第8章 三つ巴 21話 気の合う美女2人と光る眼鏡
世間は3連休で、駅前を行き交う人々は普段とは少し様相が変わり、家族連れなどが多い。
究極のホワイト企業を目指す宮川コーポレーション関西支社は、無理な休日出勤や残業代が支払われないなどと言うことは絶対にない。それだけでは不十分だという支社長の思いは更に高見を目指し、あらゆるマニュアル業務改善、時間差出勤を取り入れ限りなく残業、休日出勤をなくしていた。
しかし、何事にも例外があり、神田川真理は今日も出勤していた。数日業務に穴をあけたせいで、その穴埋めを余儀なくされているのだ。
「・・・・このメールを送って、返事待ち・・っと」
広いオフィスの自分の席で、鼻唄交じりにマウスをクリックした真理が、椅子に座ったまま、両腕を伸ばして背伸びした。
運輸部門から、日本各地に散らばるデポの施設及び設備の充実の要望が、数か月前から急増していた。
その処理が中途半端になっていたので、目的のついでに各相手方にメッセージを投げ返しておく。
宮コーはやる気のある女性社員の中途採用も多い。その場合、運輸部門、もしくはサービス部に配属されることが多いのであるが、どちらも女性比率が上がってきたため、上がってくる要望も変化してきていた。
特に女性でも高収入を得ることができる運転手、いわゆる長距離ドライバーの女性比率が8割ほどにもなってきてしまったので、出てくる要望が変化してきたのである。
各地にあるスーパー銭湯や、お上からの払い下げ物件の年金会館を改造した宿泊施設を各地に所有しているネットワークを生かし、民間にサービス提供と同時に、ドライバーを務めている社員の福利厚生の場所として、格安で食事や入浴、宿泊もできるようになっている。
「保育施設の併設を・・・か・・。昔みたいに、離婚さえしなければ生きていけるってわけじゃないってことね・・・わが社はシングルマザーの受け皿みたいになちゃうわね・・」
誰もいないオフィスで、独り言を呟きながら、「それもいいことね」と思い、隣の支社長室まで歩くと扉を一応ノックする。
当たり前だが、何の返事もない扉のノブに手をかけ開く。
今日も出勤するとは言っていたが、佐恵子はまだ来ていない。
「佐恵子のオーラ、空っぽしてしまったから、なかなか大変でしょうね」
真理はオーラが枯渇したときの佐恵子の発作を思い出し、複雑な表情になる。
「付与効果は1日・・。今日の早朝には切れたはずだわ・・。上書きできるオーラも回復していないはず・・」
佐恵子の机の上に、報告資料をドサリと置き、承認必要書類と報告資料を分け、見やすいように並べていると、整った美貌に意地悪な笑みを浮かべそうになり口角があがる。
佐恵子の顔の傷を治すため、真理のオーラだけでは足りず、佐恵子のオーラも大量に消費したのだ。最後は佐恵子のオーラもほとんどなくなってしまったのだが、佐恵子のオーラは全部使い切ってしまった。
佐恵子は冷静付与を自身に常に施している。そうしないと、佐恵子のように精神を複雑に操作する能力は集中が難しいためだ。しかも佐恵子はベース部分になる、一定量以上のオーラが回復していないと、うまく能力が発動できないという特徴を持っている。
枯渇状態で冷静付与を上書きすることもできずにいる、佐恵子のことを想像すると、整った美貌に意地悪な笑みが綻んだ。
(今頃は、大変な思いをしているのかしら・・・ふふふ・・・しかし、普段がお堅いのですから、たまには思いのままに耽れば良いのよ佐恵子)
真理が、このように心の中で呟いた理由は、佐恵子は体内からオーラが『空』の状態になってしまうと、普段は微塵も見せない、性欲が無意識に沸き上がってきてしまい、無性に身体が熱くなってしまい、どうしようもなくなると言う弱点がある事に由来している。
そんな真理の最大の特徴は、その知性や美貌ではなく、脳内でどんなことを考えていても、その外面は清楚且つ知的に見えることだろう。
