第8章 三つ巴 11話~強襲悪魔の巣窟4~神田川真理vs劉幸喜
佐恵子が瀕死にしてしまった、若いチンピラの治療はほぼ終わりかけていた。
終わりかけと言っても、実は治療する余地も余力もまだまだある。しかし、必要以上に回復させてやる気はない。
肋骨も折れていたが、完全には治療しない。このままだと動いたり、呼吸すればまだまだ痛むはずだ。
私の能力をもってすれば、この程度の怪我を完治させることは容易である。しかし、それをすると私が疲れてしまうし、この子に、完治され動き回られても面倒なことにしかならない。それに、こんなどこの馬の骨ともわからない者に、そこまでしてやる義理もない。
傷や体調を回復させるには、私の思念を使って治すのでも可能だが、対象者の思念でも代用が利く。
佐恵子に、文字通り叩きのめされた若いチンピラは、思いのほか思念量が多かった為、チンピラの思念だけを使い治療した。治療は死なない程度までにし、適当に切り上げる。
適切とは言い難い治療で、若いチンピラの思念量を湯水のごとく、雑に使い切り、不完全な治療と同時にこの若いチンピラの思念量を、意図的に枯渇させ気絶させたのだ。
「・・・ふぅ、これでしばらく起きない。死ななければいいということだったし」
そう言うと、さっきまで随分と騒がしかった奥の部屋を伺う。ここからでは、全く奥の部屋の様子はわからないが、今は先ほどのように怒鳴り声や大きな物音は聞こえない。
「・・・静かになったわね」
佐恵子が向かった部屋とは違う、奥の部屋から聞こえていた喧噪は、加奈子が暴れていたのに違いない。完全に戦闘寄りの能力者である加奈子が、まさか不覚はとらないとは思うが、左耳に手を当て、通信をオンにする。
「加奈子。大丈夫?」
「あ、真理。もちろん大丈夫!ザコばっかりよ!・・そっちは?」
姿は見えないが、直ぐに何事もなかったかのような口調で、加奈子の声が返ってきた。いつも通りの声にひとまず安心する。
「こっちも大丈夫。佐恵子も加奈子とは違うほうの奥の部屋にいってるけど、物音があまりしなくなったから、もう戻ってくると思う。雫は見つけたのね?・・・咲奈は?咲奈も助け出せたの?」
「ううん・・。雫はここにいるけど、咲奈はまだ・・。雫はこっちの奥の部屋に連れて行かれたって言ってるから・・。そっちの部屋に行きたいんだけど、ここで待機って言われてるから・・。あ!後でまたこっちから連絡するね!」
通信途中だったが、一方的に切られてしまった。
・・新手ということ?通信を切らないといけないほどの相手ってことかな・・?
と、言ってもここを離れるわけにはいけないわね。本来ならこの部屋への出入りはここしかないしね。
それにしても、こんな廊下のど真ん中で寝られたら邪魔ね・・・。通信しながらも荒い呼吸音をまき散らすチンピラのことが、うるさくて気になっていた。
ゼェゼェとようやく呼吸ができている程度の、若いチンピラを足蹴にし、ズリズリと廊下の端に押しやり移動させていると、治療とは別の、展開させていた能力に反応があった。
私が危機察知と名付けた能力だ。危険に関する物事を察知する予知能力で、周囲10m程度と範囲は狭いが、その範囲内において今後5秒以内に発生する危機全般を感知することができる。非常に珍しい能力らしく、能力を佐恵子らに知られてしまった際は、とても珍しがられた。
この二つの能力のせいで、宮コー本社からは特別な業務を命令されている。今回のように、有事の際には佐恵子の治療係兼ボディガードとして周囲を警戒する仕事だ。もっとも、そのような命令がなくとも、佐恵子に頼まれれば少々の無理であっても、聞いてあげるつもりではある。
玄関のほうから、私を狙う気配に気づかないふりをしつつ、ほくそ笑む。
ノコノコとやって来なさいな・・。脳筋の加奈子や佐恵子ほどじゃないけど、私も肉体強化できるのよ・・さあ、不用意に近づいてらっしゃい・・・きついの叩き込んであげるわ。
・
・・
・・・
・・・・
真理が茂部天牙を足蹴にし、廊下の隅に追いやっているときより2分ほど前。
あの汗臭い筋肉質なボクサーどもと同じ部屋でメシを食う気になれずにいたので、ファミレスでメシを済ませ、途中にあるコンビニでタバコを補充し、オルガノに向かう。
ボスの命令とはいえ、今回の仕事は不満だ。木島やアレンのお守りとは、ボスも気を使い過ぎている。木島やアレンがどうなろうと放っておけばいいのだ。奴らの行動の責任は、奴らがとればいいだけである。
