第9章 歪と失脚からの脱出 42話 寺野麗華?優香?
鉄製の扉が古びた嫌な音を立てて開くと同時に、倣華鹿は年齢不詳の妖艶な美貌に笑みを湛えたまま、大股に歩を進め、スリットから美脚を覗かせて部屋に入ってきた。
そこは部屋と呼ぶには広大すぎる空間であり、その一角にテーブルとソファがこじんまりと置かれ、即席の会合用の場所がつくられていた。
天井は高く、床はコンクリートむき出しで、部屋の隅には木箱や機材の廃材などの残骸が積み上げられているが、広さが十分なおかげで倉庫は窮屈さを感じさせるどころか、だだっ広ささえ感じさせる空間だった。
いわゆる倉庫と呼ぶのがふさわしい部屋である。
張慈円の部下たちが立ち並ぶ前を、華僑の女ボスは優雅に進む。
「張、久しぶりね」
ここに来るまでは散々この建物のことを汚いとか罵っていた倣華鹿だが、そんなことはおくびにも出さず、肩に引っ掛けたロングコートをマントのように靡かせ、カツカツとヒールを響かせて優雅さを感じさせる歩調で歩きそう言うと、張慈円の発言する前に、座面の低い椅子にドサリと深々と腰を下ろして足を組んだ。
「相変わらずだな倣」
張慈円は倣華鹿が旗袍のスリットから美脚を覗かせて歩いている姿と、張慈円が狙って置いた座面位置の低いローソファに座って、美しい脚が交差し組まれるのをしっかりと目で追ってからかつての同僚に声を掛けた。
倉庫には張慈円の他には今回の取引のクライアントである樋口もおり、張慈円の隣のソファで脚を組んで、華僑の女ボスの一挙手一投足を女性蔑視で、下心むき出しの視線を浴びせ見入っていた。
しかし、倣華鹿は張慈円や樋口の視線に気づいているのかいないのか、はたまたそのような視線を向けられることには慣れっこなのか、男達の視線を気にした様子もなく「そうね」と言って肘置きに腕を置き、背もたれに身を沈めると、その手をシャープな顎に添えてほほ笑んでから、軽く後ろを振り返り、人差指をくいくいと倒して部下に合図している。
「親愛なる同士張雷帝に手土産をもってきたわ。こっちじゃ手に入らない上物のはずよ?」
雷帝は張慈円の異名であり、同士内では敬意を込めて張慈円のことをそう呼ぶ風習があったのにならい、倣華鹿は張慈円のことを張雷帝と呼んだのであった。
倣華鹿が、妖艶な笑みで張慈円のほうに再び顔を向けた時、ボディガードのザビエラと優香以外に二人だけこの部屋に入ることを許された倣の部下の男たちが、赤い布で封をされた濃い土色の陶器性の酒瓶を一個ずつ抱えて入ってきたのだ。
「お気に召すと思うんだけど」
倣の部下たちが抱えてきた酒瓶には赤い墨汁で大鵬と銘が書いてあった。
別組織でライバルではあるが、同胞でもある張慈円に対し、倣華鹿はささやかながら、張慈円が喜びそうな手土産を用意していたのだ。
「おぉ。紹興酒か。・・倣よ。さすがに貴様は商売人だな。抜け目がない」
「ふふふっ。別にこんなものに関して打算があるわけじゃないから安心しなさいよ。張が好きなのはこの銘よね?」
「そうだ。このコクと程よい甘さがなんとも言えんのだ」
「うふ。記憶違いじゃなくて良かったわ。これでも一度でも付き合いのある人の好みは大体把握してるつもりなのよね」
張慈円の様子に満足して破顔した倣華鹿は、意味深なセリフを言うと、足を組み、ひじ掛けに手を置いたままにっこりとほほ笑んだ。
倣華鹿としては今回の取引は、事前の話通りであれば、莫大な利益が得られる話であり、張慈円としても、久しぶりに実入りの良い商談なのである。
特に資金難気味な張慈円としては、菊一や宮コーの連中を高嶺が抑えている今のうちであれば、あとはディスクと樋口の身柄を渡し、倣華鹿が張慈円の口座に送金処理をするだけなのだ。
この取引が予定通りにすすめば、暫く資金の心配はしなくてよくなるのである。