佐恵子の【感情感知】にも目立った変化は捉えられず、実際にどんなことを思考しても、感情のブレはほぼない真理にとっては、そのセンサーはザルに等しかった。
佐恵子の前で、唯一嘘を見破られない人物である。
今の真理が浮かべた笑みも、世の中の男性諸君にもし向けられたとしたら、好感を持たれていると勘違いすらするであろう会心の笑顔であった。
「加奈子が階下に待機してるから、何かあっても大丈夫でしょうしね・・」
自宅のマンションで一人身悶えているであろう、佐恵子を想像し、一応心配を口にすると、飲み終えたコーヒーカップを塵箱に捨て、今日出社した本来の目的の場所に向かう。
「菊一探偵事務所の皆様のお引越しは、捗っているかしら」
エレベーターホールまで来ると、5階とかかれたパネルをタッチし、呟いた。
休日の支社は物静かなはずなのだが、5階のホールは、いつもとは違う声が飛び交っていた。
「それはこっちやねん!モゲ!お前自分の机だけしか運んでないやろ!」
ニコラスケイジ風の、三出光春ににツッコんでいるは、副所長の豊島哲司。
「なんやて!ちょっと休憩してただけやないかい」
と、悪態をついたのが、モゲと呼ばれている三出光春。
「ひろーい!吹抜けも外の景色もすごいわよ!」
元気で活発そうな明るい女性が、斎藤アリサ。菊一探偵事務所には、斎藤姓が2人いて、もう1人の斎藤、斎藤雪は、現在、療養中。
こちらの方は、斎藤アリサ。
「ここが今後僕達の城になるんですね!」
この眼鏡をかけた、芸術肌の男が、北王子公麿。
「それよりこっちみた?!化粧室とかシャワー室まであって凄いわよ!こっちこっち」
そして、新しい事務所の設備に、アリサ同様おおはしゃぎの寺野玲華。
一通りデスクやキャビネットをフロアまで持ち込んでもらったところで、広い空間でにわかにはしゃぎ始めた面々を見ながら、美佳帆は大声で提案した。
「ちょっとみんな聞いて!アリサ!走らないの!・・・いったん休憩しましょう!」
美佳帆は1Fに入っているコンビニで買ってきた袋を、みんなに見えるように高く持ち上げ手を振る。
みんなに飲み物を渡し終えた美佳帆に向かって、宏が話しかける。
「慣れるまで大変やな・・・。俺向こうに出勤してしまいそうやわ」
美佳帆が振り返ると、無理やり機嫌が良さそうな声で言う宏の隣に腰を下ろし、ペットボトルのお茶を渡す。
「しかし、よかったな・・。事情聴取はたまらんかったけど、お嬢を助けてくれてたんは感謝の言葉しかないわ」
「ええ、お嬢も色々あったみたいでずいぶん落ち込んでいるけど、命があって何よりだったわ・・。もう少し病院で安静させるつもりだけど、五体満足だし、あとは日にち薬ね・・・」
「そうか・・」
受取ったお茶のペットボトルを握ったまま、宏はそう言うと目を伏せた。
「宏のせいじゃないわよ。そういう危険も承知でみんな集まってくれてるんだから」
できるだけいつもの口調で、気にしないように答えたつもりであったが、宏は一言「そうやな・・」と力なく答えただけであった。
スノウも自宅で休養させてある。ぽつりぽつりとは美佳帆にだけは事情を話してくれたが、力でねじ伏せられ、張慈円によって、身も心も屈服させられ、快楽に負けてしまった自分を責め恥じていた。
あの動画を見てしまったので、何をされたのかは大体わかっているのだが、動画以外のところではそれ以上のこともあり、スノウ自身も気丈ではいられないところまで追い込まれたのであろう。
あの好色蟷螂の張慈円である。おそらく、お嬢こと伊芸千尋もスノウ同様に、同じ目にあったのであろう。霧崎美樹というエリート捜査官がアマンダという、橋元が所有しているホテルに強硬捜査に踏み切ってくれたおかげで、助け出し保護してくれていたのだ。
昨日、霧崎さん同席のもと、宏と二人でお嬢と再開を果たしたときの、お嬢の衰弱した目が忘れられない。
宏もその時のお嬢の表情を思い出したのだろうか。サングラスのせいで表情はよく読めないが、横顔には責任を感じているのであろう哀愁が漂っていた。
