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第8章 三つ巴 26話 裏切りの発覚

第8章 三つ巴 26話 裏切りの発覚


「やはりクロでしたか」

「ええ・・、粉川さん、杉さんの奥様の消息がつかめません・・。周囲には実家に帰ったと言っているようですが・・・」

「その実家に帰省の形跡はないのですね」

「そのとおりです・・」

支社に戻ってきた神田川真理は5階の調査部に直行し、調査部部長代理と話していた。調査部と言っても本日デスクなどを置いたばかりの部署で、もともとは菊一探偵事務所に所属するメンバーたちで構成された部署だ。

過去の調査資料や、私物の荷物も多かったのだが、黒を基調とした新品のデスクやキャビネットなどが整然と配置されており、私物等はそれらの中に納まっているのであろう。

部署の見た目は新設同然で、文具や備品の真新しいにおいがしていた。

力仕事を終えた美佳帆以外のメンバーは1階にあるカフェで福利厚生の恩恵を受けているところだ。

美佳帆はというと、部署のカウンターの外側に設置されている応接セットで、宮川コーポレーション関西支社にいる能力者3人のうちの二人、つまり神田川真理と稲垣加奈子に向かい合って座っていた。

美佳帆は、真理が加奈子を伴って帰社する前に、宮コーの警備部門の人員から、大塚のマンションに配置されている杉誠一、粉川卓也の調査報告を受けていた。

真理からの指摘、そして美佳帆も予想していた通りの調査結果だったとはいえ、さすがにショックが大きい。

「どうするの?真理」

「速やかに解決するべきね。佐恵子に相談してからになりますが、やはり水島さんには消えてもらいましょう・・。大東さんや岩堀さんの意向もありますし、うちの調査部となったからといって、合併前に引き受けた仕事内容を反故にしないことは、先日の契約書にも記載があります」

「ふむふむ・・・。水島って人がどういう人か知らないけど、支社長ならいろんな選択肢を持っているのです。水島さんにとってはいいことは何にもなさそうですけど・・」

加奈子が真理に問いかけ話にでた水島に話が及ぶと、それに美佳帆が答える。

「ご心配なく稲垣さん。水島という人物は死んでもしょうがない悪人です。うちの調査でも出てますが、それは間違いありません。こちらに彼の悪行を記載した資料があります」

「あー・・・っと、加奈子と呼んでくれていいですよ。私も、えっと・・美佳帆さんと呼ばせてもらいますので。さっきから真理のことは真理と呼んでますし、私だけ苗字で呼ばれると、私だけ溝があるみたいに見えるじゃないですか」

「実際にそうなんじゃない?・・・・冗談よ」

美佳帆が資料を加奈子に渡し説明をしようとしていると、加奈子がやや不満そうな抗議をしだしたので、真理はわざと真顔で、加奈子に少しだけ意地悪な注意をする。

「ふふ、お二人はいいコンビなんですね。大丈夫ですよ。全然気にしてませんから。じゃあ遠慮なく加奈子さんと呼ばせてもらうわね」

美佳帆は真理と加奈子のやり取りを微笑ましくみてから、加奈子に向き直り笑顔で言う。

「・・・真理は手厳しいのです・・。どうぞ、どうぞ社内だとガッキーとか加奈子って呼ばれることが多いのでそのほうが落ち着きます。こちらこそよろしくお願いしますね。美佳帆さん」

加奈子は真理に非難めいた視線と抗議を送ったあと、美佳帆に笑顔で挨拶をする。

「それで、その大塚さんって刑事さん達にはもう今後情報流さないの?」

「それだと人質になってる粉川君や杉君たちの奥様の命の価値が無くなってしまうわ」

「かといって、本当の情報を流せない・・・。ですので、できるだけ早くに手を打つべきです。この間の捜査官にも仕事をしてもらいましょう」

加奈子の発言に対して、美佳帆が返し、真理が提案する。

美佳帆、真理、加奈子の3人は徐々に打ち解けだし、状況の把握と今後の方針を検討しだす。もともと頭もよく理解度の高い3人の会話はスムーズに進む。

「えっと、霧崎さんですね?」

美佳帆は先日、お嬢こと伊芸千尋の身元引受の際に霧崎美樹には会っている。

「ああ・・、あの爆乳捜査官」

霧崎美樹は美人ではあったが、いかにも官僚的なエリート然とした態度の女性で、美佳帆は彼女に対して生真面目なイメージをもっていた。それだけに、加奈子の爆乳捜査官という発言に思わず吹き出してしまう。

実際に美佳帆が会って話した時も、スーツのジャケットにはきつそうに胸が納まっていたことを思い出し、口を押えて笑いを堪える。

「そうです。門谷さんにあの夜以降調べてもらっていたのですが、本来、霧崎美樹は警察組織を監視監督する立場のようです。今はここの府警察の腐敗や癒着問題で本庁から派遣されてきているようで、政府直轄組織が動いているということは、府警察と張慈円、橋元一味はすでに限りなく黒と疑われ狙いをつけられているとみて間違いないでしょう」

加奈子のそういった発言はいつものことなのであろう。真理は気にせず霧崎美樹についての説明を始める。

「・・・じゃあ、今回の橋元がらみごとは完全に爆乳捜査官の仕事ってことね」

「そう、おそらく些細な情報提供でも動くはずよ。でも水島の件は、霧崎さんに連絡を入れる前に処理しないといけないわ」


加奈子の発言に真理が答え、加奈子が表情を曇らせる。

「大丈夫かな・・」

水島を処理するということは、支社長に相談し、なおかつ支社長の能力を使用するということであり、それらを懸念した加奈子の発言と表情であった。

「状況は一刻を争うわ。門谷さんを通じて霧崎美樹のほうには加奈子のほうから当たってもらえる?門谷さんが万事うまくやってくれるはずよ。佐恵子には無理をさせてしまうかもしれないけど、私から連絡しておくから」

「ありがと―真理・・。支社長疲れてると機嫌悪いし怖いのです。今日も部屋にも入れてくれなかったし・・・、仕方ないから入口で待機してるしかなくて、だから支社長が飼ってる鯉に、ついいっぱい餌あげちゃいました」

「まあ、ね。佐恵子の方には私が話するから、その代わり門谷さんと上手く連携して霧崎美樹にコンタクトして」

佐恵子の症状を詳しく知っているのは真理だけなので、加奈子は佐恵子が唯々機嫌が悪いだけだと思っている。苦笑しながらそう言う真理に向かって加奈子は「まかせておいて、門谷さんと仕事すると楽なのよね」と返事を返している。

「えっと、真理さん。和尚っていま宮川支社長のところにいるんですよね?なにか粗相して宮川さんを怒らせてないか心配になってきちゃったんですけど・・・。彼、真面目でいい男ではあるんだけど、場合いよるとすごく怒らせる可能性も否定できないというか・・」

「豊島さんがですか?・・・私の勘では大丈夫だと思いますよ。うふ・・・、むしろ佐恵子は豊島さんのことすごく気に入るんじゃないかと思ってるぐらいです」

「真理さんがそう言うなら、大丈夫な気がしてきましたけど・・。なんせうちの所長はなにかと宮川さんに突っかかりそうだから、副所長の和尚まで宮川さんに睨まれるとさすがに・・」

美佳帆の所員や周囲との潤滑剤としての気苦労を察して、真理はくすりと笑うと、美佳帆に労いの言葉を掛ける。

「美佳帆さんは気苦労が絶えませんね」

「あ、それ初めてここの2階で真理さん達と会談した日に、私が真理さんに対して思ったことと同じですよ」

「・・お互いに気苦労が絶えませんね」

真理と美佳帆はお互いに顔を見合わせ、苦笑いをし合う。そのすぐ隣で、「わたしにもいろいろと気苦労ぐらいあります」と呟く加奈子の口は少し尖っていた。


繁華街にあるドットクラブという怪しげなラブホテルの一室で、ここ数日で起こった出来事の報告が行われていた。

「健太の奴が捕まったんはしょうがないですなぁ。あいつはそのうちドジ踏みよると思っとったからな。それが思いのほか早かっただけとして・・・」

張慈円の報告に橋元浩二が豪快に笑いながら言い放つ。

「しかし、これはかなりの失態やなあ。宮コーの人質の社員二人取り戻されて、オルガノも港倉庫もアマンダもたった2日で失うとは恐れ入りますなぁ。あのクソ探偵事務所の仕業か?こんな複数個所を同時に波状攻撃できるほど人員が多いのですか?張さんよ?どないや?あのクソ探偵事務所には覗き屋がいてるんやろ?この町でこの私にほかに逆らうやつらは誰ですかいな?せめてその辺はしらべてあるんでしょうな?」

橋元は3人掛けのソファに一人だけどっかりと座り、周囲を囲む面々に向かって鋭い視線を飛ばす。

ソファに座る橋元の足元には全裸の女性が首輪を施され、四つん這いになり橋元の股間に顔を埋めている。

女性に嵌められている首輪はリードが付けられており、リードは橋元の左手に握られ、首輪には南京錠が嵌められていた。

全裸の女は張慈円、劉幸喜、アレンに臀部を突き上げて見せつけるような恰好であったが、それを恥じらう様子もなく橋元の股間に顔を埋め、チュパチュパと淫卑な音をさせている。

全裸の女性に自らの男根を口で奉仕させながらも、豪快に笑ってはいたが橋元の目付きは鋭い。

その目付きに対しても、さすがに張慈円は気圧されることもなく、報告を続ける。

「宮川のやつらです。昨日16時頃にオルガノに能力者3人で強襲を掛けてきました。調べでは宮川佐恵子、神田川真理、稲垣加奈子の3名です。こいつらは所謂、宮川の一人娘の派閥で、宮コー本社では少数派ですが、いずれも宮コー10指に入る能力者です。オルガノには私が念のために配置しておいた劉しか能力者はおりませんでした。・・・今更言っても仕方ありませんが、宮コーの社員を攫ったのに少し手薄すぎましたな?」

張慈円の報告には些か橋元の油断と手抜かりを指摘するものであったが、橋元はその指摘ではなく、別のことを思い出して、股間に顔を埋めている女の髪の毛を掴み、乱暴に股間に押し付けた。

「あの小娘ですか!せっかく私自ら足を運んでやったちゅうのに会いもせず門前払いかましおった。この町で私を無視してあんなドでかい仕事を独り占めしようちゅう魂胆が卑しいですね。あのすかした小娘も私の目の前に連れてきて己が雌であることを、この刑事みたいにわからせてやらな気がすまんですなぁ!あの時、どないかして10分でも膝付合わせて会うておけたら、ここでワシの一物しゃぶっとるんはあの宮川のガキだったかもしれんちゅうのに!」

「むぐうう!!」

橋元に髪の毛を鷲掴みにされ、男根を喉奥に突き刺された神谷沙織は苦しそうに嗚咽を上げながらも、その表情は恍惚としており雌の顔そのものである。

橋元の能力は【読心】と【媚薬】。戦闘能力は一般男性に毛が生えた程度だが、財力と巧みに【読心】を用いた類まれなカリスマでこの町を裏から牛耳っている張本人である。

橋元の前に引きずってこられた神谷沙織は、最初は気を強く持ち気張っていたのだが、能力者ではない神谷は【媚薬】にはほとんど抵抗できなかった。

【媚薬】の発動条件は、対象女性性感帯の凝視のみ、脱衣状態が望ましいが、着衣状態でも効果は発揮するという女性殺しに特化した凶悪技能である。

神谷沙織は着衣状態で【媚薬】に晒され10分もしないうちに、自ら服を脱ぎ、橋元を誘惑挑発する有様であった。

20分後には、全裸で自ら股を開き自慰まで披露して橋元にスマホで撮影されながら逝き姿を晒すほど、女の部分を完全に狂わされていた。

神谷沙織が普段真面目ぶっているだけで、実はふしだらな淫乱女だったということではない。

【媚薬】は女性であれば耐えられるようなものではない。一度掛けられると発情期の雌猫のごとく身体が火照り形振り所構わず男根を求めてしまうのだ。

SEXや自慰で一時的に火照りを抑えたとしても、【媚薬】の能力が解除されるわけではない。個人差はあるが一定時間経過すると、再び発情期の雌状態に戻されてしまう。

解除方法はかなり限定されており、方法は二つある。一つは橋元とのSEXで橋元の男根で膣内に射精を施されるまで、この発情地獄は続くのだ。

しかも、【媚薬】は重複可能な能力である。橋元に貫かれ射精をさせる為、無防備に身体を開いている間に、対象の雌は更に十重二十重に【媚薬】を掛けられてしまう。

橋元がその対象女性を開放する気がない場合は【媚薬】からの脱出はほぼ不可能となってしまうのだ。

故に橋元は対女性に対しては無敵に近い能力を備えており、しかも、相対する女性は敵に身体を開き続けるしか解除方法はないという屈辱的な敗北をし続けることになる。

もう一つの方法は橋元にオーラを使えない状態に追い込むしかない。つまりは、気絶や殺害というところだ。

神谷沙織はその【媚薬】の効果を受け、男根が欲しくて仕方ない雌にすっかりと変えられてしまっていた。

張慈円たちのほうに向けられている神谷沙織の秘部は、普段の彼女ではありえない量の愛液で濡れ、愛液は両方の鍛えられている白い内腿をししどに濡らし、床の絨毯の上に滴り落ちていた。先ほどから神谷自身の右手で陰核や蜜壺を激しく弄り、自慰を続けながら、口と左手を使い橋元の男根に尽くしている。