高嶺を、大枚をはたいて雇った穴埋めも十分にできる。
当然、張慈円の表情は自然と緩み、そのうえ手土産として愛飲している酒を送られた今は、普段は雷帝と恐れられる男の顔にも、笑みが漏れてしまうのは致し方ないことであった。
カネというモノの魔力は誰にとっても抗いがたい魔力を持つのは古今東西の常であるし、日本では手に入れにくい故郷の名酒が、予期せぬタイミングで手に入ったのだ。
故に、ここ数か月で見れば、張慈円の機嫌は最高によかったのである。
「久しぶりだな。張雷帝。かわりないようで何よりだぜ」
機嫌の良さそうな張慈円の様子に、倣華鹿の隣に立ったザビエラも、頭領に続き、彼女なりの礼を尽くしたつもりの挨拶をする。
「ザビエラか。またピアスが増えたようだが、貴様も変わりないようだな」
三合会の会合で何度か顔合わせをしている二人も、簡単な挨拶を笑顔で交わし、同門同士の取引は極めて明るい雰囲気で始まった。
その場の様子に、いつも中間管理職として胃を痛めている劉幸喜は、内心でほっと胸をなでおろしていた。
しかし、張慈円がザビエラの後ろに続いて部屋に入ってきた人物を見た瞬間に、部屋の雰囲気が急激に変わってしまう。
「・・!?・・・・おい倣。貴様・・謀ったのか?」
「ん?急にどうしたのよ?」
張慈円の目がすぅと細くなり、カマキリのように吊り上がると部屋の空気が一気に重くなった。
張慈円の態度や表情とは対照的に、香港三合会の一角、華僑を束ねる倣華鹿は足を組み、椅子に深く座った格好のままだが、きょとんとした顔になって聞き返した。
オーラを漲らせた雷帝張慈円と倣華鹿との間に、ザビエラと優香が割って入るように素早く動く。
「何をとぼけておる!そいつは宮川コーポレーションの寺野麗華ではないか!劉!貴様何をしていたのだ!気づかなかったのか?!」
優香を指さし、雷鳴のような叱責が、部屋の入口付近に立っている劉に浴びせかけられる。
劉は張慈円の怒声に身を震え上がらせ、その名を思い出したが、咄嗟に弁解をした。
「待ってくださいボス!俺も当然疑いましたが、どうも違うようなんです」
「だまれ!どこが違うというのだ!この馬鹿めが。貴様の目は節穴か?!」
倣華鹿の後ろ、ドアの付近で立っている劉幸喜と、部屋の奥の椅子に座ったままの張慈円がやり取りをしている間、当の当事者である優香が倣華鹿の方へ振り返って顔を見合わせ、?という表情で目を合わせている。
「優香。あなた宮コーだったの?」
「い、いえ。違います。どうしてそんな話になってるんですか?張雷帝はなにをお怒りに・・??」
倣華鹿の問いかけに、優香はまるっきり困惑した様子で倣華鹿に返している。
「おいおい。張雷帝。とりあえず落ち着いて話そうや」
ザビエラは激昂している張慈円に向かってそう言うが、張慈円は警戒を解かずギロリと倣一味の3人を睨んでいる。
ボスである張慈円の様子に、張慈円の部下たちが懐から一斉に拳銃を取り出し、倣一味に向け銃口を向けた。
「と、取引はどうなるんだい・・?」
この取引さえ終われば、大金を得て海外へ亡命する手はずの整っていた樋口は、不安そうにそう呟いたが、その問いには誰も応えることができなかった。
酒瓶を持ってきた倣華鹿の二人の部下は、ボディチェックで武器を取り上げられていた為、周囲から銃口を向けられていることに、なすすべもなく狼狽した様子でオロオロし出している。
「見苦しい。おやめなさい」
総帥である倣華鹿の静かな叱咤で、その部下たちは幾分冷静さを取り戻したが、最初の和やかな雰囲気はすでに吹き飛び、雷帝張慈円は禍々しいオーラを周囲にまき散らし、劉や部下たちも臨戦態勢である。
疑いと怒りの表情に染まった張慈円に対し、倣華鹿が少し困ったような顔になり、身振りを交えて自身の部下である優香のことを弁明しだした。
