第9章 歪と失脚からの脱出 44話 無くなったアタッシュケースと侵入者2人
劉幸喜が派手にノックダウンし、埃と瓦礫に埋もれ姿を現さないことと、旗袍姿の美女による一方的な蹂躙がおわった倉庫内は静まり、沈黙に包まれていた。
パチパチパチ。
沈黙を破る拍手を送ったのは優香の主人である倣華鹿であった。
「もういいんじゃない優香。今のは劉のオーラ防御がほとんど間にあってなかったわ。手応えあったでしょ?やったわね優香。これで優香的にもすっきりしたわよね?・・・ねえ張?あなたが疑っている寺野麗華ってヤツはこんなに強くなかったんでしょ?疑いは晴れた・・ってことでいいわよね?」
そして、そう口を開いて部下を労った倣華鹿は張慈円にも問いかけた。
倣華鹿も、優香が寺野麗華という名を名乗っていた時がある可能性は当然わかっていたが、すでにそんなことには興味もないし、さっさとこの茶番を丸く収める為に張慈円へ促したのであった。
ジャッジを名乗り出ていたザビエラも一応ポーズとして優香がこれ以上劉幸喜に追撃を加えないように手で制するような恰好をし、倣華鹿の発言に対し、張慈円が何と言うか様子を伺っている。
ザビエラもまた優香の過去の正体が、ほぼ寺野麗華だと分かっているが敢えてこんな場で言う必要もないし、証明もできないということもわかっていたので知らないふりを決め込むことにしたのだ。
ザビエラにとって優香はすでに可愛い後輩であり、付き合いは短いがすでに相棒としても信頼している。
ザビエラ自身も過去を詮索されるのは嫌いだし、それゆえ優香の過去についても深く詮索するつもりもなかっのだ。
それに、すでに優香は倣華鹿の【契約】で裏切る心配もない。
そこさえはっきりしていれば、ザビエラにとっても優香の過去など本当にどうでもよかった。
倣華鹿のボディガードの想像以上の力量に、内心焦りを感じていた張慈円がようやく口を開いた。
「・・・そのようだな。・・劉も本来素手で戦うスタイルではないからこの結果だが、そやつが寺野麗華ではないことは明らかなようだ。倣・・気を悪くさせたな」
部下である劉の不出来を庇いつつも、雷帝張慈円はあっさりと折れ、張慈円としては最高の謝罪を述べた。
そもそも、張慈円としても自分が勘違いかもしれないことで激昂したことを、単に丸く収める口実が欲しかっただけなので、この試合をそうそうに切り上げたかったのである。
張慈円からみても、優香の力は予想以上であったのが誤算ではあったが目的は達成できたので、さっさと余興をたたんでしまうことにしたのだ。
悲惨なのは、万年中間管理職で無駄にイケメンの劉幸喜である。
優香をボディチェックする際に、普段他の者に行っているより多めにショーツの上から陰核の上を指で往復し、優香を濡らさせて恥をかかせてしまった代償は高くついた。
得意の獲物を使えない不利な状況で、かつて戦った寺野麗華よりもはるか格上の多重能力者と、上司の言い訳の口実と、面子だけで戦わされてしまったのであった。
「おい。劉を運んでやれ・・・南川が戻ったならばすぐに劉を診るように伝えろ」
張慈円としても些か悪い気がしたのか、背後にいる手下にそう言って、瓦礫に埋もれているであろう劉を別室へと運ぶように指示している。
「さてと、劉には悪いことしたけどこれで問題はなくなったわね?・・それじゃあさっそく取引といきましょうか?」
瓦礫から担ぎ出され、運ばれていく劉に姿を見た倣華鹿は、劉が死んでいないことも確認できたことでもあるし、気を取り直して張慈円に明るい口調で話しかけた。
「そうだな」
張慈円も同意し、樋口に頷き目で促した。
「こっちはもう私がボタン押すだけで送金可能よ。見て見て?この口座で間違いないわね?合ってる?」
部下も圧勝をおさめ、張慈円の疑いも解けたことで、機嫌の良くなった倣華鹿は、さっきは取引がお流れになっても良いという態度をとったものの、実は内容には興味津々で、かなり前のめりの格好になっては手に持っている端末を、張慈円と樋口に見えるように見せてきた。
あとは送信というボタンを押せば、送金が完了するという画面であった。
その文字通り前のめりの格好が、チャイナドレスの胸元から覗くEはあろうかという胸の谷間が揺れる。
「ああ、その口座番号で間違いない」
張慈円も、樋口もその端末の口座や金額の確認はもちろんしたが、倣華鹿の胸の揺れの確認もきっちりし、当の本人も張慈円や樋口の視線に気づいたが、もともとそういった視線を気にしない倣華鹿は、嫌な顔を見せるどころかにっこりと笑顔を返して見せた。
