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第8章 三つ巴 21話 気の合う美女2人と光る眼鏡

第8章 三つ巴 21話 気の合う美女2人と光る眼鏡

世間は3連休で、駅前を行き交う人々は普段とは少し様相が変わり、家族連れなどが多い。

究極のホワイト企業を目指す宮川コーポレーション関西支社は、無理な休日出勤や残業代が支払われないなどと言うことは絶対にない。それだけでは不十分だという支社長の思いは更に高見を目指し、あらゆるマニュアル業務改善、時間差出勤を取り入れ限りなく残業、休日出勤をなくしていた。

しかし、何事にも例外があり、神田川真理は今日も出勤していた。数日業務に穴をあけたせいで、その穴埋めを余儀なくされているのだ。

「・・・・このメールを送って、返事待ち・・っと」

広いオフィスの自分の席で、鼻唄交じりにマウスをクリックした真理が、椅子に座ったまま、両腕を伸ばして背伸びした。

運輸部門から、日本各地に散らばるデポの施設及び設備の充実の要望が、数か月前から急増していた。

その処理が中途半端になっていたので、目的のついでに各相手方にメッセージを投げ返しておく。

宮コーはやる気のある女性社員の中途採用も多い。その場合、運輸部門、もしくはサービス部に配属されることが多いのであるが、どちらも女性比率が上がってきたため、上がってくる要望も変化してきていた。

特に女性でも高収入を得ることができる運転手、いわゆる長距離ドライバーの女性比率が8割ほどにもなってきてしまったので、出てくる要望が変化してきたのである。

各地にあるスーパー銭湯や、お上からの払い下げ物件の年金会館を改造した宿泊施設を各地に所有しているネットワークを生かし、民間にサービス提供と同時に、ドライバーを務めている社員の福利厚生の場所として、格安で食事や入浴、宿泊もできるようになっている。

「保育施設の併設を・・・か・・。昔みたいに、離婚さえしなければ生きていけるってわけじゃないってことね・・・わが社はシングルマザーの受け皿みたいになちゃうわね・・」

誰もいないオフィスで、独り言を呟きながら、「それもいいことね」と思い、隣の支社長室まで歩くと扉を一応ノックする。

当たり前だが、何の返事もない扉のノブに手をかけ開く。

今日も出勤するとは言っていたが、佐恵子はまだ来ていない。

「佐恵子のオーラ、空っぽしてしまったから、なかなか大変でしょうね」

真理はオーラが枯渇したときの佐恵子の発作を思い出し、複雑な表情になる。

「付与効果は1日・・。今日の早朝には切れたはずだわ・・。上書きできるオーラも回復していないはず・・」

佐恵子の机の上に、報告資料をドサリと置き、承認必要書類と報告資料を分け、見やすいように並べていると、整った美貌に意地悪な笑みを浮かべそうになり口角があがる。

佐恵子の顔の傷を治すため、真理のオーラだけでは足りず、佐恵子のオーラも大量に消費したのだ。最後は佐恵子のオーラもほとんどなくなってしまったのだが、佐恵子のオーラは全部使い切ってしまった。

佐恵子は冷静付与を自身に常に施している。そうしないと、佐恵子のように精神を複雑に操作する能力は集中が難しいためだ。しかも佐恵子はベース部分になる、一定量以上のオーラが回復していないと、うまく能力が発動できないという特徴を持っている。

枯渇状態で冷静付与を上書きすることもできずにいる、佐恵子のことを想像すると、整った美貌に意地悪な笑みが綻んだ。

(今頃は、大変な思いをしているのかしら・・・ふふふ・・・しかし、普段がお堅いのですから、たまには思いのままに耽れば良いのよ佐恵子)

真理が、このように心の中で呟いた理由は、佐恵子は体内からオーラが『空』の状態になってしまうと、普段は微塵も見せない、性欲が無意識に沸き上がってきてしまい、無性に身体が熱くなってしまい、どうしようもなくなると言う弱点がある事に由来している。

そんな真理の最大の特徴は、その知性や美貌ではなく、脳内でどんなことを考えていても、その外面は清楚且つ知的に見えることだろう。

佐恵子の【感情感知】にも目立った変化は捉えられず、実際にどんなことを思考しても、感情のブレはほぼない真理にとっては、そのセンサーはザルに等しかった。

佐恵子の前で、唯一嘘を見破られない人物である。

今の真理が浮かべた笑みも、世の中の男性諸君にもし向けられたとしたら、好感を持たれていると勘違いすらするであろう会心の笑顔であった。

「加奈子が階下に待機してるから、何かあっても大丈夫でしょうしね・・」

自宅のマンションで一人身悶えているであろう、佐恵子を想像し、一応心配を口にすると、飲み終えたコーヒーカップを塵箱に捨て、今日出社した本来の目的の場所に向かう。

「菊一探偵事務所の皆様のお引越しは、捗っているかしら」

エレベーターホールまで来ると、5階とかかれたパネルをタッチし、呟いた。



休日の支社は物静かなはずなのだが、5階のホールは、いつもとは違う声が飛び交っていた。

「それはこっちやねん!モゲ!お前自分の机だけしか運んでないやろ!」

ニコラスケイジ風の、三出光春ににツッコんでいるは、副所長の豊島哲司。

「なんやて!ちょっと休憩してただけやないかい」

と、悪態をついたのが、モゲと呼ばれている三出光春。

「ひろーい!吹抜けも外の景色もすごいわよ!」

元気で活発そうな明るい女性が、斎藤アリサ。菊一探偵事務所には、斎藤姓が2人いて、もう1人の斎藤、斎藤雪は、現在、療養中。

こちらの方は、斎藤アリサ。

「ここが今後僕達の城になるんですね!」

この眼鏡をかけた、芸術肌の男が、北王子公麿。

「それよりこっちみた?!化粧室とかシャワー室まであって凄いわよ!こっちこっち」

そして、新しい事務所の設備に、アリサ同様おおはしゃぎの寺野玲華。

一通りデスクやキャビネットをフロアまで持ち込んでもらったところで、広い空間でにわかにはしゃぎ始めた面々を見ながら、美佳帆は大声で提案した。

「ちょっとみんな聞いて!アリサ!走らないの!・・・いったん休憩しましょう!」

美佳帆は1Fに入っているコンビニで買ってきた袋を、みんなに見えるように高く持ち上げ手を振る。

みんなに飲み物を渡し終えた美佳帆に向かって、宏が話しかける。

「慣れるまで大変やな・・・。俺向こうに出勤してしまいそうやわ」

美佳帆が振り返ると、無理やり機嫌が良さそうな声で言う宏の隣に腰を下ろし、ペットボトルのお茶を渡す。

「しかし、よかったな・・。事情聴取はたまらんかったけど、お嬢を助けてくれてたんは感謝の言葉しかないわ」

「ええ、お嬢も色々あったみたいでずいぶん落ち込んでいるけど、命があって何よりだったわ・・。もう少し病院で安静させるつもりだけど、五体満足だし、あとは日にち薬ね・・・」

「そうか・・」

受取ったお茶のペットボトルを握ったまま、宏はそう言うと目を伏せた。

「宏のせいじゃないわよ。そういう危険も承知でみんな集まってくれてるんだから」

できるだけいつもの口調で、気にしないように答えたつもりであったが、宏は一言「そうやな・・」と力なく答えただけであった。

スノウも自宅で休養させてある。ぽつりぽつりとは美佳帆にだけは事情を話してくれたが、力でねじ伏せられ、張慈円によって、身も心も屈服させられ、快楽に負けてしまった自分を責め恥じていた。

あの動画を見てしまったので、何をされたのかは大体わかっているのだが、動画以外のところではそれ以上のこともあり、スノウ自身も気丈ではいられないところまで追い込まれたのであろう。

あの好色蟷螂の張慈円である。おそらく、お嬢こと伊芸千尋もスノウ同様に、同じ目にあったのであろう。霧崎美樹というエリート捜査官がアマンダという、橋元が所有しているホテルに強硬捜査に踏み切ってくれたおかげで、助け出し保護してくれていたのだ。

昨日、霧崎さん同席のもと、宏と二人でお嬢と再開を果たしたときの、お嬢の衰弱した目が忘れられない。

宏もその時のお嬢の表情を思い出したのだろうか。サングラスのせいで表情はよく読めないが、横顔には責任を感じているのであろう哀愁が漂っていた。

今回の宮コーとの商談も、スノウやお嬢の件があったから、宏は自分の信念を曲げてまで宮コーに吸収という形でも飲んだのでしょうね。

たしかに、ここなら宮川屈指と数えられている能力者がすでに3人もいるし、もう一人補充が来るとも聞いている。

建物のセキュリティも異常と呼べるレベルであり、自社で警備会社も経営しているだけあって、自社警備員が駐屯巡回してて、各階に監視カメラ、要所には赤外線センサーまである。

警備部門の社員も形だけではない。有名民間警備会社とは違い、全員が元レンジャーや、格闘技の選手で、質実剛健な人員を揃えており、彼らの身元調査もしっかりと行われていると聞いた。

単純な戦力の増強と言う面では、菊一も宮コーも利害が完全に一致しているという訳ね、などと考えていると、モゲが近くまでやってきた。

「所長、美佳帆さん。俺、自分の荷物は大体運びおわってるから、お嬢のお見舞いにいってもええかなあ?」

「ええ、いいわよ・・。でも女の子のお見舞いなんだから、面会断られたら、おとなしく帰ってきなさいね?」

「な、なんでや・・。俺がお見舞いに行ったら断られるかもしれへんて?まさかお嬢にかぎって・・」

モゲが憤懣な声を上げたため、美佳帆は嘆息気味に窘める。

「あのね。病院のベッドで、パジャマで休養してるのよ?髪だってお化粧だって、ちゃんとできてないかもしれないでしょ?だから、お嬢が会いたくないって言ったらおとなしく帰ってくるのよ。って言ってあげてるの。わかった?」