「ねえ張。とりあえず兵たちに銃を下ろさせなさいよ。張や劉の勘違いじゃないの?優香は私の組織の末端構成員だったのを引き上げてやった子なのよ?宮コーなんかじゃないわ。この子は、お兄さんと二人でうちが運営する工場で働いてたの。それをうちの工場を束ねさせてる男が、私に報告してきたのよ?・・(能力者かもしれない兄妹がいる)ってね。それが本当なら掘り出し物だし気になって調べてみたらさ、優香たちは故郷から日本に移り住んだ私たちの同胞だったのよ。身寄りもなく、日本で頼りにしていた知人にも騙されて見捨てられて、貧しい暮らしを余儀なくされていたわ。でも幸いなことに、私の息のかかった食品工場で働いていたのよ。だから私の耳に触れる機会があったの。優香たちは自分たちに能力があることを知らなかったわ。そこを私が拾ってやったってワケ・・・」
倣華鹿が自分の部下を弁護している様子に、部下の優香は目に感涙を溜めつつも、涙を流すまいと耐えてる様子を、張慈円は演技ではないかと二人を見比べ注視しながら言葉を選んだ。
「・・・倣よ。その情報はその兄妹とやらが作った話かもしれんし、もともとスパイとして貴様のところに来ているだけかもしれんだろうが。それに、兄だと・・・?兄などいないはずだ。寺野麗華のことは調べてある・・・。だが、その容姿・・、見間違うはずがいない。寺野麗華にしか見えん。それに、お前たちがそう言っても何も信用できる根拠はないではないか」
利益を得るために、嘘も方便ということを良しとしている商売人は多いが、商売人とはいえ倣華鹿がこういう嘘をつかないことを張慈円は知っていた。
それゆえ、張慈円は少し冷静さを取り戻しはしたが、優香に掛かった疑いを完全に解いたわけではない。
「って言われたってねえ・・・。私たちが宮コーと組んで、あいつらの商売に一枚あやかりたくっても、宮コーって私たちみたいな大陸系の人種は絶対に受け入れないのよね。・・組めるもんならとっくに組んでるっての。それでもここで今の話の根拠を示せって言うの?無茶言わないでよ」
「おい華鹿・・。そんな言い方だと余計に誤解されちまうぞ・・」
「そうかしら・・そんなこと言っても事実だし・・これで信用されないならそれでいいわ」
正直すぎることを言っている倣華鹿をザビエラが嗜めている様子を見て、張慈円も思い過ごしか?と思い直しかけたようであったが、旗袍を纏い、疑いの渦中になっている不安げな表情の優香を再びまじまじと観察すると、元菊一事務所所属で、宮川コーポレーション調査部の寺野麗華に間違いないと記憶が訴えてくる。
「うむむ・・。髪型と服装が違うが、見れば見るほど寺野麗華だぞ」
今回の取引をどうしても成功させたいし、一時期気まずかった時期もあるが、同門であり、かつての同僚である倣華鹿の言葉を信じたくもある張慈円であったが、どうみても目の前にいる女はかつて菊一事務所に所属していた寺野麗華にしか見えないのだ。
「・・・アレンの奴も連れて来ればよかったですかね・・。間近で寺野麗華と戦ったのはあいつですし・・。寺野麗華は、アレンのヤツを撃退して河に飛び込んでから消息不明のようですから・・。今回この島みたいな辺鄙なところに、アレンみたいなゴツイ黒人を連れてきちまうと目立ってしょうがないってことで、置いてきちまいましたからね・・。あいつあんな性格ですし、あっちのほうでも騒ぎを起こしてなけりゃ良いんですけど、いまはそんなことよりも・・・連れてくりゃ良かったって思っちまいますね」
優香をジロジロと観察しながら呻く張慈円に対し、劉幸喜が独り言のような口調で呟いた。
そのアレンは、劉幸喜の心配どおりバーで騒ぎを起こしてしまい、着流しの男に叩きのめされてしまっているのであるが、そんなことを張慈円や劉幸喜たちは知る由もなかった。