本来なら神谷沙織のような真面目な女性は、好色蟷螂である張慈円の大好物なのだが、目尻を吊り上げた厳しい表情で淡々と報告を続ける。

「あとは政府の公安も動き出している。霧崎という女捜査官が手下をつれて町中を嗅ぎまわっております。更に、先日港倉庫には、霧崎ら公安の連中、宮川の3名、菊一事務所の連中も3名が偶然かもしれませんが、ほぼ同時に強襲してきました。さすがに俺たちだけでは対応しきれずです。・・アマンダを強制捜査に乗り出したのも霧崎ら公安の連中です」

「張さん、さすがにそれはまずいなあ。3つの組織に私らが狙われては如何に張さんの腕が立ってもどないもならんでしょう?・・なんぞ手は持ってるんでしょうなあ?」

橋元は神谷沙織の喉を甚振るように突き上げながら張慈円を試すように問う。

「・・・菊一には警察の覗き屋から情報が入っております。今晩、覗き屋二人ともが水島を見張っているマンションから離れて、代わりに菊沢美佳帆一人が見張りに付くとの情報が入っております。・・・こちらも手傷を負ってはいますが、まさか襲ったすぐに襲い返されるとは思ってないはず・・・菊沢美佳帆を拉致し、脅して菊一事務所を黙らせることはできるでしょう。ついでにこの際、囚われている水島も消しておきます」

「水島はんは張さんの言う通りそうしたほうがええな。それよりあの菊沢美香帆か!この私をだまくらかして上手く逃げおおせた豊満女狐め!うはははは、あの女、私の【媚薬】を喰らったままですからなぁ!想像するだけでたまらんですなぁ。訳も分からず身体がうずいて、旦那にも言えずおそらく一人でオナニーしまくっとるんやろなあ。張さん、わかってると思うが生け捕りにして連れてきてや?私は昔から、羽田美智子が好きなんは、知ってますやろ?あの羽田美智子似で能力者であの身体やで、たっぷりと仕込み甲斐がありますわぁガハハハッ!!」

「・・・わかりました」

「それまではこの刑事で我慢するさかい。この刑事は飽きたら【媚薬】重複させて開放するんもおもろいかもしれへんなぁ。真面目ぶっとったから、いきなりヤリマンになって周りに驚かれるやろな。ガハハハッ!」

橋元の油断から警備が手薄となりこのような事態になったとはいえ、張慈円自身も失態がなかったとは言えない。その為、雇い主の要望に素直に短く答え、さらに付け加える。

「あと勝手とは思いましたが、髙嶺に傭兵の応援をもらえるよう要請をだしました。いまから菊一事務所を黙らせても、宮コー本社が能力者を今以上に送ってくるかもしれませんので・・・。それに、今回乗り込んできた宮川の娘もやはり魔眼持ちでした。いかに橋元さんが女に対して無敵と言えども、ヤツの視界に入ること自体危険な行為だ。・・俺もヤツの魔眼の威力には抵抗しきれなかった・・」

「ほう!・・張さんでもか・・。なかなか厄介なやつのようやな。しゃあない・・事後報告でもええで?髙嶺の件は了解や。ただ、追加の料金は払われへん!今回の失態やしええな?」

「そこは構わない。菊一や宮川を相手にするには人数が足りんすぎる。命だけは金でかえないからな」

張慈円は、吊り上がった目の表情を崩さず、短く了解の意を伝える。

「そやけど、厄介なやつほど【媚薬】付けにしたときの楽しみが増えるんやけどな。可能なら宮川のガキも生け捕りにしたってや」

「そのつもりでしたが、いま言った通りヤツの視界に入るだけで危険です。体術も侮れんし、能力も強力です。護衛の二人も・・・残念ながらサシでは俺以外対処は難しいしょう。ゆえに髙嶺という訳です」

「わかったわかった。人員の増強費用は張さん持ちや。とやかく言わへん。とりあえず、今日は菊沢美佳帆やな。疼いてるはずやしまともに動かれへんはずや。きっちり捕らえてきたってや」

「・・・やられっぱなしではおれませんからな。一泡ふかしてやるとしましょう。・・行くぞ劉!」

張慈円は踵を返すと劉を伴い部屋の出口に向かう。張慈円の後ろに劉が付き従い歩き出すと、劉よりひどくやられ立っているのがやっとのアレンに向かって、橋元が声をかける。

「アレンと言ったか?あんたも張さん手伝うてやりなさい。張さんええな?」

「・・・・そいつは酷くやられていた。もうボロボロだろう。・・死んでも構わんなら連れて行くが・・」

張慈円が振り向きチラリとアレンを見てから橋元に聞き返すが、稲垣加奈子に瀕死まで追い詰められた当のアレンが即答した。

「ダイジョウブ・・・。ヤレル」

「よう言うた。それでこそマイクの後釜が務まるちゅうもんや。・・・張さん、本人そう言うとる。連れて行ったってや。ワシまだしばらくこの刑事、可愛がっとるから。あのくそ生意気な菊沢の嫁を連れて帰ってくるの待ってるさかい。頼むで」

「・・承知」

張慈円は振り返らずに短く答えると、劉とアレンを伴い橋元の部屋を後にした。

【第8章 三つ巴 26話 裏切りの発覚終わり】27話へ続く



第8章 三つ巴 27話 作戦開始

第8章27話 作戦開始

新設で配置された応接室に元菊一事務所の面々と宮コー能力者達の3名・・とはいっても菊一事務所のメンバーは全員ではない。

あらかた荷物の運び込みは終わり、何とか業務はできそうには配置されているが、まだ大きな備品などはきちんと配置されていない。

会議ブースぐらいは確保できているのだが、残りの大きな家電製品などの配置は、は改めて明日に作業を再開することになっている。

この会議に参加しているのは部長の菊沢宏、部長代理の菊沢美佳帆、副部長の豊島哲司、三出光春、寺野麗華、斎藤アリサの6名で、残りの3名のうち二人の斎藤雪と伊芸千尋は15階のスイートルームの同じ一室で待機中、北王子公麿も【自動絵画】を使い過ぎて疲労困憊になり別室のスイートルームでダウン中である。

宮コーの参加メンバーは、宮川佐恵子、神田川真理、稲垣加奈子である。

その宮川佐恵子は目を閉じ、眉間に皺を寄せ、脚を組みなおして溜息をついた。

一通り神田川真理が今夜の作戦の説明がなされたのであるが、一人の人物によって意義が申し立てられていた。

「そんなもんアカン!そんな作戦認められへんと言うとるんや!それやと美佳帆さんを囮に使うちゅうことやないかい!」

大塚マンションに監禁してある水島の処置及び、杉、粉川の敵への内通を逆に利用しての作戦説明の途中で、グラサンこと菊一探偵事務所元所長、現在は宮川コーポレーション関西支社調査部部長の菊沢宏が声を荒げた。

「奥様を囮に使われているという事のお気持ちはお察しいたします。ですがどうか落ち着いてください。今回の件は美佳帆さんもご納得いただいたうえですし、これが相対的にみて一番最適な配置です・・」

宏の剣幕に押され、さすがの真理も一瞬たじろいだ表情を見せたものの、毅然と返答する。

「ちょっと宏。落ち着いてよ。私のことを心配してくれてるのは嬉しいけど、これが最適なのよ」

美佳帆も慌てて隣に座る宏の腕を掴み、真理と宏の間に入って宥める。

「いいや・・アカン・・これはホンマ、アカンやろ・・。美佳帆さんを大塚マンションに一人で待機させて囮にするんやで?今の話やと一時的とはいえ、美佳帆さん一人になる時間が何十分かできてしまうやろ?画伯の【自動絵画】やとドットクラブには張慈円はおそらくいてへんことがわかっとる・・。ということは大塚マンションに来る可能性が高いちゅうことや」

美佳帆に掴まれた腕をやさしく振り解き、真理の後ろに座っている佐恵子に向きなおった宏が剣幕治まらぬ様子で言う。

画伯こと北王子公麿の能力を酷使し得た情報では、まだまだ情報不十分であったが、今回の情報漏洩を逆手にとった作戦に、敵は食いついたことが確認されている。

「・・・・ふぅ・・。作戦の草案は真理が考えましたが、承認したのは私です。・・・しかし・・・、面と向かってこんなに反論を受けたのは初めてですわ・・。些か面食らいますわね・・。それに、部長代理である美佳帆さまの護衛には、マンションの外で待機している私達3人で付くとお伝えしているじゃありませんか。張慈円が現れても、加奈子がいますし、わたくしもいますわ・・。わたくしと加奈子で張慈円を迎え撃ちましょう・・ご不満ですか?」

一人だけ肘置き付の席でソファに深く腰掛け脚を組んでいる佐恵子が、少しだけ宏に気を使うような素振りで話しかけていることに、佐恵子の左側に並んで座っている真理と加奈子は内心驚く。

「それや・・・その心持やねん・・敵を見下してるそこが問題やねん。それと、ご不満ですかって?・・満足か不満かで言うと不満や。自分らの能力や才能に奢った中途半端な強さのあんたらに、今の美佳帆さんを任せるんは不安やって言うてるんや。美佳帆さんが一人になる時間があるやないか」

佐恵子の右側、真理や加奈子の正面にどっかりと脚を割って座り、腕を組んだままの宏が憮然と、しかし困ったような表情で答える。

「中途半端・・?」

さすがに中途半端と言われ、佐恵子の細く形の良い眉がピクンと跳ね上がり、細い目を鋭くさせ宏に聞き返す。

「菊沢部長。・・いい加減にしておきなさいよ?・・・うちの会社で支社長にそんな口聞く奴はただの一人もいないわよ?」

耐えかねた加奈子が、正面に座る宏に静かな声ではあるが、怒気を孕んだ口調で咎める。

「ああそうかいな、悪気があったわけやないんやが、すまんな。しかし美佳帆さんを囮にするんなら護衛としては俺が最適や。これは譲られへん。宮川さんらのほうがドットクラブへ強襲かけたら万事うまく行くんとちゃうか?」

加奈子のほうをチラリとみてから軽く断りをいれた宏は佐恵子に向かって提案する。

「・・・大塚マンションかドットクラブ。北王子さまの【自動絵画】の情報では、おそらく大塚マンションのほうに張慈円は現れますわ。そして・・橋元はおそらくドットクラブのほうで・・神谷さまのことを・・。絵では判別できませんが、張慈円は手傷を負ってはいました。ですが、真理や北王子さんのように回復能力者もいるかもしれません。最悪の場合を想定して、全快していると考えるべきです。・・張慈円と戦って感じたのですが、私のオーラ量判別では菊沢さま、豊島さま、そして加奈子か私・・、その4人のうち2人以上で対峙できれば、張慈円といえども完封できるはずです」

「なら俺と和尚、ほんで姫、アスカで大塚マンション。ドットクラブは支社長さん、真理さん、稲垣さん、モゲか・?」

佐恵子の説明に頷いた宏は、腕を組んだままソファに持たれメンバーの配置を提案する。

「・・・岩堀さんや大東さんから受けた依頼を問題なく完了させるには、水島という人物に私が【暗示】をかけたうえで、ある程度【操作】する必要がありますわ。私と加奈子と真理、寺野さま、アリサさまで大塚マンションに行きます。ドットクラブには、男性陣で向かっていただく・・真理がそう説明でしたでしょ?聞いてませんでしたの?」

佐恵子にしては根気よく対話をしているが、だんだんと機嫌が悪くなりつつあり、真理と加奈子は冷や冷やとしながら、そう言う佐恵子の顔を横目で伺っている。

「支社長さんの【操作】や【暗示】使こうてそこまでせんでも水島は俺が始末してしもたらええやないか」

「わが社の社員である限り、能動的な殺人は容認できません。・・・・そんなことを今更おっしゃるのなら、こんな事態になる前にそうしておくべきでしたわね」

宏と佐恵子の声がお互いに声の音量を上げ始めたところで美佳帆が宏の腕を引っ張って言う。

「宏、大丈夫だってば!それに、ドットクラブにいるかもしれない神谷さんを助け出してあげて・・・画伯が描いたあの絵・・同性として見てられないわ・・・。一刻も早く助け出してあげてほしいの」