かみ砕くように言いながらも、語尾が強くなっていった為、モゲはタジタジになりながら、

「わ、わかったわ・・。ほな、とりあえず、いってきてええな?」

「お見舞い何か買って行きなさいよ・・?あー・・やっぱり、姫も一緒に行ってあげて。姫―」

送り出そうとして、少し考えると美佳帆は手招きして姫を呼ぶ。

「うん。聞こえてた。私も行くよ。モゲだけだとデリカシーなさそうだしね」

「そういうこと、お願いね、姫」

「ま、まあ、ええやろ。ほな、姫。はよいくで」

「うるさいわね。お嬢のことになると、すぐ熱上げるんだから。じゃあ美佳帆さん行ってきます」

エレベーターのほうに、いつものように言い争いをしながら歩いていく二人に、手をひらひら振っていると、エレベーターの扉が開き、神田川真理が扉の向こうから現れた。

乗り込もうと歩んできたモゲと姫ににこやかに挨拶をし、エレベーターの扉が閉まらないよう、丁寧に二人を送り込んだ後、此方に会釈しながら神田川真理が歩いてきた。

「お疲れ様でございます。菊沢さん」

一連の所作がなんとも女性らしく、かつ優雅で自然な振舞いである。少し離れたところから、澄んだよく通る声で挨拶をしてくる仕草や佇まいは、上品で清楚を体現すると、こうなりますよというお手本であった。

休日だと聞いていたが、いつも通りキリッとした身だしなみで、ダークスーツに薄い緑のブラウスがよく似合っていた。

(はぁ・・。あれで仕事も出来て、戦闘もできる優秀な能力者・・か。宮川さんじゃなくても、近くに侍らしたくなる気持ちもわかるわね・・)

此方に歩いてくる神田川さんに、少し見とれてしまいながら神田川さんに会釈する。

「ええ、神田川さん。運送屋さんまで手配していただいたおかげで助かりました。私達大所帯ですし、一人一人の荷物が・・ほら・・。大変・・」

美佳帆がフロアに置かれた、大量の荷物を指さし真理に苦笑いで返す。

「真理でけっこうですよ。・・当社は運送業もやってますからね。このぐらいの量なら全く問題ありません。もしよろしければ、明日、手の空いている者に手伝わせましょうか?」

「じゃあ 真理さん、私のことも美佳帆で結構です。いえいえ・・・これ以上、御社のお世話になっちゃったら気の毒ですよ

お互いににっこりと笑顔を返しあい、真理の親切な提案を、手をぶんぶん振りお断りする。

「ふふ、美佳帆さん。もう御社じゃないんですよ?当社・・です」

人差指を立て、牡丹の花が綻んだようないい笑顔で、真理が美佳帆に答える。花の香までしてきそうだ。

(うわあ・・・。これ男性ならひとたまりもないんでしょうね~うちにも、クラクラ~ときちゃいそうなのが居るわ・・・)

「そ、そうね。当社ね・・。慣れなきゃいけないわね。使えるカードが増え過ぎたから、整理しないと・・・じゃあ、お願いしようかしら」

真理のキラースマイルに心底関心しながらも、宮コーのもってる手札がすべて使えるようになったことを再認識する。

「ふふ、承知しました」

そう言うと、スマホを取り出し連絡している真理を眺めながら、再度頭を整理する。

真理さんたちも、私達の戦闘力や能力を把握したいはず、どんな仕事ができるのかとかも当然知りたいはずなのだ。

(お互いにどんなカードがあるのか、真理さんと一度じっくり話す必要があるわね)

「明日5名ほど警備の者がお手伝いに上がります。こういう社員証を下げてますので、それで確認してくださって使ってやってください」

真理はスマホをベストのポケットにしまいながら、ストラップのついた自身の社員証を胸ポケットから出し、美佳帆に見せながら言った。

「配慮感謝します。・・・それと、真理さん、今度お酒でも飲みに行かない?」

「ええ、喜んで。このあたりですと、美佳帆さんたちのほうが詳しそうで、いいところ、教えて頂けそうですね」

二人の美女が、打ち解けだし、声のトーンが上がっていった。


美佳帆と真理とのやり取りを、遠目で観察していた画伯こと北大路公麿が、和尚と呼ばれるには程遠い風体の豊島哲司に話しかける。

「あ、あの方は誰です?先日の一連の騒動のときの話に出てきた方ですか?」

「そやで、神田川真理さんちゅうんや。何回か事務所にも来てたみたいやけど、画伯は面識なかったんか?」

哲司は自分のデスク周りの荷物を整理しながら、画伯に答えたのだが、画伯の返答がないのでどうしたのかと思い、画伯のほうを見る。

そこには、美佳帆と真理が話している様子を眺めて眼鏡を光らせ、口を開けた画伯がいた。

「おい画伯!どないしたんや?」

「はっ!・・・いえ、どないもしません」

哲司の問いかけに、ボケーとなってしまっていたことに気付いた画伯は、極力平静を装ったつもりで答えた。

「画伯、真理さんに目を付けたのー?!美佳帆さんも見てたくせにー!」

「うわあ!」

違う方向から、予想外の質問を浴びせられて、画伯は声を上げてしまう。
天然こと斎藤アリサに急に大声で指摘され、否定しようとアリサに向かって一言言おうと眼鏡を直し向き直ると、哲司がやれやれという口調で

「なんや、画伯・・・。神田川さんにも眼鏡光らせてしもうたんか・・。ほんまにお前は節操がないやっちゃな・・。でも、言うとくぞ。美佳帆さんはもちろんやけど、あの神田川さんも画伯が勝てる相手やないで?綺麗な花には棘があるっていうし、それに、俺らは一応ここの中途採用の新入社員や・・。神田川さんは秘書主任で支社長の側近や、随分役職が上やから気つけなあかんで?」

副所長らしく哲司が画伯にそう念を押し、ペットボトルのお茶を口に含んだとき、天然アリサが大声で哲司に聞いてきた。

「ねえ!麗華ちゃんの話だと和尚も社長になにか渡されてたみたいじゃない?!」

「ぶーーーーーー!」

哲司は飲みかけていたお茶を盛大に吹き出し、ゴホゴホとむせた。

哲司と画伯、そしてアリサがギャーギャーと騒いている様子を美佳帆と真理は並んで眺めながら

「みなさん仲がよろしいですね」

「あの馬鹿ども・・・」

真理と美佳帆は、対照的なセリフと表情で3人の漫才を眺めていた。

(うちは既婚者も多いので、色恋沙汰で、学生のように騒がれたら、コンプライアンスの厳しそうな宮川コーポレーションさんの顔に泥を塗るわ・・・)

と声に出さずに心の中でそう呟き、美佳帆は真理の、顔を見て苦笑いをした。

【第8章 三つ巴 21話 気の合う美女2人と光る眼鏡終わり】22話に続く


第8章 三つ巴 22話 自動絵画

第8章 三つ巴 22話 自動絵画

菊一探偵事務所が今後使用するフロアは事務用品がまだ配置されておらず、まだ、引っ越し作業中である。

引っ越しの指示は宏と哲司に任せ、美佳帆と真理はエレベーターホール近くの打ち合わせ用のテーブルに向かい合って座り、お互いの状況や情報を交換し合っていた。

「なるほど。大体の状況は分かりました。いくつか、処理しなければいけない問題を抱えておいでですね」

「そうなのです。この水島と言う男の処理を請け負ってしまっているので、大手企業の宮川コーポレーションの仕事として正式受諾するには、些か問題があるのかとは思っておりまして・・」

美佳帆はさすがに上場企業で「殺害依頼」の実行は無理だと思い、真理の反応を伺う。

橋元一味の水島喜八は、現在、大塚さんの隠れ家マンションに監禁しており、大塚さんの数少ない部下である、現役刑事の粉川さんや杉さん、それに斎藤さんに24時間交代で監視をさせているのだ。

一通り情報の擦り合わせを終えたところで、2杯目のコーヒーに口を付けた真理が、カップを置き、口を軽くハンカチで拭うと

「まあ・・それは、また後日と致しましょう」

と、軽く濁したあとに、別件を切り出した。

「それよりも至急案件なのは、そのマンションですね。美佳帆さんたち菊一探偵事務所が宮コーに買い取られたことは、その大塚さまはもうご存じなのですか?」

「え、ええ。お互い協力し合う関係にありますから、そうなるかもしれないとは・・。詳しく決まったら、改めて連絡を入れるって話してありますけど・・」

「なるほど・・・」

美佳帆の返答を受け、真理が頷き、数秒考えると再度口を開く。

「私が香港三合会の幹部であれば、張慈円に対してこう指示を出します。『邪魔な人物、及び、その部下の家族、恋人を襲い、監禁拷問し、彼らに情報をリークするように脅迫した後に人質諸共消せ』です」

世界一荒事から遠い存在に見え、虫も殺せそうに見えない神田川真理が、先ほど挨拶を交わしたときの口調と同じような声色と表情でそう言った。

「そ、そんな・・!そこまで・・。それに、彼らが裏切りだなんて!」

その反応を予想していたらしく、真理は美佳帆に向かって深く相槌を打ってから、続けた。

「お気持ちは分かります。もちろん、誰かは分かりませんが、誰しも裏切りたいわけではないと思います。しかし水島喜八という人物を監禁してから時間が経ちすぎています。もはや敵からみると、水島には何の価値もありません。むしろ、消したい存在でしょう。なので、彼を匿っている限り、敵のほうからどうしても接触してきます」

真理は、両手でカップを持ち、半分程度まで減ったコーヒーをくるくるとカップごと回しながら、さらに続ける。

「それと、岩堀さんや大東さんからの依頼達成をこの目で確認しにくくはなりますが、もう敵に渡してしまうだけで目的は達成するでしょうね。かつての仲間の手によって闇に葬ってくださると思います。・・・こちらにとっては、能力者ですらない水島喜八には価値どころか、敵をおびき寄せてしまう危険、そしてその危険を守る為に、配置している人員やその家族が狙われ、今度はこちらの情報が敵に漏洩する可能性があります」