今回の宮コーとの商談も、スノウやお嬢の件があったから、宏は自分の信念を曲げてまで宮コーに吸収という形でも飲んだのでしょうね。
たしかに、ここなら宮川屈指と数えられている能力者がすでに3人もいるし、もう一人補充が来るとも聞いている。
建物のセキュリティも異常と呼べるレベルであり、自社で警備会社も経営しているだけあって、自社警備員が駐屯巡回してて、各階に監視カメラ、要所には赤外線センサーまである。
警備部門の社員も形だけではない。有名民間警備会社とは違い、全員が元レンジャーや、格闘技の選手で、質実剛健な人員を揃えており、彼らの身元調査もしっかりと行われていると聞いた。
単純な戦力の増強と言う面では、菊一も宮コーも利害が完全に一致しているという訳ね、などと考えていると、モゲが近くまでやってきた。
「所長、美佳帆さん。俺、自分の荷物は大体運びおわってるから、お嬢のお見舞いにいってもええかなあ?」
「ええ、いいわよ・・。でも女の子のお見舞いなんだから、面会断られたら、おとなしく帰ってきなさいね?」
「な、なんでや・・。俺がお見舞いに行ったら断られるかもしれへんて?まさかお嬢にかぎって・・」
モゲが憤懣な声を上げたため、美佳帆は嘆息気味に窘める。
「あのね。病院のベッドで、パジャマで休養してるのよ?髪だってお化粧だって、ちゃんとできてないかもしれないでしょ?だから、お嬢が会いたくないって言ったらおとなしく帰ってくるのよ。って言ってあげてるの。わかった?」
かみ砕くように言いながらも、語尾が強くなっていった為、モゲはタジタジになりながら、
「わ、わかったわ・・。ほな、とりあえず、いってきてええな?」
「お見舞い何か買って行きなさいよ・・?あー・・やっぱり、姫も一緒に行ってあげて。姫―」
送り出そうとして、少し考えると美佳帆は手招きして姫を呼ぶ。
「うん。聞こえてた。私も行くよ。モゲだけだとデリカシーなさそうだしね」
「そういうこと、お願いね、姫」
「ま、まあ、ええやろ。ほな、姫。はよいくで」
「うるさいわね。お嬢のことになると、すぐ熱上げるんだから。じゃあ美佳帆さん行ってきます」
エレベーターのほうに、いつものように言い争いをしながら歩いていく二人に、手をひらひら振っていると、エレベーターの扉が開き、神田川真理が扉の向こうから現れた。
乗り込もうと歩んできたモゲと姫ににこやかに挨拶をし、エレベーターの扉が閉まらないよう、丁寧に二人を送り込んだ後、此方に会釈しながら神田川真理が歩いてきた。
「お疲れ様でございます。菊沢さん」
一連の所作がなんとも女性らしく、かつ優雅で自然な振舞いである。少し離れたところから、澄んだよく通る声で挨拶をしてくる仕草や佇まいは、上品で清楚を体現すると、こうなりますよというお手本であった。
休日だと聞いていたが、いつも通りキリッとした身だしなみで、ダークスーツに薄い緑のブラウスがよく似合っていた。
(はぁ・・。あれで仕事も出来て、戦闘もできる優秀な能力者・・か。宮川さんじゃなくても、近くに侍らしたくなる気持ちもわかるわね・・)
此方に歩いてくる神田川さんに、少し見とれてしまいながら神田川さんに会釈する。
「ええ、神田川さん。運送屋さんまで手配していただいたおかげで助かりました。私達大所帯ですし、一人一人の荷物が・・ほら・・。大変・・」
美佳帆がフロアに置かれた、大量の荷物を指さし真理に苦笑いで返す。
「真理でけっこうですよ。・・当社は運送業もやってますからね。このぐらいの量なら全く問題ありません。もしよろしければ、明日、手の空いている者に手伝わせましょうか?」
「じゃあ 真理さん、私のことも美佳帆で結構です。いえいえ・・・これ以上、御社のお世話になっちゃったら気の毒ですよ
お互いににっこりと笑顔を返しあい、真理の親切な提案を、手をぶんぶん振りお断りする。
「ふふ、美佳帆さん。もう御社じゃないんですよ?当社・・です」