「うふふっ、あなた達、別に女に困ってるわけじゃないんでしょ?」
倣華鹿はそう言って笑うと、胸元を覆っている旗袍の生地を、上に少し持ち上げて谷間を隠すようにしてから続けた。
「さあ、商売の話を続けましょ?・・とりあえず、こっちのはちゃんと確認できたわね?そっちのも見せてちょうだい。宮コーは私たちをハブってるから、逆に私たちって、宮コーの情報って欲しくなっちゃうのよねえ・・。宮川重工業・・表向きは自動車会社だけど、世界屈指の武器製造会社なのよねえ。ホントわくわくするわぁ・・。こういう情報、定期的にないかしらねえ・・」
予め、ディスクの中身の内容を聞いている倣華鹿であったが、その機密情報が華僑で扱えることになるという興奮を隠しきれないでいる。
表社会では華僑の総帥だが、裏の顔は香港三合会一角、倣一族のボスという権威もありアウトローな立場だが、倣華鹿の元来の性格は、基本的に明るく単純である。
喜怒哀楽の怒の感情を露わにすることは多くないが、怒以外の喜、哀、楽の感情はダダ洩れなのが彼女であった。
倣華鹿は目をキラキラと輝かせ、はやくはやくと言った様子で、樋口に催促の視線を送っている。
「樋口。みせてやってくれ」
「もちろんだよ!みんな驚くと思うよ・・・。こんなのが日本以外で実用化しようものなら・・ってモノが盛沢山さ。欧米や中露も喉から手が出るほど欲しい技術のはずだよ。このデータさえあれば、素材を集められさえすれば製造することは可能だからね」
両手を合わせ待ちきれないとう様子の倣華鹿に、張慈円もはやく見せてやりたくなり、樋口を促す。
樋口も取引達成はもう目前というところまで来ているので、嬉々とした笑顔でそう言うと、テーブルに置いてあるパソコンを起動させてから、足元に置いてあるアタッシュケースに手を伸ばした。
すかっ・・。
しかし、樋口がアタッシュケースの柄を掴もうと手を伸ばしたが、そこには何もなかった。
「あ・・あれ??!」
樋口は再び手を伸ばすが、空しく空気を掴む。
先ほどまであったはずの、ソファと自分の足の間に置いてあったはずのアタッシュケースが無いのだ。
「ど・・どこに?!」
ソファから跳び上がるような勢いで上がり、ソファの周りをぐるっと一周して樋口が狼狽した声を上げた。
「どうしたのだ?樋口」
そんな樋口の様子に、張慈円はイライラした様子で聞いている。
「な・・ない?!なんでだ?!どこにいった!?」
樋口は床に手をついた恰好になって、ソファの下を覗き見るようになって慌てふためいている。
ついには上等なスーツが床の埃に汚れてしまうのも構わず、樋口は顔じゅうに脂汗を浮かべて床を這いまわり、さっきまで確かにあったアタッシュケースを探している。
「・・なに這いまわってるの?なにが無いのかしら?」
先ほどまで、誕生日プレゼントを渡される直前の10代の女の子のような表情だった倣華鹿が、顔の色なく平坦な口調で、床で這いまわる樋口に向かってボソリと問いかけた。
「樋口・・!部屋に忘れてきたのではないのか?!」
「いや!そんなはずはない!確かに持ってきていた。あんな大事なモノを離すわけないじゃないか!」
取引相手の倣華鹿の問いかけに応える心のゆとりは二人にはなく、張慈円と樋口は焦った表情と口調で言い合いだした。
「ええい!ではなぜないのだ!!」
張慈円もさすがにクライアントとは言え、ついに樋口に対して大声を上げてしまう有様である。
そんな二人の様子をしばらく眺めていた倣華鹿は、我慢しきれなくなりその妖艶な唇から歯並びの良い白い歯を覗かせてギリッと噛みしめると、持っていた扇子を握って掌にパシン!と打ち付けてから、ソファに深々と座ったまま眉間にしわを寄せて目を閉じたまま天井を仰いだ。
そして、ゆっくりと立ち上がり、隣で立っていた黒服の部下に、ロングコートを肩に羽織らせている。
「ま、まて。もう少し待て。倣。無くなるはずがないのだ」
立ち去ろうとしている倣華鹿に対し、張慈円らしくもなく慌てた様子で引き留めだす。
今回の取引が成立しなければ、高嶺に高額な費用を払っただけになってしまい、香港三合会の一角を担う新義安の手持ちの現金資産はほとんどゼロになってしまう。
この取引が成立しなければ、事実上新義安は資金不足で組織運営はままならなくなってしまうのだ。
香港三合会最強と歌われる雷帝張慈円ではあるが、組織としての規模、資金力の差は倣の率いる華僑グループとは天と地ほどの差があるのである。