指摘されれば、可能性としては十分考えられることであると理解できる。

美佳帆はどこかで、敵の凶悪さ加減の認識の甘さゆえ、すでに後手に回っているかもしれないと、感じていた。

それにしても神田川真理・・・。見た目どおりの人物ではない。宮川コーポレーションに身を置く幹部ともなると、ここまで肝が据わっているものかと美佳帆は感心する。

たしかに、真理の言う通り、状況を変えられれば、人は意思に反した行動も起こす。

敵にとって犯罪などは、普通のサラリーマンの日常の仕事となんら変わりはしない。その認識が少しばかり甘かったのだ。

「たしかに・・、お嬢や神谷さん達が襲われるタイミングを考えると、不自然ね」

真理の発言で、どこか頭の片隅ではその可能性に気付いていたのだが、一気にその考えが頭の中の中心に広がってくる。

もしかしたら、すでに敵の手が回っており、大塚たちの家族がスノウやお嬢のように、敵の凌辱を受け、脅迫の材料にされている可能性を感じ、唇を噛む。

「敵に内通しているかどうかは直ぐに確かめることができます。佐恵子が元気なら、連れて行くだけですぐさま見破ってくれるのですが、今はそうもいきません」

カップを両手に持ち、普段の表情を変えず、穏やかとさえ見える真理さんの発言に、顔を上げ、続きを促す。

「いますぐ本人たちに内緒で、水島喜八を見張っている人員の、ご家族の安否確認をしてみてください。・・家族全員が健在なら私の邪推だったと安心できますが、先ほども申し上げた通り、時間が経過し過ぎています。もうおそらくは・・。斎藤雪さんは別としても、伊芸千尋さん、神谷沙織さん・・。美佳帆さんが、違和感どおり、どうして同時期に、別の場所で敵と鉢合わせをして、立て続けに捕らえられたのでしょうか?もちろん、敵の拠点にいったのですから、偶然の可能性もかなり高いですが、その他偶然が重なったとしても・・・こちらが強襲したというのに、囚われるとは・・・っと、私達3人も此度は、強襲したというのに、手痛いダメージを受けたので、偉そうなことは言えませんけどね」

真理の自虐的な冗談とも思えない発言を少し聞き流し気味に、美佳帆は困惑気味ではあるが、素早く頭を切り替え、スマホを取り出しモゲにダイヤルをする。

美佳帆のその様子を見ていた真理もスマホを取り出し、部下に連絡しだした。

「もうしばらくしたら警備の責任者がここに来ますので、マンションに詰めている刑事さんたちの身辺調査にお使いください」

「ええ、ありがとう。こちらも姫とモゲに、お嬢とスノウを引っ張ってでもここに連れてくるように連絡したわ。ちょっと可哀そうかもしれないけど、そうも言ってられそうにないかもしれないですしね」

先に電話を終えていた真理が、美佳帆が話し終えるのと同時に話しかけ、お互いに報告をし合う。

「さすが、ご賢明です。それに、ご安心ください。ここの警備員たちは、クリーニング済みです。使えない・・ということもないとは思いますが、気になることがあれば教えてください。それと、このビルの11階より上は、ご存じの通りホテルです。急な来客や緊急事態に備えて、部屋はいつも5部屋ほど空けてありますので、伊芸さんや斎藤雪さんはもちろん、菊一事務所の皆さんも今後しばらくは、そちらでご滞在ください。11階のフロントで私の名前を出してくだされば、スムーズに話が進むと思います」

「真理さん。気遣い本当にありがとう。今回甘えさせてもらうわ」

「いえいえ、私達はすでに同じ組織、美佳帆さんが私と同じ立場でも、同じ対応をされたでしょう。・・・それに、ふふふ・・私の希望としては、今後、美佳帆さん達とはこのようなお堅いおしゃべりではなく、もっと打ち解けられたらなと思っております」

「ええ、もちろん。私もガラにもなく、ちょっと堅かったし、ね。そのうち、お互いに慣れてくるわよ真理さん」

美佳帆はそう言い、真理と美佳帆はお互いに笑顔を交わす。

すると真理は何かを思い出したような顔をすると、先ほど交し合った資料を捲り出し、お互いの能力を確認し合った用紙をテーブルに出し、用紙を指さしながら、美佳帆に尋ねる。

「話は変わるんですけど美佳帆さん。このお二人、本日お貸し願えないですか?」


美佳帆に貸した警備部門の人員を捜査に使っても、刑事たちの身辺調査は夕方か夜半まではかかるだろうと真理は考え、今日のほかの予定を進めてしまう前に、試したいことがあったのだ。

資料を整えていると、ノックの音が部屋に響いた。

美佳帆に、拝借する要請をした1人目の人物がやってきた。

「北王子公麿です。僕に御用がおありだとか・・?」

「ええ、神田川真理と申します。北王子さんの面談を兼ねてお願いしたいことがございまして」

5階にあるフリーの応接室に呼ばれた画伯こと北王子公麿が扉を開けて部屋に入ってきた。

真理は自らも腰掛けながら、いつも通りの笑顔で北王子に座るように促すと、北王子もそれに倣って、机を挟んで真理の正面に座った。

机には白紙A4の用紙が20枚ほどであろうか、積み上げられており筆記用具等が並べられている。

北王子は机に並べられていた道具を見て、目の前にいる微笑の美女が、うちの美佳帆さんから自分の能力を聞いたんだなと即座に理解していた。

「お察しのとおりです北王子さん。少しお願いしたいことがありまして、お力を貸していただけますか?」

「もちろんです!絵は僕の得意分野でもありますし、能力を使っての的中率は今までなんと100%!・・・僕がどれだけ菊一事務所にとって事件解決のキーマンになっていたかをご覧に入れましょう!そして、僕がどれほど役立つ男かを、神田川さんに知っていただきたい!」

北王子は、何故か座っていた椅子からガタンと音をさせ立ち上がり、メガネを反射させながら真理に向かって左手を差し出すようなポーズをとると、眼鏡を右手の人差指と中指でクイッと持ち上げた。

真理は笑顔のまま2秒ほど固まっていたが、

「それは頼もしいですね。ぜひとも【自動絵画】をしていただきたいことがあって、私が個人的に気になっていることがありまして、北王子さんの能力の精度の検証を兼ねて、能力を使って描写していただきたいことがあるのです」

真理は、何事もなかったかのようにキラースマイルのまま返答をするも、北王子は真理の予想の違うところを飛んでいた。

「公麿とお呼びください。貴女のことは真理とお呼びしても?」

「いえ、社員の目もございますので、神田川と」

相変わらずのキラースマイルのままの真理は、北王子が言い終えた直後に即答する。

「・・今日お会いしたばかりですしね・・照れるのは無理もありません。・・・貴女という女性を、じっくり知ることができる時間を得たと感謝することにしましょう!」

「確認なのですが、【自動絵画】は、私の思念を通じて、私が描いてほしいと思っている人物の今の状態を描き表すことができる。その認識でいいのですか?」

真理は『北王子は、なかなか愉快』と頭の中のメモ帳に記載しながら、確認したいことを北王子に投げかける。

「そうです!真理さんの思いが強ければ強いほど、鮮明に描写されます」

「神田川とお呼びください」

眼鏡を光らせ指で位置を直しながら、ようやく座った北王子の暴走を無視し、真理は訂正を入れる。

「失礼・・。つい・・。ですが、【自動絵画】には少しばかり残念なことがありまして・・」

僅かに口ごもる北王子に、真理は少しだけ身を乗り出す。

「どういったことなのです?」

「・・・実は、【自動絵画】で描写中の私は無防備になりまして、その間は、麗しくもお強い貴女に守っていただかなければなりません。それに加え、描写中の記憶は私には全く残らないのです」

北王子が大げさに頭を振りながら、右手で頭をかかるような仕草で肩を落とす。

「ちょっとよくわかりませんが、全く問題はないようですね。では、描いた絵は改めて見なければ、北王子さん自身も認識できないと・・?」

ちょっとよくわからない、という真理の発言に「え?」と声と顔を上げた北王子であったが、真理の無言の催促に負け答える。

「そうです。僕自身も描き終えた絵を見なければ、何を描いていたのかはわからないです」

「なるほど、十分です。ではさっそく始めてください」

真理は即座に北王子に答えると、促した。

「わかりました・・・。・・では・・いきますよ」

北王子はそう言い、濃い鉛筆を手に取ると同時に身体全体がオーラ包まれる。

真理も北王子のオーラに包まれ、北王子の思念と同調した感触に、一瞬躊躇うが、できるだけ北王子の波長にシンクロするようにオーラを調整し、佐恵子の情報をイメージに乗せる。

特に北王子から方法は聞いていなかったのだが、オーラが同調したと同時に、どうするべきか伝わってきたので、やるべきことは簡単であった。

サラサラと絵を描き上げていく北王子を観察する。

目は開いているが何かを見ているという感じではない。

真理は絵を描き上げていく北王子の様子と、描きあげられていく用紙を交互に見ていたが、ある程度描写が進んだあたりで、予想をしていた描写に僅かに赤面する。

「佐恵子・・・」

北王子がほぼ描き終えている絵を手に取り、まじまじと見つめる。

それは、完全に宮川佐恵子であった。北王子が、鉛筆で描写しているため白黒であるが、光と影のコントラストが付いた絵は、佐恵子を知る人が見れば、誰が見ても佐恵子とわかるほどの精度であった。

能力者同士で波長が合わせやすかったせいもあるかもしれない、写真のような描写である。

描きかけの絵を手元から真理に奪われた北王子の手元に、真理はもう一枚紙を置いてやる。

すると、真っ白の用紙にまたもや北王子が描き出す。

絵には佐恵子が普段は絶対しないような表情で、全裸で両手を股間に這わせ、目を閉じ、歯を食いしばって、顔を快楽にゆがめている自慰姿が描かれていた。

ベッドで正常位の格好になり、脚を開き右手は女性の代表的な性感帯である陰核を中指の腹で捏ねるような動作をし、左手の中指は、この行為がもう始まり結構な時を経過している事を物語る程に淫液を放出する蜜壺に突き立てているのが見て取れる。

(スゴイ・・・絵なのに音まで聞こえてきそう・・・佐恵子が奏でる、クチュクチュという水音が私の耳には確かに聞こえるわ・・・これは、北王子さんの能力がまだ発展途上で、依頼人が能力者の場合は、より密度の高い情報を得れるのかしら?それとも、私と北王子さんのオーラの相性が良いから?もしそうだとしたら・・・)

真理はそんな事を考えながらも、次から次へと、まるでドラマのコマ送りを見る速度で用紙に、佐恵子の痴態を描き上げていき既に北王子に描かせた絵の枚数は10枚に達していた。