人差指を立て、牡丹の花が綻んだようないい笑顔で、真理が美佳帆に答える。花の香までしてきそうだ。
(うわあ・・・。これ男性ならひとたまりもないんでしょうね~うちにも、クラクラ~ときちゃいそうなのが居るわ・・・)
「そ、そうね。当社ね・・。慣れなきゃいけないわね。使えるカードが増え過ぎたから、整理しないと・・・じゃあ、お願いしようかしら」
真理のキラースマイルに心底関心しながらも、宮コーのもってる手札がすべて使えるようになったことを再認識する。
「ふふ、承知しました」
そう言うと、スマホを取り出し連絡している真理を眺めながら、再度頭を整理する。
真理さんたちも、私達の戦闘力や能力を把握したいはず、どんな仕事ができるのかとかも当然知りたいはずなのだ。
(お互いにどんなカードがあるのか、真理さんと一度じっくり話す必要があるわね)
「明日5名ほど警備の者がお手伝いに上がります。こういう社員証を下げてますので、それで確認してくださって使ってやってください」
真理はスマホをベストのポケットにしまいながら、ストラップのついた自身の社員証を胸ポケットから出し、美佳帆に見せながら言った。
「配慮感謝します。・・・それと、真理さん、今度お酒でも飲みに行かない?」
「ええ、喜んで。このあたりですと、美佳帆さんたちのほうが詳しそうで、いいところ、教えて頂けそうですね」
二人の美女が、打ち解けだし、声のトーンが上がっていった。
美佳帆と真理とのやり取りを、遠目で観察していた画伯こと北大路公麿が、和尚と呼ばれるには程遠い風体の豊島哲司に話しかける。
「あ、あの方は誰です?先日の一連の騒動のときの話に出てきた方ですか?」
「そやで、神田川真理さんちゅうんや。何回か事務所にも来てたみたいやけど、画伯は面識なかったんか?」
哲司は自分のデスク周りの荷物を整理しながら、画伯に答えたのだが、画伯の返答がないのでどうしたのかと思い、画伯のほうを見る。
そこには、美佳帆と真理が話している様子を眺めて眼鏡を光らせ、口を開けた画伯がいた。
「おい画伯!どないしたんや?」
「はっ!・・・いえ、どないもしません」
哲司の問いかけに、ボケーとなってしまっていたことに気付いた画伯は、極力平静を装ったつもりで答えた。
「画伯、真理さんに目を付けたのー?!美佳帆さんも見てたくせにー!」
「うわあ!」
違う方向から、予想外の質問を浴びせられて、画伯は声を上げてしまう。
天然こと斎藤アリサに急に大声で指摘され、否定しようとアリサに向かって一言言おうと眼鏡を直し向き直ると、哲司がやれやれという口調で
「なんや、画伯・・・。神田川さんにも眼鏡光らせてしもうたんか・・。ほんまにお前は節操がないやっちゃな・・。でも、言うとくぞ。美佳帆さんはもちろんやけど、あの神田川さんも画伯が勝てる相手やないで?綺麗な花には棘があるっていうし、それに、俺らは一応ここの中途採用の新入社員や・・。神田川さんは秘書主任で支社長の側近や、随分役職が上やから気つけなあかんで?」
副所長らしく哲司が画伯にそう念を押し、ペットボトルのお茶を口に含んだとき、天然アリサが大声で哲司に聞いてきた。
「ねえ!麗華ちゃんの話だと和尚も社長になにか渡されてたみたいじゃない?!」
「ぶーーーーーー!」
哲司は飲みかけていたお茶を盛大に吹き出し、ゴホゴホとむせた。
哲司と画伯、そしてアリサがギャーギャーと騒いている様子を美佳帆と真理は並んで眺めながら
「みなさん仲がよろしいですね」
「あの馬鹿ども・・・」
真理と美佳帆は、対照的なセリフと表情で3人の漫才を眺めていた。
(うちは既婚者も多いので、色恋沙汰で、学生のように騒がれたら、コンプライアンスの厳しそうな宮川コーポレーションさんの顔に泥を塗るわ・・・)
と声に出さずに心の中でそう呟き、美佳帆は真理の、顔を見て苦笑いをした。
【第8章 三つ巴 21話 気の合う美女2人と光る眼鏡終わり】22話に続く