第9章 歪と失脚からの脱出 39話 猫柳美琴と前迫香織
背の高い草の茂みの中を、更に身を屈めて駆け抜け、音もなくしなやかに動く黒い影は、耳をそばだて、頭は動かさず眼球だけの動きで周囲を探る。
「はぁ・・。無茶苦茶なのよね。急に県外出張なんて・・。ブラックすぎるじゃないのよ・・。しかもヘリの中で着替えだなんて・・・私だって年頃の女なのよ?」
しなやかで隆線的なボディがよく分かる漆黒のスーツを身に纏った女、猫柳美琴は愚痴をこぼした。
できるだけヘリの貨物室の隅っこで、操縦士などに見られないように宮コーのアーマースーツに着替えていたのだが、能力者であるが故、美琴はお揃いの上下黒の下着姿をチラチラと盗み見されているのがわかっていた。
「せめて上下お揃いのメーカー物で良かった‥。油断してゴムがのびのびのショーツで、上下とも別々の安物のとかじゃなかったのが、まだ救い・・・・ってそんな心配してるのってどうかしてるよね!?この発想って私ブラックな職場に染まりつつあるよね?!」
と一人ボケ突っ込みをしてしまう。
男からすれば、美しい年ごろの女が見られてもしょうがない場所で着替えているのであるから、覗くなというのが無理かもしれないが、今回はあまりにも命令が強引すぎる。
直属の上司である緋村紅音に緊急出動を要請されたおかげで、下着姿を覗き見されたうえ、任された仕事の難易度もかなり高い。
そのうえ、いつも通りだとすれば、緋村支社長が特別手当を出してくれることもないだろう。
これまでも、かなりハードな命令が積み重なり、さすがに今回の件で宮コーを転職しようかとも一瞬頭をよぎったが、「退職したい」と切り出したら、あの紅蓮がいったいどういう態度をとるのかがわかっているだけに、胃が痛くなった。
「はぁ・・やるしかないよね。ガンバレ私」
そうやって、溜息をつき、一人どことも知れない草むらの中で自分を励ましてみるが、周囲からはリーンリーンと虫の泣き声しかしてこない。
こんな任務でなければ、秋風と虫の声のするいい季節なのだが、今はそんな気分にはとても慣れない。
美琴は、頭を切り替え、冷静に状況を考える。
自分の能力からすれば、今までの経験からしても今回のような高難易度の仕事だとしても、成功確率の方が圧倒的に高い。
とはいえ失敗するとまず命はないだろう、ということもわかっている。
さすがに潜入捜査では場数を踏んでいる美琴は、経験からそう判断を下すと、潜入捜査のいつもの作業に取り掛かる。
「さてと・・」
そう誰にも聞こえない程度の声で呟くと、美琴は頭に叩き込んでおいた地図から自分の位置を割り出し把握しなおしてから、通信機のついた耳に手を当てる。
「ブレイズツー。聞こえてますか?こちらハイドワン。現地到着いたしました。作戦を開始します」
美琴は普段使っている自身のコードネームを告げ、密かに憧れを抱いている上役の丸岳貴司に向けて通信を飛ばした。
「了解だ。ハイドワン」
すると、すぐに聞きなれた低いダンディな声が返ってきた。
美琴はその声を聴くと、一気に安心した気持ちになり少し表情を緩めてしまったが、続けて聞こえてくる内容に、驚きから徐々に目を見開いてしまった。
「こちらからもそちらの姿がよく見える。対象はまだアジトの倉庫にいるのは間違いない。鷹と土竜は西北の海岸付近の岩壁で戦闘中だ。今のうちに作戦を遂行しろ。・・・気を付けろ。最初から能力を出し惜しみなく使っていくのだ。鷹や土竜のほかに、アジトには吹雪の一味も来ている。一瞬たりとも気を抜くな。今回の取引の雷帝の取引相手・・ということだ」
「えっ?・・そ、そんなこと聞いていません!雷帝にくわえて吹雪もいるなんてっ!吹雪がいるということは、当然あのボディーガードもいますよね?そんなヤツ等ががひしめくところに、私なんかじゃとても・・」