「それはもちろんそうやけど・・そうは言うても美佳帆さん・・!美佳帆さん・・俺知ってんで?・・美佳帆さん、実はいまちょっと本調子やないやろ?」

普段はポーカーフェイスの美佳帆も一瞬しまったと自分でも思うほど、表情に出てしまった。ボーっとしているようでも、宏には何か伝わってしまっていたらしい。

美佳帆は仕方なく白状する。

「宏・・・私の調子が悪いの気づいてたんだ・・・?でも、大丈夫よ。宮川さん達は3人とも凄腕だって宏も言ってたじゃない。それに、うちの姫やアリサも加奈子さんに負けないぐらい強いはずよ?」

「そのとーり!麗華ちゃんもいるし心強い!」

「所長!あ、いまは部長か・・・美佳帆さんの護衛なら任せてよ!・・・それともなに?・・私たちもいるっていうのに信頼できないっての?」

「え!?そういうことなの?」

名前を出された天然ことアリサが右手を上げ元気に答え、同じく姫こと寺野麗華が胸に手を当て、宏に答えていたが話が変な方向に行きそうになってきたところで、佐恵子が口を開く。

「・・・・たしかに、オーラ量だけで見るとお二方とも加奈子に迫るオーラ量がございますわね・・。戦闘能力も加奈子並みだとすると、わたくしにとっては嬉しい誤算ですが・・」

この佐恵子の発言に、話題に上がった3人とも微妙な表情をするが、あえて誰も発言しない。

加奈子は自分に迫る強さだと思われてるのは心外なようであるし、麗華にとっては、稲垣加奈子は先日助けてやった対象でもある。天然アリサは解っているのかいないのかわからない表情で、それぞれの顔を見比べている。

格闘に自信のある加奈子と麗華の間で、無言の火花が飛び始めたとき、妙に冷静な声で宏が口を開く。

「それはそうなんやけどなぁ・・いや、アリサや姫のことやないで・・?・・あんな、美佳帆さん・・確かに支社長さんら3人は一流の能力者や・・・。それは間違いあらへん。しかも内二人はレア能力者やな。そうやけど、悲しいかな戦いにおいては・・、俺の見立てやとまだまだやねん・・なんて説明したらええんやろな・・いや・・、うちの所員にも言わなあかんし、俺もなんやけど・・ハァ・・こんな時に先生がいてくれたらうまい事説明してくれるんやけどなぁ・・・」

「グラサン・・愚弄するのもそのぐらいまでにしておきなさいよ」

困ったような仕草で美佳帆に説明をしようとしていた宏に、加奈子が最後通告だと言わんばかりの気迫で静かに宏に警告する。

加奈子の様子を手で制した佐恵子は、軽く「ふぅ」と嘆息してから、宏に向って口を開く。

「菊沢さま・・・・あまりこういう事、普段は言わないのですが・・、相性や能力の種類によって強さとは完全にイコールとは言えません。しかし、とは言っても概ね比例しがちなのも事実です・・・私自身、自分ではまだまだ精進するべきとは思ってますが、自分のオーラ量も完全に把握してますし、私にはオーラ量とその人の感情や精神状態までもがほぼ見えてしまいますわ」

「ほう・・・、支社長さんの【感情感知】というやつな?オーラ量も見えるんは便利やな。・・・・それ以外のもんまで見えるんは勘弁やけど・・。で?・・いまその話を切り出したんはなんでや?」

今日は出会った日よりは幾分おとなし目やな、と宏は心中で呟き、佐恵子に目を向けると、佐恵子が少しだけ言いにくそうに切り出した。

「たいへん申し上げにくいのですが、美佳帆さまのオーラ量では戦闘には耐えられないでしょう・・。例えば、いまの菊沢さまのオーラが100とすれば、いま美佳帆さまは8ほどしかありませんわ。初めて2階の応接室でお二人にお会いした日より随分と少ない上に不安定です・・。菊沢さまも奥様の不調に感づかれていたご様子・・。しかし、どうなのでしょうね・・私は本調子の美佳帆さまの状態を一度も見たことがありませんので何ともいえませんが・・・本来奥様はもっとオーラ量が多いのでは・・?」

「は、はち???宏が100で私が8って・・ははは・・確かにいま絶不調だけど・・、とはいえ・・はちって・・・」

美佳帆は呆れたような表情で佐恵子に向かって言う。

「ええ、美佳帆さま、皆の前でごめんなさいね。ほかの方と比べても平均値より50ほど低いですわ・・。それほどの状態です。わたくし達が護衛致しますが、ご自身でも感じているご不調通り、無理はなさらないように・・。・・・まあでも・・重ねて言いますがオーラ量イコール強さではございません。言わずもがな、その人自身の身体能力や経験、あるいは知識、それに気概で大いにかわります」

佐恵子はそう答え、美佳帆と宏を伺いながら更に続ける。

「私の目が節穴でなければ美佳帆さまはおそらく橋元一味の誰かに呪詛を掛けられてますわ・・・。話を聞かせて頂いた限りでは、たぶん橋元が呪詛を美佳帆さまに掛けたのでしょう・・・。それらの理由から、まだ戦闘になっても地の利がある、大塚マンションに美佳帆さまを配置したいのです。それとおそらく橋元が執心している美佳帆さまを囮にさせていただいたほうが、作戦の理に適うと考えています。・・・呪詛の元凶になっているであろう橋元のいる可能性の高いドットクラブに美佳帆さまを行かせたくないですし、詳しく言えませんが美佳帆さまの症状からすると・・・ドットクラブへの強襲は万全を期して男性陣でやってもらいたいのです」

言いにくそうに切り出した佐恵子ではあったが、途中で口調は覚悟を決めたようにはっきりとなり正確に宏に伝えようとしているのが宏にも伝わってきた。

なんで?ドットクラブには男性メンバーだけ?という男性陣の表情と女性陣の表情を見て、今度は真理が続ける。

「美佳帆さんの状態は女性ならではのものではないかと思っております。・・・それと橋元が呪詛使いなら呪詛は術者によって重ね掛けできる可能性が高いです・・・。佐恵子自身が使用できる数ある呪詛技能のすべてを時間さえあれば重ね掛けで強化できます・・おそらく、呪詛使いであろう橋元も同じく重ね掛けができるのではないかと推測してます。そういう意味では呪詛も付与も使える佐恵子の近くにいるのは美佳帆さんの呪詛を和らげたり、緩和できる可能性があります。それに、今回北王子さんと雪さんが作戦に参加できないので、治療ができるのは私のみです。そういう観点からも美佳帆さんは大塚マンションにいていただきたいですね。・・・ちなみに私と佐恵子は必ずセットです。【未来予知】と【治療】を用いて佐恵子の安全を最優先にするようにと、本社から常に最優先事項として命令が出ておりますので・・・」

「神田川さんそれはようわかったで。御旗折られるわけにいかんもんな。了解や。・・それより、その付与ってやつ・・緩和できるんやったら美佳帆さんに今すぐやったってくれや」

「えっと??今の話本当なんです?美佳帆さん、どっか調子悪かったんですか?」

「えー!?じゃあさじゃあさ!なおさら囮になる役なんかしないほうがいいんじゃないの?!」

宏と佐恵子のやり取りを聞いていた姫とアリサも美佳帆と佐恵子を交互に見ながら言った。

みんなの注目を浴びた美佳帆は頭を、カリカリとかくと、苦笑いを浮かべ切り出した。

「あーーー・・ごめんねみんな。私も確信持てなかったら黙ってたんだけど・・ちょっと調子は良くないのよ・・。たぶん橋元に会ってからだとは思うんだけど、支社長にさっき改めて言われてそうなのかなって・・ね。ははははは、まあ、大した症状じゃないんだけど、オーラ使うのはちょっといま上手くできたり、できなかったりかな・・・」

「美佳帆さん、そんなに不調やったんか・・すまん。そこまでとは・・・気づいてやれんかって・・。なあ・・支社長さん・・美佳帆さんはどんな状態なんや・・あんたの能力で識別できるんやろ?なんかわかってることあったら、教えてくれや。頼むわ。それで、緩和するような付与かなんか美佳帆さんに施してやってくれや」

グラサン越しでもわかる驚いた表情で、そこまでは気づけなかったという顔をした宏が美佳帆に謝りながら、佐恵子に頭を下げる。

「ええ、それは・・」

「あーー・!あとでちゃんと説明するから。ね?!」

気まずそうに口を開きかけた佐恵子を美佳帆が目配せしながら制止し、続けて宏に向き続ける。

「宏・・!いまはさっき真理さんが言った作戦通りでお願い。私のことは大丈夫だから・・あとで、支社長に付与してもらうから」

そう言われた宏は美佳帆をグラサン越しにじっと見つめると

「・・わかったで、了解や。神谷さんのほうは任せときや。この面子で乗り込むんや。敵さん気の毒なことになるで」

と宏は不敵な笑顔で答え、いつもの調子に戻った宏の調子に安堵し、美佳帆も笑顔で頷いたのであった。

「問題はなくなりましたわね?では・・・」

美佳帆と宏のやり取りを見ていた佐恵子は一言そう言うとオーラを練り、両目を淡く光らせ、右手を美佳帆にかざした。

すると、僅かに発光する白く淡い光が美佳帆を包んだ。

「・・これが、付与・・・す、すごい・・・」

美佳帆が光で包まれていたのはほんの一瞬であった。

思わず美佳帆は素直に体感を口に出してしまうほどだ。

光が身体を包んだ瞬間から、心の奥底や下腹部付近でジクジクと陰鬱な欲情に駆られそうになる衝動が消え去っていく。

「・・・効果を体感できたご様子ですわね。【沈静】と【冷静】を付与致しました」

「え、ええ、これなら・・【百聞】も100m超えできそうだわ!」

「お待ちになって・・、疲労している精神までは回復してないですわ。徐々にその辺は回復していくと思いますので、急に無理はなさらないでください。それに、いま掛けた私の付与術の効果時間は、対象の個人差もありますが概ね1日程度です。覚えておいてくださいね」

「美佳帆さん大丈夫なんか?楽になったんか?」

「ええ!ずいぶんと楽になったわ。これなら鉄扇も思い切り振るえそうよ」

「おおきにな、支社長さん」

「礼には及びません。あくまで一時的なものですわ。もとになる呪詛の強さがどの程度なのかわかりませんが、付与で消せたわけではありません。・・・先ほどの状態があまりにもだったので、すごく回復したように感じている・・というだけだと思います。オーラ量はほとんど増えてませんからね・・・。ただ、オーラの乱れはなくなりました。私の付与が効いている間は徐々にオーラ量も回復に向かうでしょう。効果が切れたら遠慮なくまた私のところにいらしてください。掛けなおしますので」

「ええ、ありがとうございます・・。でも、ということは、支社長が掛けてくださった【沈着】【冷静】が切れたら・・・?」

「前の呪詛の解除条件を満たしていない限り、また再発いたしますわ・・。私が使っている付与はほとんどオーラを消費しません。その代わり効果は一時的ですし時間は限定されています。しかし呪詛に練り込んだオーラ量、術者の嗜好、それに解除の条件付け次第では解除する難易度はずいぶんと変わってきます。時間で切れる呪詛ならよいのですが・・・。その解除条件は術者本人に聞くのが一番手っ取り早いでしょうね・・・」

「・・・よっしゃわかった。橋元がおる可能性の高いドットクラブに向かう理由がもう一つできたで」

「・・・解っているとは思いますが、冷静にご対処くださいね」

「大丈夫や。心配あらへん」

引き締まった表情で言い切る宏の返答に頷くと佐恵子は再び目に力を集中する。

「それでも皆様にも、いきますわよ・・」

と言うと佐恵子の目がもう一度鈍く輝き、みんなには【冷静】のみを付与させる。

『おお』

という歓声が会議室にいる面々から上がる。

「では各自行動に移ってください」

はじめての付与体験にどよめく面々に真理が手を叩き促す。

「了解や!ほな、美佳帆さん行ってくるわ」

「ええ!宏も気を付けて」

菊沢夫妻のやりとりを確認した真理は佐恵子に近づき声を潜める。

「髙嶺は来るでしょうか?」

「わからないわ・・。張慈円を相手しながら・・、こないだの千原とかいうハムみたいな女がくると、厄介ですわね・・。髙嶺といえども、あれほどの使い手がそう何人もいるとは考えられませんが・・」

佐恵子は親指の爪を噛みそうになるのを堪えながら、先日の屈辱を思い出していた。

「加奈子・・。もし髙嶺のこないだの剣士が現れたら、張慈円はあなたに任せるわよ」

「で、でも!」

「わたくしでは勝てないって?」

「・・い、いえ・・、でも支社長も最初から出し惜しみ無しの全力で行くべきです」

「・・・こないだの女が来たら迷わずそうしますわ」

ふっくらとした唇に歯を立て苦々しそうに佐恵子は加奈子にはっきりと答えた。

「髙嶺が湾岸計画に横やりを入れてくるのは予想の範疇でしたが・・、対策らしい対策はあのスーツぐらいしかできませんもんね・・。佐恵子、寺野さんや斎藤さんにもあのスーツを支給しても?」