しかし、ボスを何となく毛嫌いしている木島やアレンと言えども、そのボスが護衛してやれというのならば、俺にとっては否応もない。
それにしても、橋元さんは、湾岸地域開発を推進している宮川の事業に食い込んで、荷役や賃料の利権を得たいみたいだが、あの宮川グループを本気で敵に回すには、木島やアレン程度では、些か駒がカスすぎる。
橋元さんは、相手の戦力を知らないのではないだろうか?宮コー本社ほどでないにしても、こちらにも何人かは能力者が配置されているはず・・。
宮川コーポレーションは、表向きにはCM戦略や、起用する芸能人の印象も相まってクリーンなイメージの上場企業だが、荒事となるとめっぽう強い。それは、あいつらが常人じゃない能力者集団だからだ・・。ボスを通じて報告しておいた方がいいかもしれないな・・・。
たしか、宮川の一人娘が支社長として赴任していることは知っているが、あれ以外にも能力者が移動してきているのは間違いないだろう。
俺が数年前に、首都圏にいたときのような面子がこちらに来ているのならば、相当厄介だ。ただ、先日首都圏の以前の仕事仲間と連絡を取り合った時は、ほとんどの能力者はまだ向こうにいると言っていた。
しかし、あの宮川の娘だけでも相当面倒な相手のはずだ。しかも、宮川昭仁の一人娘が護衛もなしに一人で、赴任してくるとは考えにくい。少なくとも、5人はいるだろう。
それにせっかく、うまく人質をとれたというのに、木島とアレンが交渉材料の価値をなくしてしまっている気がする。
情報ではそれなりに、あの一人娘の支社長とは近しい人物との情報もあった人質だというのに、彼女らを傷つけてしまうと、かえって状況は悪くなるのではないだろうか。
ふむ・・、最悪の場合、ボスに手を引くよう提案をした方がいいかもしれいな。
これだから、大人数いる組織は面倒に感じてしまう。もう少し、まともに頭を働かせる奴はいないのだろうか。
ちっ、面倒くさいな。・・こういう事を考えるのは苦手だ・・。
そう思ったところで、ちょうどオルガノが見えてきた。木島やアレン、ボクサー達と、またしばらくここでカンヅメになるのかと思うと更に憂鬱な気分になる。
マンションに入り廊下を歩きだすと、少し遠目に105号室の扉が開きっぱなしになっているのが見えた。
ん?おかしい。誰か出てくるのか・・・?違うな・・これは、襲撃か!?
気配を消し、足音も完全に消すと105号室の扉の隣まで移動する。ちらりと部屋の中を伺うと、倒れたモブと、黒いぴっちりとした衣装に身を包んだ、見たこともない黒髪の女が確認できた。横顔が一瞬ちらりと見えただけだが、女の割には長身と言える容姿に、魅惑的な体のライン、そして肩まで届く黒髪にはこの距離からでも艶が見て取れ、艶めかしさすら感じさせられる美人だ。
・・・しかし、完全に侵入者だな・・。一人ではないだろう。幸いまだ俺には気づいていない様子だ。
女は美しい顔におよそ似つかわしいくない所作で、まるで、モブのやつを汚物でも押しやるかの如く、足蹴にして廊下の壁に押し付け終わると、奥の部屋の様子を気にしている。
・・・なかなか、シュールな絵面だな・・。・・モブ・・・、生きてるよな?生きていたら後で回収してやるよ・・。暫く辛抱してろよ・・。
それにしても、こんな美人でも、他人の目がなかったらこういう事ができるってことだ。虫も殺せなさそうな顔してるくせにな。これだから女は怖い・・。
それはともかく、女が向いている正面には反射物はないし、廊下の照明の位置を考慮しても、俺の姿を察知できる要素はない。・・・一気に行くか。
そう判断すると、足音無く、一瞬で間合いを詰め、女の背後から肉薄する。
不意打ちだが悪く思うなよ!その代わり、殺しはしない!聞きたいことが山ほどあるからな!
無言で、そう断わると、女の首目掛けて左手で手刀を振り下ろす。
その瞬間、女の身体が視界から消えた。
いや、消えたのではなく身を低くしての足払いだ。
やられた!不意を突かれたのは、俺のほうだ!この女気づかないふりをしていただけだ!
そう気が付いたときには、すでに踏み込んだ左足が払われ、不安定にグラついた俺の身体目掛け、女は、自身が立ち上がる力を利用して両手を後ろに引き、技を放とうとしている。
「えぇい!」
澄んだ可愛らしい掛け声とは裏腹に、猛烈な風切り音を孕んだ、双掌打が無防備な態勢でよろける俺の左胸目掛け放たれる。
冗談じゃない!こんなもの喰らったら、即戦闘不能だ!