「落ち着け。いいか?ハイドワン。何度も言うが奴等と戦う必要はない。ブレイズワンが言っていたことは忘れろ。樋口は始末しなくてもいい。むしろできるだけ接触は避けろ。目的物奪取のことだけを考えるんだ。目的物を手に入れたらそのまま現地からの離脱を最優先しろ。ハイドワンの能力ならよほどのことが無い限り見つからん。ただ、念のためにここから能力を展開していけ。・・・心配するな。こちらからも衛星でその島にいる能力者の動きは手に取るようにわかる。変な動きがあればすぐに教えてやるから、ハイドワンが敵より先に捕捉されることはない」
「・・・は、はい。わかりました」
美琴は想定以上の敵対勢力の多さに息を飲み弱音を吐いたが、通信機から聞こえてくる丸岳が真剣に自分を心配してくれている様子が伝わり幾分冷静になれた。
ブレイズワン、紅蓮こと緋村紅音のことだ。
樋口を殺せと最初命令してきたのだが、そんな敵だらけの中で戦闘をしてしまうと、樋口以外の者達にもすぐに駆け付けられ、あっという間に、自分より強い能力者複数人に囲まれて袋叩きにされるだろう。
ブレイズツー、丸岳貴司から「樋口を始末しなくていい」と改めてそう念を押してもらったことは有難かった。
「俺もお前に死なれたくないのでな」
「はい。ありがとうございます」
「期待しているぞ」
「は、はいっ」
気を遣ってくれているのがわかったうえ、密かに憧れている上役に、期待していると低くダンディな声でそう言われてしまって、無意識に美琴はすっかり気を取り直すと、いい返事を返していた。
通信を切った美琴は、ふぅと小さく息を吐きだし、上役の優しさの余韻に少しだけ浸ってから、すぐに表情を引き締める。
「道なき道は猫の道、抜き足差し足忍び足・・。パーフェクトインヴィジビィリティ(【完全不可視化】)」
美琴は発動前に癖になってしまっている簡単な紡ぎ言葉を発し、能力を発動させた。
オーラにより自身周囲の空間を屈折させ、技名通り自分を完全に周囲から見えなくさせる技能である。
両手を地に付け、長身とも言えるしなやかな身体、伏した身体で強調するようにヒップだけを上げる姿、細いがアーモンド形の美しい緑がかった瞳を持った目、口元からは右側だけから僅かに覗く八重歯、ボーイッシュな短髪黒髪が、美琴の特徴ともいえるそれらは完全に周囲の景色と同化し見えなくなった。
(一気にいこう・・!長時間使える技能だけど、素早く見つからずに・・!周りは化け物ばかり・・見つかったら、私なんてすぐに殺されちゃう)
能力を展開し、暗闇の草むらや森の中を、猫のようにしなやかな動きで駆け抜けながら、美琴は敵対する圧倒的な能力者たちが、数多く徘徊する島へ単独で潜入してきていることへの緊張から、身を震わせ乾いた口の中を湿らせるように舌で唇を濡らす。
任務の難易度からくる緊張で、宮コーのアーマースーツを纏っている肌はしっとりと汗ばんでいた。
猫柳美琴は潜入捜査専門の能力者で、戦いにおいては一般人相手なら難なく圧倒するが、能力者相手にであれば、たいていの場合歯が立たないという程度の力しか持たない。
ただ、周囲からの視覚を完全に阻害するという【完全不可視化】は、その非力さを補って有り余るのである。
しかし、今回はさすがに周囲にいる能力者が、自身のあらゆる能力を使っても手に負えない相手だと美琴は自覚していた。
「本当に慎重にいかなきゃ・・。あの二つ名持ちの人達なら隠密能力と機動力に特化している私よりも移動速度が速いかもしれない・・。見つかったら、純粋な追っかけっこじゃ追いつかれる可能性もある・・。でも、丸岳部長の期待に応えたいし・・、いざとなれば奥の手もつかって絶対に逃げ切るんだから」
美琴は暗闇を音もなく駆けながら、そう言い森を飛び抜け跳躍する。
空中に躍り出ても、美琴の姿は誰の目にも見ることはできない。
明け方に近いとはいえ、曇天模様のおかげで周囲はほぼ暗闇で視界は悪いのだが、【完全不可視化】を展開させながらも、美琴は【暗視】も当然発動させている。
跳躍した美琴の眼下には、もうすでに目的地の錆びに塗れた古い倉庫が現れた。
ところどころにある窓からは、淡い灯の光が漏れている。
菊沢宏達とは真逆の方向から倉庫にたどり着いたのだ。
(あのどこかの部屋に樋口がいる!作戦開始からまだ15分・・!きっといつも通りすぐ済むわ。いかにあいつ等が強くたって見つからなきゃなんてことないはずよ!)
