第9章 歪と失脚からの脱出 6話 精神スワッピング
宮川コーポレーション15階にいくつかあるスイートルームは、部屋ごとに内装や間取りの趣向を変えた造りになっており、1つとして同じ部屋はない。
菊一事務所メンバーはスイートルームの使用を半ば強引に勧められて、そこで寝泊まりしているが、まだ誰がどの部屋に宿泊しているのが決まっているわけではなく、部屋の割り振りは、数日ごとにメンバーで入れ替わったりして、それぞれ使い心地を試している状況であったからだ。
それと、使い勝手や好みという面もあるが、それ以外に調べなければいけないことがあった。
一方的に疑うのは良くないと分かっているが、万が一の為、最初の1か月ほどはメンバーを入れ替えながら、それぞれ各部屋に如何わしい仕掛けがないかを調べつくしていたのである。
結果的に、探偵事務所の全員のメンバーの調査では、どの部屋も盗聴器や盗撮カメラなどはなくシロだったということはすでに判明している。
また、どの部屋に誰が宿泊しているのを固定してしまうと、敵に思惑があった場合には、良からぬ企みを計画しやすい・・という懸念もある。
しかし、ここ3か月ほど、美佳帆の【百聞】や千尋の【残り香】などでも徹底的に調査をしているので、宮コー幹部からの思念を使った企みも今のところ無いのは間違いがない。
という訳で、そう言った意味から安全だと分かりつつある状況であるし、哲司は昨日から泊っているこのスイートルームを気に入っていた。
すでに何度かこの部屋では寝泊まりしているが、ほかの部屋よりもこの部屋が一番落ち着く。
壁はほとんどアイボリー色で、調度品や家具、そして扉などはダークブラウンでまとめられている。
哲司にとっては、このぐらいシックで落ち着いた色合いのほうが好みなのだ。
哲司は部屋に備え付けられているサイドボードの中に用意しておいたボトルをいくつかとり出して、窓際に立って夜景を眺めている女性に声を掛けた。
「食後酒って言うたらブランデーとかなんやろけど、千尋はこっちのほうが好みやと思て用意してたんや」
声を掛けられた千尋は、ボトルを取り出し、グラスや氷を用意している哲司を見て驚いた。
「ど、どうしたのモゲ君?・・そんな気を使うなんて・・ひょっとして飲み過ぎてる?」
モゲがいままでそういう気の利いたセリフや、準備をしていることに慣れていない千尋はついいつもより大きめの声で答えてしまった。
哲司も千尋に思いのほか大きな声で返事されたため、少し驚いた顔になってしまったが、すぐに笑顔になり千尋に返答する。
「どうしたって部屋で飲みなおす話やったやないか。もう忘れたんかいな?ほら・・、だいぶ前やねんけど、これ、千尋が言うてた酒やろ?買うてきてたんや」
哲司は笑顔のまま、鮮やかなレモン色の液体の入ったボトルを、千尋に見えるように片手で軽く持ち上げた。
「え・?これって・・結構前の話だよ?・・そんな前のこと覚えてたの?」
千尋は窓際の縁から哲司の近くまで歩きより、哲司に渡されたボトルをまじまじと見て、顔を上げた。
「そや。ちょっと度数たかいけど肉料理のあとはこれでええやろと思うし、千尋の口にもあいそうや思てな。・・・どや?」
ボトルを手に、千尋は哲司の顔とボトルとを驚いた顔で何度も見比べる。
「ど、どないしたんや?」
哲司はすぐ身近にまで近寄ってきた千尋の距離が、いつも以上に近いことに内心焦りつつもできるだけ平静を装い聞き返す。
