動揺するもまだ冷静ではあった。
千佳子は困難が訪れてもまずは
どう回避するかどう立ち向かうか
という所から考え出す性格で
ただ打ちのめされてしまうような
正弘とは根っこの部分が違っていた。
「まずはその葛原商事の
社長の息子の言う事が
本当かどうか
確認しなきゃ・・・
それからでしょ!
落ち込むのは~
それでもし本当だとしても
それならそれでまた対策を
考えれば良いじゃない!?
ねっ・・・
それとやっぱり
その人が当たり屋の件を
根に持ってこんな事をして
きたのなら当たり屋の件で
どのように対処すれば
彼の気が収まるかも
探ってみるのもありじゃない?
もし彼の気が収まれば今回の
契約が今月で終了という
話も考え直してくれるかも
しれないじゃない?
もし謝罪に来いとか
言われたら理不尽ではあるけれど
頭を下げるくらいどうって事
ないじゃない!?ねっ!
何なら私も一緒に
謝りに行ってあげても良いからっ」
正弘には確信はなかったが
やはりあの当たり屋の件は
関係していると思えて仕方が
無かった。
葛原商事の応接室を
出る間際に博之の見下す
にやけた表情が
全てであるような気がしてならない。
しかし今勤務先の松井物産と
フルコミッションで
雇用契約を交わしている正弘には
頭を下げてでも何をしてでも
葛原商事との契約を切られることを
回避しなくてはならない事は必至であった。
そしてそれを本能的に直感的に既に
気づいている千佳子が言うように
何か対策を考えて行かない事には
このまま奴の言いなりになってしまう。
その事を気づかせてくれる千佳子は
やはり頼りになる姉さん女房である。
正弘はそう思いリビングのソファから
立ち上がり競合他社の商品価格を
調べるためにPCを置いてある自室へ
向かっていた。
《特別篇(読者様からのリクエストストーリー) 頼りになる強い嫁 終わり》
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