そう自分を叱咤し、美琴は音もなく着地すると、まっすぐに倉庫へと駆け出した。
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前迫香織はオーラで練り出した光の矢を3本、長弓を模したオーラの弓へ番え狙いを定めた。
「これでお仕舞です。下品な男」
香織が上空でそう呟き指を離す瞬間、展開している【見】に不可解な反応があった。
「え?・・なんですかこれは?こんな気配は初めてです・・!」
索敵能力であり、護衛対象の周囲に展開させていた【見】から今までに感じたことのない違和感が伝わってくる。
ただ普通に【見】で敵を補足しただけなら、ここまで驚かなかった。
敵と思しき者は【見】で気配は感じるものの、姿が全く見えなかったのだ。
香織らしくもなく慌ててしまったせいで、すでに離してしまっていた指の狙いのズレを感じて声を上げてしまう。
「・・し、しまったっ!」
引き絞った弓から放たれた白い矢が、対象としていた派手な色のブーメランパンツだけを身につけた男から僅かに逸れ、しかもこちらの気配が漏れたのか、男は身を捻って躱しながら、ビー玉を弾いて反撃をしてきたのだ。
「きゃっ!!」
「ぅおっと!」
ビューン!
ドカッカッ!
びしっ!
女と男の声、空気を切り裂く矢の音、木の幹に硬質な物が刺さる音、そして、硬質な物が柔らかいモノに当たった音が、静まり返った森の中で響いた。
必殺のはずの矢は3本共逸れ、木の幹に2本、もう一本は遥か森の暗がりに吸い込まれて行ってしまったきりだ。
一方の香織はというと。
「く・・っ。迂闊・・・」
上空に斥力で浮遊したままの格好で、膝を付いて血にまみれた右手を左手で押さえて呻いた。
「どらあああぁ!」
利き手をビー玉によるカウンター狙撃で負傷させられた香澄に、下からほぼ全裸の男が拳を振りかぶって飛びあがってきたのだ。
「くっ!」
香織はブーメランパンツ男の拳を咄嗟に左手に持った刀の柄で防ぐが、男の渾身のパワーに押し切られたうえ、男は地面にたたきつけるように蹴りも放ってきたのだ。
「きゃぁ!」
香織は、拳は防いだものの左頬を蹴り抜かれついに上空から地面にたたきつけられた。
「くっ・・・名もなき能力者に・・このわたくしが・・・!」
顔を蹴られダメージもあるが、隙を作るまいと、弓形状に変形させていた長刀を、刀の形に戻し薙ぎ払いつつ防御の構えをとるが、ブーメランパンツ男はすでに肉薄してきた。
「ようやく見つけたで!もう逃がさへんからな!」
ブーメランパンツ男は全身血まみれながらも、このチャンスを逃すまいとしているのか、不用心ともよべるほど猪突猛進して拳を振るってきた。
「くぅ!」
千原奈津紀と共に、高嶺六刃仙の双璧とも呼ばれている前迫香織であるが、接近戦はやや苦手であった。
得物の長さもさることながら、技能も遠距離に特化したものが多い。
その分距離をとった戦いでは、比肩する者はいないのであるが、この状況では香織の優位性は全て潰されてしまっている。
ブーメランパンツ男、モゲこと三出光春は、ギャンブルで鍛えた嗅覚からここが攻め時だと心得ていた。
もっともそのギャンブルでは散々に負け越しているのだが、ことこの場面においてはその判断は正しかった。
「くっ!・・っ!・・・っう!」
明らかに前迫香織はモゲの強引な殴打攻撃を防ぐのに精いっぱいで、長刀を左手だけで器用に操りながら後ずさりを余儀なくされている。
前迫香織は、【見】に反応した気配で気を逸らしてしまったうえ、遠距離攻撃に備えていた展開していた【斥力排撃】をビー玉に貫かれてしまうほど弱めてしまったのであった。
それにモゲの卑猥なオーラが籠ったビー玉が、香織の想定以上の威力が込められていたこともあるかもしれない。
「もう逃がさへんで!どらどらどらどらぁ!」
モゲの猛攻に追い詰められ、大木を背にぶつかった香織は、顔面に向かって突き出されてくるモゲの必殺の拳を寸でのところでよけ、再び上空に逃れようと跳躍したが、モゲはそれを予測していた。
「逃がさへん言うてるやろが!」
飛びあがった香織のベルトのバックル部分を掴むと、強引に地面に叩きつけたのだ。
ばちんっ!びりびりっ!