(これって・・ほんまにバレてないんやろな・・)
哲司はモゲの能力によって、周囲からはモゲと認識される誤認作用のあるオーラを全身に纏っている。
「う、ううん?なんでも・・。ありがとうモゲ君。・・でも、いつもマイペースなモゲ君が急にこんなことしてくれるとびっくりするよね」
バレてないかと心配して妙に背中が汗ばみだした哲司は、伏し目がちに嬉しそうな表情でそう呟く千尋を見て一気に安堵する。
「す、すまんなぁ千尋。今日も俺・・、テツや佐恵子さんの前であんな感じになってしもて、千尋に恥ずかしい思いさせてもたな。・・すまんかった。もうちょっと俺ちゃんとせなあかんよな」
伏し目がちで俯く千尋を間近で見下ろすようにしている哲司は、普段こんな近くで千尋をまじまじと見る機会がなかったので、内心ドギマギしながらも答える。
「ほんとよ。すっごく恥ずかしかったんだから。和尚や佐恵子さんはきちっと身だしなみしてるのに、モゲ君ったらネクタイも外しちゃってて、あんなに大声で夜景にはしゃいだり、お料理だってあんなにガツガツ食べるんだもん・・。それに、私だけ頑張ってドレスアップしてても・・って・・あ、あら?モゲ君いつの間にネクタイしたの?」
自分の耳では「どきぃ!」という心臓の跳ね上がる音が聞こえた哲司は、かろうじて表情を動かさずに我慢できた。
哲司は、誰にも分らない程度に目を泳がせただけで、ほぼ表情に出さずにできるだけ落着いて、ゆっくりとそしてはっきりと千尋に目を合わせて口を開く。
「さっきはちょっとふざけてしもてたけど、いまは千尋と二人っきりやし、ちゃんとせなあかん思て、締めなおしたんや。・・・真面目な話もせなあかんしな」
哲司はかなり焦ったが千尋の様子を見る限り、自分だとバレている様子はなさそうだ・・と改めて胸をなでおろすと、真面目な顔で千尋に向ける。
「ど、どうしたの?急に・・・」
突然真面目な顔で改まった様子の哲司に千尋は、普段とは違う雰囲気を感じ、哲司の目を見つめ返してしまう
「まあ、ちょっとだけ飲みながら話そうや・・」
鮮やかなレモン色の液体を湛えたグラスを二つ手に持ち、哲司は後で窓際のソファを指し千尋に座るように促す。
「・・・なんだか、モゲ君。雰囲気違うよね」
ソファに腰を下ろした千尋は「ありがとう」と言いグラスを受け取りながら、まだ立ったままの哲司を見上げる。
「・・そうか?ちょっと真面目な話しときたい思てな。普段のままやとまた千尋にふざけてるって怒られてまうからな」
哲司もそう言いながら千尋が座る二人掛けのソファの隣に座り、一口だけ口を潤し、グラスをテーブルに置いた。
「真面目な話?」
「そや・・俺と千尋の今後のことやねん」
そう言うと哲司は千尋の手を取って続けた。
「俺ら付き合うとるよな?」
その言葉に千尋は少しだけ罰の悪そうな顔になり、僅かながら身を引きながらも答えた。
「そう・・だね・・。付き合ってるよね」
「そやな・・よかったわ・・。ありがとうな千尋」
一応肯定の言葉を口にした千尋にお礼を言い、哲司は更に続ける。
「言うておきたいことって言うんはな・・実は俺・・借金返して博打やめたんや・・いや、すまん・・。まだ博打はやめた言うても、まだ数日やから完全とは言えん。せやけど千尋との将来考えて宮コーで給料も安定したし、千尋が安心できるように頑張ろう思てる。・・・千尋が俺と上手いことやっていかれんかもしれんって不安がってるんって、・・・こういう事やろ?」