「待て?いつまで待てばいいのよ?ブツを持ってない相手と取引できないでしょ?商談が成立すれば即実行。同時交換が原則でしょ?・・ディスクはいつ私の手に入るの?今手に入らないんでしょ?今日中?今月中?いつなのかはっきり言える?」
カッとヒールの音を響かせて出口に一歩進んだ倣華鹿が、氷のような冷たい目になって顔だけ振り返り張慈円に問いかけた。
「私がいないとディスクは起動しない!・・あれだけ持っていても役には立つモノじゃないんだよ。倣女士!もう少しだけ待ってくれないか?」
「じゃあ、ディスクが無い限り、今のところあなたには何の価値もないということね」
必死で引き留める樋口に対しても、倣華鹿は同様の氷の視線を突き刺すと、冷淡に突き放した。
普段から女性を見下している樋口にとって、倣華鹿の氷のような冷たい目は耐え難いものがあるが、いまの樋口はとてもそれどころではなく、狼狽えきっていた。
そこまで言うと、怒りに身を焼かれそうになった倣華鹿は自省し、怒りを収める為に小さくため息をついてから、慎重に言葉を選びながら同胞の張慈円に向き直った。
「すこし気分を害したけど・・・まあ・・無駄足というほどの酷さではないわね・・暫く疎遠だった張ともこうやって久しぶりに口も聞けたことだし・・ね。張・・今回の件に懲りず、良い儲け話があればまた私にまわしてちょうだい。次はもう少しスマートにね・・じゃ、今回はこれで失礼するわ」
正直、今回の張慈円の仕事ぶりに不満をタラタラ言いたいところであったが、そんなことを言っても仕方ないと判断した倣華鹿は今後の繋ぎだけのセリフを残し、出口に向かって歩き出した。
「華鹿。ちょっと待て」
取引の場から立ち去りだした倣華鹿に、部下であるザビエラが待ったを掛けたのだ。
張慈円と樋口が、意外な助け舟を出したザビエラに対し「おぉ!」と期待の目を向けてくる。
思いがけない部下からの制止の言葉に、カッ!とヒールの音を響かせて倣華鹿は振り返らず歩みを止めた。
「・・・ザビエラ?・・私の決定に口出しするの?私がこういうの我慢できない性質だってことザビエラなら知ってるでしょ?なにか理由があるのかしら?」
普段ザビエラの言動を大抵許している倣華鹿だが、ドアの方を向いているのでその表情こそ見えないが、さすがに今回は不快感を滲ませた声でそう言った。
「しっ!」
自分のボスに対して、かなり失礼ではあるが、ザビエラは人差指を立てて口に当てて、ボスにしゃべらないように促したのだ。
ザビエラとの付き合いの長い倣華鹿は、その妖艶な美貌の表情に不愉快さを滲ませていたが、ザビエラの様子に何かを感じることがあったのか不満顔ながらも口を尖らせたまま口を噤んだ。
「オレもさっきまでその男の傍らにアタッシュケースがあったのは憶えている・・・。それにさっきから気に入らねえ違和感があるんだよなぁ・・。いいか・・?華鹿?張雷帝も?・・兵隊共にもちょっとばかし耐えてもらわなきゃいけねえが・・」
そう言うと、ザビエラは倉庫の壁の上の方にある排気用の小さな小窓付近を見上げている。
「どういうことだザビエラ?」
ザビエラの含みを持った意味深な口調と眼つきに、振り返った倣華鹿は目だけで「任せる」と頷いて見せたが、張慈円は普通に首をかしげている。
「オレの記憶違いじゃなきゃ、最初あの小窓は閉まってたと思うんだよなぁ・・・。だが、優香と劉のヤツが試合する直前、なんか空気の流れが変わったと思って見回したとき何故かあの窓は開いてたんだ・・。最初は勝手に開いたか?と思ったが・・やっぱ戦う前にあいてたよなぁ・・気のせいかと思ったんだが・・。オレもそのケースがそこにあったのは記憶している。それは絶対間違いねえ。・・・ってことは・・あの窓が開いてるのも、オレの勘違いや気のせいじゃねえんじゃねえかって思ってな・・ん?・・やはり少しおかしいぜ・・」
ザビエラは一同の視線を集めながら感想とも説明とも言えないことをしゃべっていたが、説明はめんどくさいと思ったのと、注視していた倉庫2階の窓付近にある違和感を確信し表情を変えて続けた。
「・・・まあ試してみるぜ。・・結構広範囲にいくからな?・・文句は後で聞く!・・・【ショックウェーブオーソレーション】!」
これ以上説明している時間はない。ケースを奪った曲者に逃げられてしまうかもしれない。
そう感じたザビエラは張慈円に軽く断り、片膝を付いてから両手を振りかぶり、手のひらをコンクリートの床にバチンと叩きつけ能力を発動した。
こめかみに血管を浮かべたザビエラの髪の毛が逆立ったその瞬間、建物全体・・否、ザビエラを中心とした広範囲にわたっての空気が、空間自体が振動し出したのだ。
ビリビリビリビリッ!