北王子が一枚描くスピードが約2分ほどである。アニメーションのように少しずつ変化している絵を見ながら、この20分の時系列を間違えないように並べながら真理が呟く。

「これは・・。すっごい能力だわ・・・。それにしても、佐恵子ったら・・激しいわね・・この静止画でも、温度や息づかいまで伝わってくるわよ・・・それに私だけかも知れないけど、本当に音に、佐恵子の吐息、時折あげている声まで聞こえてくるわ・・・」

クスクスと笑いながら絵を見ていた真理であったが、十数枚続けて描かせていると、途中で北王子のオーラが弱弱しくなってきているのを感じたが、同調している真理自身のオーラを奮発し、北王子の手を休めることなく20枚描ききらせたのであった。

「ぶはぁ!!」

ようやく真理との同調から解放された北王子は、大きく息を吐き出し机に突っ伏した。

汗びっしょりとなり、ゼエゼエと肩で息をしている北王子に向かって、北王子が部屋に入ってきたときと同じ笑顔で労う。

「お疲れ様です。北王子さん。素晴らしい力です。今後もお願いするときがあると思うので、その時もまた頑張ってくださいね」

北王子が顔を上げると、タオルと冷たいお茶のペットボトルを差し出す女神がそこにはいた。

「ゼエゼエ・・・。ぼ、僕は・・いったい・・・どんなことを・・どれだけ・描いた・・ゼエゼエ・・ですか・・?でも、お役に・・立てた・・ゼエゼエ・ようで・・ゼエゼエ・・・よかった・・・です」

真理に向かって何とかそう言うと、再び机に突っ伏した。

「ええ、ありがとうございます。では私は、次の予定がありますのでこれにて失礼しますね。ゆっくり休んでから引っ越し作業に戻ってくださいね」

真理は、肩で息をして突っ伏したままの北王子にそういうと、描いてもらった絵20枚を丁寧にクリアファイルに挟み、自身のバッグにしまうと北王子一人を残して応接室を後にした。


【第8章 三つ巴 22話 自動絵画終わり】23話へ続く

第8章 三つ巴 23話 神田川のお節介と悪だくみ?

第8章 三つ巴 23話 神田川のお節介と悪だくみ?


「ここです」

真理は、美佳帆から借りたもう一人の人物に、目的の建物を指しながら振り向く。

「こ、これ全部、宮コーが持ってんのか・・・?」

マンションの手前で見上げながら、和尚こと菊一探偵事務所副所長の豊島哲司は生返事を返した。

「いえ、各部屋の所有権は色々ですわ。管理会社と警備はうちがやってますけどね。それより、けっこうな頻度で来ていただくことになると思いますが、場所は憶えて頂きましたよね?」

「ああ、問題無いで。このあたりで迷うことなんてあらへんからな。それにしても、えらい会社から近いな」

哲司がそう言ったの無理はない、支社のある梅田駅前から南に500m程度歩いた繁華街の中、少し奥まってはいるがそのマンションは聳え立っていたのだ。

外装はレトロな土色のタイルで、植栽も綺麗に手入れされていた。地下は駐車場らしく、その入り口はゲートがあり警備員が2名待機しているのが見える。

真理に気が付いていた警備員が、真理と目が合うと軽く一礼をしてくる。

「このマンションは15階が佐恵子の私物。14階に私と加奈子の部屋があります。宮コーの警備員も13階に3交代勤務で詰めてまして、このマンションの警備を24時間体制でやっております。14階と15階には直接エレベーターで乗り付けることはできません。エレベーターは13階までしかないのです」

真理は、警備員に笑顔で手を軽く上げて応えながら、哲司に説明をする。

「なるほどな・・。それで、俺を連れてきたんはどういった理由からやねん」

いま、14階に稲垣加奈子が待機しているそうだが、真理は加奈子を伴って出かけなければいけない仕事があるらしい。

その留守の間、支社長の警備をお願いしたい、とのことと聞いてはいるが、いくら自社の社員になったからとはいえ、哲司と宮川支社長が顔を合わせたのは3日前である。

「えらい信用してくれてるんやな・・?神田川主任?」

「あら?豊島さんは信用できない方なのですか?」

真理に疑問を投げかけてみたが、目をぱちくりとさせながら首を傾げ、意外そうな顔で聞き返してくる。

「う・・。そんなことあらへん・・!そんな男ではないと自信をもって言えるんやけどな、それは絶対なんやけど、なんせ、あんたらに会(お)うたんは、つい3日前やで?」

それに対し、哲司は手を振りながら少々大げさ目に否定をする。

「大丈夫ですよ。・・・佐恵子は豊島さんに感謝してました。私も寺野さんに抱き起されながら見てましたけど、豊島さんが佐恵子の前に飛び出してきて、刀を白刃取り・・・。もし、刃を取れなくても、ご自分の身体で受ける・・。そういう覚悟が見て取れました。間近で、いた佐恵子もそれを感じたんだと思います。身体を張ってくれているって・・。殿方の登場シーンとしてはとてもにくいです。・・佐恵子にとっては、豊島さんの行動は衝撃だったと思いますよ。それに佐恵子はあの時、豊島さんのオーラを見てました・・」

真理は笑顔でそう言い「行きましょうか」と哲司を促し、マンションのエントランスへと歩いて行ってしまった。

「・・狙ったわけやないんやけどな」

歩いていく真理の後ろ姿を見つつ、先日手渡された二つ折りになった名刺を開きポツリと呟いた。


13階と表示されているパネルが点灯し、エレベーターのドアが開く。

普通のマンションとは違い、13階フロアは広く、そこは受付ようなカウンターがあり、警備員が8人ほどデスクワークをしていた。

「おかえりなさいませ。神田川主任」

「ええ、ただいま。変わりはないですか?」

デスクワークをしていた壮年で屈強な体格をした男が、真理に気が付くと丁寧な挨拶をしながら立ち上がった。

真理も体格のいい男に近づきながら笑顔で挨拶を返す。

「はい、特には異常ございません。稲垣さんから、スイーツの買出し依頼があったぐらいです」

「そうですか。佐恵子も香奈子も甘い物好きですからね」

真理に対して、丁寧な対応をしている体格のいい男は、真理の後ろにいる哲司に少し視線を送り、遠慮がちに真理に聞く。

「あの主任。そちらの方は?」

「ええ、紹介しますね。こちら豊島哲司さん。今度、うちにできた調査部門の副部長さんです」

「ど、どうも、初めまして豊島です」

「こちらこそ初めまして。わたくしは関西支社警備部門長の八尾と申します。今後ともお見知りおきください」

突然自己紹介をする羽目になった哲司が、言葉足らずな挨拶しかできないのは無理がないので、真理が補足で八尾に説明をする。

「こちらの豊島さんは、佐恵子の警備もしていただこうと思っています。ですので、豊島さんが通過するのも、承認なさってください」

「え?支社長はご承認されているんですか?」

「ええ、確認取っていただいても大丈夫ですよ」

「わかりました。主任がそうおっしゃられるなら、わざわざ確認の必要なないと思います」

「ありがとう。では、豊島さんこちらです」

13階から上階に行くには2通りである。どちらも階段なのだが、通常の階段と非常階段だ。そのどちらにも警備員がおり、交代勤務で24時間詰めている。

「えらい厳重やな・・」

「13階より上だけですよ。こんなにいっぱい警備員がいるのは」

前を歩く真理が振り返らずに、哲司の独り言に答える。

14階を素通りしそのまま階段で15階まで上がると、大理石でできた広いエントランスに植栽と人工池があった。

床は真っ白の大理石が敷き詰められ、正面には木製のドアがあった。

その奥が佐恵子の部屋なのであろうと、哲司は推測した。

「真理―。お疲れ様―」

「ええ。加奈子もお疲れ様」

広く白いホールを見回しキョロキョロしていた哲司だったが、池の畔に座り込んで、鯉に餌をあげていた加奈子に気付き会釈をする。

「先日はどうも」

哲司も、真理に続いて加奈子に一言だけ挨拶し、軽く頭を下げた。

「あー。やっぱり、このあいだの白刃取りの彼じゃん。あれ凄かったね。おかげで佐恵子が無事ですんだわ。ありがとう」

最初は軽い口調で話しかけてきていた加奈子であったが、あの場面を思い出したのだろう、哲司に対してお礼を言うと深々と頭を下げた。

「改めて私からもお礼申し上げます」

「いやいや、そんな大げさなん、かまへんって・・・。身体が勝手に動いてしもたんと、人生に一度はやってみたいと思ってたんや、石舟斎を真似て無刀取りってな?・・上手くいってホンマによかったわ。あの女の剣筋が思いのほか鋭くて、ちびりそうだったんは内緒やけどな・・・ははは・・。あれ?おもんない?ここ笑うところやで・・?ちょっと待ってや・・・美人2人の前でスベルんはさすがにキツイって・・・」

真理からも頭を下げられ、タイプの違う美女二人に頭を下げられっぱなしの哲司は、なんとか空気を和まそうと冗談を飛ばすが失敗してしまったようだ。

ようやく二人に頭を上げてもらった哲司がほっとしていると、少し奥にある木製の扉の横についている、スピーカーから声がした。

「加奈子?真理がきたんでしょう?交代して休んでいいわよ。それに、それ以上、鯉にご飯あげたら、調子悪くなっちゃうわ・・・。真理もお疲れ様。いっぱい仕事溜まっていたでしょう・・?全部押し付ける形になってしまって悪かったわね。夕方にはだいぶマシになると思うから・・・」

姿は見えないが宮川佐恵子の声だ。

「大丈夫ですよ佐恵子。ゆっくり休んでください。それより、佐恵子に言われていたあのモブの実験をしたいので、加奈子を借りたいのですけどよろしいですか?」

「え?真理しゃん。それだとここがお留守になっちゃうじゃないですか」

佐恵子の代わりに答えたのは、真理の隣にいる加奈子であった。

「ん・・。なるほど・・・真理しゃんらしいといえば、らしいです」

哲司をチラリと見た加奈子は、哲司と真理の性格と思惑に感づき、じっとりと真理を見ながら呟いた。

「どういうことですの?」

誰も能力者の護衛が居なくなってしまうのではと思った佐恵子が、スピーカー越しに聞こえる真理と加奈子の会話に入ってきた。

「佐恵子、加奈子の代わりに豊島さんに護衛をお願いします。腕は確かですし、人間性も問題ないのは佐恵子もご存じのはず・・・よろしいですよね?私も今日佐恵子が出勤できなかったので、仕事が立て込んでて、どうしても加奈子にも手伝ってもらいたいんです」