「ええ、もちろんですわ。サイズは・・・加奈子や真理用に作ったのであれば、なんとかサイズは合うかもしれませんね。男性用のはいまは試作品すらありませんからあきらめてもらいましょう」

「じゃあ、さっそく準備させてきます」

佐恵子の返答に真理は了解の意を示して準備に走る。

「・・さて、髙嶺が介入してくるとなると・・、本当に修羅場ですわ・・」

寺野麗華と斎藤アリサと話す真理の背中を見ながら、佐恵子は苦い表情で呟いた。

【第8章27話 作戦開始 終わり】第28話へ続く

第8章 三つ巴 28話 思わぬ再会


第8章 三つ巴 28話 思わぬ再会

最近少し疲れ気味に見えていた菊沢美佳帆であったが、先ほどマンションで会った時は最近の不調ぶりを全く感じさせないほど元気な様子であった。

体調不良ではないのは喜ばしいのではあるが、それだけに心が痛む。

菊沢美佳帆は俺と粉川に対して快活な口調で見張りの苦労を労うと、久しぶりの休日に羽を伸ばすようにと餞別まで渡してくれた。

もちろん俺たちは断ったのだが、美佳帆はいつも無理聞いてもらっているし、一度出したものだから今更受取れないと言い張り、頑として受け取ってくれなかったのだ。

菊沢美佳帆から渡された封筒には3万円の現金と、メモ書きも同封されていた。

(勤務時間外なのにいつも無理聞いてくれてありがとう。私達と関わっていると警察内だと煙たがられちゃうのにごめんね)

小さなメモ用紙には、女性らしい字ではあるが達筆な文字が並んでいた。

「くっ・・菊沢さん・・・許してくれ・・俺は・どうしても桜子を無事取り戻したいんだ・・・」

悔恨の独り言は、繁華街の雑踏にかき消され誰にも聞かれることはなかったが、涙と鼻水で汚れた顔を、通り過ぎる人々が少し怪訝な顔をさせていることを、気にする余裕もなかった。

俺と同じく粉川卓也も同じように菊沢さんから餞別を貰ったが、なにか浮かない顔をしており、俺とは会話もなく先ほど別れたところだ。

こういう場合二人で酒でも飲みに行くのが通例だっただけに、今日のような別れ方はかなり珍しいパターンだ。しかし今は俺もそのほうが都合はよかった。

かつて一緒に柔道のインターハイで優勝した仲間ではあるが、今の俺はとても酒を飲めるような気分ではない。

攫われ今も凌辱されているかもしれない桜子のことが脳裏に甦り、かき消そうと頭を振る。

しょうがないんだ・・。と言い聞かせスマホを操作しいつもの通り、張慈円にメールを送る。



スマホの画面を確認した張慈円は、満足そうに口角を上げ、悪そうな顔がさらに悪さを増す笑みを浮かべてそういった。

「ボス、連絡が入ったんですか?」

「ああ、粉川と杉から連絡が入った。いま菊沢の嫁が一人であのマンションにいるのは間違いない」

張慈円は隣の6階建てのマンションを見下ろしながら、劉幸喜の質問に答える。

「ではさっき説明した通りだ。俺たちはここから飛び移りマンションの屋上から先に先行する。貴様らはマンションの入口から逃走経路を断ちながら2階の部屋まで上がってきてくれ。外はおれの手下がガッチリ固めているから逃げられる心配はないと思うんだがな」

振り返り、空きテナントとなっている雑居ビルの一室にいる面々に言う。

「承知致しました。・・しかし張慈円さま?今宵の獲物は女一人の捕物劇ですか?・・・少し、いえ・・・かなり大げさすぎると思いますが?」

腰に下げた大刀の柄を大事そうに摩りながら、タイトミニのスーツを着こなした美貌の女剣士がやや呆れた口調で張慈円に問いかけた。

「まったくだよ。しかも得物を殺さず捕らえろってのは・・どうにも珍しい依頼だねえ・・。それともこの写真の女は僕達が3人も必要なほど凄腕なのかい?」

張慈円が美貌の女剣士こと千原奈津紀の質問に答える前に、スクエアの眼鏡をかけ、真っ白なスーツを着こなしたした剣士が奈津紀に同調するような発言を重ねた。

奈津紀と同じように腰に刀を下げているが柄や鞘までもが白で統一されており、唯一鍔だけが黒鉄に煌めいていた。

「・・栄一さんと意見が同じなのは不本意ですが、張慈円さま、私どもが納得いく説明はございます?」

奈津紀は一応自分と同格同列にあたる白スーツの井川栄一に一瞬だけ目をやると、再度、張慈円に問いかけた。

「うーん・・。治療がほしいだけならそう言う依頼だけすればよかったんじゃない?そしたら私一人だけで、料金も安く済んだのに」

張慈円が答える前に、もう一人奈津紀の後ろに座っているやや小柄な女性が、明るい声でネイルの手入れをしながら口を開いた。

奈津紀と同じようにダーク色のスーツ、そして腰にはやはり大刀を帯びている。

スカートは奈津紀ほどミニではなく、膝が見える程度である。しかしサイドスリットの入ったタイトスカートからは白い肌が覗いており、艶めかしくはあるが、動きやすさを重視しているようだ。

張慈円は髙嶺の3人に向き直りゆっくりと口を開いた。

「重ねて礼を言う。治療する人数が一人増えたというのにな」

張慈円はそう言うと、奈津紀の後ろに座る小柄な女性に僅かに頭を下げた。

「ぜんぜんおっけ。足手まといになられて妙なことになるよりよっぽどマシだからね。それに、二人も三人も大差ないから」

椅子に座ったまま手をパタパタと振り、目も合わせず爪につけた液体を乾かすように息をふぅーと拭きながら張慈円に軽い口調で返す。

裏社会にすら畏怖の対象とされている髙嶺の者とは思えない見た目の童顔で可愛らしい顔立ちをした女剣士が、ボスにすら目も合わせずにそう言った軽い様子に、劉幸喜は少しばかりムッとしてしまうが、ボスが文句を言ってないので、仕方なく黙っていることにしたようだ。

「チビ!オマエスゴイ!イタミガヒイテ、ウゴケルヨウニナッタ!!カンシャスル!!ソレニナンダカチョウシイイ!チカラガドンドンワイテク・・」」

「・・あのさぁ?!・・わたし、南川沙織っていうの。それにあんたがでかいだけだからね?・・あと次チビって言ったら殺すからね?」

チビと言われて、すかさずアレンに訂正いれた南川沙織の目には僅かに殺気が籠っていた。

傷が完治し、身体の内から湧き上がってくる不思議なパワーの万能感に酔いしれていたアレンだったが、童顔小柄な女剣士の殺気に当てられ、冷水を浴びせられたように身体を竦ませた。

「ワ、ワルカッタ、ミナミカワ!ユルシテクレ!」

「ちっ、呼び捨てかよ」

アレンと沙織のやり取りが面倒なことになる前に、話を進めたい奈津紀はふぅとわざとらしくため息をつくと、張慈円に目で続きを話すように催促する。

「・・菊一事務所だけを相手にするわけにはいかなくなった・・と言うことだ。本国からの人員も間に合わん」

「宮コーですね」

「そのとおりだ」

「いいでしょう。では条件は話した通り・・。前金は入金確認してますわ・・それと、魔眼は我らがいただく・・と言うことで宜しいですね?」

「構わない魔眼はくれてやる、その代わり・・湾岸開発地のテリトリーは3割・・・、香港に割譲してもらうぞ?そちらこそ良いのか?」

「それで問題ありません。御屋形様のお考えでは、大陸とのつながりがある方が利益は大きいとのことです。御屋形様は約定されました。破ることはございませんのでご心配なきよう」

髙嶺六刃仙6名のうち3名も雇うほどの大金、期間は宮コーが湾岸開発を完成させるまでという条件付きの契約ではあるが、今回の菊沢美佳帆拉致に関して言えば、過剰な戦力である。

奈津紀はそこまでの大金を払った香港三合会新義安の財力は侮れないとは感じつつも、張慈円のほかの思惑について推測が及んでいた奈津紀は率直に張慈円に質問を投げかけてみる。

「もしかして、我らの実力をお疑いですか?私の力量は先日わかったはず・・・。栄一さんや沙織の実力もこの際目にできれば・・というお考えなのですか?もし、そうならば張慈円さま・・・案外・・・策略家ですね。そんな駆け引きを労さなくてもクライアントとしての要求であれば、お応えせざるを得ませんが・・・?」

「・・・ふん・・、では要求だ。貴様の強さは信頼しているが、後ろの二人は俺にとっては未知数だからな。菊沢美佳帆も能力者で鉄扇を使った軍配術を使うと聞く。仮にも髙嶺だ。疑うわけではないが、そちらの二人の手並みを見せて頂きたい」

張慈円は奈津紀のことを心中で「やりにくい女だ」と悪態をついたが、それは口には出さずクライアントとして当然の要求として奈津紀に告げた。

「・・ふーん・・治療だけだと退屈だから別にいいけど」

「・・・髙嶺六刃仙に数えられる僕らの実力を疑うとは心外だねえ・・・、奈津紀さんの実力は見たんだろ?・・僕らも同列だよ?・・・まったく・・僕らの評判は香港まで届いていないのかい?」

張慈円のほうを見ずに指のピンクに着色したネイルの具合を確認しながら、気のない返事を返す南川沙織と、南川沙織とは対照的に張慈円に向かってわざとらしくため息をつき大げさな身振りで落胆するふりをみせながら言う井川栄一であった。

「承知しました。栄一さんと沙織を先行させましょう。私は後ろで見学・・失礼、後詰をいたしますわ」

奈津紀は顔には出さないが面倒臭いなと思いながら張慈円に答えたのであった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「ええ・・ありがとうございます・・ええ・・はい・・私は・・・大丈夫ですわ・・。ええ、そちらも・・・お気をつけて・・はい・・豊島様こそ・・ふふ・・では、そろそろ・・・・ええ・・私も・・ではまた後で・・・ふふふ・・」

皆から背を向けて、小声で通話していた宮川佐恵子は、通話中に緩みきった表情を引き締め直すと大塚マンション組の面々に振り返る。

「ひっ!」

振り返った佐恵子のすぐ目と鼻の先には天然こと斎藤アリサの顔があり、佐恵子は素っ頓狂な声を上げてのけ反ってしまった。

「ねね!社長!今の和尚?!また後で会うの?!」

驚いた表情のまま仰け反っている佐恵子に、アリサはさらに詰め寄って追い打ちをかける。

「な、なんですのあなた?!聞いてらしたの?!」

佐恵子とアリサのやり取りを少し離れたところで見ていた真理と加奈子は耳を赤くして、必死で笑わないようにして耐えている。

「なるほどねぇ・・和尚かぁ~・・・朴念仁みたいなふりしてるのに手が早いなぁ~・・まったくむっつりエロ坊主なんだから・・、しかも合併した相手の社長を狙うなんて大胆よね・・。あ~あ・・・話しぶりからしても、もう仲良しみたいだし・・・」


姫こと寺野麗華も腕を組み一人で納得したように目を閉じてうんうんと頷きながら呟いている。

「ちょっと・・!豊島様のことそんな風に言わないでくださる?!」

顔を赤くさせた佐恵子がアリサを押しのけ麗華の鼻の頭に人差指を押し付け詰め寄る。

「え~?!でも支社長。私のほうがずっとずうっと和尚との付き合いは長いんですよ?高校時代からの付き合いだから・・・そうですねえ、かれこれ20年の付き合いですね。事務所の面子はほとんど高校時代からの付き合いだし・・そう言えば和尚も色々あったんですよ?・・・・私、支社長より和尚のことずっとよーく知ってますよ?ふふふ・・・」

佐恵子に詰め寄られた麗華は涼しい顔で目を逸らし、佐恵子の手を払いながら、勝ち誇ったような仕草と表情で佐恵子の反応を楽しむように言葉で煽る。

「っ・・!・・な、なんですって!!」

歯並びの良い白い歯を食いしばり、顔を更に顔を赤くさせた佐恵子が何か言い返そうと口をパクパクしていたが、とっさに真理と加奈子が二人を引き離す。

「ま、まあまあ・・さ、佐恵子・・いまはそんなことをしている状況では・・。そろそろ時間よ。行きましょう?」

真理は腕時計を見て時間が迫ったことを告げながら佐恵子に促す。

「・・む・・・、え、ええ・・そうですわね」

言い返したかったが、そういう突っ込まれ方になれていない佐恵子は上手く麗華に返せず、渡りに船とばかりに真理の言葉に従った。

「じゃ、じゃあ私が先に行くわ。支社長は私の後にお願いします」

佐恵子がそう言ったタイミングですかさず加奈子もみんなに聞こえるように言う。

佐恵子たちがいるのは、大塚マンションの3階の角部屋である。いま、菊沢美佳帆と水島喜八がいるのはマンションの2階の角部屋、ちょうどこの部屋の真下である。

美佳帆が2階の大塚さんの部屋に来るずいぶん前からこの空部屋に先行して待機していたのだ。

美佳帆が杉誠一と粉川卓也を送り出し、部屋の中をクリーニング、いわゆる盗聴機や盗撮機が無いことが確認できたら、ベランダの床にある避難経路の床扉を開け、タラップを使って真下の部屋のベランダに侵入する手はずになっている。