実は寺野麗華がアレンの足をへし折ったあと、劉も寺野麗華と戦ったのであるが、それは張慈円には報告をしていない。
ここにきて、ボスへ正確に報告しなかった隠し事が表面化しそうなことに、ボスに正確に報告しなかった後ろめたさに劉は冷や汗を流しつつ、無意識に責任を転嫁させてしまおうと心情が働き、アレンの名を出してしまったのであった。
「・・アレンか・・。寺野麗華はアレンのヤツにとどめを刺しきれず、追ってきた劉の姿を見て河に飛び込んだのであったな・・。ふむ・・」
劉の言葉を聞いた張慈円は腕を組み考え込みだした。
「どうするのよ張?こっちは取引する気満々だけど、私への疑いは晴れないの?これでお終いでいいのかしら?」
相変わらず脚を組み座ったままの倣華鹿は、腕を組み長考し出した張慈円の様子を見て、少し残念そうな口調で、そう切り出した。
大陸から東南アジア全域、昨今は日本でもビジネスを展開し出して莫大な利益を得ている倣一族は、今回の取引が無くとも特に金銭的な痛手はほとんど無い。
倣華鹿からすれば、同門でかつての同僚である張慈円との親交を深める為と、宮コー下部組織の宮川重工業の機密情報には計り知れない価値があるとふんでのことではあったが、最悪、信用されず取引が成立しなくても構わないという雰囲気すら漂わせている。
「こ・・ここまできてそれは勘弁してほしいものですね。私は宮川からも完全に狙われる立場になってしまってますし、これ以上この国には居づらいのですが・・・」
倣華鹿のセリフを聞き、一人会話に入れていないでいる樋口は、張慈円の顔を伺いながら、焦った表情で呟く。
「・・・倣。宮コーをここに手引きしたのは貴様ではないのだな?」
樋口には何も答えず、張慈円は倣華鹿を見据え神妙な顔で言う。
「違うわね。・・でも、やっぱり宮コーには嗅ぎつけられてたんだ?だから宮コーの能力者たちに対抗するために高嶺を雇った・・ってことね?・・・でも張、いまはそんなことどうでもいいのよ。はっきり聞くわね?・・私は、この私を信用するのか、しないのかって聞いているのよ」
鋭く吊り上がった眼つきの張慈円の質問をはっきりと否定し、表情から完全に笑みが消え去った倣華鹿が、逆に質問を仕返し二人の視線が火花を散らす。
雷帝と吹雪の異名を持つ二人が、次にどう言い、どう動くのかと幹部たちを含め、周囲の部下たちは固唾を飲み、緊張した時間が流れる。
最悪の事態を各々が想定し、じりじりとお互い対峙している相手の一挙手一投足を警戒しあっている。
「劉・・寺野麗華がアレンと戦っている姿を見たといったな?」
これ以上沈黙が続けば、交渉は決裂してしまうと感じた張慈円は視線を部下に移して質問を投げかけた。
「は、はい!見ました」
「寺野麗華と戦って勝てるか?」
「はい。あの程度の相手にならまず間違いなく勝てます」
この状況で、急に話を振られた劉幸喜は動揺したが、張慈円の質問の内容を聞くと落ち着きを取り戻して、自信を持って答えることができた。
「そうか・・。ではこの女が寺野麗華であれば、傷つけず勝利することも容易い・・。そうだな?」
「はい。アレンと戦っているときにあの女の動きは見ました。戦えばヤツだとすぐわかりますし、捕えることも容易いです」
劉の応えに張慈円は一人で納得したように大きく頷いた。
「よし」
張慈円はそう言うと席を立ち、目の前で自身のボスである倣華鹿を護るように構えている、困惑顔の優香の正面に見据え向き直った。
「優香とやら、うちの劉と余興で試合をしてみせてはくれんか?・・・どうだ?倣」
「・・・・はぁ~・・・。・・・疑われてるみたいで話の流れはかなり気に入らないけど、そういう余興自体は嫌いじゃないわ・・・」
倣華鹿は長い沈黙のあと大きなため息をついた。