哲司はいつの間にか千尋の手を両手でしっかり握り、千尋の目をしっかりと見つめながら話していた。
モゲがまだ借金を返せてないことは知っていたが、そろそろ本気でなんとか借金を返済させるべきだと思っていた。
佐恵子もモゲが最初の返済にいきなり遅れたことに対して、モゲの友人である哲司にもチクリと苦言を呈していたからでもある。
モゲにはまだそのことは話していないが、ここまで借金が膨らんできた以上、そろそろそうでもしないと千尋も安心できないだろうと哲司は思い、モゲにはこの際どうにかさせようと思っていたから出た発言である。
「・・モゲ君・・。そういう事で真面目に言うの初めてだよね・・。・・・信じていいのかな・?モゲ君が借金返して真面目に働いてくれるなら私とてもうれしい・・。でも、モゲ君こそいいの?私なんかでさ・・?私・・ついこないだバツがついたばっかりなんだよ・・?」
哲司は千尋の反応に思いのほか簡単に話済そやな・・いったいモゲは普段千尋とどんな話してんねん・・と思い始めた矢先に、千尋の美しい顔が今にも泣きだしそうな表情になり、みるみる目に涙が溜まってきているのに驚いた。
「ど、どないしたんや?なんで泣くんや・・?バツなんて関係あらへんよ。もちろん千尋でいいに決まってるやろ。俺が千尋のことずっと好きだったん知ってるやろ?千尋おまえ自分が周りにどんなに思われてるのか知らんのか?高校の時から正統派美女って呼ばれてたんやで?ええもわるいも・・ええにきまっとる!」
突然の千尋の涙に狼狽えた哲司は、勢いよく言い切った後、本当に千尋を慰めようとして自然に軽く肩を抱く。
「だ・・だって私・・。私・・捕まったとき・・張慈円に・・されたんだよ・・?いいの?」
「ええに決まっとるやろ!」
美しい顔を涙で濡らしながら言う千尋に、哲司は思わず抱いている肩を強く握り千尋の身体を揺さぶるようにして大きな声で答える。
「・・・ありがとう・・モゲ君。・・私が離婚されたのって・・、張慈円にされたこと・・ほんの少しだけ旦那に言ったからなの・・。まさかご両親にも言うなんて・・・。そしたらすぐ親戚中に知られちゃってさ・・幸い子供もいなかったから・・ってとんとん拍子に話が進んで・・離婚・・・なんだって・・。わたし・・わたしって・・うううううう・・!」
知的でクールな美人と学生時代から持てはやされていた伊芸・・いや哲司の記憶では旧姓である大西・・大西千尋は喋りながらながらどんどんと涙声になっていき、しゃくりながらなんとか言い切ると、ついには大声で泣きだした。
哲司は自分の胸板に顔を埋め、わんわんと泣く千尋を哲司はしっかりと抱きしめた。
「そ、そうやったんか・・!そんなことで・・!・・千尋が一番辛い思いしてるときに・・クソ旦那はなんてことするんや!・・・すまん!・・気づいてやれんかって・・!しかも張慈円のクソに捕まったんも千尋が旦那を盾に取られ守ろうと思ったから、逃げれんかったのに・・・」
哲司は千尋が離婚したことについては偶然だと思っていた。
今回の事件のことなど関係ないと勝手に思い込んでいたのだ。ただ単純に親友であるモゲにもチャンスが巡ってきたとさえ思い、内心喜んでいた自分に怒りが沸いてきた。
(くそ・・!千尋がこんなに苦しんでたやなんて・・!・・それやのに俺は・・なんも気づ言えやれんかったし・・・ひどいことされた上に癒してくれると思とった相手に離婚突き付けられるなんてな・・・!)