美佳帆からのクリーニングが終わった連絡は先ほど真理に届いていた。

加奈子、佐恵子、アリサ、麗華、真理の順番で3階ベランダのタラップを降りる。

「あ、あの・・寺野さん・・。佐恵子はああいった煽り耐性全くないの・・。0なの。もう勘弁してあげてね・・」

最後に残った真理は、麗華がタラップを降りようとして真理と向き合ったときに、真理は控えめな困った顔で麗華にそう言った。

「えへっ・・ごめんね神田川さん。支社長さんが可愛い反応するからついからかっちゃった・・。あんなに顔を赤くさせて真面目な顔で・・くださる?!なんて言われたら・・・ぷっ・・ごめんなさい。・・・真理さん鋭そうだから気づいたかもしれないけど、哲司のこと私もずっと気になってたから、ついね・・・。でも、きっともう言わないから、安心して。・・・相手が宮川支社長なら私も諦めつくと思う・・」

真理にそう言われた麗華も、先ほどの佐恵子とのやり取りを思い出したのか少し吹き出していたが、長年心の奥底で燻っていた思いを真理に告げ一瞬だけ寂しそうな顔をした後、いつもの笑顔にもどり素直に謝って真理にウインクし、真理の返答を待たずタラップを滑り降りていった。一瞬だけ見えた麗華の目には涙が浮かんでいた。


2階の部屋に入って美佳帆と無事再開した面々は一様にひとまず笑顔で再開を喜んだが、すぐに水島に暗示をかけるべく佐恵子が水島を監禁している部屋へと急ぐ。

「・・・ほぉおお?こりゃまた別嬪さんだ。初めて見る顔ですねえ。クソ探偵事務所の雌どもも良い目の保養にはなりますが、これは新しい趣向ですなあ」

扉を開くなり、椅子に座らされ縛られた中年のオールバック狐目の男が、口笛を吹きながら佐恵子たちを頭の先からつま先まで観察し独特の口調で感想を漏らす。真理と加奈子も同じくじろじろと無遠慮に厭らしく眺めまくる様子に、加奈子は思わず両肘を掴んで身震いするようなポーズをとってしまう。

「うう・・気色悪い人ですね」

加奈子は素直に水島喜八の感想を言う。

佐恵子の目には水島喜八の纏った好色なオーラが見えていたが、そういう目を向けてくる男は少なからずいたので、そう言う意味では先ほどの麗華の口撃よりは耐性があった。

「・・・この方が水島さんですわよね?」

水島の視線を無視して振り返り後ろにいた美佳帆に一応確認を取る。

「ええ、そうです」

美佳帆の答えを聞くと佐恵子は水島に向き直り、水島と距離を詰め、顔を水島に近づける。

「おおおおお?!近すぎやしませんかお嬢さん?ほら!私と口付がしたいのなら遠慮はいりませんよぉ?さあ!・・まぁ、あなたみたいな熟れ切ってない小娘でも一応女のようですしねえ!おや?あなた!・・・良い匂いしますねえ!」

いつも杉や粉川といった屈強な柔道男たちに見張られていた水島は、いつもと違った人物の登場のいきなりの行動に妙なテンションになり興奮していた。

自分に顔を近づけてきた初対面の女の匂いを嗅ごうと鼻をクンクンさせている様子は、極めて異常な様子に見え、加奈子も真理も警戒しつつもドン引き顔である。

「・・・気持ち悪いですわねえ・・一気に気が進まなくなったけど・・そうも言ってられません・・・仕方ありませんわ・・・【魅了】!」

佐恵子は水島喜八の正直な感想を口にすると、目に力を集中させ力を水島に対して開放する。

「うぉ!・・ぉぉぉ・・ぉ・・!・・」

佐恵子の目が妖しく光り、水島の目にその光が吸い込まれていく。

水島は一瞬眩しそうに眼を閉じようとしたが、抗い難い力により目を閉じることができず、見開き光を吸い込み続ける。

「ねえ水島さん、起きてくださる?」

光を吸い込みつくし、茫然としている水島に向かって佐恵子が口を開く。

「ええ!ええ!起きてますとも!あなたがいらっしゃってるというのに寝てなんかいられませんよ!」

今の水島は佐恵子のことを10年来の親友と思って話をしているのだが、佐恵子は普段の水島を知らない。

水島は普段から異常行動や言動をするせいで、美佳帆から見れば、そこまで変化はないように見えていた。

「これって・・・、何か効果あったの?」

「佐恵子の魅了です。・・いま水島さんは佐恵子のことを親友だと思ってます」

美佳帆は、訝し気に小声で真理の耳元で囁くと真理も小声で答えた。

「そ、そうなの?水島にこれと言った変化はないように見えるんだけど・・・」

「能力者ではない人が佐恵子の力に抵抗するのは無理です・・・。絶対に効いてますよ」

目をギラギラと輝かせ、無駄に大きな声で会話をしながら、相変わらず佐恵子のことを厭らしい目つきで舐めるように見ている水島を美佳帆は、普段とあまり変わらないわねえ、という感想を持って眺めていた。

「はい・・。そうですわ。ですから、警察に行って自首してほしいのです。」

「わかりましたよ。貴女がそうおっしゃるならそれが一番いいのでしょう!それにはこの戒めを解いていただかなければいけませんがよろしいですか?」

美佳帆と真理が会話している間に、佐恵子と水島の話はあり得ないほどスムーズに進み、水島が独りで警察署まで出頭して洗いざらい過去の罪を話すということでまとまっていた。

「ちょ、ちょっと!支社長!そんな言葉嘘に決まってます!解いたら暴れ出しちゃうわ」

佐恵子が水島を拘束している手錠を外そうとしていると、美佳帆は慌てて声を掛けた。

「大丈夫ですわ。ねえ、水島さん」

「もちろんです!・・デカ尻の菊沢美佳帆さん、あなたを目と妄想で犯せなくなるのは残念ですが、もうあなたの妄想は散々しつくしました。知ってましたか?この部屋からだとあなたがシャワーを浴びている音が聞こえるんですよ・・。シャワーを浴びる以外の音もしてましたねえ!・・・ですが今は、この一番の親友である・・・ええっと」

「宮川ですわ」

「そう!私には親友の宮川さんがいますしねえ。彼女に嘘なんて言うはずないじゃないですか!」

ギラギラした目で言うかみ合わないことを言う水島に呆気にとられる美佳帆。

「美佳帆さん、大丈夫です。完全に効いてますから・・」

水島と佐恵子のやり取りを見ていた美佳帆に真理がそう声をかける。

「・・・一番の親友の名前すら知らない状態だけど大丈夫なのかしら・・・?」

自慰の時の声や音まで聞かれたのかしらと内心で心配しつつも、顔には出さず美佳帆が真理に言うでもなく独り言のように呟いた一言に、真理が笑顔で頷く。

「大丈夫です」

真理と美佳帆がそういうやり取りをしている間に、佐恵子は水島の拘束をすべて解いてしまった。

「うーん!久しぶりに身体が思い切り伸ばせますねえ!宮川さん!親友である私にハグしてディープキスしてもいいんですよ?・・そうでしたか。これは気づかずに申し訳ありません!大勢の前で照れているんですね?照れているなら私から・・」

水島は両手を上に伸ばして背伸びをしたり、首をコキコキと鳴らしたりしているが、暴れ出したり逃げ出そうという素振りなく、佐恵子に両手を向け今にも抱き着きそうな様子で佐恵子に近づいていく。

「あなたのような人からそのような言葉、怖気が走ります。冗談じゃありませんわ。それより水島さん。善は急げと言いますしさっそく行ったほうがいいですわ。ここにいる菊沢美佳帆さんから逃げるように慌てた様子で飛び出して走っていくのがいいですわ」

「そうですか・・残念ですが・・。貴女がそう言うのです!そうさせてもらいます!」

佐恵子の手厳しい拒絶の言葉にもめげず、促されるまま水島は素直にそう言うと、監禁されていた部屋からリビングに出てきて、呆気にとられた麗華とアリサを好色な目で見ながらもしっかりとした足取りで玄関に向かって歩いていく。

「では、行ってまいります!」

「ごきげんよう」

佐恵子は笑顔で水島に手を振ると、それに対して水島も右手を軽く上げると、扉を勢いよく開け靴も履かずに何かから逃げるように飛び出し、そのまま走って出ていってしまった。

「・・・・これで、おそらく水島さんは警察署に到着することなくこの世を去ると思いますわ・・・。普通に開放したところで、水島さんも命を狙われてるぐらいの想像はできるでしょうから、出ていかないでしょうしね・・。後味の良いものではありませんが、仕方ありません」

「なんだか・・・支社長が言った通り逃げ出したように出ていきましたね。本当に警察署に・・・?大丈夫かしら・・・」

佐恵子の能力で行動を抑制したとは言え、佐恵子の【魅了】による操作を初めて見る美佳帆や麗華、アリサは本当に警察署に向かって行ったのかは疑問ではあった為、美佳帆の感想は3人の総意の感想であった。

しかし、素直に警察署に向かったとしても水島は到着しないだろう。

ほぼ確実にこのマンションが敵の目に監視されていることを考えると、水島が独りで部屋から出てきたことはすぐに察知されてしまい捕らえられるからだ。

「私たちは真理の能力で危険を回避して、マンションを監視している目を掻い潜って3階の空き部屋に潜入はできましたが・・・・真理・・。真理の能力に引っかかった警戒網って不自然なほど多かったのでしょ?」

「はい、ここのマンションは完全に監視されていますね。間違いありません。水島さんはすぐ敵に捕捉されるでしょう・・」

佐恵子の問いに真理はきっぱりと即答した。

「さっきの飛び出し方で、敵は菊沢美佳帆を水島が自力で振り払い、逃げ出した・・・と考えるでしょう。でも、すぐに捕まりますわ・・・。そして・・来ますわよ・・。ここには美佳帆さましかいないと敵は思ってらっしゃいますからね・・。加奈子は玄関。わたくしと真理と美佳帆さまはリビング。麗華さまとアリサさまは外から見えないようにリビングのベランダ側を警戒してください」

敵とは言え、今日初対面の水島に確実に死ぬような行動暗示をかけたことで、少し浮かない顔の佐恵子ではあったが、すぐに来るであろう驚異に対して的確に指示を飛ばす。

「そんなにすぐ来てくれるかなぁ・・」

「どうかな・・・。でも、このマンションって四六時中敵に見張られてたってことは・・来るんじゃない?・・・それに今更ながら見張られてたって知っちゃうとなんだか気味が悪いわね・・・。アリサや私の顔も敵にばっちり割れてるってことよね・・」


アリサが外から姿が見られないようにリビングの床に屈んだ状態で誰ともなく呟くと、同じような姿勢で待機している麗華がアリサに向かって言う。

「菊沢事務所員の全員の顔は割れてますよ・・・。残念ですが、それは間違いありません。ですから、本社に皆さんに引っ越してもらいましたのもそのためです」

同じようにリビングの床で屈んだ真理が二人に言う。

「そっか・・・スリルとバイオレンスな毎日が始まっちゃうってことね・・・」

「麗華ちゃん!私達で千尋ちゃんと雪ちゃんの分までフォローしようね!」

「ええ!もちろんよ!香港マフィアだろうが髙嶺だろうが、私たちにケンカ売ったこと後悔させてやるんだから!」

屈んだままの状態で麗華とアリサの会話を聞きつつ、美佳帆は不調ながらも【百聞】を限界まで広げ展開していた。

今まで何かと敵視していたお嬢こと伊芸千尋のことまで気に掛けたような麗華の素振りに、美佳帆は満足そうに目を細めて頷くと自分の能力に集中する。

もし、美佳帆が本調子であれば隣の雑居ビルにいる張慈円や髙嶺一派の動向にも気づいたのだが、今の美佳帆は半径20mほどしか【百聞】を展開できない。

同じく真理も【危険予知】を最大半径まで展開し警戒していたのだが、まずは美佳帆が人差指を上げ、皆に注意を促す。

「あれだけ大きな音で走っていった水島の足音が・・1階のエントランス付近で消えたわ・・!ん??・・上からも?・・ほとんど足音はさせてない・・。歩幅は一定・・・。素人じゃない足運び・・。降りてきている・・。上から3人・・下は・・たぶん2人・・・?下からも上から来てるわ・・!素人の足音じゃない!」

美佳帆がボリュームを落とし、かろうじて皆に聞こえるように緊張した声で【百聞】で拾った情報を伝える。ほかのマンションの部屋の雑多な雑音も聞こえてくるが、本調子ではないため範囲は狭いが、佐恵子に施された【冷静】と【沈着】の効果は【百聞】の範囲内に置いては十分に発揮されているようで、聞き分けたい音は鮮明に聞き取れた。

「5人ですか・・多いですわね・・・。張慈円さまと劉と呼ばれていた方・・・それと、その人数・・・まさか髙嶺も・・?・・加奈子!先手必勝よ?準備よろしくて?」

佐恵子も声を押し殺し、全員に【拳気】【疾風】の付与を飛ばす。

この間の千原奈津紀のような手練れまで来ているかもしれないと思うと、嫌が応でも緊張は高まる。

『来たわ!!』

「加奈子!!これは・・斬撃!!気を付けて!!」

佐恵子が付与を全員に飛ばした直後に、来たわ!!の声が真理と美佳帆で見事に重なった。

真理が言い終わった数秒後、ずばっ!という音がやけにはっきりと響き、横に切り割れた扉と白い何かが勢いよく部屋に飛び込んできた。

「はぁぁああ!!」

気合の発声と同時に気配を消すことを止め、能力を100%発動し、視力強化もした加奈子は斬撃で切り飛ばされた上下二つに割れた扉を左手でいなし、踏み込む脚で踏み落としながら、刀を振るう白いスーツ姿の男にカウンターで渾身の崩拳を突き出す。

加奈子の崩拳を人間がまともにくらえば確実に命はない。
しかし、加奈子は容赦のない一撃を迷いなく放った。なぜなら、一瞬だけの動きしか見ていないが、斬り込んできた曲者は相当な手練れであり、只者ではないことがはっきりと肌を通して伝わってきたからである。

ビシーーーーン!!