張慈円も何としてもこの取引は成立させたいが、タダで折れて謝罪をするわけにもいかず、優香の正体もわかるかもしれない方法で話の決着をつけること落ち着けたかったのだ。
倣華鹿は、そういった張慈円の思惑に気が付いてはいたが、あのプライドの高い張慈円にしては折れていることもよくわかったので、しぶしぶながらも頷いたのだった。
「優香いいわね?やってもらうわ。でも余興ってことだから殺しちゃダメよ?」
やれやれと言った様子の倣華鹿であったが、当の優香の返事は思いがけず明瞭で前のめりだった。
「はい。ボスの命令とあらば是非もありません。私のせいでボスが疑われてしまいましたし、私があのむっつり色男を殺さない程度にブチのめせばいいんですね?」
そういえば先ほど、優香は劉幸喜にボディチェックを名目に恥辱を味あわされていたっけ・・と思いだした倣華鹿は愉快そうに声を上げた。
「そうそう!そうだったわね!優香さっき劉に口実つけられて恥かかされたんだったわね。いいわ。やっちゃいなさい。ただし、殺すのはもちろん大怪我をさせてもダメよ?いいわね?・・・張、こっちはまとまったわ。それでいいわね?」
「うむ。俺から言い出したのだ。むろん構わんに決まっている」
張慈円はソファに腰を下ろし直して泰然と腕を組み、落ち着いた普段の表情に戻って頷いてみせた。
「さっきの礼をしてあげるわ。むっつり色男。・・ボッコボコのボコにしてあげるから来なさい」
お互いの主人が納得し合ったのを確認した優香はロングコートを勢いよく脱ぎ、酒瓶を運んできた手下の一人に投げるように渡すと、首をコキコキと鳴らし、袖を捲って倉庫中央付近の広場の方に歩き出し、劉に向かって振り返り、鋭い視線を飛ばして挑発した。
「ちっ・・なに勝った気になってやがんだ」
見た目通りおとなしい女かもと思っていた優香の思いがけないセリフに、劉は内心驚きつつも言い返すと、同じく上着を部下に預け青龍刀をズラリと抜き、優香のいる倉庫中央に向かう。
「劉。こちらもその女を殺すのはまかりならん。南川沙織が帰ってくれば、治療を受けられるがあくまで試合だ。先ほどの話だと得物を使わずとも勝てるのではないか?武器は使うな。いいな?」
倣華鹿に配慮したのであろう張慈円が、青龍刀まで抜いた劉に念を押した。
「承知しました」
そう言うと、劉は青龍刀を部下に向かって軽く放り、素手になって優香に向き直る。
「得意の武器が無しでいいのかしらね。むっつり色男」
「その呼び方は止せ。・・お前こそいいのかよ。そっちこそ俺に手も足も出ないんじゃないのか?それともさっきみたいにまた恥をかくことになるぜ?」
むっつり色男と呼ばれるのがかなり嫌な劉は、先ほどボディチェックの際に優香の股間をまさぐった右手の指を意味深にみせながら煽って言い返す。
「くっ!貴様・・!後悔させてあげるわ」
顔を一瞬で真っ赤にさせた優香はきつい口調で言い返す。
劉は以前戦ったことのある寺野麗華かもしれないとカマを掛けてみたのだが、目の前の女は、そう言った素振りはまるで見せず、単に羞恥に顔を赤らめただけで、黒髪を勢いよく手で肩から払い、流麗な動きで構え劉を睨んだ。
「華鹿様の側近が伊達じゃないってこと・・・思い知ることになるわ」
優香はそう言うと、更に腰を引くよう半身になおし、前後に足が開いた完全に攻が主体の構えとなった。
スリットから延びた白い脚が覗き、ぴったりと張り付いた旗袍がふくよかな胸と、括れた腰を強調し、優香の容姿も相まって女の色気を振りまいているような恰好にも見える。
しかし、その身目麗しさとは裏腹に、優香の纏う気配が濃厚で分厚いオーラとして発現し出した。
優香と対峙し、劉幸喜ははっきりと以前戦った寺野麗華ではないと確信した。
(こ・・こいつ!あの時の女じゃねえ・・やっぱり寺野麗華じゃないのか・・?)