建物が震え、窓ガラスが振動でガタガタと揺れて、割れて落下してくるものすらある。
「これか。・・凶振ザビエラと呼ばれる所以の範囲攻撃は・・。さっきの優香という女といい、倣の側近は二人とも同系統の能力というわけか・・」
倣華鹿の【容量増加相乗】のことを知る由もない張慈円は、間近で能力を発動したザビエラの振動攻撃をオーラで防御しつつ、噂で聞くが初めて見るザビエラの能力に、素直に脅威と感嘆の言葉を漏らす。
先ほど自身の側近劉幸喜と試合をした優香もザビエラと同系統の能力者であることも張慈円は見抜いていた。
張慈円や倣華鹿や優香は、手加減している様子とはいえ、ザビエラの起こす超振動から身を護るように、オーラを展開し身を守っている。
『ぎゃあああああああ!』
しかし、幹部たちとは違いザビエラの起こした無差別広範囲の技能に耐え切れず、張慈円や倣華鹿たちの黒服の兵隊たちが悲鳴を上げ、頭を抑えたり、自分の身を抱えるようにして身悶え倒れて床でのた打ち回っている。
「悪ぃな・・もうちっとだけ耐えろ!死なねえ程度に加減するのが難しいぜ・・・!ん?!・・見つけたっ!そこだっ!」
能力を発動しながらも部下を心配し、油断もなく周囲を監視していたザビエラは手下たちの声とは違う、明らかに高い声の悲鳴が、あり得ない方向と高さから聞こえてきたのを聞き逃さなかったのだ。
右手を開いて倉庫二階にある排気用の窓に向かって突き出し、ギリギリと握りしめるようにして拳を作り上げる。
ザビエラの手の動きに合わせ空間が歪み、建物の外壁や鉄骨、ダクトやアルミサッシなどが引き千切られてゆく。
「おらっ!出て来やがれ!」
バキバキッ!ギギギギィ!
ザビエラの手の動きに引っ張られるようにして、金属や建材がけたたましい音を立て引き裂かれると同時に、何もないところに人影が悲鳴と共に現れた。
「きゃあああああああああ!」
ザビエラの起こした超振動の塊が球形となって、中心に収束したと同時に、何もないところから突然女が悲鳴と共に現れたのだ。
その女は全身にぴったりとしたスーツを着込んでいる。
そして女の手には、樋口が先ほどまで足元に置いてあったアタッシュケースが握られていた。
「不可視化能力か!オレの目を欺くとはなかなかの隠蔽力だが、その能力を持ちながら先手で仕掛けてこなかったってこたぁ、てめえがその能力以外は、たいしたことないって自分で言ってるようなもんだぜ!見つけちまえばこっちのもんだ!・・おい!てめえら!ボサッとしてねえで行け!ケースを落すな!」
能力を解除したザビエラが黒服の手下たちに指示を飛ばすと同時に、樋口もアタッシュケースがあったことに、なにやら大声で安堵の声を上げている。
姿を現した曲者の女と一緒にアタッシュケースも落下してきている。
その真下付近に、張慈円の部下たちがケースを落すまいと必死に駆けつけだしていた。
アタッシュケースが見つかり、それを手下たちが受け止めそうであることに張慈円も倣華鹿もほっとした表情になっている。
しかし、ザビエラの起こした超振動が、排気用窓のすぐ下にあった配線ダクトを巻き込んで、引き裂いたとき、潜伏していたもう一人の予期せぬ人物が飛び出したのだった。
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