加奈子の直感が間違いなかったことを証明する音が鳴り、耐刃性能をもったグローブで包まれた拳が硬質な衝撃に阻まれる。ほとんど完璧なタイミングで放った崩拳ではあったが、白スーツの男は振り抜いた白刃を、柄を器用に持ち替え、高速で刃を翻し、膝で剣先の腹と左手を添えて刀身を支え、加奈子の拳を刀の腹の中心で受け止めたのだった。

ただ、手練れの曲者は、さすがに拳の勢いは止めきれず白い塊となって部屋から吹き飛ばされるように共用廊下に吹き飛び、壁に激突する。

「いってええ!!・・・ちくしょう!・・・僕のせっかくの華麗な登場シーンをぶち壊しやがって!」

思いもよらない攻撃に辛うじて防御が間に合ったものの、井川栄一は加奈子の崩拳に吹き飛ばされ背中を壁で強打してしまい、白スーツの汚れを手で払いながら、油断なく立ち上がると刀を握りなおした。

「んん??・・おや?これは懐かしいねえ!あの時より髪が伸びてるけど・・・・加奈子じゃないか。また会えて嬉しいよ・・・。僕のこと忘れちゃいないだろ?・・・忘れるわけないよねえ・・・ふふふ、僕に負けたらまた・・」

「げぇ!!・・あんたは・・やっぱり生きてたのね!・・・この変態!変な横分け頭!・・・ダッサい癖に恰好つけてるじゃないわよ!ブ男!!・・今の今まであんたのことなんか忘れてたってのに!!・くっそー!・・最っ低!!」

刃と拳を交えた二人は1歩の距離で互いに構え、対照的な表情で向かい合あった。意外な場所での再開に一人は嬉々として、もう一人は心底嫌そうに言葉を吐き出した。

【第8章 三つ巴 28話 思わぬ再会 終わり】29話へ続く

第8章 三つ巴 29話 魔眼不発!非道髙峰の南川沙織

第8章29話 魔眼不発!非道髙峰の南川沙織

稲垣加奈子vs井川栄一

闇夜を切裂さかんばかりの風切り音と金属が激しくぶつかり合う音を響かせ、拳と刃が、白と黒の影が交錯する。

戦闘を有利に進めながらも稲垣加奈子は焦っていた。対峙する相手に対してではなく想定外の人数で強襲された状況にである。

大塚の部屋から離れ、一人で井川栄一を相手に戦っているのだが、流石に一筋縄ではいかない。井川一人にかれこれ30分は費やされている。

思わぬところで意外な再会を果たしてしまい、井川栄一に対しての生理的嫌悪感や遺伝子的に受け入れ難いと感じる相手に敗北後に行われた屈辱的行為が思い出され、心中かき乱されていたのだが、いざ拳を交えだすと当時は歯が立たなかったあの井川栄一の剣捌きや体術に十分対応できている。

そのため目の前の戦闘には加奈子は今驚くほど頭が冷静に冴えていた。佐恵子の冷静付与のせいかもしれないが、それだけではない。当時はいいように嬲られていた栄一の剣閃に余裕をもって対応している自分を客観的に見ることができていた。

稲垣加奈子は3年前に初めて井川栄一と対決したときよりずいぶん腕が上がっていることを実感していた。

かつて皇居の堀に掛けられた二条橋の上で対決した際には、当時の井川栄一に対して出鱈目な強さを感じたのだが、加奈子の感覚が鈍ってないとすれば白いスーツの剣士こと井川栄一は以前対峙した時より確実に弱い。

よく見れば当時より若干太っているようにみえるが、そのせいだろうか。

(それとも私の油断を誘っている?でも演技のようには感じない・・演技の必要もないはず)

「はぁはぁ・・稲垣加奈子!・・ずいぶんと腕を上げましたねえ・・・」

考察中の加奈子に、栄一は乱れた前髪をかき上げ加奈子に称賛を送る。

余裕のある素振りを見せたいのであろうが、栄一の声には驚きと焦りが混ざり虚勢が透けて見て取れた。

先ほど加奈子が栄一の剣閃を掻い潜り、左わき腹に強烈なフックをお見舞いしたところを左手で押さえ、栄一は僅かによろめき顔を歪めた。

「・・・・あの時のあんたと比べたら今はずいぶん弱く感じる。一度戦ったあんたの能力はもう知ってるし、その速度が限界なら私には当たらない。・・・3年間私は自分自身を鍛えた・・。もうあの時とは違う」

加奈子の言葉に栄一は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに怒りに染まった表情となり、唾液と血液が混ざった液体をべっと吐き捨てた。

吐き出した液体は唾液の割合に対して血液がずいぶん多い。

栄一の吐きだしたそれを見た加奈子は先ほどの渾身のボディフックが、相当の深手を与えたことを確信する。

「はぁはぁ・・げほっ・・よくも僕に対してそんな口をきけたもんです。・・調子に乗ってますねえ加奈子の分際で!以前は手も足も出なかったくせに!」

栄一は口元をぬぐいながらそう言うと加奈子を睨む。

折角の白いスーツも何度か転倒させたせいで、あちこち汚れてしまい、今も口を拭ったところが血で赤く汚れていた。

「無様ね・・・急いでるから今逃げ出すなら追わないかもしれない」

加奈子は内心の焦燥を見せないよう栄一に対して極力冷ややかな口調で言う。

井川栄一を圧倒できたのは加奈子が彼の能力を知っていて且つそれに対応する鍛錬を3年間重ねたからであり、決して井川栄一が弱いわけではない。

しかし今は、張慈円や千原奈津紀らと戦っているはずの支社長たちが気になって仕方なかった。栄一一人に時間を割き続けるわけにはいかない。

「いま・・何て言ったんだ?この僕に逃げ出したら・・追わないだと・・・・?!」

顔を伏せ身体を屈辱で小刻みに震わせながら栄一は加奈子を睨み上げてそう言った次の瞬間、耳元で加奈子のハスキーな声がした。

「一応忠告はしたわ」

「くっ!!」

加奈子の常軌を逸する瞬発力と爆発的なオーラ使用で、背後を取られた栄一は焦りの声を上げ、戦慄とともに身体を捻り回避と反撃を試みる。

「遅い」

低く憐れみを含んだ声で栄一に囁く。

栄一が振り返りざまの横薙ぎの一閃を加奈子に放とうとしている握り手はすでに加奈子に掴まれ封じられていた。

加奈子は至近距離から膝の伸身運動で威力を増した掌打で栄一の顎を打ち上げ、栄一の刀を封じていた手を離し、拳をつくると、オーラを込め仰け反って無防備になった栄一の臍付近に得意技の崩拳を、体重を乗せ打ち込む。

「はっ!!」

どしん!!

「ぐふぅ!!!」

鳩尾にまともに拳が入り栄一の苦悶の声と同時に、手放された主人から離れた刀が弧を描き回転しながら上空に投げ出され、月の光を反射させて舞う。

栄一は加奈子に打ち抜かれ、自慢の愛刀三日月宗近すら手放してしまい、真っ暗な夜の闇に吹き飛ぶ。

拳の手応えから加奈子は勝利を確信し、表情を緩めた。

吹き飛び離れていく栄一と目が合う。

崩拳をまともにくらい6階建てのマンションの屋上から外に飛び出そうとする栄一の目は恐怖で濁っていた。

どんな悪党が相手だとしてもさすがに罪悪感が無いわけではない。

(でも・・あいつが私にしたことを思えば同情には値しない)

崩拳を放った残身のままの姿で、加奈子はそう自分に言い聞かすと、恐怖に引きつった顔の栄一に憐憫の表情を向け小さく呟いた。

「さよなら。くそやろう」


神田川真理&斎藤アリサ&宮川佐恵子vs南川沙織&千原奈津紀

「さーて・・んじゃ、いきますよー」

稲垣加奈子に扉ごと一緒に吹き飛ばされたことで、激昂した井川栄一をひとしきり笑って堪能すると、沙織は抜刀の構えを取り極端な前傾姿勢になった。

上目遣いで舌なめずりをし、狂気の笑みを浮かべている。

「真理!そのゴスロリ気を付けて!!千原奈津紀並みのオーラよ!!」

美佳帆を庇いながら佐恵子が真理に叫ぶ。

「そんな!美佳帆さん下がって!この人も刀・・・髙嶺ってことね」

「ごめー・・・とー!!!」

がきん!!

沙織は目を見開き、そう言うや否や極端な前傾姿勢から一気に真理に跳躍し、対刃グローブを付けた真理の両手を凶刃の一閃で襲う。

「真理ちゃん!加勢する!」

真理のほうが旗色悪しと直感で感じたアリサはセリフと同時に、南川沙織にキックボクシング仕込みの蹴りを放ち参戦する。

「あらー!?二人ぽっちで大丈夫かしらあ?!」

沙織はそう言うと、アリサも加わり2対1になったというのに、むしろ嬉しそうに狂気の笑顔を深め応戦する。

「くっ・・アリサさままで・・!・・・麗華さま・・・、美佳帆さまを連れて逃げてください!」

佐恵子は、真理とアリサが沙織を相手に戦っている様子を油断なく注視しながら背後の麗華に振り向かずに言う。

「え?!・・何言ってんの!はじまったばっかじゃん!」

たしかに麗華は沙織の剣技に圧倒はされたが、佐恵子の予想外の発言に言い返す。

「不味いわ・・ここまでとは!後ろに千原もいるのが見えますわ。暗いところにいますが、あんなオーラは隠せません。麗華さまは美佳帆さまを安全なところまでひとまず逃げて、宏さまたちに連絡を!これは命令ですわ!」

佐恵子は真理とアリサが戦っている様子から目を離し振り向くと麗華に有無を言わせぬように言い放つ。

「・・命令しないって言ったじゃん・・!」

「そうよ!支社長!やってみないと分からないわ!」

麗華のセリフももっともであると言えるし、美佳帆も励ますように麗華のセリフに続く。

しかし戦力をオーラで見えてしまっている佐恵子は一瞬だけ表情を苛立たせた風になったが、唇を噛み眉間に皺を寄せ麗華と美佳帆にゆっくりと言う。

「では急いで宏さまや哲司さま達を呼んできて・・あの二人が居ればなんとか・・!これは命令じゃないですわ・・。お願いです」

「そ、そんなに不味い状況ってことね・・」

美佳帆の発言に対して「・・張慈円さまも来ているとすれば絶望的です」と言うと佐恵子は再び真理とアリサが戦っている沙織に向き、目に力を蓄え、沙織の隙を伺うように注視しだした。

「麗華・・!行こう!二人で突破するわよ?!」

「でもアリサが・・」

「支社長!宏たちすぐ連れてくるからそれまで頑張って!」

美佳帆はアリサを気にする麗華の発言には答えず佐恵子の背中に声をかけると、麗華の手を引っぱりベランダから飛び降りた。

「・・・哲司さま・・折角出会えましたのに」

自身に死をもたらす存在などいない。もしいたとしても死すら怖くないとつい先日まで思っていた自分の心境の変化に戸惑いながら、佐恵子はかつてない危機感と喪失感に身を固くし呟いた。

「く、、くうっ!!来る太刀筋は解っているのに・・・!速すぎる!」

小柄な沙織の居合による突進による剣圧に押された真理が辛うじて防ぎつつ呻く。

「はあああ!!」

真理の後ろから気勢を上げると、斎藤アリサは自慢の脚力を生かし、前かがみになっている沙織の顔面目掛けて右脚で蹴り上げる。

沙織は一瞬嬉しそうな笑顔で顔を歪めると、3寸ほど引いてアリサの轟音唸る蹴りを鼻先1cmほどのところで躱し、アリサの軸足のアーマースーツのない部分、アキレス腱を愛刀京極で断つべく一閃する。

ギギィン!