問いかける佐恵子に真理が笑顔でさらりと答える。

「え?・・・とよしまさんって・・豊島哲司さま?」

「はい、豊島哲司さんです」

「ちょ!・・ちょっと真理!先に連絡しなさいよ!え・・?私、全然人に会えるような恰好じゃないのよ?・・・。もう・・真理!いつ来るのよ?哲司さまは!」

「もうここにいます」

「あ、ども。豊島です」

真理に手で促され、マイクに向かって哲司は短く挨拶する。

「真理・・。あなた本当にそういうところあるわよね・・・。・・・豊島さま・・、お見苦しいところお聞かせしましたわ・・。身支度するので、しばらくお待ちください・・。」

プッと小さな電子音がした。どうやら一方的に通話は終了されてしまったようだ。

笑顔の真理、やれやれという顔の加奈子、なにがなんだかという顔の哲司がホールに佇んでいたが、真理が口を開く。

「じゃあ、加奈子、参りましょうか?」

「え?支社長の支度が終わるの待たないの?」

「支度ったって、佐恵子は出かけるわけじゃないから待たなくてもいいわよ。それより、私は、夕方にはまた支社に戻りたいから、もう行かないと遅くなっちゃうわ」

「うーん・・。あとで真理しゃんが支社長に怒られてくださいよ?」

「怒られることなんてないってば、さあもう行きましょ。哲司さん、しばらくここで待機しててください。夕方にはまた連絡いれますから。あとこれ」

真理は加奈子に大丈夫と念押しおし、哲司には簡単に説明すると、カードを2枚手渡した。

「ここで待機してたらええんかな?宮川さんの部屋の護衛ってことやな。了解やで。で、これは?」

「14階に哲司さまのお部屋もご用意してあります。もし泊りになるほど、遅くなってしまった場合はそのカードで部屋にお入りになって、自由に使ってくださって大丈夫です。もう一枚は、この扉の予備のカードです。・・・使う機会はないかもしれませんが、万が一と言うこともありますので、一応お渡ししておきますね」

「そんな遅くなるかもしれんのかいな・・。しゃーないな・・」

真理に説明された哲司が、少し唸ると

「部屋には食べ物もありますし、13階の先ほどお話した、八尾さんにお願いしたら、出前も取ってくれますよ。肌着の着替えも部屋にはありますし、頼めばクリーニングも出しておいてくれます。少し退屈かもしれませんが、ここの警護は重要なお仕事です。お願いしますね、豊島さん」

「ああ、了解や。神田川さんも稲垣さんも忙しんやろし、ここは任せとき。鯉でも眺めながらうろついてるさかい」

白い歯を見せいい笑顔で言う哲司に

「お願いしますね。じゃあ、加奈子いきましょう」

真理はそう言うと、加奈子と階段に向かう。

「お願いしますねー豊島さん」

加奈子も階段を下りながら手を振り、哲司に挨拶をする。

「さて・・、ここで何してろっていうんや・・」

真理と加奈子の姿が階段から見えなくなってから、誰にも聞こえない大きさの声で小さく呟いた。

(しかし・・・あの時は、宮川さんを守れたが、あの髙嶺いう所の、眼鏡の美人剣士が、次に来たら、果たして宮川さんを守れるかどうか・・・あんな若そうな女やのに、恐ろしい腕に、能力あったよな・・・次やりあう事があったら、命がけやわなぁ・・・やっぱり、美人に2度と会いたくない思うんわ初めてやわ・・・)

そんな事を、考えながら哲司が、佐恵子の警備の任に就いていると、背後からガチャリと金属音がして木製のドアが、意外に音もたてずに、少しだけ開いた。

【第8章 三つ巴 23話 神田川のお節介と悪だくみ?終わり】24話へ続く


第8章 三つ巴 24話 実験

第8章 三つ巴 24話 実験

真理は薄い緑のブラウスに、タイトスカートのスーツ姿のままだが、加奈子はスーツから動きやすいラフな格好になっていた。

ここは、病院にほど近い施設で、普段はリハビリなどで軽く運動するための体育館のような場所である。

事前に真理は、この施設をある目的で使う為、予約しておいたのだ。

黒いタンクトップに、黒のトレーニングパンツを履いた美女が、視界を遮った自身の色素の薄い前髪を右手でかき上げる。

脚は長く、出ているところは出て、引っ込むべきところは引っ込んだ体形の加奈子は小さく嘆息する。

「真理ぃ~まだやるの?」

仰向けになり荒い呼吸をしているモブから視線を外し、加奈子は振り向き真理に嫌そうな声を上げる。

「ええ・・・。もう少しやってみましょう。この間と違い過ぎて、辻褄が合いません・・。今度は、できるだけこの間の状況を再現しましょう」

真理は手に持ったバインダー上の用紙にペンを走らせ、加奈子に向けて顔を上げると提案する。

「はーい・・。じゃあ、支社長がこの子を足刀蹴りで蹴り倒すってところの再現からでいいかな?」

「ええ、やってちょうだい」

「おい!冗談じゃねえよ!!」

美女二人の、人権を無視した会話に突如大声で不平を口にし、乱入してきたのは、もう一人の当事者、モブこと茂部天牙である。

「なによ。警察に突き出さずに保護してあげてるじゃない。文句言わずに協力しなさいよ」

振り返り、ずいっと一歩進んでくる稲垣加奈子にモブはびくっとなる。加奈子本人にとっては何気ない行動なのかもしれないが、先ほどから加奈子とは何度も手合わせをさせられている。

稲垣加奈子の格闘スキル、センス、スピード、経験すべてにおいてモブとは段違いで、何度かの手合わせでも、モブは全く歯が立たないどころか、加奈子に触れることもできず、何度もノックダウンさせらていた。

当然加奈子自身、手加減はしているのだが、野性動物に比肩する運動能力の彼女はモブにとって強敵すぎた。

普通なら怖気づいてもしょうがない相手ではあるのだが、モブはいい意味でも悪い意味でも勇者である。

「くっそー!やられっぱなしでいられるかよ!うぉぉぉぉおぉお!」

「そうそう。こっちだって好きであんたなんかの組手をしてるわけじゃないんだからね」

いまいち加奈子の実力と見た目のギャップを認めたくないモブは、馬鹿正直に正面から突進し右手を振りかぶって殴り掛かった。

殴った後、馬乗りになりおとなしくさせたら、黒い生地の少ないタンクトップに窮屈そうに納まっているデカい胸でも触ってやろうかと、邪な妄想がモブの小さい脳に浮かんでくる。

加奈子は迎撃するべくゆっくりとした動作で構えなおす。モブの視線や僅かな動きで、邪な考えも手に取るようにわかる加奈子であったが、如何せん・・

「遅すぎる」

加奈子は一言モブを評価すると、モブは「ぐえっ」と声を上げ、振り上げた右手を突き出す前に、逆エビ反りの格好で停止する。

外聞など気とめる暇もなく、無様な声を発したとき、モブの顎には加奈子の足刀蹴りが突き刺さっていたのだ。

当然モブの煩悩思考はストップさせられ意識はブラックアウトする。

「うーん・・。この子がなぜあんな動きができたのか不思議でしょうがないです・・。動きはまるっきり素人、オルガノってところにいたボクサー崩れたちのほうがよっぽどマシです。・・・真理しゃん、なにか気づいたことあります?」

逆エビぞりの格好から、背中から地面に崩れ落ちたモブを一瞥し、加奈子は真理に問いかける。

「ダメね・・・。格闘センスも、なにかしらの能力も感じないわ。でも、流石に今のはダウンしちゃったけど、いままで、加奈子に相当に打込まれてるのに彼すごく頑丈ね・・・頑丈と言うより・・・なんて言うのかしら・・・」

首をかしげる真理に、加奈子も同意する。

「そうなのですよね。それは感心するところ。あ、しまった、やりすぎたかな?と思っても、案外すぐ復活するし、真理しゃんに一度【治療】してもらったとは言え、相当打たれ強い部類。・・・それが取り得って感じですね・・。でも、八尾さんたち警備の人にかかったら、まったく通用しないレベルでもあるのが、悲しいところ・・・」

「でも、それだけだとあの佐恵子を2回も一撃で戦闘不能にした説明がつかないわ・・・。佐恵子もアーマースーツ着てたのよ・・。しかも防御に割り当ててるオーラって佐恵子はかなり強いほうだし。・・平均的な能力を使えない成人男性で、佐恵子に勝てるかしら?」

「・・・無理・・かな。事前情報と準備があったとしても、難しすぎると思う。目を使わなかったとしてもダメ」

真理の質問に少し考える素振りを見せたが、加奈子がきっぱりと断言したため、のびて倒れているモブを二人で眺め、更に不思議がる。

すでに少しモブの相手をするのには退屈になった加奈子が、欠伸をし、大きく背伸びをした。真理は、口元を抑え少し考え事をしていたようであったが、もしかしてと思い加奈子に問いかける。

「加奈子。今オーラどうしてるの?」

「どうって・・。まったく使ってないわよ」

背中を伸ばしながら、腕の柔軟もしつつ加奈子が答える。

「全く使ってなかったの?じゃあ、次から使ってみて。この間みたいに」

「え?この間みたいにって、あの子どうなってもいいの?・・私は正直その子がどうなってもいいんだけど・・・」

冗談で言ってないであろう加奈子の発言に、実験に付き合わせたことに対して、少し申し訳なさそう顔をしながら言う。

「・・手加減はしてあげてね。でも、きっと大丈夫よ。彼、加奈子の猛烈な体当たりを受けても死ななかったじゃない。・・そのあと、彼は佐恵子に全く同じ技を繰り出した・・・。もしかしたら・・。ねえ、加奈子。ちょっと試してみたいの。能力使って?何でもいいから、軽く彼に打ち込んでみてよ」