「すまん・・!」
哲司はそういうのが精いっぱいで、泣きじゃくる千尋の背中を撫で続けた。
モゲとの約束のことなどは頭から飛んで行ってしまい、ただ千尋が泣くに任せて身体を寄せてくるのを撫で続けた。
どのぐらいそうしていたのかは哲司も把握していなかったが、次第にしゃくりあげる回数が減っていき、やがて千尋が哲司の胸から顔を上げた。
「・・・・泣いちゃったよ」
「ああ・・もうええんか?もっと泣いててもええんやで?」
「・・大丈夫・・ありがとモゲ君」
涙に濡れた顔を上げた千尋が笑顔でお礼を言う。
その表情とモゲというセリフに哲司は我に返った。
(俺今モゲやったんや・・・!すっかり忘れてしもとった・・)
「モゲ君。・・・わたし・・シャワー浴びてくるね・・?・・バスルーム貸してくれるかな・・?」
「え?」
千尋が泣きだしてから本気で心配して、ついモゲであることを忘れていた哲司は、なにか失言があったのではと狼狽から抜け出せずにいと、千尋がいまだ涙の乾かぬ顔ながらも、気恥ずかしそうな笑顔を浮かべ、哲司と目を合わせ、顔を少し赤らめて言ってくる千尋の意図がすぐに理解できずに素っ頓狂な返事をしてしまった。
「やっぱり・・・だめなの?モゲ君も私なんかじゃ嫌・・・?」
「ち、ちが!・・そうやない!いままでそういう事なかったから驚いただけや。もちろん嫌やない!遠慮のうシャワーしてきい!」
「うん・・」
千尋は安堵した表情になって笑顔を哲司に返して頷くと、足取り軽くバスルームに消えていった。
バスルームの扉が閉じられ千尋の姿が完全に見えなくなると、哲司は肺にたまっていた空気を一気に吐き出した。
「はぁあああ!・・・上手いこといった・・よな?・・けど、・・これからどないしよ・・・」
哲司は一口しか口を付けていなかった度数30のリモンチェッロを、グイっと勢いよく煽って一気飲みすると再度大きく息を吐き出した。
「・・・まだ時間・・2時間以上あるやんか・・。これは・・覚悟決めなしゃあない・・よな?・・モゲよ・・・これから起こることは不可抗力や・・お前が持ち出してきた話やしな・・。・・・もう一杯ぐらいいっとくか・・」
哲司は、そう言い訳を独白しながらグラスにレモン色の液体を注ぎ、先ほど抱きしめていた学生時代からのみんなの憧れの存在、伊芸・・いやもう大西性にに戻っているはずの千尋の身体の柔らかさを思い出しもう一度レモン色の液体の入ったグラスを勢いよく煽った。
(しかし俺って男は何でいっつもこうなんや・・・ひまわりやタンポポならいくらでも摘めるが百合の花はどうも、摘むのが下手くそなんよなぁ・・・百合の花タイプの女性が好みのくせにのう・・・佐恵子さんもバリバリに百合タイプの女性やさかい、いまだなんもようせんといるわけやしなぁ・・・)
そんな事を考えながら、高校時代からの高嶺の花である千尋がシャワーを浴びているであろう音を、バックミュージックに高鳴る鼓動を抑えきれずに哲司はやめたはずのタバコを吸いたい気分になっていた。
一方、哲司と認識されているモゲと佐恵子サイドは・・・
「て、哲司さま!酔っぱらってしまったのですか?お止めになってください!」
ブランデーを飲みながら、だんだんと詰問口調で詰め寄ってきていたモゲが、ついに佐恵子の腕を掴んできたのだ。
「酔うてないわ!だからただ聞いてるだけやろ?!なんで俺のこと避けてるんや?」
「い、痛いですわ!・・避けてなんかいませんわ・・」
宮コー関西支社のほど近くの、佐恵子の私室のあるマンションで、まだいくらかも飲み始めていないというのにモゲが佐恵子に迫り出したのだ。
「嘘言えや避けてるやろ?俺ら付き合うてもう3か月もなるんやで?!・・なんでなんや?ええ?佐恵子さんよ?」
「そ、それは・・」