「させないわ!」

寸でのところで身を挺し、右腕を突き出した真理に刃が阻まれる。アーマースーツの性能で沙織の愛刀京極を辛うじて防いだのだが、さも愉快そうに沙織の嘲りを含んだ声が響く。

「残念でしたー!!」

「きゃあ!!」

屈んだ真理が見あげると、沙織の左手にはいつの間に抜き放たれたのかもう一振りの凶刃九字兼定が握られており、振り上げたアリサの右脚首のアキレス腱を切裂いていた。

「てぃやぁっ!!」

黙っていれば童顔美少女の沙織なのだが、狂気の笑顔を張り付かせた表情で更にそう叫ぶと、身体を捻り空中で脚を振り回した。

右足の甲で真理の顎を蹴り上げ、そのまま跳躍し身体を捻り左脚の甲でアリサの顎を叩くように蹴り抜く。

真理は顎を上げられ強制的に宙返りをさせられながらも、空中で態勢を立て直してなんとか着地し、アリサも器用に空中で側宙し、ダン!と着地するも右足首の腱を断たれた上、顎を蹴り抜かれたアリサは脳震盪を起こしたのかその場に転倒する。

せめて敵を見失うまいと上げた真理の顔は焦り表情で満ちていた。アリサはと見ると意識が朦朧とした様子で何とか立ち上がろうとしていた。

小柄な狂気の童顔女の太刀筋と体術の強さに真理とアリサは恐懼する。

「どいて!!」

真理とアリサはその声に咄嗟に左右に飛びのき、背後からした佐恵子の声に振り向きもせず反応する。すでに佐恵子の両目は見開かれ光を蓄えている。

「魔眼!!こいつを防ぎさえすれば私らの勝ち!!」

沙織は両刀を逆手に握りなおし構え直すと、素早く両手で印を結びオーラを練る。

【恐慌】!!

「ふっせげええ!【不浄血怨嗟結界】ぃ!!」

佐恵子の目から黒い光が迸り沙織を襲う。対する沙織の両手の印から円状に赤い霧状のオーラが展開し沙織を中心にし包みこむ。

黒い光に包まれ押された沙織は額に玉の汗を吹き出し、額には血管が浮き出るほど力を籠め、全開で思念防御結界である【不浄血怨嗟結界】を展開する。

【不浄血怨嗟結界】の中では放出したオーラは拒絶される。つまりこの結界を展開した沙織には生半可なオーラによる間接攻撃は無効となり、北辰一刀流の免許皆伝者で変則的な小太刀二刀流も使う近接戦闘特化の沙織と、近距離戦で対決しなくてはならなくなる技能である。

刀が吸った血の量に比例して性能を増す【不浄血怨嗟結界】で魔眼の能力を跳ね退けるべく、今日までたっぷりと血を吸った刀を二本とも使い、攻撃に回していたオーラもすべて【不浄血怨嗟結界】にオーラを注ぎ防御に徹する。

治療係としてだけではなく、思念を放出する技能を数多く持つ魔眼の対抗術の使い手として沙織は今回の作戦に抜擢されていたのである。

しかし、沙織は徐々に佐恵子から発せられる黒い光に押され始める。

「う!うぉおお!!う、嘘だろぉ・・!どんだけだよ!・・・お、押され!?・・・・っきゃあああ!!」

沙織はつい悲鳴を上げてしまい、オーラを展開している印を解き両手を顔の前で交差させ、少しでも黒い光を浴びないように目を閉じる。

「う・・うっ!!・・けほっ」

悲鳴を漏らした者の足元にぱたぱたと音を立て血がしたたり落ちる。

膝を着いたのは沙織ではなく佐恵子のほうであった。

「佐恵子!!きゃっ!!うぐっ!きゃあ!」

真理が慌てて佐恵子に駆け寄ろうとするが、佐恵子を攻撃した刃に阻まれ脇腹と内腿に峰打ちを浴び、刀の腹で頬を打たれ、悲鳴を上げさせられ床に倒され転がる。

「魔眼は強烈ですが技の発動中はやはり周りが見えていないようですね。こないだ私があなたの大技を躱したとき、最後まで私が見えてなかったようなのでもしかしたらと思っていたのです。・・こんな稚拙な攻撃を避けられないとは・・予想通りでしたね。」

奈津紀は振り抜いた和泉守兼定に付着した血を持っていた紙で拭うと、刀身を鞘に納めながら自身の考察を述べた。

奈津紀は少しでも出血を抑えようと首筋を抑え跪いた宮川佐恵子にゆっくりと近づいていく。

「ひゅー・・・!ひゅー・・・!・・・ごぼっ!!ごほっ!!・・っっ!ひゅー・ごふ!!」

喉を切裂かれ自身の出血で軌道に血が入り苦しそうな表情の佐恵子は、体温と意識が急激に失われつつあることを感じながらも、近づいて見下ろす千原奈津紀を睨み上げた。

「お疲れ様、沙織。魔眼の技をそこまで防いでくれたら十分よ。この事実は大きな収穫です。視界に入るだけで危険・・と言われる魔眼を数秒も防ぎました。やはり魔眼の能力は完全な戦闘用とは言い難いですね」

血の気が無くなり苦しそうな佐恵子を見下しながらも同僚の沙織を労う言葉を掛ける。

「くっそ・・!二刀とも使って防御に集中したら防げると思ったのに・・」

汗びっしょりになり肩で息をしている沙織が奈津紀に近づきながらも悔しそうに唸った。

「いえ、十分です。あんなの喰らったら私もどうなるか、と思えるほどのものです。それより、できれば生かして連れて帰りたいので・・さあ、神田川真理・・・仕事を差し上げましょう。・・・宮川佐恵子を治療しなさい」

「あ、あなたたちという人は!!」

峰打ちで強打された脇腹を抑えながら立ち上がろうとしながら、そう言うと奈津紀と沙織を睨む。

「問答をしている時間など無いように思いますけど?」

「きゃはは!早くしないと死んじゃうよ~?私も【治療】できるけどあなたのが見たいなぁ~♪できるって聞いてるよ?・・そういう機会ってあんまりないじゃない?」

見下ろしながら冷ややかな口調で促す奈津紀、そして奈津紀とは対照的な態度の沙織は楽しそうに言う。

「くっ!」

悔しそうな声を一瞬発すると、選択の余地などない真理は佐恵子に駆け寄り、能力を全開で発動させる。

「佐恵子・佐恵子!・・・しっかりして!!」

自身のオーラを使い全力で佐恵子の傷口に治療を施す。

(傷が深い・・・!すごい失血量・・・致命傷だわ!ほっとけば死んじゃう!)

真理は背後に立つ千原奈津紀の容赦のない一振りが自分にも振り下ろされないか寒気を感じつつも治療に専念する。

「ま・り・・ヒュー・・もう・・いきなさい・・ヒュー・・・こんな状況じゃ・・どのみち・・ぜんいん・・・ヒュー・・助からない・・わ・・まり・いままで・ありがとう」

力の弱い呼吸をしながら、佐恵子は真理の膝の上で頭を乗せたまま言う。

「何を言ってるの?!・・もう少しです佐恵子!・・命に別状がないところまであと少し・・頑張って!」

真理の治療をしている手を掴み、諭すような目で真理を見つめると、奈津紀に目をやり佐恵子は続ける。

「・・・・、千原・・奈津紀・・私を殺しなさい。目的はわたし・・でしょう?・・・その・・かわり・・ほかのみんなには・・手出し無用・・・これで飲んで・・・この条件で・・飲んで・・・くださる?」

佐恵子の自身の命を懸けた提案を聞き、考えている素振りの奈津紀に隣でいる沙織が全く別のことを奈津紀に問いかける。

「ねえねえ、なっちゃんさん・・・、もう二人いたけどベランダから飛び降りちゃったんだけど?」

「・・・心配ありません。張慈円様も何もしないのでは退屈でしょうから、あえて追いませんでした。それに、菊沢美佳帆を捉えるのは彼の仕事のはずです。我らは魔眼を抑えるのが優先事項ですのでね」

奈津紀の答えに「なるほどーそうだよねー」と沙織は納得の声をあげる。

「き・・聞いていますの・・?千原奈津紀・・!」

治療はされても流れ出た血のせいで顔色の悪い佐恵子が、少し苛ついた声を上げた。

「まだまだ元気じゃん!」

沙織はそう言うと佐恵子の肩口に愛刀の京極政宗を突き刺し肺に達っするのが確認すると柄を垂直に回転させた。

「ぎゃあああああああ!!!」

佐恵子は体験したことのない痛みに身をかわすこともできず、大声で悲鳴を上げた。

「な!!なんてことをするのよーーー!!?」

あまりのことに血相をかえ振り返り真理が抗議すると、振り向いた真理の顔面目掛け、京極政宗を収めていた鞘の底で強打した。

ガッ!!

「ぶっ!!!」

打たれた鼻を両手で押さえ、立ち上がりかけていた真理は激しく尻もちをつく。

「こっちも穴あけちゃえ♪」

沙織は気安くそう言うと、もう一つの愛刀九字兼定で真理の左鎖骨の下を突き刺す。

「ぐふ!!・・・うううくぅ!!」

真理は鼻血にまみれた顔を苦痛でゆがめ、刺突された傷を抑え悔しそうにして一瞬だけ沙織を睨むが、すぐに佐恵子に向き直り治療を全力で再開する。

「さ・・さえこ・・死んだら・・だめよ・・・いま治すから」

真理自身も致命傷を負わされ真っ青な顔でそう言うと奈津紀と沙織に背を向け、佐恵子の前に跪いて【治療】を佐恵子に集中する。

いまの不意打ちも【危険予知】を展開していれば防げたのかもしれないが、そんなことに最早メモリを割いている余裕は全くない。

二人のオーラを全部使い切っても佐恵子を治しきれるかどうか際どいところであった。

「・・見事です。自身ではなく迷わず魔眼佐恵子に【治療】を絞るとは・・。神田川真理・・覚えておきましょう」

普段ポーカーフェイスの千原奈津紀が感嘆の表情で真理の背中に声をかける。

「あんた・・・今私のことすごい嫌な目でみたでしょ?・・ねえ?!」

背後で苛立ちを孕んだ沙織の怒声に反応する余裕もなく真理は佐恵子に刺さった刀を徐々に引き抜きながら佐恵子の【治療】のみに集中する。

座り込んだ佐恵子と真理の足元には二人の流した血が溜まり、傷の深さを物語る。

「沙織・・これ以上は神田川の治療が追いつかず二人とも死んでしまいます。魔眼は殺さずに連れ帰りましょう」

「・・・わかったわ。魔眼は殺さずに連れ帰る・・・ね」

沙織は言い終わるが早いか二つの愛刀を交差させ背後から真理の首筋目掛け横に一閃させた。

【第8章29話 魔眼不発!非道髙峰の南川沙織 終わり】30話へ続く

第8章 三つ巴 30話 命を燃やす銀色の獣 稲垣加奈子

第8章30話 命を燃やす銀色の獣 稲垣加奈子

まだ寒さの残る寒風の中、色素の薄い髪が風に靡くのをそのままに、加奈子は息を大きく吐き出し構えを解く。

その時、上空でカシン!という乾いた金属音がし、回転し空気を斬っていた音が不自然に鳴り止んだ。

「この刀もーらった♪」

場違いな明るい声が上空から聞こえ、加奈子はすぐさま見上げ声の正体を確かめる。

(栄一の奴に意識を集中してたとはいえ・・・!気づけなかった)

敵と対峙していても、常に周囲に五感を巡らせている加奈子は声を発する人影に警戒を強める。

見上げた先に白い柄を握った童顔のスーツ姿の女が、嬉しそうな笑顔を月の光に照らされながら、井川栄一の振るっていた刀をキャッチしたところであった。

先ほど、栄一が部屋に切り込んできたとき、この童顔女も背後にいて真理と向かい合っていた。

「なっ!?どうして!」

(・・あいつがきてるってことは・・真理は!?)