空中で必死に態勢を直し、かろうじてオーラを込めた腕でのガードが間に合うが、勢いは殺しきれず、後ろに吹っ飛ばされ、部屋の外の廊下の壁に激突する。
「あら・・やるわね」
「き、きさま・・!相当性格悪いな。俺に気づいていたというのに狸の真似とは・・・」
足で衝撃を殺したとはいえ、打ち付けた背中に鈍痛が残る。それに、女の双掌打を防いだ左腕がビリビリと痺れている。
・・なんて威力だ・・。微量とはいえオーラも間に合ったってのに・・。これじゃ、まともに動くようになるには、しばらくかかりそうだな・・。利き腕じゃなかったのは、不幸中の幸いか・・・。
背中をさすりながら目の前の女にそう言うと、攻撃を防がれ、意外そうにしている女が反論してきた。
「私が狸に見える?何方かと言うと狐じゃない?女狸は言わないけど、女狐って言うわよね。それに、性格が悪いのはお互い様です。女の背後から足音を消して、近づくなんて善からぬ者以外の何物でもないですからね」
女は軽口をたたくと、肩まで届く黒い髪を手で後ろに払い、半身に構え微笑を浮かべつつ、俺を睨んでくる。
「・・・。何か隠し持ってるわね。さっさと出しなさいな」
更に女の続ける唐突なセリフにぎくっとする。
何故分かったんだ?確かにかなり小型ではあるが、腰には青龍刀を下げている。一見してバレないように、服のサイズは大きめにしているのだが・・。
「出さないつもりですか?・・・そんな、ゆったりした服着て・・、なにか隠してますよ。って言ってるようなものです」
女の挑発ともとれる洞察に、感嘆しつつも、隠していた獲物で、しかしこういう使い方ができるとは想像もできないだろうと、右手を後ろに回し、使い慣れた青龍刀の柄を掴む。
やはり殺してしまうわけにはいかないな・・。狙うべきは・・。
柄を掴み、女の動きを止めるべく、技を放とうと右手に精神を集中させる。
すると今度は、女が綺麗な整った顔に驚きの表情を見せ、慌てて構えを半身から、両手の掌を上下に広げ、身体の中心にし、腰を落とした構えに変化させる。
んん?こいつ・・?その構えの変化・・。まさか、俺がこの距離から脚を狙っていることに気づいたとでもいうのか・・・?さっきの掌打の威力と言い・・この女の能力者か・・?
女の行動を不審がっていると、俺の一瞬の気の緩みを見逃さず、女は左手を耳にあて通信し始めた。
「佐恵子、加奈子、玄関に侵入者です。・・・・・いえ、・・ええ・・・そうみたいです。・・・・・・・
さあ、そこでボーとしてても、私には勝てないわ。それに、聞いたでしょ?仲間に知らせたの。長引けば、あなたが不利ですよ?」
通信を切り、再度半身に構え直しつつ、挑発してくる。
構えた雰囲気からして、この女も相当な腕前だと感じるが、このままにはしておけない。それに今の通信だと、敵はこいつを含めても、少なくとも3人以上いると言うことだ。
なにが、侵入者だ、、侵入者はお前らのほうだぜ・・・。くそっ・・アレンやボクサー共は何やってんだ!?こういう時に役立たないで、あいつらがほかに役に立つ時ってないだろうが・・!
・・ん!奥の部屋から暴れているような音が聞こえる。あっちはアレンやボクサー達のたまり場の部屋のほうだ・・。
畜生!あっちはあっちで取り込み中か・・。これだけ、時間がたってもあいつらが出てこないということは、この女が言う仲間とやらに、手こずっているということか。態度がでかいばっかりの、とんだ大飯ぐらいの役立たずどもだ。
・・まあ、俺も女一人に足止めされているから、大きな口も叩けんな・・。
くそっ・・部屋を離れるんじゃなかったぜ・・・。この女も、完全に時間稼ぎ目的で防御の構えをしてやがる。
どうする・・・。敵に集まられたら更に厄介だ。逃げることもできなくなる・・。
それに、入口で見張ってた女が、この強さだ・・。中にいるこいつの仲間共はもっと、戦闘得手の奴らなのか・・?しかも、襲撃者全員が能力者なら木島やアレンの部下たちではどうしようもねえ・・・。目の前の女が、放った双掌打の威力を思い出しぞっとする。
女と対峙しながら、いろいろ考えを巡らせていると、防御姿勢で焦れたのか、余裕を感じているのか女が口を開いた。
「どうしたの?トイレでも我慢してるの?色々考えてらっしゃるようですけど、随分と浮かない顔ですね。そんな顔していると、せっかくのいい男が台無しですよ?」
「ちっ!・・ふざけやがって」
口を手で隠しクスクスと笑う仕草に、焦燥感を掻き立てられるが、清楚そうに見える美女がそういう仕草をすると、逆に案外と似合ってしまうのが余計に歯がゆい。
しかし、撤退するにしても、一人ぐらいは・・。それに手強そうだといって、何もせずに逃げの選択は俺にはできない・・。さっきガードした左腕の痺れも少しはマシになってきた。
敵が能力者なら、なおさら一人ぐらいは能力を見極めておく必要がある。武器を使えば、俺の能力は隠しつつ、相手を見定めることができるはずだ。
覚悟を決め、黒髪黒ずくめの女に向き直り、腰に下げた青龍刀を鞘からズラリと抜き構える
【第9章 三つ巴 11話~強襲悪魔の巣窟4~神田川真理 終わり】第12話へ続く