「いいけど・・。真理の負担が重くなるわよ?彼の負担も重くなるのは自業自得だけど・・って、本当にタフね・・」

立ち上がった気配を感じ取った加奈子が、モブに向かって振り返る。

「ほんとうに・・」

立ち上がったモブを見て真理も加奈子に同意する。

「てめえら・・。いつまでこんなことやらせんだ!俺を甚振って楽しんでやがるのか?!ええ?!このサディストどもが!」

「ぷっ!あははは・・!真理しゃん言われてますよ?それに、あんたなんか甚振って楽しいわけないでしょ」

「どもって言ってるでしょ?加奈子も含まれてるのよ。・・ねえ、茂部君。わたしたち・・」

真理はお腹を抱えて笑う加奈子を少し睨んだが、すぐに普段の顔に戻るとモブに話しかける。

「モブって言うんじゃねえ!」

「モブって言うなって・・!あははは・・だって、モブって名前じゃん・・バカじゃん・・おなかいたい・・!・・・たしかに・いひひひ・・お腹痛いって」

真理とモブとのやり取りを聞いて、更に加奈子がお腹を抱える。

「ちょっと静かにしてよ加奈子。・・・加奈子の気持ちは分かるけど・・・。話ができないじゃない。それに、事実じゃないし、笑うところでもないわよ」

加奈子と真理のやり取りを睨んでいたモブだが、まともに加奈子や真理とやり合っても、勝てないことは分かっているので顔を歪めて憮然とした態度で言う。

「なあ!もう、帰ってもいいだろ?あんたらの実験ってのには付き合ってやったじゃねえか。まったく・・ケンカはしょっちゅうしてたけど、一日でこんなに殴られたの初めてだぜ・・・おい!茶髪のねーちゃんよ!痛ってえんだよてめえはよ!・・美人でもそんなんじゃ嫁の貰い手もねえんだろ!?・・・しょうがねえな・・ツラはいいから俺が仕方なくかわいがってやるぜ?へへへ・・」

モブの調子に乗った発言に、加奈子の表情が変わり、加奈子を中心に一気に温度が下がる。

「あんたねえ、・・・もう限界・・。あんたのせいで、支社長があんなことになって、危なかったんだから。本当ならあんたなんて・・・」

先ほどまで笑っていた雰囲気はまるでなく、今の加奈子の言葉には怒気が混ざり、目尻を吊り上げ、殺気の籠ったオーラが漏れ出している。

「ストップストップ加奈子・・。一番ひどくやられた佐恵子が承知してるのよ?そう話し合って決めたでじゃない?・・えっと・・じゃあ、今日はこれが最後にします。ええっと・・天牙君?」

「ふん」と不服そうに黙った加奈子が、腰に両手をあて、床を右足のつま先でダンダンと蹴って黙った。

一瞬ではあったが加奈子の殺気にさらされたのと、真理が天牙と呼びなおしてくれたことで、モブは怯えから、素直に真理に向き直り冷や汗を流しながら答える。

「・・・あ、ああ、いいぜ。絶対次が最後な?」

「・・・言葉遣いに気をつけなさいよ。あなたよくてブタ箱行きで、悪けりゃ私に殺されててもおかしく無いことを自覚しなさい!・・・支社長や真理が言うから、仕方なく機嫌のいい振りして付き合ってあげてるの。そこのところ分かってないんでしょ?・・・ガキだから」

普段の親しみやすい表情は全くなく、かなり不機嫌になった様子の加奈子が、髪をかき上げながら顔を上げモブを睨む。

「・・・オーラ込めて強く殴るとあんた程度じゃ死ぬと思うから、仕方なく手加減してあげるわ・・。でも、気をつけなさいよ?・・・私の気が変わるかもしれないでしょ?」

加奈子の発言にモブは無言ではあったが、加奈子の殺気に当てられ真っ青になり、ゴクリと喉をならし表情が引きつっている。

「はっ!」

加奈子の発する殺気に、怖気て怯え切ったモブの返答を待たず、加奈子は気合の発声と同時に、モブ目掛け間合いを詰めた。

だん!と加奈子が左足を踏み込む音が響きわたり、それとほぼ同時にモブの胸の中心部には掌底突きが決まっていた。

千原奈津紀という強敵の出現、茂部天牙という雑魚の思わぬ攻撃、それらの偶然が重なったとはいえ、宮川佐恵子という護衛対象を守り切れなかった加奈子は、その原因の一つの茂部天牙に対して大いに思うところがあった。

加奈子は直情的なところもあるが、馬鹿ではないし寧ろかなり聡い、しかも見た目に騙されやすいが思慮も深い。

真理も、長年の付き合いで、そのあたりは加奈子を理解しているため、それ以上窘めなかったのだ。怒ってはいても、怒りに任せてモブを力任せに攻撃したりはしないと分かっていた。

加奈子はモブにヒットする瞬間に、後方へ手を引き威力を半減させたのだが、どすっと鈍い音がしてモブは1mほど後ろに吹き飛び、そのまま両足で着地した。

「どうかしら?」

手加減をしたとは言えオーラを込めた掌底打を放った格好のままで、加奈子が誰ともなしに言う。

モブは、綺麗に着地したかのように見えたが、直ぐに両ひざを地面に付き、打たれた胸を押さえながら、床に突っ伏した。

「~~~っ!!」

胸を撃たれた衝撃で呼吸が止まり、突っ伏したまま苦しそうに脂汗をかくモブ。

そのモブに向かって真理が言う。

「天牙君。加奈子に反撃して」

「さすが真理。このポーズをとってる男性にそのセリフ・・・。やっぱりサディスト・・」

両膝と額を床に付けて悶絶しているモブに対して、真理が無茶な要求をする。

表情から怒気の消えた加奈子が、少し呆れ気味な口調で、真理のほうを向きなおり軽口を叩いていると。

「ほら、加奈子!・・彼立ったわよ。・・やっぱり私の【治療】も・・取り込んで・・いえ・・少し違うようね・・」

真理が少し慌てた声で、加奈子に喚起する。

真理の声に少し驚き、加奈子は踵を返すと、胸を押さえ、ふらつきながらもモブは立ち上がっていた。

「ゼェゼェ・・痛ってえ・・・。・・ぜぇぜぇ・・・何度も何度も殴りやがって・・・!そう言う実験なんだろ?!・・言う通りに殴り返してやるからな!」

「ふん!・・いらっしゃいな!」

加奈子はモブに対して顎をしゃくりながら手招きし、構えようとした瞬間、モブが3mほどの距離を一気に詰めてくる。

「ん!!?」

猛スピードで迫るモブを見ながら、加奈子はその速度に肌が粟立つのを感じた。

しかし、加奈子は戦歴1000以上の経験から驚きながらも冷静にモブを観察する。

踏み込みの一瞬手前で、掌底を相手の胸に当て、その後に踏み込みを行い、全体重を掌底に乗せるという地味だが見た目以上の破壊力を持つ技、この技を会得するには相当な練習量が必要だ。

(これは・・、私の技?・・こんなチンピラ如きにおいそれと真似できるものなんかじゃない・・。佐恵子や真理でも上手にできないのよ?・・それを完璧に・・・?!)

加奈子はモブと対峙して初めて、真剣な顔になりモブの右手掌底打を半身になり左手で受け流す。

もしもモブが自分の動きと同じような動きができるのなら、容赦できる相手ではない。

加奈子は、そう判断するとモブの掌底を受け流し、半身になった身体を更に、躍歩し右脚で、モブの右脚の膝裏を蹴り抜いて、モブの膝を床まで打ち落とし、同時にモブの左手と頭を押さえつけ動きを封じる。

「痛ってえええ!ギブギブギブ!!」

「・・・・・ん」

モブの背中に伸し掛かって腕と脚を本気でキメていた加奈子が、慌てて力を緩めるが、キメた態勢は崩さない。

「まるっきり加奈子と同じ動きだったわ・・・。空振りだけど・・」

バインダーにペンを走らせながら、驚いた表情で真理が呟く。

「いやいや、そこは避けますよさすがに・・」

モブに抵抗の意思とオーラが感じられなくなったのを確認したうえで、モブの上から退いた加奈子が、真理を僅かに非難する。

「あ、そういう意味じゃなくてね。でも、何となく彼の能力がわかったかもしれないわね。何度か実験してみましょう・・。【治療】も必要みたいだし、続けて試したいことがあるの」

「ま、まだやんのかよ?勘弁してくれよ・・最後って言ったじゃねえか」

「【治療】するだけですよ天牙さん。今日はもう、痛い実験はしませんから安心してください」

真理の発言にホッとした顔になり、床に大の字になりモブは寝転んだ。

加奈子はモブに対しての蟠りが晴れたわけではないが、ずっとそういう感情に構っていることができない性格でもあったので、ひとまずモブのことで、周りに感情を露わにすることを止めることに決めた。

そして加奈子は小声で「今日は、ってところが真理しゃんの抜け目ないところなのです」と呟いたが、その声は誰にも聞こえなかった。

【第8章 三つ巴 24話 実験 終わり】第25話へ続く

第8章 三つ巴 25話 不器用で実直な2人

第8章 三つ巴 25話 不器用で実直な2人


分厚い木製の扉が少しだけ開き、その隙間からまずは白い手が見えた。

あの・・、豊島さま。大変お待たせしました。そこでは満足に座るところもございませんし、中にお入りください」

黒い髪、白い肌をした佐恵子が僅かに顔を扉から覗かせ伏し目がちに、豊島哲司に話しかける。

「あ・・え・・よろしんですか?神田川主任にはここで待機しとってくれといわれてるんやけど・・・」

大丈夫です。私の護衛のお仕事ですし、加奈子や真理も普段は部屋で一緒に過ごす時も多いのですよ・・・。今日はたまたま加奈子には外でいてもらったのですが・・・。あ・・それより今はまず命の恩人にきちんとお礼を言わせてください。それには、ここでは立ち話になってしまいますので・・、どうぞお入りください」