上空に舞う刀をキャッチした女に向かって加奈子が叫ぶと、栄一の吹き飛んでいったほうからどさり!という音が聞こえ加奈子は慌ててそちらに視線を戻す。

あのまま栄一はマンションの駐車場まで落ちてしまうはず、そんな音がするのはおかしい。

「っと・・大丈夫かよ。こっちも終わったぜ?それにしても、あんたぼっこぼこじゃねえか。あの脳筋女が来たら任せておけって大きなこと言ってたけど、俺の聞き違いだったのか?・・・以前は楽勝だったから安心して任せろって言ってたから、あんた相当強いヤツなんだと思ってたぜ・・な?俺の言った通りその茶髪女、手強かっただろ?たぶんガチの殴り合いだと宮コーのじゃじゃ馬2人に回復姉ちゃんの中じゃそいつが一番強いんだって」

そう言い井川栄一を背後から受け止めていたのは、張慈円の子飼い劉幸喜である。

「・・・くっ・・・そんなことはない!・・これも作戦のうちだったのさ!余計な邪魔をしやがって・・!離せ!」

栄一はあわや落下する寸前で受け止めてもらい支えてもらっていた劉の腕を振りほどきながら強がったセリフを劉に浴びせる。

「へっ・・そうかよ!じゃあ自分で立てるよな。ちっ、気になって見に来てやったって言うのにご挨拶だな。・・・ん・・はい!アレンが?わかりました。・・じゃあ頑張りなボスが呼んでるし助けもいらんみたいだしな」

貸した手を振り払われた劉は呆れた調子でそう言うと、耳に付けた通信機を抑えながら器用に6階のベランダに降り、雨樋を伝って一階まで滑り降りて行った。

劉に手を離され栄一が膝を付くと、たん!と軽快な音をさせて栄一の刀を空中でキャッチした童顔小柄な剣士がスカートの裾を気にしながら栄一達の隣に降り立った。

「んふふ~、三日月宗近~♪前から狙ってたのよね~でも、もう私のもの!・・愛してるわ!うふふふっ!・・・やーっぱり2尺半ぐらいあるわね・・少―し長いかなぁ・・・もう少し短いほうが私好みだけど・・大丈夫!私好みにしてあげるからね!んふふふっ!」

狂気に近い笑顔で南川沙織は抜き身の刀身に頬擦りをしながらうっとりした声で言う。

「馬鹿言うな沙織!宗近は僕のだ!」

「はぁ?あんたいま死んだじゃん。さっきのイケメンお兄さんがいなかったら刀の持ち主は不在になってたはずだよ~?・・・ということで・・・三日月宗近・・これは私のよ♪!ほら!さっさと鞘も寄越しなさいよ!」

折角の純白のスーツを埃と血で汚し、蹲って肩で荒い息をしている栄一に対して、沙織は満面の笑みで近寄り手を突き出す。

「あらかた終わりですね・・・。劉幸喜さまは案外とお人好しなところがあるようですね。この業界では貴重な人です・・。・・・・しかし、沙織。刀欲しさに飛びついたはいいですが、肝心の魔眼を落としましたよ?」

マンション屋上へと続く鉄製の非常階段を上がり、屋上の様子を眺めながら奈津紀が言う。

奈津紀の右手には長い黒髪を垂らしぐったりとした女性が後ろ手に縛られており、その手首を縛った部分を掴み上げて引きずっている。

「あ!なっちゃんさん~・・井川君がひどいんです。負けた癖に刀を寄越さないんですよー?なんとか言ってやってくださいよ」

沙織は奈津紀の発言をスルーして手にした三日月宗近を両手で大事そうに抱えながら奈津紀に言う。

「・・そんなことよりジャンケンで負けたのですから魔眼をきちんと持っていてください。・・刀の件は一応、御屋形様に私からはお願いしてみます。それまでは栄一さんに三日月宗近は持っていてもらいましょう」

奈津紀は心中では面倒だと思いながらも顔には出さず、沙織に言う。

「はーい♪・・・んじゃ、井川君もう少し預けとくね!」

沙織は右手を軽く上げ敬礼のようなポーズになり笑顔で返事をすると、栄一に向かって三日月宗近を投げ返す。

「くっ!」

井川栄一は稲垣加奈子に重傷を負わされたとはいえ、自信の愛刀の柄を空中で掴むと飛んできた刀をカチン!と音をさせ鞘に見事に収めると

「さ、沙織・・治療を頼みます!」

栄一は沙織に向かって慌てた様子で依頼する。

「まいどあり~♪ってでも後でいいでしょ?・・それに時間だし、もう迎えが来るよ?」

沙織は嬉しそうに言ったのだが

「いましてください!頼みます!加奈子を再教育してやらなきゃいけないんですよ!!」

栄一は沙織になおも言う。

「・・・んー・・。いつもの3割増しでいいなら♪」

栄一の様子を怪訝に思いながらも、面白そうなものを見るように沙織がそう返すと

「それでいい!」

栄一は沙織に大声で即答した。

「・・・し、支社長・・?」

血の気の引いた顔をした加奈子が、奈津紀が掴んでいる人影を見てかすれた声で呼びながら近づく。

「稲垣加奈子。それ以上近づけば宮川佐恵子の身の安全は保障しかねます」

千原奈津紀の冷ややかな声の警告を聞き流し加奈子は視力、嗅覚、聴覚を最大限に研ぎ澄まし、長い黒髪が地面に届き、血まみれでぐったりとして動かない人影が宮川佐恵子だと確認すると、髪の毛をオーラで銀色に光らせ逆立たせた。

「その姿のどこに身の安全があるっていうの!!真理は?!真理ぃ――――!!!さっさと来なさーーーい!!」

研ぎ澄ました五感で佐恵子が生きていることを確認できた加奈子は怒りに任せた大声で治療の出来る真理を呼んだ。

「んふー♪真理ってやつはさっきの部屋で転がってるはずだよー?たしかあいつが真理でしょ?ええっと・・治療ができるやつ」

加奈子の怒声に答えたのは井川栄一の腹部に匕首を突き立てていた沙織であった。

「・・・・・相変わらず君の治療は冷や冷やしますね」

冷や汗を流しながらも、沙織の治療を込めた匕首を刺された井川栄一の顔色はずいぶんよくなっていた。

「・・・沙織、時間まで少しあります。私が宮川を抑えておきますので、その女はもう片付けてしまってください。・・・・栄一さんをそこまで追い詰めた通り、彼女はかなり強いですよ?連戦ですが大丈夫ですよね?」

奈津紀は銀髪を逆立たせた加奈子の正面で対峙しながら、加奈子の後ろにいる沙織に確認をする。

「もちろん・・!なっちゃんさん、私がそういう言い方されると燃えるの知ってて言ってるんでしょ?」

井川栄一の治療を終えた沙織は、込めていた力を使い果たした匕首を投げ捨てると、左の腰と背中の愛刀に手を伸ばす。

沙織は膝を曲げ、腰を落とし半身になり構える。

右手で腰の後ろに釣った京極政宗、左手で背中に釣っている九字兼定の柄を掴む。

正面から見ると変わった独特の構えだが、右逆手の横薙ぎか、左手の打ち下ろしか、はたまた二刀同時の攻撃なのか3択の判断を瞬時に迫る、南川沙織得意の高速居合の構えである。

オーラ全開で千原奈津紀に向いている加奈子を手強しと見た南川沙織は、顔にうっすらと笑みを浮かべながらもその頬を汗が伝っている。

「栄一さんも汚名をこの場で注いでください」

先日、張慈円の隠れ家で対峙したときより稲垣加奈子のオーラが大きく感じている奈津紀は、一度加奈子に栄一も嗾ける。

栄一も稲垣加奈子をこの場で消し負けを帳消しにしておかないと、このままおめおめと帰ったのでは髙嶺六刃仙頭領の髙嶺弥佳子に粛清されると思った奈津紀の配慮からでた言葉である。

「もちろんです!」

奈津紀にそう言うと、全快した栄一は厭らしい目つきで加奈子の後ろ姿を舐めまわすように目で犯す。

栄一は、濡れたように見える刀身を鞘から滑るように抜き、大胆にも八相に構え加奈子を背後から狙う。

「・・支社長を・・・離せ――――!!!」

加奈子は髙嶺の3人のやり取りを聞くでもなく聞いていたが、背後で構える沙織や栄一を無視して正面の千原奈津紀に向かって突進する。

「ちっ!!」

奈津紀は鋭く舌打ちすると、佐恵子から手を離し和泉守兼定を加奈子目掛けて一閃する。

(速い・・!こないだよりも?!)

先日対峙したときの速度がMAXだと思っていた千原奈津紀のほんの些末な油断が、またもや加奈子を拳の間合いまで近づけてしまう。

「おおおらあぁああ!」

気炎万丈の雄叫びならぬ雌叫びを吼えると加奈子は奈津紀に拳と貫手の連打を浴びせる。

「くっ!」

(またもや油断!・・・私としたことが二度も先手を許すとは)

小さく呻き、悔恨を心中で呟くと脇を絞り小さく構え、最小限の動きで加奈子の拳を刀身で防ぎ受け流すが、

「美しい容姿ですのに、まるで獣です!」

四足歩行すらしそうなほどの低い姿勢からの加奈子の猛攻に、奈津紀はつい感想を口走ってしまった。

獰猛で冷静な狼が狙うように、首を正確に狙った加奈子の鋭い貫手に、注意と警戒を余儀なくされ奈津紀のわずかな隙を作ってしまう。

「調子に乗りす・・」

反撃に転じようとした奈津紀の僅かな隙を逃さず加奈子は目を見開き抉るようなボディフックを奈津紀の脇腹目掛け放った。

「おらぁああ!!」

奈津紀はかろうじて左腕と和泉守兼定の刀身の腹で受け止めたものの銀髪女の人外の膂力に圧倒され大きく後ろに後ずさる。

「くっ!」

加奈子の色素の薄い髪はほぼ色が無くなり、オーラのみの輝きを宿すだけになっていた。

「てめぇ!銀髪ぅ!!私のこと無視してんじゃねえ!」

更に奈津紀を追撃しようとしている加奈子に、気を引かせようと背後から声を掛け沙織が加奈子の背に肉薄する。

「ふっ!!」

沙織は呼吸と同時に吐き出した気合の声を発すると、地を這うような低さで迫り、態勢よりなお低く右手の京極政宗を逆手で一閃させる。

加奈子の足首を狙った一閃を飛んで躱し、沙織がその逆手の横薙ぎとほぼ同時に放った上段からの九字兼定が振り下ろされる軌跡に合わせて加奈子は右脚を沙織目掛けて振り下ろす。

九字兼定の刀身の腹を加奈子の右脚の踝で避け、沙織の額目掛けて脚での撃ち落しを放ったのだ。

「ひっ!!」

沙織は必殺の二太刀を見切られ、打ち落としのカウンターで頭上から降ってきている黒い死の塊を見て悲鳴を上げた。

「させませんよ!加奈子!」

栄一は気安く加奈子の名前を呼びながら八相の構えから自身最速の技の蜻蛉を加奈子に打ち下ろす。

「っ!!」

折角小うるさい敵を一人仕留めたと思った加奈子は声にならない声を出し、栄一の刃を躱そうとする。

しかし、空中で踵落としをしている加奈子はさすがに躱すことができず、態勢を崩し栄一の三日月宗近を左手の甲で弾くようにして何とか防いだ。

「こ、こいつ・・・!許さねえ!!」

九死に一生を得た沙織が目を見開き加奈子を睨む。

「僕が手こずるのも納得していただけましたか・・?」

素早く態勢を立て直して二刀を構える沙織をかばうようにして栄一が言う。

凄まじいオーラを放ち、身体能力も不自然に高めている加奈子は滝のような汗を流しながら肩で息をしていた。

この状態が長く続かないのは誰の目にも明白なのだが、当の加奈子は命を捨てる覚悟で向かってきているのも髙嶺の3人にも十分感じ取れていた。

「生命をオーラに変換して戦うタイプですか・・。先ほどの神田川真理といい稲垣加奈子と言い大した忠誠心です。・・・それともこれも噂に聞く魔眼の【魅了】や【傀儡】による強制力でしょうか?・・いずれにせよこの様子だと魔眼を取り戻すまで命を削るのを止めないでしょう・・・。沙織、栄一さん油断なきよう。始末しますよ」

千原奈津紀は和泉守兼定を正眼に油断なく構え、静かに言い放つと刺すようなオーラを纏い周囲に展開する。

「おやおや・・・3対1とは感心しませんな」

物静かで場違いな声が、暗闇の広がるあらぬ方向から対峙する緊張の中心に投げ掛けられた。


【第8章30話 命を燃やす銀色の獣 稲垣加奈子 終わり】31話へ続く
筆者紹介

千景

Author:千景
訪問ありがとうございます。
ここでは私千景が書いた小説を紹介させて頂きたいと思います。
ほぼ私と同年代の既婚者が主役のものになるかと思います。登場人物同士が
つながりを持っていて別の物語では最初の物語の主人公が脇役を務める様な
小説全体につながりを持たせ想像を膨らませていけたらと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します

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