目の前で構えた倣華鹿の側近の女は、以前、護岸公園の堤防で対峙した寺野麗華とは明らかに異質な雰囲気のオーラを放っているのだ。
「気を付けろよ」
意味深な微笑の表情を浮かべたザビエラが、倉庫中央の二人に向かって声を掛けたが、劉にはそのセリフは自分に言っているものだと分かった。
(ちっ・・青龍刀無しかよ。この女のほうは、素手でも能力解放に支障はなさそうだってのによ・・)
内心そう悪態をついた劉は、ザビエラのセリフに極力表情を動かさないように努めたが、目の前の女が発する圧力にゴクリと喉を鳴らしてしまい、頬を一滴の汗が伝ってしまっていた。
二人のお互いの違った心情はともかく、傍目には、張慈円の幹部である劉幸喜と、倣華鹿の幹部である優香が倉庫の中央で対峙し、お互いに構え、無言で火花を散らしているのだ。
お互いの組織の兵隊たちは、固唾を飲んで倉庫中央で対峙する二人を凝視してしまっている。
「オレが審判するぜ。不正なジャッジはしねえ。オレ以外にこいつらのこと止められるヤツなんてボスたち以外にいねえだろうし、いいよな?張雷帝も?」
緊張しきった兵たちを他所に、ザビエラの普段通りの口調のセリフに、慈円も「構わん」と短く同意する。
張慈円の部下たちも、この場に入ることができた倣華鹿の部下たちも、これから始まるであろう、めったに見られない幹部能力者同士の試合に息を飲み、倉庫内に再び期待も混じった緊張感が漂い出していた。
そのとき、倉庫の電気配線などを通すダクトの中を匍匐前進で進んでいた上半身裸のサングラス男は、ダクト内に差し込む光源を頼りにすすみ、ちょうど張慈円達が集まっているかなり広めの部屋に続いている格子付きのダクト口のところまで這い進んできたところであった。
(事前情報とぜんっぜん違うやんか。この廃屋めっちゃ手下居るやんけ・・・。テツやモゲとも連絡つかへんし、どこに居るんかもわからへんけど、あのパンツスーツのねーちゃんと白パンのねーちゃんを何とかしたんやったら、この倉庫に向かってくるはずや・・。信じとるでみんな・・・。ん・・?この部屋から大勢の気配あるな・・)
千原奈津紀が残した抜き身の刀を捨てず、奈津紀の着ていたジャケットの端キレで器用に結び、背中に背負って狭いダクトを器用に進んできたのである。
(妙なもん貰ろうてもたけど、こういうんはなんか捨てられへんなぁ)
狭いところでは、刀のような長物は邪魔にしかならないし、宏は内心で扱ったことのない抜き身の真剣を邪険に言いながらも、柄と切っ先に丁寧に布を巻きつけて背負っているのだった。
暗いダクト内に光源を差し込ませてきている部屋へと、宏はサングラス越しに室内を覗き見る。
ダクトは天井付近にあり、室内を見下ろして一望できる位置であった。
(・・・居った!張慈円のカスや!偉そうに踏ん反り返って座りやがってからに・・。・・顔は見えへんけど、張慈円の向かいに座っとる女が取引の相手ってことか・・・。張慈円の隣におるんが写真どおりやな・・樋口ってヤツか。ん?・・あの金髪・・あの恰好・・・噂通りならあいつひょっとしてザビエラって奴やないんか?・・そうやとすると、ここにもめんどいやつが居るやないかい・・。これはこの状況で張慈円をやるにはしんどすぎるで・・。こっちも高嶺のねえちゃんに滅茶滅茶無理させられたしなぁ・・。今回は見送ったほうがええかもしれん・・・しかも、あいつがザビエラってことは、あの顔が見えん座っとる女は、倣一族の頭領倣華鹿ってことやろ・・。張慈円の取引相手は華僑の倣一族あったんかいな・・。くそう・・緋村のヤツ・・アイツ分かっとって俺らをこんなところに送り込んだんに違いあらへん。帰ったらホンマタダじゃ済ませへんからな・・・。ん?・・あっ!あれは・・麗華!麗華やないか!・・ちょっと待てや。これはどういう状況やねん?!なんで麗華がこんなところに居るんや??!)
広い倉庫部屋内部の、状況を把握しようと注意深く覗いていた宏は、あまりの驚きに目を見開いた。
張慈円らが大塚マンションへ強襲してきたときから行方不明になっている寺野麗華が、周囲をいかにもアウトローな黒服達に囲まれ、麗華が着そうにもないチャイナドレスなどを纏い、今まさに対峙している男と決闘でもしそうな雰囲気であることに、危うく宏は声を上げそうになったのだったが、麗華と思ったチャイナドレスの女がオーラを発現した瞬間、僅かに声が漏れてしまった。
「っ・・!?」
(麗華?!い、いや・・しかし、嘘やろ。こんなアホな・・麗華やない?!)
学生時代から麗華のことをよく見知った宏ですら、容姿では寺野麗華だと識別したのだが、纏う雰囲気やオーラはまるで違っていることから、思わず息を飲んでしまったのだ。
その宏の漏らした声は、常人であればとても聞き取れるような声量ではないはずだが、前髪のぱっつん切りして揃わせているブロンド短髪の女が、首だけぐるりと振り返って見上げ、宏が覗き見ているダクト口の方へ、その鋭い視線を向けてきたのであった。
【第9章 歪と失脚からの脱出 42話 寺野麗華?優香?終わり】43話へ続く
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