という何かが千切れる音と、布が引き裂かれる音と共に、どぅ!と香織の細身が、モゲの膂力によって激しく地面に叩きつけられる。
「くぅ!あなたっ!よくも・・・・このわたくしにこんな事を・・・!」
前迫香織はパンツスーツの前部分をベルトごと引き千切られ、淡いブルーの下着を隠すようにして慌てて立ちあがり、モゲから距離をとる。
「ほっほぉお!可愛いの履いてるやないか。お仲間は赤パン、白パンやったな。お前は青パンか!これでみんな平等やな!」
「だ、だまりなさい!」
左手だけで長刀を構え、意味不明な発言をするモゲを牽制しつつ、血まみれの右手で丸出しになった下着を隠すように手で覆った格好で香織は怒鳴った。
「お前だけ下着見せてくれへんかったからな。ぶちのめす前にどうしても見ときたかったんや」
モゲのセリフを無視して香織は、長刀を持った手で耳の通信機をONにした。
「奈津紀、沙織!アジトの方に何者かが高速で向かっています!この者たちの仲間かもしれません!この者達は陽動だったのかもしれません!速度からして能力者に間違いないはずです!でも【見】でも姿は確認できないの!相当な使い手ってことです!」
想定外の状況と、パンツスーツを引き裂かれ下着を思い切り露出してしまったことから激しく動揺しつつも、香織は仲間に状況を伝える。
「はぁ?俺ら以外に誰か来てんのか?」
「この期に及んで、とぼけたふりを・・・」
モゲは素直に本心からそう呟いたのだが、生真面目な香織はそうはとらなかった。
今すぐこの男を片付けて、アジトの方へ戻りたいのだが、パンツスーツは引き裂かれ、両膝のところへかろうじて引っかかっていた生地も地面に落ち、ついに下半身はショーツのみという格好になってしまっている。
「私がこんな目に・・・」
このままではこの男を撃退しても、この格好でアジトに戻りづらい香織は、奈津紀か沙織の応答を待っているのだが、何故か応答がないのだ。
「奈津紀!沙織!聞こえていないのですか?!」
下半身ショーツだけになった香織は、右手でできるだけ下半身を隠しつつ再度通信機に向かって声を上げてみるが、すぐに反応はなかった。
「はっはっはー。お仲間はもうやられてもたんちゃうか?」
「彼女たちは髙峰屈指の使い手ですよ!そんなはずありません!」
モゲの場違いな余裕のある口調に苛立った香織は、声を荒げた。
「せやかて返事ないんやろ?そういうことやと思うで?なんせ、宏もテツも俺より強いからな。まあ、あいつらのことやから、殺しはしとらんはずやから安心せえや。妙にあいつら女には甘いんや。力量から言うて、俺とやってるあんたが一番ラッキーやったんや。しかし、女やからっていうて、優しいにしてもらえんという点においては、あんたはアンラッキーやけどな」
「あなたが一番弱いのは見ていてわかりました。しかしそれでも奈津紀や沙織があの者達に負けるはずありません。あなたも私に勝っているわけではないのですよ?!」
「せやな。せやけど、いまから下着丸出しの女と戦うんや。やる気・・・湧いてくるなぁ!・・・俺があんたのことアンラッキーや言うたワケ・・・・これからたっぷりわからせてやろう思てるんやけどなぁ!男には女には無い最強の武器がある言う事をなっ!」
「ひぃ!」
香織の名誉のために捕捉するが、決してモゲのオーラに怖気ての悲鳴ではない。
明らかに先ほどよりもブーメランパンツの前を大きくさせた男が、凄みながら拳を構え近づいてきたことに、香織は本能的に小さく悲鳴を漏らしてしまっただけである。
先ほど海岸でこの男の全裸を見た時に、サイズは確認している。
戦闘中にそんなことはあり得ないが、人間離れしたあのサイズに狙われているということに、女として本能的に怯えてしまっただけだ。
そんなことを思っている香織の耳元でザザッと通信が繋がった音が聞こえた。
すぐに耳をそばだてた香織だったが、思いもかけないセリフが同僚の二人から返ってきたのだ。
『香織っ!思いのほか手こずっています!くっ・・・このサングラスの者は予想以上の手練れでっ・・・沙織か香織で向かってください・・ザザッ』
『かおりんっ・・!いま手が離せない!・・・うぅっこの人、見た目通りの脳筋じゃなかったのよっ!きゃっ!・・こんのぉ!離せっ!離・・・ブツ』