モゲに左腕を掴まれ、部屋の隅まで追い詰められた佐恵子はモゲから目を逸らせた。
「それは?・・なんや?!浮気でもしてるんちゃうんか?」
「ち!・・ちがいますわ!!・・浮気だなんて!哲司さま!!わたくしがそんな女に見えまして?!」
左腕を掴まれながらも浮気の濡れ衣を着せられるのは我慢できなかった佐恵子は、三白眼の目を見開いて全力で否定の言葉を口にする。
「さぁなあ?でも恋人である俺に抱かせてもくれへんし、浮気してるって思われるんはしゃーないんちゃうんか?」
しかし、モゲはそんな佐恵子の様子に動じた様子もなく、肩を竦め突き放したように言う。
「そんな・・哲司さま・・。わたくし、断じて浮気などしておりませんわ・・信じてくださいませ」
今まで見たこともない哲司の口調と反応にこれ以上にない不安を感じた佐恵子は、語尾を弱めながらも再度なんとか否定の言葉と懇願のセリフを口にする。
「ほんまかいな?ほななんで俺のこと拒むんや?3か月も付き合うてSEXなしのカップルやなんて有り得えへんやろが!そんな彼女おってもしょうがあらへんしな」
「そ、・そんな・・ですが。ああ・・哲司さま・・。居てもしようがないだなんておっしゃらないでください・・・もしかして・・わたくしのこと、もう嫌いになってしまったのですか?」
掴まれてない右手で自身の胸を押さえながら、必死に訴えるように聞いてくる佐恵子の表情は、モゲはもちろん、おそらく今まで誰にも見せたことがない程狼狽えた顔であった。
モゲは自分のことを罵り見下してきた女が、このように不安な表情で懇願してくる姿に気分が高揚してくるのを感じていたが、佐恵子の内心での心情の不安の渦の大きさはモゲの想像を超えている。
しかしそれが正確に分からないでいた為、モゲは更に佐恵子を責める。
「そやな。3か月もオアズケ食らわせる女なんか嫌いやわ。俺のこと弄んで楽しんどったんやろ?その気にさせて肩透かしさせて、男が落胆してるの見てほくそ笑んで楽しんどったんやろ?あんたそういうのしそうやしな。もしそうなんやったら、今日ここでこれっきりや」
「そんな!嫌です!違います!違いますわ!断じて違います!ああ!そ、そんな!そんなこと思いもしておりませんわ!哲司さま!どうしてそんなひどいこと仰るのです!」
佐恵子はモゲのセリフに自分自身でも制御できないほど狼狽えていた。
瀕死の加奈子の治療の際・・・いや、佐恵子だけが栗田教授に手術室に呼ばれたとき、実はすでに加奈子は瀕死ではなく【治療】の甲斐なく死亡してしまっていたのだ。
死亡した加奈子を前に、取り乱し錯乱して泣く佐恵子に、栗田教授は噛んで含めるように、優しくそれでいて冷淡に佐恵子に提案した。
『近しい者のオーラの籠った触媒があれば【蘇生】の可能性がある』ことを・・。
佐恵子はさすがに【蘇生】が使える能力者が存在するなどとは聞いたことがなかったが、栗田の説明を聞いて即断した。
栗田の言葉を疑う事などなかった。栗田のオーラは微塵も乱れておらず、真実のみを伝えそして佐恵子の意思での返答を待っていたのが分かったからである。
今の佐恵子の左目は栗田が術後に用意した特別性の義眼である。
佐恵子の左目は【蘇生】効果が確実に発現するように、魔眼が加奈子の左目として蘇りますようにと、願いとオーラを十分に込めたうえで加奈子の左目に移植されたのだ。
魔眼という強力な触媒を使用して発動した【蘇生】は、栗田の想像を超える域で見事成功し、加奈子は生き返ったのだ。。
手術の結果、加奈子の左目はアンバーアイの魔眼となり、一方佐恵子の左目は右目のアンバーアイの色味に合わせた義眼である。
佐恵子は両目を使って行使していた魔眼は上手く発動しなくなったばかりか、左目の義眼には視力すらない。
一方魔眼の力を得たはずの加奈子は、魔眼に慣れてないせいもあり未だ上手く使いこなせていない。