佐恵子は伏し目がちのまま哲司の顔を見ずにそう告げると、扉を大柄な哲司が入れる程度まで開いた。

哲司は佐恵子を見て思わず無遠慮に見つめてしまう。

先日あった時の佐恵子と、いまのカジュアルな部屋着の佐恵子とはまるで印象が違ったからでもあるが、基本的にはもともとインスピレーションで好みだと感じていた為である。

哲司はこの至近距離ではあったが能力を無意識に発動させてしまい視力強化してまじまじと佐恵子を見つめてしまっていた。

間近で見る宮川佐恵子は思いのほか背が低く、華奢に見えた。なぜか僅かに汗ばんだ肌は白くきめ細やかで、首や鎖骨はなんとも女性的な先日、張慈円がアジトに使っていた倉庫で見かけたときは、傷つきながらも、佐恵子の印象は尊大で周囲を見下したような雰囲気を感じられる部分があったのだが、今の佐恵子にはそれがなく、年齢の割には落ち着いた雰囲気がある清楚な女性に見えた。

「今日もうこのセリフ何回も言うたんやけど、ホンマ気にせんといてや。俺も平気やったし」

「何回も・・。そうですか・・、加奈子や真理にも言ってくださったのですね」

今の佐恵子は上下アイボリーのゆったりとしたルームウェアを着ていた。トップスはオフショルだーで丈は腰程度まであり、ボトムスは同じくゆったりとしたワイドドレープパンツ姿であった。

「こんな姿で申し訳ございません・・。でも、豊島さまをあまりお待たせするのはいけないと思いまして・・・」

「そんな気ぃつこてもらわんでも・・・」

遠慮がちな哲司の発言を聞き流し、佐恵子は哲司を室内に入るように促す。

扉をくぐり少し歩くとリビングなのか、応接室なのかよくわからない広い部屋に通され、促されるまま低反発のソファに座って待っていると、佐恵子がコーヒーが入ったガラスポットとカップを二つトレイに乗せて持ってきた。

「雇い主である支社長さんにそんなことしてもろて、なんか恐縮してしまうな」

女性の部屋に入ってお茶を入れてもらう。そういったことに緊張してきた哲司は気を紛らわそうと少し大きめの声で佐恵子に言ってみたが、佐恵子は穏やかな表情で哲司に笑顔を返し、袖を抑えながら哲司の前に湯気の立つコーヒーカップに注ぐ。

そして佐恵子は「どうぞ」と言いソーサーの上にカップを置くと、自らも哲司の向かいのソファに浅く腰掛けた。

二人ほぼ同時にカップに手を伸ばし、コーヒーを啜る。

心地いい空調の聞いた部屋で熱いコーヒーを啜る音と、天井に設置されているシーリングファンが風を起こす音だけが僅かに聞こえる。

『あの・・』

二人の声が重なった。

「あ!支社長どうぞ!」

「いえ・・!豊島さまのほうこそお先に・・」

お互いに異性に不慣れな者どうし遠慮し合っていたが、ここは哲司が先に切り出す。

「あ、あの・・、支社長はこの部屋にお一人で住んでるんですか?」

「・・ええ」

「はは・・、そうでっか。いまもほかには誰も居らへんのんですか?」

「・・・ええ、そうですわ」

「ははは・・、支社長さんみたいな若くて美人の女性の部屋に通してもろて二人っきりとなったら、勘違いしてしまう輩も多いかもしれへんし、気ぃつけなあきませんな!・・・はは、、俺は、全くその点は信用のおける男やから安心してくれてええんですけどね!ははは・・」

(な、なに言うとんや俺は!かなりアホな発言してもうてるで!!・・・あかん!めっちゃ意識してしまうわ!・・・平常心を取り戻すんや!哲司!・・・いつからそんな狼狽えるようになってもたんや!・・・・南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・・!)

変な会話になってしまったと思い、寺の息子らしく心頭滅却させようとしていると、正面には固く閉じた膝の上に手を置き、目を伏せ、床の一点を見つめながら顔を赤くして無言でいる佐恵子が目に入った。

(う・・!な、なんやこの反応と表情は・・・、どうやら怒ってはなさそうや・・・。俺のアホな発言、大丈夫やったんとちゃうか・・・?むしろ、いけたんか?めちゃキレられるんかと思たけど・・・大丈夫な感じやな・・・・。それにしても、めちゃ可愛らしいやないか・・・・。もしかして、こないだの俺の白刃取りの出会いで、ホンマに白馬の王子効果が出とるんやろか・・・?)

哲司は正面に座ってモジモジしている佐恵子をつい凝視してしまっていると、その視線に気づいた佐恵子が慌てた様子で立ち上がった。

「わ、わたくしとしたことが・・、お茶請けも用意せずに・・、す、少し失礼致しますわ・・」

顔を真っ赤にした佐恵子は哲司の返答も待たず、スリッパの音をパタパタとさせながら奥の部屋に歩いて行ってしまった。

「あ!・・そんなんホンマに気にせんでください・・」

哲司は慌てて佐恵子の後ろ姿に声をかけるが、佐恵子はパタパタと音をさせて奥に消えてしまった。

「な、なんや・・・あんな表情みせられると年甲斐もなく緊張してまうな・・あつぅ!!!」

哲司は佐恵子の去った奥の部屋を見ながら呟くと、まだ熱いコーヒーを思い切り口に含んでしまい、一人で吹き出し、吹きこぼしたコーヒーを拭き掃除する羽目になっていた。


「はぁはぁ・・・ま、真理ぃ~・・!・・・恨むわよぉ・・・。なんで今日に限って豊島さまを連れてきたのよ・・・」

大理石でできたアイランドキッチンのワークトップに突っ伏し、佐恵子は恨み節を独白した。

オーラの枯渇した佐恵子は何故かある一定までオーラ量が回復するまで、性欲が我慢しがたい程に溢れてしまうのだった。

今日の早朝に冷静付与の効果が切れてしまい暫く我慢していたのがいけなかった。我慢してしまったせいで触り出してしまった反動は大きく、真理と哲司が来る少し前まで一人で慰めていたのである。一人で1時間ほど慰め、何度も果て少しは落ち着いていたのだが、哲司と話という話もしないうちに下腹部がうずきだしてしまったのだ。

普段【冷静】を付与し続けている反動なのかもしれないが、付与が切れるとどうしても少し疼いてしまう。

しかも、ある一定までオーラが回復しないと、【冷静】のようなほぼオーラを消費しないような技能すら使えなくなってしまう。

このままでは不味いと思い、佐恵子はまだ使えないだろうと分かってはいたが、一応【冷静】を自身に付与しようと、目に力を集中する。

「・・・うう・・、だ、ダメだわ・・・上手く練れない・・・こんな簡単なこともできなくなるなんて・・・」

佐恵子は続けて何度か技能を使えないか試してみたが、やはりまだダメだったことに焦る。

(す、少し・・・すっきりしたほうが・・・、いえ・・何を考えているの・・・。今更いきなり豊島さまを外に追い出すなんてことも・・・ダメ・・・変に思われるわ・・・。それに、まだお礼も一言も言えてないというのに・・・・!ああ・・こんなことになるなんて情けないですわ・・・)

ダメだとは頭ではわかっているが、佐恵子は丈の長いワイドドレープパンツの裾を太ももまでまくり上げ、手で下着の上から女芯を摩った。

(はぁああん・・)

声こそは我慢できたが、佐恵子は背中を反らせ、顎を突き出し快感に酔いしれた顔を上げた。

(こ、こんなの・・我慢できない・・。やはり一度だけ・・・んん・・!)

佐恵子はキッチンの床に膝立ちになり、下着の上から既に堅さを帯びた陰核を擦っていた右手を黒いショーツをずらして脇から指を入れて這わせた。

くちゅ・・。

「あぁ・・」

佐恵子は意図せず僅かに漏れた喘ぎ声に慌てて、左手で口を押えて塞ぐ。

(うぅ・・・気持ちいい・・)

声を出すまいと下唇を固く噛み、鼻を鳴らしながら右手を動かす。肩幅ほどに開いた膝立ちの格好で、おでこをキッチンのキャビネットに押し付け、あさましく右手をを動かし続ける。

照明も付けていない薄暗いキッチンに、卑猥な水音と、かみ殺した荒い息づかいだけが僅かに響き、発情した雌の匂いが充満しはじめた。

佐恵子の右手の動きが一段と早くなり、全身に力が入ったかと思うと、「うぐっ!はぁ・・ん!」と下唇を噛みしめ我慢していた口からは、堪えきれない嬌声が漏れ、膝でぐいぐいと床を擦り、脚の指は固くと閉じ全身をガクガクと小刻みに激しく震わせた。

「はぁはぁはぁ・・・うぅ!」

一度果てれば落ち着くと思っていたのは嘘である。そう思い込みたかっただけで、一度始めてしまうと次を求めてしまう可能性のほうが高いと佐恵子は最初から分かっていた。

キッチンの床に膝とおでこを付け、左手はトップスを捲りノーブラの薄い胸の突起を摘まむ。
パンツの裾から入れた右手は相変わらず股間をまさぐり、突起した陰核と濡れぼそった膣を交互に責める。

ワイドドレープパンツの右脚側はほとんど捲りあがり、右脚はほぼ露出している状態である。

(はぁはぁ・・こんなこと・・いけませんわ・・。豊島さまがリビングにいらっしゃるのに、早く戻らないと変に思われてしまいます・・・。・・でも・・あと一回・・あと一回果てたら・・)

「あぅ!」

甘美な快感が股間から腹部にまで広がり、あげまいと堪えている声が漏れてしまう。声が漏れると同時に、身体が痙攣しゴツンと頭をキッチンにぶつけてしまう。

これ以上声を出すと気づかれてしまうかもしれない、哲司も能力者なのだ。聴力強化をしているかもしれない。

そう思ってしまった瞬間、もともとマゾ気質な部分を持ち合わせている佐恵子の中でスイッチが入ってしまった。

気付かれるかもしれない。こんな姿を見られるかもしれないという濁った感情が、ハイオクガソリンとなり脳に流れ込んでくる。

普段は能力で付与をして精神強化を施しているが、その仮面を今は付けることができない。

せめて声は上げないようにと、浅ましくキッチンマットを噛みしめて、お尻を高く突き上げ、右手で膣内深くを中指と薬指を突き込み、股間の尖った性感帯の裏側あたりを激しく擦る。

キッチンマットをきつく噛みながら、鼻息を鳴らし佐恵子は哲司が来てから2度目の絶頂を自慰で味わった。


佐恵子が退室してから、自分で吹き出して汚してしまったテーブルを拭き終わり、さらに高そうな絨毯に付いてしまったコーヒーのシミを何とか落とせないか奮闘していたが、どうやっても無理なので正直に謝ることを決心した哲司はようやくソファに座りなおした。

「ふぅ・・・しゃあない・・。謝って許してもらうしかあらへん・・。しっかし、高いんやろなぁ・・これ・・まさかこの手触り、シルクか・・・?冗談やろ・・?冗談であってくれ・・絨毯やで・・?」

絨毯について詳しく精通しているわけではない哲司であるが、魚をモチーフとしたメダリオンデザインのウールとは思えない手触りの絨毯を摩りながら呟き、変な汗が噴き出してきているのを感じた。

「・・・しかし、遅いな・・。トイレにでも行ってるんやろか・・・。・・どないしよ・・。様子見てきたほうがええんちゃうか」

時計を見ると佐恵子が席を立ってからもう20分は経っている。

(さすがに長ないか・・?・・・ふむ、俺の仕事は護衛やし、なんかあってからでも遅いしな。声かけながらちょっと様子見に行くべきや・・・。はっ!新参者の俺がどの程度機転が利くのんか試してるんかもしれへん!絶対そうや!そうだとしたらしまったなぁ・・、ちょっと行動が遅かったかもしれへん!)