「な、なんてことでしょう」
香織は聞こえてきた同僚のセリフに、わなわなと肩を震わせてそう言うと、正面にいる変態が声を掛けてきた。
「お仲間なんて言うてたんや?まだ生きてたんか?宏もテツのやつも、敵の女とっ捕まえて楽しむなんて趣味ないと思とったんやけど。まさか真っ最中やったんか?」
「くっ。不埒で下賤な妄想はおやめなさいっ!」
香織はモゲのネジの外れた発想からくる発言に怒鳴ると、カチャリ!と長刀を左手だけで構え直し、仕方なく雇い主である張慈円にチャンネルを合わせた。
「申し訳ありません張慈円様。そちらに何者かが向かっております。こちらは交戦中ですぐには迎えそうにありません。どうかそちらで対応してください」
『ザザッ…、前迫香織か。どうしたというのだ?六刃仙が3人もいると言うのに手こずっているというのか?…まあ相手があの菊一の小僧どもという事なら・・・しかしだ、こちらはもう直ぐ取引なのだぞ?なんとか貴様らだけで対応しろ。そういう契約のはずだ』
「で、ですが・・・もうしばらく時間がかかるかと、それに近づいている者の気配や速度からすると、相当な手練れのはずです。我らも急ぎ駆けつけるようにしますが、何卒ご警戒を・・くっ!」
張慈円と通信している最中ということもお構いなしどころか、チャンスと見たモゲは隙を見計らって下卑た笑みを貼り付かせた表情で香織に殴り掛かったのだった。
かろうじて躱した香織であったが、地面を這う木の根に足をとられ、不覚にも転倒してしまう。
すぐさま身を翻し起き上がるが、制服でもあるパンツスーツを履いていないのである。
回転し起き上がる姿を、モゲが追撃の手を止め、厭らしい目つきでじっくり堪能していることに気が付き、羞恥からどうしても動きに冴が無くなってしまっているのだ。
「ふ、不埒な・・っ!」
『ん?どうしたのだ?前迫香織。何とかなりそうか?それに千原からはそう言ったことは、何も連絡が来ていないぞ?』
「は・・はっ・・。大丈夫です。こちらで対処し、すぐに向かいます」
『うむ、相手があの忌々しい小僧どもでも、お前たちならなんとかなるだろう・・・そう思いお前たちに大枚をはたいているのだ。それにお前たちで何ともならんような相手をここに来させてもらってはその方が困るぞ。そういう事なので、ではよろしく頼む』
張慈円はそれだけ言うと通信を切ってしまった。
一方ブーメランパンツ男が、通信中も容赦なくちょっかいを出してくるのは、致し方ないのだが、ちょっかいの出し方がどうにも厭らしく、眼つきも表情も厭らしい。
その表情や目が、厭らしく嫌悪感を感じてしまう。
右手も掌から甲にかけて、ビー玉で撃ち抜かれているため刀を握るのは難しい。
そしてなによりも、下半身がショーツのみという格好が、なんとも心許ない。
「なんや形勢逆転やな・・・。俺・・なんか楽しなってきたで!ほほう・・・長身やから細く見えていたけど、足に腰回りなどはさすがに鍛えられた剣士の肉付きやなぁ・・・俺はあのメガネの姉ちゃんの声聞きたかったけど、同じようにお堅く済ました感じのスレンダーなあんたも中々にそそるで~」
ピンクと黒の派手で生地の少ないブーメランパンツの股間を、男性器の形を浮き上がらせて膨らませている変態が、拳を構え香織に迫ってきていた。
「なっなにを戯言をっ!私だけでなく奈津紀にまでそのような目で・・・髙峰を愚弄するのも良い加減にしなさい!こ、この変態!・・・しかし!・・舐めないでいただきましょう・・!この前迫香織・・利き手が使えずともあなた如きに後れを取るものではありません」
香織はそう言うと、切れ長の目を鋭く光らせ、左腕のみで長刀を半身にして構える。
能力者としては、幾分格下のはずの男相手に、こうまで手こずることになってしまった香織だったが、自身の今の格好などを考えないよう集中し、できるだけ男の股間に目を向けないようにして、敵を鋭く射抜く目になったのだった。
【第9章 歪と失脚からの脱出 39話 猫柳美琴と前迫香織終わり】40話へ続く
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