それに加奈子の両方の目は、色が違うオッドアイ状態になってしまったので、もともと自前の右目の色に合わせたカラーコンタクトを左目の魔眼に着用していて、周囲にこの事実を伏せている。
佐恵子の力が弱まったのは、失脚による精神的なもので一時的なものだと周囲に思わせておかなければならないからだ。
なぜなら、宮川佐恵子は魔眼が完全に使えなくなったかもしれない。などと周知されてしまうと身内である宮川誠やその愛人の緋村紅音などによって、本当に殺されてしまうかもしれないからだ。
脅威もなく役にも立たないが、血統だけが上等なものはあの二人にとってはむしろ邪魔だと判断されるかもしれない。
社内での地位を失い、部下も失い、魔眼の力を失っても一族から疎まれないよう上手く立ち回りチャンスを狙って生きていくと決心できたのには、自分には哲司という恋人がいてくれたからだ。
魔眼のパッシブスキルで哲司の感情を読み取れていた時は、今まで出会ったどの男性よりも自分と相性が合うと思った。
しかし、今はもう能力で哲司の感情を読み取ることはできない。
学生時代に人生で初めての一回きりのSEXでのトラウマのせいで、哲司ともSEXに踏み切れずにいた。
付合いだして3か月間、何度も悩んだが、勇気がだせず、哲司の想いを無視し続け、踏み切れずにいたせいで、哲司の心は自分から離れつつあるのかもしれない、と佐恵子は今更ながら壮絶に後悔し始めていた。
佐恵子の表情はともかく、頭の中は完全に冷静さを失っていた。
いままで頼りとしてきた絶大な思念能力の魔眼がほとんどを使えなくなったとしても、加奈子には生きていてほしいし、自分には哲司という存在がいる。
そう思ってきたのに哲司のセリフは佐恵子の心をズタズタにしようとしていた。
やっと自分のことを好きでいてくれるかもしれない、と思った恋人までも失うのは想像するだけでも心が張り裂けそうであった。
「酷いんはどっちや!はっきりせえや!俺とSEXする気があるんかないんかどっちや!?」
「あ、あります!・・で、ですが・・」
佐恵子の左腕を掴んでいたモゲの腕を、もはや佐恵子の方が縋るように両手で掴んでいる。
「ですが?ですがってなんや?またオアズケさせる理由考えてるんか?」
「そんなこと考えていませんわ・・。お願いでございます。今日、何か気に障ることでも・・わたくし、してしまったのですか?もしそうだとしたら・・!・・哲司さま・・どうか・・お許しください・・哲司さまに嫌われるだなんて夢にも想像したことすらありませんでした・・辛すぎます・・謝ります!・・どうかこの通りです・・」
そう言うと佐恵子は大粒の涙を零しながら、生れてはじめて人に対して膝をつき頭を下げた。
「できるんやな?」
モゲは足元で膝をつき顔を伏せて丸くなり、嗚咽を漏らしながら小刻みに震えて、顔を上げず頷いている佐恵子の姿を見て、普段はドSな振舞いをしている女を完全にへし折ったことに優越感を感じていた。
泣いて肩を震わせている佐恵子を見下ろしながら、なんとかSEXの同意を取り付けたられたことに対して、一応は哲司に面目が立ったと胸をなでおろしたが、生意気で自分に恥をかかせ続けた女とは言え、少しやりすぎたか・・とちょっとだけ反省したする。
しかし、ここまで来たのであればと思ったモゲは蹲った佐恵子にトドメの言葉を投げかけた。
「ほな脱いでもらおか」
「・・はぃ」
佐恵子は蚊の鳴くようなか細い声で返事をし、涙で濡れた顔を上げた。
そして、モゲの気が変わらぬうちにと、気ばかり焦っている仕草でネイビードレスの背中のファスナーに手を掛け一気に引き下ろしと、ドレスを床の絨毯パサリと落とした。
【第9章 歪と失脚からの脱出 6話 精神スワッピング終わり】第7話へ続く