そう仮定すると哲司は立ち上がり、奥の部屋に向かって遠慮がちに声をかける。

「宮川支社長~・・・。いてますか?なんか問題発生ですかいな?」

暫く返事を待って耳を澄ましてみたが、全く反応はない。

「ふむ・・」

何かを捜索するときや捜査するときに、無意識に身体能力を上げてしまうのはもはや職業病であろう。

哲司は無意識に能力を使い五感を研ぎ澄ます。

(・・・・え・・?)

哲司は聞き間違いかと思い、無意識に発動させた能力向上を聴力に合わせ極限に研ぎ澄ます。

哲司の感覚では、この階層に人の気配は哲司ともう一人しかない。もう一人は言うまでもなく、さっきまでここにいた佐恵子であろう。

そう遠く離れていないところにその気配はあった。

(ふぅーふぅー・・んん・・くぅ・!んんん!・・・・はぁ!・・・ふぅー!)

安定していない呼吸音に混ざってほかの音も聞き取れる。服が擦れる音。粘着質な水音。何かがぶつかる音。呼吸の合間に混ざる嬌声。

「う、嘘やろ・・」

哲司は立ち上がった場所から動けずに、最初はそう呟くのがやっとだった。

自分の能力で得た情報はほぼ正確なのは、今まで経験で分かっていた。何せ間違うと生死にかかわることもあるからである。

それだけ鍛えているつもりでもあるし、自信もあった。

(・・しかしなんでまた・・・こんなタイミングで・・・?バレるやろ・・・?声は押殺してる?・・バレたくはない?・・うーん、わからん!・・しかし、こういうこと考えるんは野暮や・・。イレギュラーが起きた時ほど基本に忠実に任務のみに集中するんや。しかし・・、中島由佳子さんといい宮川支社長といい、何で俺はこういう現場に出くわす傾向にあるんやろか・・?)

数秒だけ考えたが佐恵子が何をしているのかが分かった哲司の判断は明確で早かった。

聴力強化を解除しその他を強化して佐恵子の周囲を警戒し、自分自身はソファに座りなおした。

それから更にちょうど2時間ほど経った。

最初に佐恵子が持ってきていたガラスのポットに入っていたコーヒーをちょうど哲司が飲んでしまったところで、佐恵子が部屋に帰ってきた。

「お、お待たせしましたわ・・」

戻ってきた佐恵子は、部屋から出て行ったときと比べると、顔色や雰囲気は幾分普段に近づいて戻っていた。

「お、支社長。お茶請けを待ちきれんで全部コーヒー飲んでしまいましたけど、よろしかったですか?って・・お茶請け楽しみにしてたんやけど、支社長、手ぶらですやん・・」

「・・・豊島さま。・・・ご心配おかけしました。もう落ち着きましたので・・。お茶請けはまた後で用意いたしますわ」

「どないされたんです?気分でも悪かったんですか?・・それは気づきませんで申し訳ないです」

「ふふ・・、豊島さま・・お優しいのですね・・」

佐恵子は頬を赤く染めながらも、先ほどよりも口調はかなりハキハキしている。

「え、ええ、俺優しいんですわ。たぶん、菊一事務所で一番やとおもいます。ははは」

「・・・本当に、私にとっては実際そうだと思いますわ」

佐恵子はそう言いながら、哲司の向かいのソファに腰を下ろす。

「先日のこと、きちんとお礼を言いたかったのですの・・。本当にありがとうございました。私自身の過信から、あのような窮地に陥ってしまいましたわ・・。豊島さまたちが来なければ今頃私は連れ去られ囚われていたでしょう。・・・正直に申し上げますと、あのとき菊沢様の奥様から応援の人員があると聞いたときは、能力者が多くいるという事には驚きましたが、はっきり言って戦力としては期待していなかったのです・・。いまはその思い込みの軽率さに恥ずかしい気持ちでいっぱいです」

「ええんや・・。宮川支社長。そうやって思えただけであんたの中で何か得たもんがあったんやろうし、結果的に俺ら事務所の人間も優遇してくれるみたいやし、ええことばっかりですわ」

「・・ありがとう」

佐恵子は哲司に素直にそう言うと俯き黙ってしまう。しかし、直ぐに顔を上げ思い切った様子で哲司に言う。

「豊島さま!・・豊島さま・・・あの・・今私は能力が回復してます・・。えっと、きちんと説明いたしますわ・・・。私は能力を使い過ぎると回復に少し時間がかかるのです。その間、護衛を必要としますが、いまはもう能力をほとんど使えます・・・。その・・えっと・・、つまり今は豊島さまの感情も見えてしまうということなのです・・・!」

佐恵子は前かがみになり、顔を赤くして哲司の反応を待つ。

「え、ええっと。ほ、ほな今後も気ぃつけて警護の任に当たった際は頑張りますわ。そ、それと・・俺の感情ですか・・・?」

「ええ、菊沢さまから聞いてはおられないのですか?」

「少し聞いてはおるんやけど・・けど、嘘を見破るとか、もしかしたら人を操作するとかそういった能力かもしれへんって、あくまで推測の範囲の話ですわ・・・」

「そうですわ・・概ね合ってます。そのうち詳しくご説明する機会もあるかと思いますが・・、いまは、私の【感情感知】のお話を致しますね。・・・【感情感知】は視界に入る人の感情がどのような状態か色で視認する能力ですわ。わたくしのパッシブスキルで意識してないと常時展開してしまうので、便利なようで案外うっとうしく感じるときもあるのですが・・・、その・・えっと・・・いま、豊島さまの感情も・・丸見えでして・・うれしく思ってはおりますが・・恥ずかしくもありますし・・・その、聞いてみてもよろしいですか・・?」

顔を真っ赤にした佐恵子は、上目遣いで哲司に問う。

「え??聞くとは?ええですけど、なにをですか?」

「さっきの私の姿を見ました?」

「・・といいますと」

佐恵子の目に映る哲司の感情色に変化はない。

見ていないということだ。

「ま、まあ!で、では・・聞きました?私のあのときの声を!・・私が退室している間に私が何をしているかわかりましたか?」

「え?ええええ?えっと!それは、その、あのう、わかりません!!」

哲司から発せられていた感情色が激しく変化する。発言に嘘があると明確な変化が見て取れる。

「ううううう!!と、豊島さま!見えるとお伝えしましたでしょ?!・・・豊島さま恥のかきついでに知っておいてください!・・私オーラが枯渇すると、そのう・・我慢できなくなってしまいますの!今日のことは豊島さま・・!お墓まで誰にも内緒で持って行ってくださいませ!約束してください!」

「は、はい!や、約束します!俺、最初にも言いましたけど信用できる男ですから!」

真っ赤な顔を両手で押さえながら、はぁはぁと息を切らせ、言い切った佐恵子は豊島の発言を聞き、指の間から覗き豊島のオーラを見る。

「ま、守っていただけそうですわね・・・」

「当たり前ですわ。言われんでも誰にも言うつもりありませんでしたし、支社長にお願いされたらなおさらですわ。安心してください」

「・・・本当に守っていただけそうですわね」

「二言はあらへんですわ。安心してください」

「・・・・見えてます・・。・・いいのでしょうか・・。もう一つ聞いても?」

内緒にしてくれるということと、もう一つ明確な哲司の感情が見えている佐恵子は、幾分落ち着きを取り戻して、ひと呼吸おいて問いかけた。

「なんでも聞いてください。支社長には隠し事はできないみたいやし・・。ほな、けど、俺にとっては、それってたぶんあんまり関係あらへんかもしれません」

「本当に・・・わたくしでよろしくて・・・?」

「もちろんです。俺のほうこそですわ。支社長が駄菓子屋の娘だろうが、財閥の令嬢であろうが、宮川さんは宮川さんや・・・。初対面の時からインスピレーションでずっと見てしもうてましたわ。‥さすがにそうじゃなかったら、白刃取りなんかできんかったと思います。でも、支社長、見えるなら俺の気持ちって最初から気づいてたんとちゃいます?」

「ええ、でもすぐ枯渇してしまったので・・すぐ見えなくなって確信がもてなかったのです。あああ・・・。ブレない・・そんな恥ずかしい発言をしてるのに色がブレてませんわ・・。こちらこそよろしくお願いいたしますわ・・。・・・今後はお名前でお呼びしてもよろしいですか・・?」

前のめりになり哲司を伺う佐恵子を哲司はテーブル越しに抱き寄せ、肩を抱くと唇を重ねた。

【第8章 三つ巴 25話 不器用で実直な2人 終わり】第26話へ続く



筆者紹介

千景

Author:千景
訪問ありがとうございます。
ここでは私千景が書いた小説を紹介させて頂きたいと思います。
ほぼ私と同年代の既婚者が主役のものになるかと思います。登場人物同士が
つながりを持っていて別の物語では最初の物語の主人公が脇役を務める様な
小説全体につながりを持たせ想像を膨らませていけたらと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します

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